教団編_1

 冬。

 ‎冬っていうのは結構好きだ。空気が澄んでいて、星が見やすい。

 ‎また、この微妙な都市化の進んだ廻戸では様々な音が聞こえてくる。車が通る音。ちょっとした話し声。どこかでざわめく木の葉の音。冬の冷えた空気は、そういった音をいくつも、途切れ途切れに運んでくる。

 ‎そんな静かな探偵事務所に騒がしい客が増えたのはつい数ヵ月前の話だ。

 ‎その客の名は宮本幽。学者様だ。彼女の依頼は奇っ怪極まりないと同時に楽だ。つい1週間前には廃墟の前調べを頼まれた。そこが誰の土地であるかを調べ、その許可を取り、廃墟に危険な人物がいないかを調べる。……ああ、そのときにはあの学者様は一緒についてくるもんだから護衛をしなくちゃいけない。警察時代の武道が未だに役立つとは思わなかったよ、全く。

 ‎事務所の扉が無遠慮に開かれ、カツカツと音を鳴らしながら、女性が入ってきた。こんな悠々とうちに入ってくる奴は一人だけだ。

「探偵、依頼だ」

「……まーた廃墟か、学者様」

「いや……今回はちょっと、な」

 そう言って許可もなくソファに座った女性。彼女こそ噂の学者様だ。廻戸大学で歴史を教えているらしい彼女は30代半ばにしてはまだ若々しい顔立ちをしている。面倒見もよく、生徒によく慕われてる云々。まあそんなことはどうでもいい。問題は今回の学者様はどんな奇っ怪な依頼を持ってきたのか、ということだ。

「今回はだいぶ骨が折れる依頼だと考えている。だから報酬もいろいろ考えているんだ。……前金はこのぐらいで」

 学者様は真剣な面持ちで、封筒をとんと机に置いた。封筒の中を確認してみると、30とかそういうレベルじゃない額が入っていた。

「……おいおい。学者様。何の冗談だ」

 学者様を見上げながら聞くと、彼女は腕を組んだ。

「不得手ではあるが、ある教団を調べてだな……それで、そこが『人を蘇らせる邪教』だということを知った。邪教というのはいい思い出がない。私の経験上はリスクもかなりある方だ」

「待て。リスクってなんだ。呪われるとか、そういうことか?」

 冗談めかしてそう言うと、学者様はそれならいいんだがな、と首を振る。

「もっと、『人』的なものだ。信者が友好的だとは限らない。直接かかわる予定はないが……秘匿されている教団なために調べることに危険があることは把握すべきことであろう。それは前払いの契約金だが、達成時にはさらに報酬を上乗せしよう。……もちろん、無理にとは言わない」

「あーつまり……その信者とやらに襲われるかもしれない、ってことを言いたいのか?」

 学者様はこくりと頷く。ああ、マジかよ。警察から離れてもう数年が経つがなんでこのくそ暇な職業でそんなリスキーな仕事が回ってくるんだ。

 俺はこの仕事を断れるもんなら断りたかった……が、そういうわけにもいかなかった。なぜなら彼女はうちの事務所の数少ないお得意さんであり、できることなら信用を失いたくない、というのがあるからだ。

 心の中でやれやれと呟く。

「わかった。受けよう。多額の報酬にリスクはつきもんだ。そんでもって……俺も金は欲しいからな」

 

 内心、私は探偵に仕事を請け負ってもらえてほっとした。探偵以外に頼む宛ても特になかったし、一人で調べもの、というのはどうにも苦手で仕方がない。助手の一人でも、いや、もはやお手伝いさんレベルのつきっきりのイケメンでもいたら捗るのだが、残念ながらそんな人材はいない。

 ‎オカルト仲間は存在する。しかし、私のように危険を冒すことを好まぬものが多いのも事実だ。その存在を語れど、暴く手が薄い。……もちろん、彼らにも生活があるし、資金面でもそういったことは難しい。正直、私もそろそろ苦しいというのが本音だ。故、突っ込みはすれど、推測の中に全ては収まってしまう。いや、そうせざるを得ない。

 はっきり言ってしまえば、オカルトというものは検証不可能であるが故に証明不可能である。例えば科学は度重なる実験によって検証を行い、法則や性質を導いたりする。しかしオカルトは膨大な前例から、「こうではないか」と推測を立てる。そこに確実なものなど何もない。正に超常的であり、非科学的である。

 ‎しかし、それ故オカルトを足蹴にするのは少しおかしなことである。例えば、人文系の学問は全て非科学的であろう。実際そのような批判をする学者も存在する。しかし非科学的であることが正しくないということに繋がるのだろうか。文学者の意図を汲み取るために「人間にはこういう側面がある」だとか「この表現はネガティブな側面が強い」だという推測は無効となるだろうか?

 ‎オカルトは、その推測が日常に存在しない。オカルトは理系科学のような専門性を持ちつつ、解明も証明も出来ない非現実的な代物。それ故、存在しないと言われてしまうのだ。

 ‎私は今現在こんなことを考えながら、頬杖をついて学生が試験を解く様子を眺めている。試験というものは便利だ。機械的な判断基準の下、その合否を決定できる。ここに決意が要るかと言われれば、要らない、もしくは無意識に決意をしているもんだから気づかない、というのが答えだろう。なにかによって定められた無形を、私達は今日もなぞっている。

 ‎そういえば彼はどうしているだろう。私は少し顔をあげて教室を見渡した。

 ‎睦月 蓮斗という学生がいる。彼がイケメン……いや物憂げな表情をしていたのでなんとなく話しかけたのがきっかけで、質問などをよくしてくれるようになった。それで、私も少し気にかけているというわけだ。……イケメンだからとか、そんな単純な理由だけじゃないぞ。

 ‎見てみると彼は開始20分ですでに見直しをしている状態だった。……まあ確かに分量は多くしなかったから彼の行動は当然だと言えるだろう。

 大丈夫そうだな。私は再び頬杖をつく。

 ‎……やることがない。

 ‎スケジュールなどの確認は問題ないし、仕事関連のタスクはない。かといって校内で例の教団のことを調べるのもなんだか気が引けた。

 ‎それ以前に私は調べものが苦手だ。昨夜は例の教団を調べるているつもりが気づけばほぼ全国の新興宗教の内容を覚えていたのだ。やり方が悪いのかパソコンが悪いのか。おそらく後者だと思う。インターネットというビッグデータの中から秘匿されている可能性のある教団を見つけ出す、というのが無謀なのだ。

 新興宗教の中に検討すべきものでもあったかな、等と知識の反芻をする事、約10分。丁度、目の前においたタイマーが30分を切っていた。

「試験開始から30分経過しました。終わった人は解答用紙を提出してから退出してください」

 試験監督のテンプレを言い終えてから、私は頬杖を流石にやめて提出される何枚もの紙を眺めていた。

 ‎試験は楽だが、退屈なものだ。

 仕事を終え、陽はすっかりと落ちていた。月の浮かぶ冬の夜が冷えるのは当然だが、今日は一段と冷え込み、鼻から出る息すら若干の白みを帯びた。

 ‎今日は一人鍋でもするか、と考えながら正門から帰ろうとすると、見覚えのある二つの人影を見かけた。

 一人は睦月、一人は院生の久留宮だ。久留宮とは大学生時代からの仲で、個人的に食事にもいっている。二人ともどうやら知り合いのようで会話の内容は聞こえないが、親しげな様子だ。

 ‎私は、ああこの際だし二人同時に声をかけてやろうと思った。二人とも知り合いなら丁度いい。イケメンにお近づきに……いや、学生との親睦を深められるいいチャンスだ。それに一人鍋を回避できるのも大きい。独身生活は長いが、やはり一人で食う飯よりは大人数だ。

 ‎そう思って二人に近づき、声をかけようとした私の内に、ぴしりと停止の電気信号が走った。はっとした私は近くにあった学内掲示板に反射的に身を隠し、そっと顔を出す。

 ‎宮本幽よ、よく見るんだ。お前に恋愛経験などはないがあの二人の間に漂う雰囲気になにか特別なものを感じないか? 特に久留宮は寒さによるものとはまた違う頬の紅潮を感じるし、睦月の方もまんざらではなさそうな表情だ。あれはまさに男女の関係ではないのか? 仮にそうでなかったとしても久留宮は間違いなく睦月に気がある。同姓として分かるが、女の顔をしている。

 ‎……まあ彼イケメンだし、惚れるよな。

 ‎睦月と久留宮は寒空の下、かれこれ5分ほど話し込んでいたが、しばらくすると睦月は久留宮の頭をぽんぽん、として手を降りながら立ち去った。久留宮は彼の姿が見えなくなるまで手を降っており、彼が見えなくなると口元に手を当てている。……20代の若者のアテレコが私で申し訳ないが「えへへ、撫でてもらっちゃった」という感じだろう。

 ‎……おいしいものを見させてもらった。いいな、青春というやつは。こちらまであたたかい気持ちになる。

 ‎しかし私はこれまで一度も、というか婚期すら逃しそうな勢いで……。

 ‎……………。ああいや、そうじゃなかった。二人を見かけたときに私は食事にでも誘おうと思っていたのに、つい二人の様子を見物してしまった。そのせいで睦月は帰ってしまった。

 ‎……まあしかし熱いお二方の邪魔をするのも無粋だからからこれでよかったな。

 ‎さて、久留宮には様々聞きたいことがある。今日は久留宮を捕まえることにしよう。

 ‎私は何食わぬ顔で久留宮に近づき、声をかけた。

「おお、久留宮。今帰りか?」

「あ、宮本教授。はい、もう今日はこのまま直帰で」

 違う、直帰はそういう使い方じゃないと言おうとしたが、言葉を飲み込む。彼女の頭の中に個性的な思考回路があるのは、ここ2年の付き合いでよく理解しているつもりだ。また、不思議な言葉遣いもする。それを咎めたところで何の得もないし、そもそも彼女は分かっててやっている。

「そうかそうか。よければ飯でもどうだ。……聞きたいこともあるしな」

「? 尋問のお誘いですか?」

「堅苦しいしなんだか物騒だな、表現が! コミュニケーションとしての聞きたいことだよ、親睦を深める一環」

「よかったー、いいですよ、いきましょう」

 久留宮がにこりと笑って、私の隣に立つ。私は校門へと向かった。

「それにしたって宮本教授は変な人ですよね」

「変? そうか?」

「はい。学生と教授の関係なんて百歩譲っても学生から働きかけないと始まらないじゃないですか。それもゼミとか。宮本教授は専門も分野も全部違う私に話しかけてきて、変な人ですよねー。おかしな人です」

 言われてみればそうか。自分のゼミでもない学生と親交を深めることはあまりしないかもしれない。

「しかし、久留宮の場合は百歩譲ったパターンだったぞ。久留宮から私にいろいろと聞いてきたんだ」

「あれ? そうでしたっけ?」

「ああ、そうだ。私たちのことを教授と呼ぶ学生も珍しいものだが、君の場合は更に珍しかった。君は開口一番『さっきの雑談面白かったです! 教授はツチノコに詳しいんですね!』 ……講義の内容だったならいざ知らず、そこに突っ込んでくる学生がいるか。初対面だというのに」

「私、そんなんでしたっけ? 言われてみればそうだった気がしますけど。でも教授、ちょっと嬉しそうでしたよ」

「………………」

「それに、ツチノコの話めちゃくちゃしてくれましたよね。『ツチノコは存在しないかもしれないが、しかしその存在否定は誰にも行えない』『アオジタトカゲの間違い? いいや。そう簡単にこの生物の存在を終わらせてなるものか』『そもそもツチノコの記述は古事記から存在している』などと様々に。あれ、講義でしたよ。お金とれますって」

「………………」

 我ながら、嬉々として語ってしまっているのが恥ずかしい。

「……えーと、どのくらい話してた?」

「きっかり90分でしたね」

 講義だ。おそらくそれは、私が昔大学でいつかオカルトをやろうという野心があった頃にまとめた、ツチノコを主軸においたオカルトの講義だ。

 ‎もう、なんというか惨めだ。過去の私は何をしているのか。私はああ、そうかと首を触った。

「どうしたんですか、宮本教授。浮かない顔をして」

「えっ、あー、いや、なんでもないんだ。……ところで久留宮、睦月とは知り合いなのか?」

「蓮斗くんですか?」

 蓮斗くん? ははあ、やっぱりそうか。

 ‎私の表情を見て久留宮は口をばっと抑え、すぐに手をあたふたとさせる。

「あーー! いやっ! 違うんですよ今のは! 私の家の近くにたまたま睦月くんと同姓同名の小学生の子が居てですね?!」

「その言い訳、さすがに無理があるぞ。あと先ほど頭ぽんぽんされて嬉しそうな久留宮を見たんだが」

「うわああああ! もうアウトです! これ以上は事務所を通してください! この話はこれ以降一切なしで!」

「久留宮、いつからお前はアイドルになった」

 私は久留宮の額をとんとつついた。ところで今回の"教団"については久留宮から情報があった。久留宮からそれを聞いた時点で詳しく聞きたかったのだが、私にもいくらか急ぎの仕事があったので、今日この時に聞こうと思っていたのだ。

 大学近くの洋食屋。ハンバーグを食べていた久留宮は、教団のことを調べているから詳しいことを聞きたいと伝えると、驚いた顔をした。

「いやっ、本当に調べてるんですか宮本教授!? あれは噂なんですよ噂!?」

「ああ、噂だが私のほうでも少し調べてみた」

「え……それでなにか分かったんですか」

「………………」

「……教授?」

 もちろん分かったら苦労しないし、大金をはたいて探偵に頼まない。加えて私は調べものが絶望的に下手くそだ。

 ‎その教団についての情報は噂というか一種の都市伝説レベルのものしか出なかった。それどころか久留宮に教えられなければ気づくことすらなかったレベルのものだ。

 ‎私は咳払いをして、こう答えた。

「まあ、そのうち分かるだろう」

 久留宮が目をぱちくりさせて、こちらを見てから、

「宮本教授ってなかなか突っ走るんですね」

「……うーん、いや、普段はあまり。しかし今回の件は興味が湧いた」

「精力的ですね」

「……まあ、なんだ。ボーナスが出たものだから思い切って偉そうに依頼してしまってだな……あとに引けなくなった」

 正直やらかしたとも思っている。ボーナスというのはこの頃出した本の印税なのだが、これが若干の当たりで少しばかし貯蓄に余裕が出来た。

 ‎だからといって探偵への依頼にそれを使う人間はあまりいないだろう。しかし私は躊躇なく使った。私の生き甲斐はオカルトなのだ。

「依頼、ですか」

「ああ、もし教団が見つかったとしたらその身辺警護も頼んだ。ちなみに人的な危険性もあるので報酬を更に上乗せした」

「噂の段階なのに……」

「……ごもっともだ」

「計画的にやらなきゃ駄目ですよ、いい歳なんですから。前も言ってたじゃないですか、子どもが欲しいって」

「うっ」

「それに、結婚もまだなのに借金まみれとか、もうホントに婚期遠のきますよ」

「ううっ」

「あと昔、バイオテクノロジーの講義で聞いたんですけど40を超すといよいよ妊娠率が」

「やめろ久留宮っ……やめてくれ……分かってるんだ私も……」

 院生に私はなにを諭されているのだろう。いや、もうこれはお説教だ。母親の「早く結婚しなさいよ」という言葉より効く。もう30代も半ばだという私の年齢を考慮した心配だろうが、久留宮、正直きつい。

「……大丈夫ですか?」

「………………」

「わ、悪かったですって。あ、ところで依頼って一体誰にしたんですか?」

「あ、ああ。探偵だ。朧月という男がいてだな。最近開業したらしいがいろいろと聞いてくれて助かっているよ。……そうだな。廃墟の調査とか」

「探偵さんになにさせているんですか……」

「はは、どうせ暇そうだし仕事をあげているんだ。ギブアンドテイクさ」

「まあ当人がそれでいいならいいんですけどね……あ、それで聞きたいこと、ですよね?」

「ああ。噂になってる教団のやり口を知りたいと思ってな。……人を蘇らせる、その方法を」

「はい。……まあ噂なんですけど、あまり良くない方法を使っているって話で」

「具体的には?」

「地下で黒魔術を唱えているだとか、邪神を召喚している、なんて話は前もしましたよね?」

「ああ」

「それに死者を蘇らせるには他の魂が必要だとかそういう話があって……」

 久留宮がそこまで話して口をつぐんだ。

「どうした?」

「あー、いえ……なんか、自分の口で話せば話すほどチープなオカルト話みたいだなって」

「はは。……まあ実際そうかもしれないがな。ところでどうしてそんな話が上がってきたんだ? 小学生でもあるまいし」

「ああ、それなんですけど……この頃廻戸で変死体が見つかっているのはご存知ですか? 年齢層はバラバラなんですけど共通点があって」

「なんだ?」

「真っ黒の魔術師のようなローブを纏った人影が目撃されているらしいんですよ、それぞれの現場で。それに死因も相まってこういう噂になったんですよね」

「そうだ、その死因を聞いていなかったな。一体なんなんだ?」

 久留宮がハンバーグを切り分ける手を止めた。

「自然死、だそうです」

 噂の内容はこれで全てだった。

 ‎私はこの翌日に、直接探偵の事務所まで行くことは出来ない状態であった。当然ながら試験の監督も事務仕事も存在している。なので私は大学に行く前に探偵へと電話をかけ、この内容を伝えた。

「ふむ、なるほど。それが"教団"とやらの全容だな? ……しかしなあ、学者様よ。テンション上がってんのは分かるがまだ噂の段階だ。こんな大金は受け取れない」

「うっ……うちの学生と似たようなことを。だがもう渡してしまったものだしな……」

「いい。うちは適正価格がウリなんだ。こんなボーナスつきの報酬はよしてくれ。本当に存在が確認できたときにこれは受け取る。確認できなければ俺の仕事はなかったってことで報酬は返す。いいな」

「……すまんな」

「謝らなくていい。謝っていただくとすりゃあ……働いてもねえのに金をもらうこっちの身にもなってくれって話だ。あんたとどんな顔して話せばいい?」

「う……すまん」

「……にしても変死体と人影ね。ただの噂か真実か、これを確かめねえとな」

「真実か確かめる、か。あてでもあるのか?」

「プロをなめんな。……警察に知り合いがいるんだ。事件性もないなら話してくれるだろうよ」

「こっちはこっちで調べてみる」

「なにを、だ」

「あー……いや。うーん……自然死の原因、かな」

 少しの沈黙。この探偵はオカルトについて理解がなく、信じてなどいない男だから「また始まった」とでも思っているのだろう。いや、仕方のないことだ。オカルトが理解されがたいのは年を取るほど、世界を見るほど実感すること。オカルトについては、ビジネスライクで構わないのだ。

「……まあいいさ。欲しい情報があるならあんたに回すぜ」

 きっと探偵の方もそう考えているのだろう。この発言からも分かる通り、オカルトがあるかどうかは置いといて、協力の姿勢を崩したことは今までで一度もない。

「ああ、頼む。死体周辺の状況とかが詳細に分かるとありがたい。あ、遺体の様子もだ」

「了解、わかったら連絡する」

 電話を切ってから、私はすぐに大学へと向かった。私の勤める廻戸大学は電車で3駅ほどでついてしまう場所だ。そもそもここ、廻戸市は私の生まれ故郷でもある。基本的に電車は都心とは反対方向なので行き帰りともにとても空いていて、座席にも難なく座れる。この体力の足らない体にはとてもありがたい。

 15分程電車に揺られ、うとうとすると、もう廻戸駅に到着する。最良の出勤退勤環境であるが、調べ物で徹夜などをした日には寝過ごしてしまう時もある。それは私の不摂生または不注意ゆえに起こる失敗ではあるが。

 さてオカルトが専門の私ではあるけども、仕事では西洋の歴史を教えている。また西洋史の概説、西洋音楽史などなど。この大学の西洋史系の要、と自ら言うのはなんだか気が引けるが、そういった自覚はある。といっても私は異例だが。そして今回の試験は西洋史の概説である。概説といえば大学生の低学年の子たちが受けるものだが、ここでポロポロと単位を落とすものはやはりいる。出来れば、この時期に落とすと面倒な必修科目であるのでうまいこと切り抜けてほしいものだ。

 そんな願いをカジュアルにしながら、試験監督の仕事を終わらせ、コンビニで買ったおにぎりを私個人の研究室で食む。昔、教授を目指していたころに「教授は自由気ままに生きて、研究している」などと思っていたものだが、現実はそう甘いものではないということを知らされた。論文などはいいとして。入試試験から大学予算などの仕事まで。実に幅広く我々は大学の運営に関わることになっていた。社会的機関というのはこういった下地が存在している故に動くことが出来るのであって、その上に教授達の研究などが成り立っているのだ。我々の知的営為は隔世的に行われているのではなく、むしろ俗世的に行われているのだ。

 貴族はその昔、退屈しのぎに学問をかじっていたし、このような贅沢極まりない「遊び」には当然「対価」が生じる、ということだろう。それが贅沢だと感じられないのはそれ以上の贅沢がありふれたからか?

 私はパソコンに向かい、この頃書いている本の原稿をちまちまと書き始める。これは先に述べた学術書、というか教養書の続編だ。それなりに売れたものだから出版社が「続編も頼みます」と頼み込んできたものだから「少し時間はかかりますが」と断っておいて細々と書いている。自分の専攻分野だとは言えども様々な資料を見て事実関係を確認、整理しなければならないし、こういったものは慎重にならねばならない。

 先にプリントアウトをしていた資料を見ながら仕事をしているとドアノブがガチャリと回る。

「失礼しまーす」

 声で久留宮だと分かった。久留宮の方を見ると、彼女はいつもの鞄の他になにやら小さな鞄を持っていた。

「あー、やっぱりおにぎりですか。どうせまた一個だけですよね」

「いかんせん一人で食べる昼食に金と手間をかける気になれない。手早く終わらしたいものでな」

「もう……そんな悲しいこと言わないでください。この久留宮ちとせをお昼に誘ってくださいよー、結構いい付き合いしてるじゃないですかー」

 久留宮は独特の言い回しをしながら、小さな鞄から複数の小さなタッパーを取り出す。中身はどうやら料理、のようだ。

「教授の身体が心配なのでおかず作ってきました! 割り箸も持ってきたんですよ、おにぎりだと思って。ささ、食べましょう、私ごはんまだ食べてないんですよ」

 言いながら、久留宮は事務机の他にもう一つ備え付けてある机の上にタッパーと弁当を並べる。ここまで私の許可を一切取らずに動いているのは、いい意味でも悪い意味でも無遠慮な久留宮の性格を表しているだろう。

 ‎いや、もしかすると久留宮は私がこういったことを歓迎する人間だと分かってやっているのかもしれない。

 ‎久留宮の対面に座ると、彼女は嬉しそうに笑顔を作る。

「えっとですね、全部手作りなんですよ。和食メインなのできんぴらとかひじきの和え物とかなんですけど……」

 タッパーは数えてみれば5個も用意されており、見ただけでもどれも本格的だということが分かる。

「すごいな。……そうか、久留宮は一人暮らしだったよな」

「はい。もうかれこれ5年くらいですかね。ずっと自炊してると慣れっこですよ。宮本教授もそうでしょ?」

「…………」

 そんなことはない。こちとら10年以上一人暮らしだがそもそもろくに食事をしないものだから料理をあまりしないのだ。

 が、なんとなく言葉は伏せ、別の話題を持ってきた。

「ああ、そういえば今日から本格的に動き始めてくれるそうだ。探偵が」

「探偵? ……ああ、教団のお話ですか。それじゃあやっぱ聞き込みとかしてるんですかね」

「さあな。私は依頼することは多くてもどこから情報を仕入れてくるか、分かっていない。しかしまあどこかの筋か、一般人か……情報をかき集めているだろうな」

「へえ……やっぱ人脈なんですかね、ああいうのって」

 久留宮はそう言って、お茶のストローを咥える。久留宮は少し上の方に目を反らし、ん、と声を漏らした。

「そういえば、宮本教授」

「なんだ?」

「人的な危険性が~とか言ってましたよね。もしかしてオカルティックな防護符とかあったり……?」

「いや? ないな」

 私がそう答えると久留宮はぽかんと口を開けた後、え、と小さく驚きの声を上げた。

「もし教団があったとしたら呪われちゃうかもしれないですよ?! いっつもそんな感じなんですか?!」

「ああ。正直なところ呪いを退けられるほどの強い防護は私では難しい。それこそ私が超能力者かなにかでなければな。……それに、呪いや魔法は一種の"信仰"と"執念"。そんな代物を私にほいとかけられるほど簡単なものじゃない。そんなのは映画の世界だけの話だ」

「……そんなもんなんですかねえ」

 実際、私はこれを推測で話しているわけではない。経験からくる知識で話している。だいたいの呪いは、行使するまで長い時間を必要とする。それこそ唐突に出会った人間にかけられるものではない。具体的なものでいけばその人の周りを囲って毎時間東西南北の位置で呪い続けるものでも、せいぜい人をちょっとした不幸に落とすくらいなものだ。

「でも、でもですよ?」

 そう言って久留宮はわざとらしく声を落とす。

「教団が変死体と関わっていたとしたら、そういう呪いですよね……その……死の呪い、とか」

 私は久留宮の発言にうなずきながら、答える。

「死の呪い、まあそういう感じになるな。……しかし、正直どんな可能性も考えうる。オカルトだからな。私が知らない手法もきっと無数に存在するだろう」

 そう、手法をいくら知っていても、オカルトというのはその知識を越えた先で起こり得てしまうものだ。どれだけ魔術を調べても、新たな魔術が生まれうる。

 ‎ただし、これら魔術には共通点がある。そういった呪いを生み出すにあたって必要なのは"信仰"と"執念"である、という点だ。「呪いは存在している」と"信仰"すること。そして、そのことに不気味にも思える"執念"を持つこと。この二つを満たす人間が、一体どれほど現代社会の、それも日本に存在するだろう? 未開拓のジャングルならまだしも、科学があらゆる神秘を否定する中、その神秘を心の底より"信仰"する人間などいるのだろうか。

 ‎私は、その判断をするためにも、教団の存在の真偽、そしてその性質を調べなければならない。……もし教団が存在していたとして、そのような"信仰"と"執念"を持つならば、オカルト系の代物による命の危険は当然ある。そうなるといよいよ探偵も……

「……宮本教授?」

 久留宮の声で我に返った。なんにせよ、これら知識は久留宮には必要のないものだろう。

「ああ、すまんな。考え事をしてた。……まあ噂の教団が呪いを使って人を殺しているのなら、尚更私が動かなければならない。警察はこの件で動いたりはしないだろう。なんせ自然死だ。それをどうにか止めなくてはな」

「もしかして、とても危ないことをしようとしてるんですか……?」

 心配そうに聞く久留宮に私はニヤリとしてみせた。

「安心しろ。ただの噂、そうだろ?」

「いや……そうですけど……」

 変わらず久留宮は顔を伏せていたが、なにかを思い付いたように鞄の中を漁り始める。しばらくそのまま鞄の中をがさがさと探していたが、

「あった!」

 と、顔を上げた。その手に掴んでいたのは一般的な袋のかたちになっているお守りのように見えた。彼女はそれを私の手に握らせる。

「お守りです! これのおかげで受験も受かりましたし、大きな病気もしませんでした! これを持ってればきっと大丈夫ですよ!」

 ふむ、と答えながらよく見ると、合格祈願と大きく書かれているお守りで、ふっと笑いが漏れた。おそらく湯島天満宮あたりのものだろう。合格祈願のお守りで私の身を守れるものだろうか。そのことを久留宮に告げようか少し悩んで、やめた。オカルトは信仰と執念だ。正しいも間違いもない。ただ信じれば、応えてくれる。

「ありがとうな、久留宮。これならきっと大丈夫だ」

 そう言うと久留宮は満面の笑みを浮かべて、「そうですね」と答えた。

 ‎久留宮はその後講義へと向かい、私も仕事へと戻った。去り際に「絶対身に付けててくださいよー」としつこく言われたので、忘れぬよういつも使う鞄につけておくことにした。といっても流石に外に「合格祈願」とつけるのは気が引けたので、中側につけた。

 ‎仕事の間に、私は教団と変死体の関連性について考えていた。教団が人をなんらかの方法で殺害していたのならその方法はなんだろう? 呪いの他にも人を殺す方法はある。一種のマジックアイテムやそれに類するものなど。また、単純な話だが、なぜ殺す必要があったのか。噂によれば、人の魂が必要だとは言っていたが……。

 ‎様々な検討を行うも、その全ては推測どころか憶測の域を出ないもので、私は背もたれに身体を預けた。とにかく探偵の報告を待つしかない。噂の教団が、現実か妄想か。

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