転生猫_2

 その数日後、奥谷教授を連れて私はあるところを訪れた。私の家からはさほど遠くない、ビルの3階。

「………? 宮本さん。ここで本当にあってるんですか?」

「ああ、そうだぞ」

「いやでも、ここは--」

 彼の疑問は、ここにいる男と話せば氷解するだろう。私はドアを開けた。

「あ、朧月探偵事務所へようこそ。ご依頼の方ですか」

 驚いた。これは不意討ちだ。右手にドア、正面に椅子とソファーがある部屋。そのソファーに座っていた若い女性がすくりと立ち上がり、そう話しかけてきた。

「あ、ああ。……あの探偵、朧月リクトを呼んではもらえないだろうか。知り合いなんだ」

「はい。すみませんがお名前をお伺いしても?」

「宮本幽だ」

「ありがとうございます。少々お座りになってお待ちくださいね」

 そう言って、若い女性は私たちをソファーへ誘導すると、すたすたとドアの奥へと消えていった。

 ソファーに座り、ふう、と息を吐く。

「……かわいい」

「ぼそりと言うのはやめてくださいね。なんか、生々しくてぞっとしますから」

「うっ……奥谷教授、辛辣なところがおありで」

 そう言いながら彼の事を見るが、奥谷教授はいつものにこにことした顔のままである。全く、この人は思ったことをすぐ口に出すし、それをなにも悪いとは思っていないようだ。

「ところで、ここに来るのは初めてなんですか?」

「いいや、前にも何度か来たことはある。ただ……あの子を見たのは初めてだ。あんな可愛らしい子がいたなあら覚えているはずだからな。いつもはだらしなくYシャツを着た男がいるだけなのだが」

 そのようなことを喋っていると、ドアが開き、男と目が合った。痩せてはいるが、その顔つきはどこか粗野な力強さがある。そして相も変わらず服の着方はどこかだらしない。男は目を細めながら聞いてくる。

「よお、学者様。依頼か、真っ当な方の」

「ああ、探偵。依頼だよ、真っ当じゃないほうのね」

 探偵、朧月リクトは、またか、と頭を掻く。目の前のソファーに座ると、彼はこう言った。

「調査、捜索など基本的に依頼は請け負ってる。……オカルト以外は、だ。分かったら帰ってくれ。俺も暇じゃないんでな」

「ああいや待ってくれ。此度は私一人の問題じゃないんだ。この奥谷教授の猫の話だ」

「……奥谷? ああ、"博士"さんか」

「やっぱり誰でも知ってるんだなあ。いや、奥谷廉太郎と申します。以後お見知りおきを」

「どうも、俺は朧月リクト。探偵をやってます。で、猫とは? 迷い猫ですか?」

「そんなわけないだろう? いつものオカルトだ」

「ああ……ったく、そうだった。俺も暇じゃないんだぞ学者様」

 そう言いながら探偵は煙草を取り出した。

「時に博士さん。煙草はお嫌いで?」

「いえ。僕も嗜む程度には」

「そりゃあいい。この頃は……。この頃は、煙草は悪ですからね。ありがたいことです、一本いかがですか」

「ええ、もらいましょう」

 奥谷教授はすっと煙草を抜き取ると、探偵の火を借り、煙を吐き出した。

「悪……悪ですか」

 奥谷気教授は煙を眺めて、子どものような純粋な笑顔を浮かべた。

「で、報酬がもらえないならやらないぞ。こっちもボランティアじゃないんでね」

 私はにやりと笑った。

「ああ、いいだろう。然るべき金額は後から呈示してくれて構わない」

「オーケー、引き受けよう。して、その内容とは?」

「聞いて驚いてくれるなよ、転生する猫、そのルーツについてだ」


「話は、分かった。今回は宗教団体のアレよりはマシだな、平和的でいい」

「探偵というやつは平和志向なのか?」

 探偵は煙を上へと吐き出し、片眉を上げて見せた。

「命の危険は少ない方がいい。そりゃあどんな人間だって最終的にはそうだろ?」

「人間には死へ向かう破壊志向もあると誰かが説いていましたがね」

 奥谷がそう口を挟むと、探偵は苦笑いした。

「おっと失礼。続けてください、朧月さん」

「ああ。じゃあ、そうだな。博士さん。その猫はどこで拾ったんだ?」

「瑠美子を拾ったのは僕の地元からそう遠くない寂れた神社跡でしたね。僕は小さな頃から活発でして、家族でピクニックをしていた時、一人で山の中のそこに入っていったのです。両親は5歳の息子がどこかへ行ってしまったと本当に慌てたらしいのですが、その時に僕は猫とじゃれていたようで。いやあこっぴどく叱られたのは今でも覚えていますよ。……で、その時の猫、これが瑠美子でございます」

「神社跡、ねえ」

「そこに行ってみればなにか分かるかもしれないな」

「ええ、しかし宮本さん。あそこは本当に神社跡でして、なにもないんですよ。僕も数回行きはしたものの特に情報も得られず、ですね」

 ですが、と奥谷教授は話を続ける。

「雌猫の行動範囲、縄張りは狭く、あそこに少なくともヒントがあるかもしれませんね」

「なら話は早いな。博士さん、現場百篇ですよ。それに複数人いれば着眼点も変わってくる。なにかが見つかるやもしれないですよ」

 現場百篇。別にこれは事件現場ではないが、事の始まりはそこで間違いないだろう。かなり昔ではあるが、見落としている手がかりがあってもおかしくはない。

「そうだな。私も探偵の意見に賛成だ。私も調べたいことが多々あるからな。そこに行くべきだろう」

 私の返答を聞いた探偵は、満足げな笑みを浮かべた。奥谷教授の方は、うきうきした調子で、

「そうと決まれば、すぐにでも行きましょう。善は急げというやつで」

「俺はどちらかといえば悪の側なんですがね」

 そんなことをぼやきながら、彼は煙草を灰皿に押し付けた。最後の煙がふわりと漂う。

「はは、しかし善悪なんぞは言っても仕方ないことですよ朧月さん。私たちはそんなことを議論するより楽しいことをすべきです。そうは思いませんか?」

 楽しそうな彼の質問に、探偵はこちらをちらりと見る。どうすればいいんだこれは、という顔だ。仕方ない。

「奥谷教授、探偵が困ってる」

「ああ! これは失敬。つい楽しくなってしまいまして」

 探偵に軽くウインクしてやると、彼は広角を軽く上げ、助かる、と口の動きだけで礼をした。その後、奥の部屋のドアを開け、さきほどの女性を呼んだ。軽くなにかを話しているようだ。

「じゃあ、頼んだぞ」

 奥谷教授がいう神社跡、というのは私の家の近くでもあった。ちなみにこの探偵の事務所も私の家のすぐ近くであり、調べもので詰まると度々足を運んでいる。

「ところで探偵」

「なんだ?」

「あのとてもとても可愛らしい女性はいったい?」

 探偵が怪訝そうな顔をしたが、すぐに、ああ、と言ってから、

「リツカのことか。あれは姪だ」

「めっ……?! あんな可愛らしい姪がいるというのか?!」

 信じられない。身内がとんでもない美人、そんな状況が実現していいのはかの源氏物語くらいではないのか。

「あんたオカルトと美人には節操ないな。ああ、兄貴の娘だ。兄貴といっても一番上のだがな。今年で19になるそうだ」

「……あんな可愛い子といてよく平気だな?」

「学者様はもう少し落ち着け。リツカのことは、それこそ生まれた時からよく知っている。平気もなにも、慣れるだろうしそんな風に考えたこともなかったよ」

「でも確かに、そうですね、眼福というのは正にああいった人に使われるべきでしょう」

「これは驚いた。奥谷教授はそういったものに微塵も興味がないのかと」

 奥谷教授は不思議そうな顔をする。

「僕は男ですよ、宮本さん。そういった感情も、欲も当然ながらあります。ただ、僕は人間の駆け引きってやつがいつでも苦手でしてね……」

「博士さん、失礼ですが、結婚は?」

「はは、公園で寝泊まりするような男に結婚指輪は似合わないものですよ。帰りを待ってくれるような女性も、ね」

 あ、と奥谷教授は声をあげる。

「あと、敬語じゃなくていいですよ。なんだか、あなたもやりにくいでしょう? 探偵さん。ポケットの中の手がだいぶ忙しないですよ」

 探偵はにやりと笑って、ポケットから手を出した。そこに握られていたのは懐中時計。彼はずっとそれを弄っていたのだろう。

「駆け引きは苦手でも、人の動きはよく見てるもんだ。お気遣い感謝するよ、博士さん」

「駆け引きが苦手だからこそ、ですよ。……ほら、あの山です。登りましょう」

 山の入り口には簡素な石碑が置いてあり、奥へと石段が続いている。石碑には「由利根山」と彫られている。

「……まったく、大変そうだな」

「そうですね。ここの石段はだいぶ長いですし、加えて神社跡は本当に上のほうです。しかも途中で道から外れなければならない」

「学者様は体力に自信がないのか」

 大変とこぼしたことに対する疑問であろう。ああ、当然だ、と返す。

「例の一件、教団の時にそれはよくよく理解しただろう?」

「例の一件、ですか? そういえば先ほどもそんな話をしていましたね」

「ああ、学者様の無謀さと非力さが露見した一件だ。登りながら話そう。時間は有限だ」

「そうですねえ、"善は急げ"」

 探偵が石段に踏み出し、それに奥谷教授、私と続いていく。

「ある宗教団体を調べてくれって言われたんだ。そこの学者様に」

「ああ、あの団体の興味深いところは新たな信教者を入れるようなことはほとんどせず、全ての儀式が秘密裏だったことだ」

「加えて学者様は、人を生き返らせてる、なんて言いやがる。俺は学者様の頭が狂ったんじゃねえかと思ったんだがこの人のオカルトにかける熱意は本物だからな。その調査に協力することにした。ただ、とてつもなく危険な奴等でな。潜入してた学者様が信者の一人に見つかって、押さえつけられた」

「私はそれを退けられなかった。……情けない話だがまだ10代も半ばであろう少女にだ。あんなか細い腕に抵抗できないとは思わなかったよ」

「だいたいあんたが焦って潜入するからだ。……その後現場に駆けつけて集まり始めた信者をのして脱出したわけだ。あとから知った話なんだが、警察もこいつらをマークしてたようでな……この話を聞いた兄貴が頭を抱えたよ」

「その件は本当に申し訳なかった……隠密行動には少しばかり自信があったのだが」

 奥谷教授が興味深そうに、ほう? と言った。

「なにか理由がおありで?」

「あ、ああ……まあちょっとな」

 忍者を志していたから、などと言えるわけがなかった。さすがに恥ずかしいし、しかも見つかっているのだから胸を張れるものではない。

「そんなわけで私はとにかく非力で体力もそこまであるわけではないのだ。ええ、と、体力なら奥谷教授の方があるだろうな」

「いえいえ……僕もせいぜい人並みです」

「この間、ここいら近くの山の崖を登っていたと聞いたけどな」

「うっ……見られてたんですね、お恥ずかしい。とある生物を調べていたのですよ。こう、日本には存在していない小さい鳥なんですけどもね? もしかしたら日本にも定着してくれる可能性があるんじゃないか、とあの崖を登ったのです」

 奥谷教授の活力に驚くと同時に若干の呆れを感じた。この近くの崖のある山と言えば標高50Mほどのあれであろう。崖はほとんど頂上まで続いていて、50Mと言えどもビルの15階ほどの高さがある。あまりに危険だ。

「別に登らずともよかったんじゃないか?」

「いえいえ、やはりしっかりその場に行かなければ分からないことはありますからね」

 その学問を追究する精神には感服する。

「しかし奥谷教授、あなたは博物学を牽引するといっても差し支えないお方でしょうに。なにかあったらどうするんです?」

「はは、耳が痛いお話で。しかし僕もうつけではありません。全部は登りませんでしたし、安全な範囲で、ですよ。……さ、ここから道を外れます。足元には気をつけてくださいね。ここの木の根はなかなか躓きやすいですから」

 奥谷教授が先導する道、いやもはや道ではないそれは彼の言う通り木の根が地面を突き抜け、小さなアーチをいくつか作っていた。このしとしとに濡れた地面の上で躓けば間違いなく転ぶだろう。私は探偵を見る。

「……? なんだ」

「探偵。女一人を支えられる瞬発力と筋力はあるか?」

「あるが……いや、まさか勘弁してくれ。あんた、転びやすいからって俺に掴まろうって言ってんのか?」

「ああ。こちらは大真面目だぞ。なぜなら私には『転倒の呪い』がかかっているのだ。間違いない」

「なんだその地味な……誰がかけるんだ」

「わからん、わからんが、相当意地悪な人間に違いないだろう。私は一日に一回は転んでしまう。ああ、必ず転ぶ。ベースラインを取ったら平均一日三回転ぶなんてデータも出た! これは最早外的な要因と言わざるを得ないはずだ」

 と、先に進んでた教授が、はは、と軽快に笑った。

「『転倒の呪い』ですか。いやあ、ふふ、さすがにそれは僕も擁護しかねます。呪われているとしたらその思想だと思いますよ」

「うっ……その根拠はなんだ!」

「僕も宮本さんの転倒の多さには疑問を抱いていましたよ。この人はどうしてこうも転ぶのかなあ、と。宮本さんはどうやら現実の身体より頭の方が大事なようだ、と分かったんですけどね」

「……そんな実験された覚えがないぞ」

「ええ。聡明な宮本さんに実験の概要を話したら何をされるか、すぐにバレてしまいます。なので、黙って試しました。実験内容は『思考する傾向が高い話題を意識的に振る』ということでした。これを怪しまれない程度にざっと100試行。ああ、来るとは分かっていたのでだいたい受け止められました故、怪我は無く済みましたね」

「で、結果はどうだったんだ博士さん」

「100試行中87回、転倒しかけました。僕が支えてなかったら痣だらけです」

「うっ……」

 いくら私がオカルト専攻の人間だからと、このデータには強く反論ができなかった。やはり、純粋なる科学者である奥谷教授は侮れない。

「その可能性も十分に考慮されうること、認めよう」

「ふふ、そうですね。あくまで可能性です」

「しかし私が転ぶことには変わりはないぞ探偵。袖口でもなんでもいい。掴ませろ」

「命綱とかでいいか」

「それだと結局転ぶだろう?!」

 そうすると探偵は、ああわかったわかった、とこちらへ近づいてくる。

「あんたのことだ。袖口掴んでも握力が足らずにすってんころりんする。ということで失敬」

 探偵がすっとしゃがんだと思うと、急に身体が浮遊感を覚えた。え、と首を動かすと探偵の顔がやけに近かった。身体の座標がどうなっているか、この探偵が私のどこに手をかけているか、それでなにをされているのか分かった。

「……探偵さんは大胆だな」

「横抱きを、まさか恥ずかしがるタマじゃないだろ、学者様」

「いや、恥ずかしい。わりと」

 こけた方がましだったと思えるぐらいに、この行為が恥ずかしいものだと知った。この男に好意とか嫌悪とか、この程度で一々示すことはないけれども、顔が熱くなるのを感じた。一種のロマンチックを感じているわけではない。だいたいお姫様抱っこなどとは言うけど女性を拐う略奪行為からという説まである。戦争がロケットを発展させた、というぐらい興ざめな代物だ。しかし、これはあまりに無様というか、なんと表現すればいいか不明だが、ともかく恥ずかしい。

 下ろしてもらおうか、下ろしてもらうまいか考えてると私の心中を察した探偵がぼやく。

「担いだ方がよかったかもな。俵みたいに」

「探偵……! それはレディに対しての所作じゃないぞ……!」

「俺もそう思ってこうしてる」

「なら早く進め!」

「へいへい」

 勢いで進めなどと言ってしまった。下ろしてもらった方がよかっただろうに。あと奥谷教授には見られたくない。

「まあまあ、恥ずかしいのは分かりますが、仕方ないですよ。無傷にこしたことはありませんからね、宮本さん」

 見られた。今なら死ねる気分だ。 愧死などという言葉の本質を身をもって味わうことになろうとは。……奥谷教授が純粋無垢な少年のようで助かった。一般の教授とか学生に見られようものなら、噂がたちまち広まって私は廻戸大学にいられなくなるところだった。

「悪かったな、こちらとしては慣れていたもので」

「慣れ……どういう不埒な環境で生きてきた」

「怪我人とか死体運びとかだな」

 どんな汚れ役を背負っていたのか、それとも探偵なりのジョークなのか、いかんせんはっきりしないのでとりあえず私はその言葉を流し、今の状況を気にかけないよう、集中した。気をそらすのに全力を尽くした。

「それにしても学者様はちゃんと飯食ってんのか? こりゃ相当痩せてるぞ」

「分かるのか?」

「何人も担いだんだ。感覚でなんとなく分かるさ。……こいつは軽い」

「君の推測する通り、私は3食を疎かにすることがある。三度の飯よりオカルトだ。……それに糖分を摂ってれば存外頭は回るものだ」

 眼前で、探偵が溜め息をつき、やれやれと口にする。

「身体は資本だろ……いつか倒れるか病気するぞ。そしたらオカルトなんて調べる暇は消える

。それに恐らくだが老後に響く」

「……老後というワードは止めてくれ。デリケートな時期なんだ」

「おっと失礼。結婚は?」

「聞くな」

 軽く、探偵の胸へと肘を入れた。固い感触。見かけの割には鍛えているようだ。

「ああ、すまん。こいつのほうがデリケートだったか」

「分かっているなら、なおさらだ」

 親にも散々そんなことを言われていた。……結婚は考えなくはない。子どもは好きだし、自分の子どもがほしいという漠然とした願いもある。だが、それよりもオカルトが重要なのだ、私には。

 探偵の足並みに揺られながらも、私は件の神社跡に辿り着いた。降ろしてもらい周りを見ると、鳥居らしいものもなく、鬱蒼と木が生い茂る空間。そこに残った石で舗装された道とボロボロの小さな社が、「神社だったのかな」と想起させる程度のものであった。

「だいぶ廃れているでしょう? あの社の小さい階段で瑠美子は眠っていたんですよ」

 小さな社の開き戸に続く階段を指して奥谷教授は言う。猫がギリギリ寝そべることができるだろう幅、そこにすっぽりとはまって眠っていたのを想像すると、なかなか可愛らしいと思うと同時、趣深いと感じる。

「ぼくが近づくと瑠美子はすっと目を開けて、こちらの目を見てきました。瑠美子の引き込まれそうにもなるあの瞳は今でも記憶に鮮明です」

「それで、その猫……瑠美子を拾ったと」

 探偵が聞くと、奥谷教授は頷いた

「ええ、そうです。両親に無理を言いましてね、瑠美子を家で飼うことにしてもらいました。それからは……先ほどお話しした通りです」

 そうか、と探偵は頷くと開き戸に手をかける。

「おいおいおい! 待て待て!」

 私が慌てて制した。いくら宗教の薄れた国だからとここまで無作法な人間があってたまるか。探偵は私の声に振り向く。

「なんだ?」

「その中には御神体が入っているんだ、いくら廃れていると言えども……」

「すまんが俺は無礼千万なものでな。特に神には」

「あっ……おい!」

 探偵は私の制止に耳も貸さず、扉を開けた。私はとっさに顔を背けた。

「ああ……開けたな探偵……」

「開けたぞ。……さて学者様。なんだ、この壺は。顔を背けてないで見ろ」

 見た瞬間に神性は失われるというのにこの男は。その行動力は称賛に値するが罰当たりもいいところだ。

「宮本さんはどうやら見たくないようですね。では私が見ましょう」

「ああ、そうしてくれ。君らが平気でも私は嫌なんだ。他の場所を探してみるよ」

 いくら彼らが罰当たりなことをしようとも、私が今ここで役立たずなのは確かだ。壺とやらを見ないように、そして、他の場所を探ろうと神社跡から少し外れたゆるやかな斜面をなにかないかと探す。

 転ばぬように歩くと、地面が平らな場所に出た。周りは木に囲まれているが、この自然に釣り合わない折り畳み式のパイプ椅子が置いてあった。

「……誰かがこんなところでくつろいでいたのかそれとも」

 近くにもうひとつ置かれた椅子。その足元には雨風にさらされたのかぐちゃぐちゃになってしまった段ボール。

「お茶会でも開いていたのだろうか」

 声に出してみて、ふっと笑う。子どものような空想だ。椅子は長い年月ここにあったのかずいぶんとボロボロでパイプの部分は錆びきって茶色い。少し手で触れると、破片がポロリと欠け落ちた。クッション部分は今でも座れるくらい状態はいいが、だいぶ汚れている。

「まあどちらにせよ座る気はないが……」

 顔をあげると、眼下に町並みが広がったそこまで高くないから高層ビルから見たような絶景ではなく、高架を走る列車から眺めたような景色だ。しかし。

「悪くはないな」

 ここに、瑠美子に繋がる手がかりがあるとはとても思えない。パイプ椅子に段ボール……あまりにも現代的で、ちょっと古くさい。しかしダメ元で探すのもいいだろう、と辺りを捜索する。

「っと、これは……」

 L字をしたボロボロの太い針金が2本。壊れないように拾い上げてみると、それがなにかよくわかった。

「……L字ロッド」

 水脈、鉱脈、埋蔵物。それらを見つけたい時にダウジングを行うことがある。方法は様々あるが、ロッドを使う方法とペンデュラム……つまり振り子を使う方法が一般的だろう。やり方は簡単で、地面の下になにかがあれば装置に反応がある、というものだ。そこを掘れば水なり金なりが出てくるということだ。

 だが私はどうにもロッドはうまく扱えず、今使っているのはペンデュラムによるダウジングだ。……といってもダウジングをすることはそこまで多くないのだが、もらってしまったものだから使っているのだ。

「どれ……久々に……」

 そう思い、首にかけているペンデュラムを外そうとした時、声をかけられた。

「ああ、ここにいましたか。何か見つかりました?」

「奥谷教授……ああ、おそらくあなたの猫には関係ないだろうが、興味深いものが幾つか」

 周りを見るように促すと、ほう、と奥谷教授は声を漏らした。

「こんなところで、ピクニックですかね? いやそれにしてはパイプ椅子は重いか」

「あとこんなものも見つけた。ダウジングに使うロッドだ」

「これは……ボロボロだ。ここに落ちていたんですか?」

 頷いてみせると、奥谷教授は指を自分の唇に沿わせた。

「誰かがここでダウジングを……? しかし、ダウジングですか。宮本さんの前であまり言いたくはありませんが、これに関しては成功率はほとんどない。成功したとして、偶然の確率の範疇です」

「そうだな。……普通の人間が扱えば」

「宮本さんはサイキックも考慮に?」

「入れてるが、専門外だ。強く惹かれるわけではない。……人の力は、そこまで強くないからな。ところで壺の中身はなんだった?」

 ああ、はい。そう返事して、奥谷教授は右手を開いて見せた。そこには何のものとは分からないが、白い棒状のものがあった。

「……骨、か?」

「そうです。見たところ、砕かれた猫の骨でしょう。同じようなものが幾つも壺にはいっていました。さしずめ骨壺といったところでしょうかね」

「骨壺、か。……神社が骨を御神体に?」

「珍しいことなんですか?」

「珍しいというか……私も世界の御神体を知っているわけではない。だが有名どころで言えば伊勢神宮などは八咫鏡を神体にしている。基本的に神体になるのはそういった道具だ。山や滝を神体にする例もあるが、骨は……聞かないな」

「なるほど。ところで、宮本さん。この骨は戻したほうがいいんですかね」

「まあ、それが自然だな。気になるものがあれば破片の採取程度に留めるべきだろう」

「ふむ。念のため調べてみますかね。僕の予測が外れてる場合もなくはないですから」

 奥谷教授はごそごそと採取セットを内ポケットから取り出し、骨を少し削る。

「一応、骨壺の中のすべての骨から採取しときましょうかね。宮本さんはここで待ちますか?」

「……いや、その必要はない。もう御神体がなにか、知ってしまったのだしな」

 奥谷教授が、あ、と声をあげる。

「もしかして伝えないほうがよかったですかね」

「いや、いや、大丈夫だ。神性は失われない」

 神性は決して認識のできない聖なる力などではない。神は信仰によって成り立つが、神性とはそれを信じる心がどれだけ存在するか、だ。

 御神体が、石ころなどであれば神性は失われたかもしれないが、骨と聞いてそれをただの骨と侮蔑し、神を否定するものはあろうか。いや、霊的な要素も持った骨に、人は不気味と畏怖を忘れないだろう。それは私も同じである。ゆえに、信じる心はここに保たれる。

 神性とは、人間にとってみれば、催眠のようなものなのだ。

「採取が終わったら帰ろう。私はあの神社がなにを祀っていたか、また骨を御神体にした神社が他にもないか調べてみるよ」

「では私はこの骨の成分鑑定といきましょうか。……念のため瑠美子の遺伝子と一致するかを調べてみます」

「ほう……? 奥谷教授はあの骨が"瑠美子"だと推測をしていらっしゃるので?」

 そう聞くと、彼は軽快に笑う。

「聡明なあなたならお気づきでしょう。確かにその可能性もあるでしょうが、いや、可能性の枝葉に過ぎません。重要なのはどう枝葉を間引くか」

 奥谷教授は人差し指を立てる。

「確かに、推測。そうかもしれませんが、そうであって違う。私に"これが正しい"という推測はありません。枝葉を間引いた先、残った一つ、それがあるだけです。私に推測たらしい推測は存在しないのです」

「なるほど、これは失敬」

「いえ、こちらこそ。しかし訂正せずにはいられぬもので」

 申し訳なさそうに微笑む奥谷教授に、その子どものような、大人のような、中途半端な間合いの気遣いを感じた。

「探偵には、そうだな、ここらの歴史でも調べてもらおう。なにか記録があるかもしれない」

「ええ、それがいいでしょう」

「決まりか。では今回はここらで解散だな」

「そうですね。なにかわかりましたら連絡をします」

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