教団編_3

 そんな電話から、翌日。探偵事務所にとりあえず向かった。今日も学者様の依頼をこなすつもりではあったが、一応依頼人が来てないかの確認だ。

 ‎エレベーターで3階に上ると、珍しいことに事務所の前に人が立っていた。しかしその格好は異様であり、白いローブを纏い、フードを被っていた。

 そいつはエレベーターの音に気づいたようで、こちらを向くと軽く会釈をしてきた。あまりに深いフードのせいで顔は確認できないが、その身体つきと口元から見るに、恐らく女性だ。力で負けることはないだろうが、こちらも警戒しながら会釈を返そうとしたとき……フードの奥の彼女の目が一瞬赤く光ったように見えた。暗めの赤い光が、確かに鋭く瞬いたと感じたのだ。

 ‎その一瞬に感じたのは驚愕の一言。もしや教団とやらの回し者かもしれない。自然と身体に力が入り、一歩後ずさった。すでに閉まったエレベーターのドアに軽く右足が当たる。

 ‎しかし、女性は俺の警戒をよそに階段のほうへと背を向け、つかつかと降りていった。その姿があまりに堂々としていたもんで俺は呆然としてしまった。

 ‎……俺の気のせいか?

 ‎いや、気のせいで光を感じるものか。俺は確かに奴の目が光ったと感じたのだ。

「くそっ……なんだあいつは」

 本当にオカルトがあるとでも言うのだろうか。いや、しかし見えてない部分から光を発することなど容易だ。おもちゃですら可能だ。

 ‎しかしそんな悪戯をするために、あいつはこんなところに立っていたのか? それに、俺が感じた光は明らかに光ったと感じた後、地面と平行に伸びながら消失したのだ。あんな光を、俺は見たことがない。

 不気味さを感じた俺は学者様に電話をかけたが、出ない。仕事中だろうか。核心にも近い人間と遭遇したというのにすぐに伝えられないのが歯がゆい。俺は思い出せるだけ先程の人物の特徴をメモして、黒いローブの人間について調べることにした。

 大学での講義をし、少し余裕のある昼休み。私は睦月と偶然出会った。

「あ、先生。お疲れ様です」

「ああ、おつかれ。前のテストはどうだった?」

「まあそうですね、多分平気です」

「………………」

「あっ、いや、でも多少は間違えているかもしれませんけど」

「………………」

「先生?」

「あっ、いや、すまん」

 いかんいかんと両頬を叩く。私としたことが見惚れてしまった。やはり睦月は顔がいい。しかも私のタイプ過ぎる。もうずっとそばに置いて眺めていたい。

 しかしそんなことを急に告白しだしたら絶縁だろうな、などと思いつつ、ぼーっとしてたよ、と作り笑いをした。

「きっと先生はお疲れなんでしょう。いろいろと忙しい時期でしょうし」

「ああ、そうだな。……あ、そうだ。睦月、これからランチでもどうだ? とびきり美味しいところを知っているんだ」

「いいんですか? 是非ご一緒させてください」

 よし。私は心の中でガッツポーズをした。イケメンとの対面ランチチャンスなどそうそう手にできるものではない。特に食事の場とは様々なフェチの宝庫ですらある。手や唇、食べ方……それらだけでもたまらない。あ、先に断っておくが私は変態などではない。そうだとしても害を与えるタイプではない。ノータッチは紳士淑女の原則でもある。

 ‎時間をちらりと確認する。12時前。

「ふむ、これなら2時間……」

「2時間?」

 はっ、しまった。つい2時間ほどイケメンを眺めてられると喜びの声を出してしまった。ばれてはならないのだ、ばれては……。

「いや、ああ、今日は普段より時間があったもんだからゆっくりと食事できるなあと。それこそ2時間くらい……」

「へえ、宮本先生ってゆっくりお食事される方なんですね。普段とか大変じゃないですか?」

 ああ、ありがたい。しっかりと話を広げてくるタイプのコミュ力高いイケメンだ。睦月とは相性がいいのかもしれない。誤魔化しが効くという意味で。

 私は若干先行し睦月を誘導する形で話を続ける。

「普段はそんなに量を食べないんだ。どうにも食べるのが億劫でな」

「はは、先生は学問ばかりというイメージがありますけど……」

 学問以外の趣味が顔がいい人の観察ってだけなんだがな。

「でも美味しいお店を知っているってことは……それはどういう?」

「ああ、人とのコミュニケーションを円滑にするのは美味しい食事だ。私は人間関係を大事にしているから、そういった場所は結構知っているんだ」

 睦月は軽く微笑んだ。ああ、なんて尊いんだ。そんなことを思っていると、睦月はこんなことを言い出した。

「すると僕は先生のお眼鏡に敵ったってことでいいんですかね?」

「あ、ああ」

「ふふ、嬉しいなあ」

 死んだ。ありがたいとかじゃなくて、なんというか、こう、死んだ。私に向かってイケメンが嬉しいと言ってくれたのか。しかもなんだ。睦月蓮斗という青年は私に認めてもらいたかったというか一種の好意を持っていたというのか。信じられない。ありがとう、神なるものよ、どれだ、どの神だ。アラーか?ゼウスか?それとも神じゃなく仏か?いやしかしあそこらへんは少し違……。

「あの……宮本先生?本当に大丈夫ですか?」

「!!!」

 イケメンが顔を覗き込んできてる!ああ!近っ!いや近い!

 ‎いや落ち着け宮本幽。落ち着くんだ、彼と良好な関係を築くのだろう?!踏ん張れ踏ん張るんだ!

「あ、いや、すまないな。今研究している分野について、少しな」

 よーーーっしゃ!いいぞ宮本!完璧!これが教授というやつだぞ見たか見たか見たか!私が学問漬けで学問にしか興味がない人間だというイメージを利用したこの発言!

「やっぱり学問ばっかりだなあ、先生は」

 やった!やはり睦月!お前は才能がある!私の意図を無意識に汲み取る天賦の才だ!

 見よ、この睦月の表情を!屈託のない純粋な笑顔!よーしよしよしいいぞ宮本。うまい。うますぎる。いや、そんな言うほどじゃないか。

「ああ、ここだ。大学からも結構近くていいだろう?」

「フレンチ、ですか」

「ああ、そうだ。ゆっくりできた方がいいと思ってな」

 ああそうだ君みたいなイケメンにはフレンチを食べる姿が似合うんじゃないかと思ってな。


「ところでだが、睦月。久留宮とはどういう関係なんだ?」

「ちとせですか? 僕の恋人です」

 はっきり言うなあ、と私は感心してしまった。こういうことを言うとき、なんらかの誤魔化しか照れかが見えるものだが。イケメンだからだろうか。

「ほう。いや、少し気になったんだ。二人が話しているところを偶然目にしてな」

「そうでしたか。……ちとせとは親しいんですか?」

「そうだな、頻繁に食事を共にしている」

「へえ、初めて知りました。そういう話はあまり聞かなかったもので」

「普段はどういう話を?」

「んー、たわいない話ですよ。あのテレビが面白かったとかあそこのお店がおいしかったとか。でも最近進路の話をしましたね」

 進路か。まだ久留宮は院に入って一年も経っていないが、睦月は大学三年生であるから進路を真剣に考えなければならない時期だろう。

「なるほどな。睦月は興味のある職業とかはないのか?」

 睦月は首を横に振って、苦く笑った。

「やりたいこと、というのは特になくって。……僕のような人間は単に平穏であれば十分なんです。だから、このままでいいかな、と」

「このまま?」

「ああ、その、僕の家って……ちょっと裕福でして」

「ほう」

「それで……ああ、どこから話すべきかな……その、まあ大学に入った頃に両親が旅行中事故に遭いまして、遺産として僕にはマンション一つとそれなりの財産が遺されました」

 私はこの時、もしかして目の前にいる青年は私とは世界を異にする存在なのでは、と気づいた。彼の語る言葉はあまりに実感がなく、まるで漫画のような非日常であった。

 ‎いや、しかしこの頃はそういう人間に接する機会が少なくない。ノーベル賞を受賞していた奥谷博士は、私を訪ねてきたし、そういった人間に縁があるのかもしれないな。

「それでまあ、先程も述べたように、平穏に生きていければ充分なので今の収入でなんら問題はないんです。たまにマンション購入とか、投資とかを行えば今の生活は維持できるので」

「な、なるほどな」

 不労所得で生活する大学生を目にするとは思わなかった。と、同時に久留宮はすごい男を捕まえたものだと思った。ハイスペックどころかオーバースペックだ。

「しかし、投資などにも様々な知識、労力は必要だったはずだ。それを易々とこなしたというのか」

「そこら辺は、あれですね。父のいた会社から情報を貰ったりして判断したりしてます。あとは……父の教育のせいでしょうか。経済のことばかり教えられましたから」

「な、なるほどな」

 睦月の父親は相当な切れ者であったのだろう。睦月はその父から継いだ知識を使いこなして生計を立てているということか。

「ですけど、ちょっと飽きてしまって」

「飽きる?」

 睦月はこくりと頷き、自嘲とも取れる微笑みを浮かべた。

「望むのは、平穏です。しかし日々腐っていくような心持ちがしてならないんです。使われなくなった機械のように、錆びて、朽ちて、油も差されず忘れ去られ……。精神状態がどうにも不健康に傾くばかりで」

 勉強するのが、少し助けになってるんですけどね。睦月はそう付け加えた。

「それで進路を考えた、と?」

「ええ。でも、合わないかなって」

「なにがだ?」

「朝に起きるのが、です」

 冗談めかして睦月はそう笑ったが、彼の中でも理由は定まっていないのだろう。そのまま彼は口を閉ざしてしまった。

「趣味なんかは、どうだ」

「いろいろやってみたんですけどどうにも熱中できなくて。ボルタリングとボクシングを、身体を動かしたいときに。……なんか、冷めているんですかね」

「……。そうか」

 難儀だな、私は呟いた。難儀な人だ。彼には信条がない。強いて言えば平穏を求めるが、平穏とは言い換えれば退屈であり、刺激のない生活だ。彼が日々の中に小さな幸せを見つけるような人種ならまだしも、刺激のない生活というのは一周回って疲弊をする。

 ‎完全な休息とは疲労回復のためにある。それは身体的にも精神的にもであるが、彼はその双方が満たされた状態でその身体を放置しているのだ。


 その後、睦月と別れ、仕事に戻ったがその間中、彼の事が気にかかっていた。

 ‎睦月が全て満たされて不満ならば、私はなにを以てこのように生きているのだろうか。私の生き甲斐と言えば、美男美女に出会うことだとか話すことだとか愛でることだとか、あとはオカルトだが。

 ‎……活気ある生活のために、学問はよい。真理を探求し、終わることのない問いがそこに生じ続ける。オカルトなどはフィードバックが少ないためよくないかもしれないが、しかしオカルトを研究するということはまさに百科の学、科学をするということだ。

 ‎数百年の歴史を辿り、古ぼけた文書を解読し、今は亡き人の心を読み。ある時は遺伝子情報を解析し、幾層の地質を調べ、様々な生物の知見を得。

 ‎全ては浅い知識かもしれないが、それでも様々なことを知るということは、ある種の達成感を伴うのだ。

「睦月に研究職を進めるのは……」

 あ、いや、どうなのだろうか。研究職が平穏かと言われれば少し首を傾げるし、好きなように出来ないのも事実だ。現に私はオカルトの研究より歴史の研究の方がその比重がある。

 ‎それに睦月が希代の裕福大学生だったとしても、研究費というのはバカにならない時がある。あまりおすすめできない道だろう。

「うーむ、この頃の若者は難しいな……」

 伸びをしながら喉から言葉を絞り出す。私の世代がどうかは知らんが、私はそれこそ野心を抱いてオカルトの世界へと踏み込んだ。彼には微塵も感じられない熱量を持って、だ。オカルトが持つ一握の正当性、そしてそれを知ることの重要性。これらを世の中に知らしめてやろうと思っていた。

 ‎しかし現実は厳しかった。そもそも今の人間は目の前のことに必死だ。日々生き抜くことに必死でその余暇はあまりに少ない。その貴重な余暇を、存在するかも不明瞭であるオカルトに割く人間はあまりいないだろう。それも、学問として。それ以前に、分かってはいたことだがあまりに再現性のないオカルトは誰からも相手にされなかった。

 ‎……まあそんなことは此度の論点ではない。私の場合は後から結果がついてきたのだ。していることは妙であったが、理事長に気に入ってもらえた結果、この廻戸大学に籍を置くことが出来、私は学問だけで飯を食うことが出来ている。教育は楽しいし、やりがいも感じる。私が望んだ最良の未来、とは行かないがこういう生き方も悪くない、そう感じるから私はいきいきと動いているのだ。

「ならば私は運が良かっただけか……っと」

 図らずとも天職を手にした私はまさに幸運の授かり手であった。そんな幸運が睦月にも降りてくればよいのだろう。なんなら私が授けたい。しかし、幸運を授けるとは正に人間の意図して成せる業ではないだろう。

 私は立ち上がり、パソコンの電源を落とした。もう帰る時間だ。定時上がりは基本で、もっとも効率のよい働き方だ。……立場上、そんな生き方をする必要はないのだが。

 ‎時計の針が18時を指すと同時、スマートフォンが鳴り始めた。そういえば探偵からの報告がまだだった。スマートフォンを取り出し画面を見ると予想通り、そこには「探偵」の二文字。慌てて電話を取る。

「もしもし」

「ああ、出たか。昼間にもかけたんだが仕事中だったか?」

 あ、しまった、とすぐに思った。睦月に首ったけだったからスマホの振動に気づけなかったようだ。

「すまん、イケメンに夢中だった」

「……。昼間にな、白いローブの女に出会った。顔は見えなかったんだがな、目が赤く光ったんだ」

 私の発言をシカトした報告。呆れているのか怒っているのか、とにかくもう一度謝る。

「すまなかったって……。それで、赤く光った、だと? もう少し詳しく教えてもらえるか?」

「ああ。子供騙しの類いかとも思ったが、恐らくあれは……。赤い光はフラッシュを思い浮かべてもらえればいい。その光なんだが、しっかりと認知できる形で左右に伸びて、収束したんだ」

「……すまん、探偵。少し情景が思い浮かばないが、とにかく異常だと、そういうことだな?」

「ああ、そうだ」

「ところで、その女性とは何処で?」

「うちの事務所前だ」

 その発言に、え、と驚きの声を溢してしまった。

「……おい、待て探偵。お前まさかもう教団にバレてるのか」

 電話越しに、ライターのカチリという音が聞こえる。

「……分からんが、しかし噂とは違うな。奴らは黒いローブを纏っているはずだが、あいつは白いローブだった」

 これが幸運なことかどうかは分からんが、そのようなことを呟き、探偵は息を吐く。恐らく煙を吐いているんだろう。

「で。赤く光る目について心当たりは?」

「……いや。赤く光る目が一度心霊現象だと騒がれた例はあるが、その噂はデマに過ぎなかった。ワニの目がライトの光で赤い光を反射してただけ、というオチだ」

「へえ。……なあ、あんたと過ごしてると無駄な知識が増えるな」

 愚弄するような言葉とは裏腹に、探偵が楽しそうに言う。

「いつか役に立つかもしれないぞ? とにかく、あの例はそもそも光の反射だ。探偵、お前の報告した状況とは一致しない」

「心当たりはない、か」

「……すまない。ところで、その光を見たあとで何かしら変化はあったのか?」

「いや、光っただけだ」

「一度確認のために直接会おう。なにかされたかもしれない」

「おっかねえこというなあ」

 探偵は他人事のようにぼやいた。

「いいぜ、学者様。場所を指定してくれ」

「そうだな。廻戸駅の西口に、19時、でどうだ」

「了解」

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