ある日、森の中、トリさんに出会った
あじろ けい
第1話
迷ってしまった。引き返そうにもどこをどうやって来たのかすらわからない。
飛ぶトリを追いかけて空ばかりを見上げていたから、来た道がわからない。ちょっと目を離した隙に見失い、迷ったと気づいた。
あたりは暗くなりかけている。日が傾き始めているせいなのかもはっきりしない。木々の鬱蒼と茂る森の中は暗かった。
ガサガサと葉のこすれる音がした。獣か。私は身構えた。背筋が寒くなる。
「うわあ、ビックリした!」
繁みの奥から少年が姿を現し、驚いて後ずさった。驚いたのはこっちだ。
書類のはみ出したショルダーバッグをさげている。新聞配達のバイトか?
「おじさん、こんなところで何してんのさ」
「し、森林浴だよ」
「こんな時間に? おじさん、もしかして迷ったんじゃないの?」
「実はそうなんだ……」
「うちへおいでよ。すぐ近くだからさ。ボクの名前はカタリ」
私はカタリの誘いに甘えることにした。
カタリはすっかり暗くなった森の中をすいすいと歩いていった。「夜目が効くんだ」と笑うカタリの後を私は見失うまいと必死に追いかけた。
カタリの家は、樹齢何千年もあろうかという大木の上にあった。ぱっと見、鳥の巣箱のようだ。入り口は丸く、縄梯子を伝っていく。
「おじさんが迷っているのは人生だよね」
夕飯をごちそうになり、食後のお茶を啜っていた時だった。単刀直入、カタリが切り出した。
まだ十代半ばそこそこ、人生の「じ」の字も知らないような少年に見透かされ、頭に血がのぼった。頭が沸いたのは一瞬だった。恥ずかしさを原動力とした怒りはすぐにガスが抜けてふにゃりとなってしまった。
「そうだよ、迷ってしまったんだ……」
幸せの象徴である青いトリを求めて人生という森で迷う。なんだかなあと切ないため息が出た。
私は身の上を語り始めた。
作家を目指し続けて四十になってしまったこと、書くことを優先してバイト生活を送ってきたので作家になれなかったら二進も三進もいかないこと、そして作家にはなれそうにもないという不安が心を侵食し始めていること……。年端もいかないカタリにむかって堰切ったように苦しい胸のうちを吐きだした。
「書いても書いても、誰も読んでくれないんだ。自分では面白いと思って書いたのに。誰にも読んでもらえないと、虚しくて仕方ないんだ。才能ないんだよ、おじさんは」
ハハと笑うしかなかった。泣きわめく体力があるほど若くはない。
「んーとね、才能ないわけじゃないよ」
カタリがさらりと言ってのけ、私はのけぞりそうになった。
「おじさん、面白い物語を持っているじゃん。ボクさ、特殊能力っていうの?、人の心の中にある物語が読めるんだよね。さっきからおじさんの物語を読んでいるんだけどさ、すごく面白い。それを書けばいいじゃんか。森の奥に住んでいるおばあさん、物語を読むのが好きなんだ。ボク、あのおばあさんに本を届ける仕事をしているんだ」
カタリはショルダーバッグを引き寄せた。中を漁って、本を二、三冊取り出してみせた。
「おじさんの書いた小説をおばさんに読んでもらうってのはどうかな? きっと気に入ってもらえると思うんだ」
「そうか、面白かったか?」
カタリの目を私はじっと見つめた。少年の目に映った物語を読んだ気になり、みるみる書く気が沸いてきた。
「すまないが、紙とペンを貸してくれないか」
「そうこなくっちゃ」
私は夜を徹し、一気に物語を書き上げた。
*
「行ってくるね!」
原稿用紙をショルダーバッグにつっこむなり、カタリは元気よく縄梯子を降りていった。
力尽きた私は昏々と眠り続けた。
目を覚ますと、カタリが本を差し出した。
「おじさんの本だよ。森の奥のおばあさんがすごく気に入ってくれて、本にしてくれた。本のベストセラー、ナンバーワンだよ」
夢じゃかなろうか。何度も体のあちこちをつねった。目が覚めない。夢ではない。頭がぽうっとなった。
「ね、言ったでしょ。おじさんの物語は面白いって。だからさ、こんな感じのものをずっと書いていけばいいんだよ。そうすればみんなに読んでもらえるんだ」
こうして私は念願の小説家になった。
どの小説も人気を博した。私は気分がよかった。筆もノった。書けなかった日が嘘のようだった。窓辺には青いトリが遊びにくるようになり、「書け、書け」と声をかけてくれた。鳥が話せるわけはないから、そう聞こえただけだろうが。
そのうちに欲が出てきた。
金太郎飴のようにどこを切っても同じ物語を書くことに疲れてきたともいえる。今までとは全く違う物語を書いてみたくなった。それでも人気を保てるのなら本物だ。一発屋、まぐれあたりという不安を払拭したかったのかもしれない。
「今のままでいいじゃんか。みんな、面白いっていって読んでくれるんだから」と、カタリはやんわりと制した。
「いいよ、そんなに言うなら、違うの書いてみなよ」
二度目にはカタリは挑戦的な態度だった。読者を失うのが怖くて私は書けなかった。
「うるさいなあ、テンプレを書いていればいいんだよ」
カタリの態度は豹変した。
私は部屋に閉じ込められ、カタリの言う通りの物語を書くマシンとなった。窓辺の青い鳥は監視カメラだった。サボると「書け、書け」と泣きわめく。このままでは――私は脱出を決意した。
カタリが配達にいっている間、私は部屋を抜け出した。縄梯子は外されていた。飛び下りるか、木を降りていくしかない。
幹は太すぎてしがみつくことができず、私は根元へと一直線に滑り落ちていった。
「イタっ!」
根元に誰かが座っていた。私はその人物に激突した。それはカタリだった。
私は慌てて逃げようとした。だが、強く腰を打ってしまって動けなかった。一生、マシンとして生きることになるのか。
「あの、すいません。道に迷っちゃって。この森を出るにはどうすればいいですか? 地図を持っているんだけど、読むの苦手で」
迷っただって? 森に住むカタリが迷うはずがない。目の前に立つ少年が本物のカタリならばだが。
私はじっと少年を見つめた。どうみてもカタリにしか見えない。ショルダーバッグを提げている。
「君は一体何者だ? カタリじゃないのか?」
「あれ、どうして僕の名前を知っているんですか?」
カタリそっくりの少年は怪訝な顔をしてみせた。
「ああ、あなたは例のヤツに会ったんだ」
「例のヤツって?」
その時だった。
「逃げようとしちゃダメだって、おじさん」
背後から現れたカタリにより、私とカタリそっくりの少年とは木の上の巣箱へと引き戻されてしまった。
「書いてもらおうか。でないと、この友達を痛い目に遭わせるからね」
「わかった……書くよ。ただし、条件がある。邪魔されたくないんだ。私は今から部屋にこもって執筆作業に入る。その間、絶対に部屋に入ってこないでくれ」
逃げ出そうとするのではないかと渋るカタリだったが、結局は譲った。
私は憑かれたように書き始めた。食事も睡眠もとらなかった。そんな時間すら惜しい。
「できた……!」
十数時間後、物語が完成した。
部屋のドアを開ける。カタリと、カタリそっくりの少年、真っ黒なドレスをまとった老婆が待ち構えていた。森の奥に住む物語好きなおばあさんなのだろう。巨大化した頭部を支えきれず、腰がひどく曲がっている。
「待っていたよ」
私の手から原稿用紙を奪い取ったカタリの手から、老婆は原稿用紙をかっさらった。
老婆は食い入るようにして物語に読みふけった。
一枚、また一枚と原稿用紙をめくっていくうち、老婆の体に異変が起き始めた。巨大な老婆の体が縮み始めたのだ。縮んでいく老婆を見て、カタリは慌てた。
「一体、何をしてくれたんだ!」
私は戸惑った。何をしたと言われても、小説を書いただけだ。老婆は私の書いた小説を読んだだけだ。いつものことだ。違うのは……
「なんてこと! おじさん、テンプレ以外の話を書いたねっ!」
老婆はすっかり姿を消してしまっていた。後に残された原稿用紙を拾って読むカタリは断末魔の声をあげた。次の瞬間、カタリは鳥に姿を変えたかと思うと、丸い入り口から空へと飛び去っていった。
「彼はカタリだったんだ」とカタリそっくりの少年が呟いた。
「君は?」
「僕は『カタリ』。彼の名も『カタリ』」
「どういうことなのか説明してくれ」
「カタリは『騙り』と書くんです。その正体は、人を騙るサギという鳥。カタリを騙ってあなたに物語を書かせていたの」
いつの間にか、巣箱の中に少女が出現していた。
「バーグさん! 君を探しにきて迷っちゃったよ」
少女はリンドバーグですと丁寧に自己紹介した。
「『騙り』に捕まって青い鳥にされたの。この人に小説を書かせるようにプログラムされて身動きとれなくなってしまって。森の奥にいた『現実頭飛』という妖怪に読ませるテンプレ小説をこの人にずっと書かせるつもりだったのよ、騙りは」
「そんなひどいことを……。どうして現実頭飛はこの人の小説を読んで消えてなくなったんだい、バーグさん」
「それはね、カタリ。テンプレ以外の小説を読むと現実頭飛は消えてしまうのよ。あなたが書いた小説はテンプレを大きく外れたものだったんですよね」
「そうなんだ」と私はうなずいた。
「カタリくん。君にぶつかった時、私の中で何かが弾けた。私の中にはずっとある物語があった。小説家を目指した時から私の中にあったものだ。いつか絶対書こうと思っていながら、語彙力が足りないだの、表現力が稚拙だのと言い訳をして書かずにおいたんだ。大切な物語だったからこそ、完璧に仕上げたかったのだ。だが、もう待ったなしだ。マシンにされてしまう前に書き出して置きたかった」
「その物語なら僕、読みました」とカタリは片目をつぶってみせた。
「僕には人の心の中にある物語が読めるんだ。おじさんの物語は面白かったよ」
ある日、森の中、トリさんに出会った あじろ けい @ajiro_kei
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