宮本見聞録
時雨逅太郎
転生猫_1
私の専門はオカルトだ。UMAから呪文までそういったものを広く取り扱っている……のだがその話を聞いてくれるものといったらうちのイケメン助手くらいだろうか。
嘆かわしい。科学で証明できないからとオカルト――ないし万物の可能性を投げ捨ててしまうのはなんとも嘆かわしい。確かに実在は見えていないかもしれないが、オカルトとは常にそういうもの、常に不明であることがオカルトであることの条件なのだ。その不明に符号を与え、足らぬ知識でなんとか構造を解明しようとする。その行いこそ正に知的ではないだろうか。
でもそんなことを言っても現実主義の世の中では飯を食べていけないので、学生に歴史とかを教えてます。主に西洋とか。
私はこんなことを並べているが、今の生活が不満というわけではない。学生は可愛いし、子供――と言っても大分大きな子供ではあるのだが――はいつ見たっていとおしい存在だ。これからの使命とか様々あるとは思うがそんなもの関係なく幸せに過ごしてほしいものだ。
そしてこれは私が子供好きである、というよりは学者である故であろうが、質問に来てくれる学生の真剣さ、またその好奇心にはどうしても答えたくなってしまう。可愛いからな。この廻戸大学には知的好奇心のある学生が多いように感じるのだ。これは私たち教授にはとてもありがたいことであり、また生き甲斐にもなる。
しかし、彼は若干質問されることにうんざりしていたな。
博物学の権威、奥谷廉太郎。近所からも博士と評判の教授。彼もまた私と同じように教えたいものをあまり教えられずに過ごしている。しかし彼は変人だな。直近の話だと公園に寝袋を持って5日張り込んだとか。
やれ博物学は科学の始まりだとかフィールドワークは博物学の基礎中の基礎だとか……多分今回もそんな調子で実地調査をしていたのだろうな。教授の身分であの自由度はすこし羨ましい。
奥谷教授は、つまり研究色の方が強く
「ん? あれ、宮本さ……教授じゃないですか!」
噂をすれば。年齢がいくつかは知らないが、子どものようにキラキラした目とうきうきしたその声の調子。間違いなく奥谷教授だ。
「ああ、奥谷教授。講義終わりですか?」
「ええ、まあ。宮本教授もこんなところで……ああそういえばもういい時間ですね」
彼はそう言って、腹を軽く叩く。確かにもう19時を回った夕飯時ではあろう。
「それはご飯のお誘いで?」
「ええ、ええ。その通りです。やはり宮本教授は話が早い」
「まあ、いいですけども。あまり学生の目につくところは勘弁してくださいね。この前みたいに」
つい先日も彼と夕飯を共にしたのだが、それが大学近くの飲み屋で参ったものだ。学生に見つかり変に勘ぐられたのを覚えている。
「ああ、あれは僕の配慮が至らずに誠に申し訳ない。いえ、今回は大丈夫ですよ。そうですね、大丈夫です。遠くします」
「だからといって奥谷教授の家に招かれるとは……おおっと、よしよし」
私は膝にのっかり甘えてくる猫をあやす。
「はは、やはり瑠美子は宮本さんのことが大好きなようですね」
瑠美子、というのはこの猫の名前だ。一般的なアメリカンショートヘア、であるのだが奥村教授はこの猫について興味深いことを前にいっていた。
「なあ、前に言っていたことは、本当なのか?」
「? ああ、はい。うちの瑠美子は他の猫と交配せずに子を産み落としますよ」
「いや、私が興味を持っているのはそのあとだ」
「ああ、はい。彼女はそれを以て"転生"しています」
瑠美子は、僕が幼い頃から飼っている猫です。もう彼女との付き合いは30年、いやもっとですか? いかんせん自分の年齢もしっかり覚えてないものでして、お恥ずかしい。ええ、瑠美子のことですね。
瑠美子が僕と出会ったのは丁度、僕が5歳のころでしたかね。大分長い付き合いなんですよ。彼女は当時からやけに人懐っこく、僕のそばにいるのが大のお気に入りだったようです。いえ、それがなぜかは分からないんですけど、まあ、子どもだったからじゃないですかねえ。小さい頃の僕は中々愛らしい容姿でしたのでね。
ああ、そんなことはどうでもいいですか? まったく宮本さんはオカルトになると話が変わりますね。ええ、普段は面食いも良いところ……はいはい、分かりました、続けましょうか。
瑠美子という名前は実は僕がつけたんです。その名前に反応してくれるか、少し親は心配していたんですよ。元々野良猫でしたのでね。でも彼女はすぐに順応してくれました。それに人間の生活にも驚くほど馴染みまして。今思えば瑠美子はそこから普通の猫とはもう違っていたのだと思います。
彼女は基本的に多くても二度のしつけでだいたいの事は覚えます。瑠美子の慣れの早さなのか覚えの良さなのか、当時の僕にはよくわかりませんでしたが、幼い僕は瑠美子に様々なことを教えました。
ええ、ほんと様々で……犬のように芸を覚えさせました。例えばですね、瑠美子、おいで。おすわり、お手、おかわり。ふふ、よしよし。……とまあこんな具合に瑠美子は様々なことを覚えています。これらのことを彼女は二度までで覚えました。ああ、その行動を引き出すまでが大変でしたがね……彼女はあくまでも猫であり、言語は理解できません。僕の言葉には様々反応しますけどね。彼女と僕の付き合いは長いですから。
いよいよ興味が沸いてきました? ……嘘だと言われたら、確かにこの話はそれまでなんですが、今回は信じていただけるかと。ええ、あとでご説明します。
瑠美子が僕の前で初めて死んだのは、僕が12歳の頃でした。彼女は知らぬうちに身籠っていたのですが、子どもを生んだ頃から少しずつ動きがおかしくなっていたのです。そして子どもがまだ大人にならないうちに、彼女は死んでしまいました。いやあ、お恥ずかしい話なんですがね、僕はその時悲しくて悲しくて、何度も瑠美子の名前を泣き叫んでいたそうです。そのあと3日ほど心神喪失のような状態で過ごしましてね……そしたら、親が、波留子がおかしいと言うんですよ。……あ、波留子っていうのは瑠美子が生んだ子どもの名前ですね。これも僕がつけたのですけど。
なんだ、病気か? 等と聞くと親はふるふると横に首を振って、とにかく見てくれ。と言うんですよ。あ、ちょっとホラーっぽくなってきましたね。リビングに下りると波留子がすぐにこっちによってきて足にすり寄ってきました。まだ7ヶ月ほどの子猫ですかね、もうかわいくて……ああ、当時の僕はそんな気分じゃなかったですけど。でも少しは癒されましてね、ソファに座り込んで彼女のことを少しの間撫でていました。親がおかしいと言ってたのもすっかり忘れてですね。
僕はその時、こんなことを思いました。瑠美子が遺してくれた子だ。大切に育ててあげよう、って。それに瑠美子の子だからきっと賢いだろう。そう思いまして、僕は床に波留子を降ろしてお座りを覚えさせようとしました。全く、我ながら気が早いとも思いましたよ。彼女はまだ成猫ではなかったのですから。
しかし彼女はお座りと言われて、すぐにお座りを行いました。いや、驚きましたよ。僕は基本的に瑠美子の世話で、波留子にはなにも教えていないのですよ。その彼女が一発でこれを出来たのです。驚いた僕は彼女に他のことも試させました。……結果、彼女は全ての芸を行うことが可能な状態でした。なんて賢い猫なんだ! 僕は大層喜びましたが、今考えるとそれは「賢い」わけではないのです。知らないことを行えるのは神くらいです。彼女は全て覚えていたんですね。最初から。ただその時はひたすらに喜んでいましたが、親は当然のごとく訳がわからないといった顔をしていました。
僕が彼女の異常性に気づいたのは高校生も終わり近い頃でした。この頃、大分頭も出来てきた僕はその行動がそう簡単にできないと知りました。いえ、不可能だと知りました。彼女の、波留子の行動レパートリーに瑠美子の芸があることから、僕は仮説を立てました。仮説は2つありました。まず、波留子が瑠美子と何らかの手段でその芸を共有、もしくは教示されたのではないか、ということ。もうひとつは単純に瑠美子の死後、超常的な手段で波留子の脳に瑠美子の記憶が転送されていたのではないか、ということ。
まあ、後者の仮説が正しいのだろう、ということは予想がついていました。波留子は瑠美子と呼んでも応答しましたからね。ただ、この時僕はこの現象が一度きりの奇跡だと思っていたんですよ。ええ、瑠美子、つまり僕が一番初めに出会った瑠美子の体にそういう能力があったか、それとも外的なものが無数に噛み合って起こったものだと、思っていました。しかし、その仮説は瑠美子の数度の死と継承によって完全に打ち破られました。
瑠美子はどういうことか、その遺伝子によってかは分かりませんが、同一性を保ちながら、ただの一匹の子猫を産み、その記憶を累積させているのです。それは正に転生と呼ぶべきでしょう。全くもって超常的な彼女ですが、物覚えが早い以外には特になにもありません。いたって普通の猫なのです。それが瑠美子という猫なのです。
奥谷教授はそこまで話すと、酒のつまみをいくつか持ってきた。生ハムだとかチーズだとか、彼は洋風を好むようだ。チーズをおもむろに口にいれながら、彼は喋る。
「ああ、全然食べてくれて構いませんよ。今日は気分がよいのです」
「へえ? それはどうして?」
「ええ、だってこんな話を聞いてくれるのは、それに対して真面目な考察をしてくれるのは宮本さん、あなたくらいなもんですよ」
「話だけならうちの助手も聞いてくれるぞ。なんせ私の仕込み子だ」
「ほう、助手ですか。宮本さんの側についているなら期待が持てそうですね。宮本さんは教育者として素晴らしいですからねえ」
「そうか? そういってもらえるのはありがたいな」
「ええ、学生をよく可愛がりますし、教え方も分かりやすいと評判ですよ。たまに話してくれる雑談も面白いとかなんとか」
「……それ、きっと真面目なオカルト話です」
奥谷教授は一瞬目を丸くすると、はは、と軽快に笑い、
「ああ、いやあ、これは失敬。そうですかそうですか、宮本さんの本分だというのに雑談とは彼らも失敬なものですね」
「いや……まあいいのだが--」
どうぞと注がれたワインをくっと飲み干す。
「いきますねえ」
「まあ、なんだ、オカルトが現実味のないものだというのはわかる。実際、現実味がないものをオカルトだとか超常的だとか言うのだから。しかしどうにもうまくいかんな……どうにも……」
別に現状に不満を抱えているわけではない。しかし、うまくいかないと言う気持ちは残る。
「うまくいかない、ですか」
「ああ、うまくいかない。オカルトは……うん、信じてすらもらえないのだ。それも悲しい」
「……こんなこと聞くのもまあ野暮な話なのですが」
奥谷教授は真摯に、こう問うてきた。
「宮本さんは、証明をしようとは思ったことはありますか。オカルトを、科学を以てして」
「それは"百科の学"、かな?」
私がにやりとして返すと、奥谷教授は苦笑した。
「これは申し訳ないですね、宮本教授ともあろう方に無礼を働きました。"万物の学問"という意味ではないです。世の人がよく言う"理系科学"の方ですよ」
「ああ、それは……多少はな。ただ、その証明結果を見てそれを切り捨てるようなことはしないな」
「それはまた、なんでです?」
「"科学"とは宗教だからだ」
奥谷教授は、ほう……と呟き、ハムを口にいれる。そして満足げに、
「あなたには哲学の才もあるようだ。学問が正しいという証明はなく、だから信じるしかないと、そういうことですね?」
「……哲学も科学の始祖、いや、哲学こそ科学の始祖だろう?」
奥谷教授はまた苦笑いをした。
「いやあ、はは、これは参りましたね」
博物学を始祖と言っている彼は、否定を特にしなかった。ただ、こんなことを言った。
「そうですね、そうですが……僕らのやっていることなど大差ないですよ。いや、ほんとうに」
そう言って酒をあおると彼は話し始めた。
「その宗教の話、特にオカルトというものについてですがね? 僕もうまく行かないのですよ。なにがうまく行かないって、信じることでなく信じさせることです。僕はオカルトを専門に置くわけではありませんが、万物の可能性を信じております。こんなことを言うと学問から"破門"されそうなものですがね? 特に理系科学なんぞは一神教なものですから、これのみを信じろとうるさいものです。ええ、だから相対性理論があれほどにもうまくいかなかったのですよ。オカルトも同じでございます。ちょうど宮本さんは苦悩する相対性理論学者の一人のようで……」
「奥谷教授、酔っているな?」
「はは、これくらい許してください。私は学者であり、興が醒めぬのはあなたのような方くらいなのですよ」
奥谷教授はそう言って、口にチーズを放った。私も酒が少し回って気分がよかったので同じようにチーズを口に放ってみた。
「しかし、奥谷教授。私は相対性理論の歴史には詳しくないのですが」
「おっと、これは失礼しました。あの例はですね、現実にあり得ると分かるまで信じてもらえなかった、というものです。オカルトもいずれそうなると思いたいのですがね、しかし瑠美子の転生を見せても信じないものは信じないですし、信じるものは信じて疑わないのです。転生する猫がいる! などと声高に私が叫んでも反応してくれないものは反応してくれないのです」
「転生する猫、か」
奥谷教授の周りをうろついている彼女と目が合う。彼女はにゃあと短く鳴いた。私が微笑みかけると彼女はこちらに近づき、身軽に膝の上に飛び乗ってきた。
奥谷教授は少し瑠美子を眺めていたが、こんなことを呟いた。
「ずっと気になっているのです。彼女が一体いつから存在したのか。このような特殊な猫が、誰の手にも保護されず、それこそオカルトを信じるものたちの手元になく、なぜ私の所にまで来たのか」
「……奥谷教授、まだ私はこの猫が本当に転生するとは思えていない。だがあなたが下らない嘘をつくようにも思えない」
膝の猫を撫でるとゴロゴロと喉をならす。人懐っこい、普通の猫。私は、奥谷教授に問うた。
「その疑問に挑んではみないか?」
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