そのに

そのに

「水穂さん。」

怜子さんが水穂が寝ている部屋に入ってきた。

「兄が、おかゆさん作ったんです。食べてみますか?」

「あ、はい。」

水穂は布団から起きて、座ろうと思ったが、

「寝たままで大丈夫ですよ。ゆっくり食べて頂戴。」

と、言われて、寝たままおかゆを口にした。

「あら、今日は咳き込まないのね。おいしそうに食べれるじゃないの。そう、もう一回行ってみる?」

怜子さんに言われて、もう一度おかゆを口にした。

「よし、もう一度行ってみよう。」

また、再度おかゆを口にする。

「よかったよかった、今まで、お米のおかゆが食べられないと、久子から聞いてたけど、食べれるようになったのね。」

怜子さんは、にこやかに笑った。

「おいしい?」

「はい。」

水穂は静かに答える。

「よかった。其れなら次は雑炊に行ってみたいんだけど、食べられそう?あ、もちろん肉魚は一切入れないから。」

怜子さんに聞かれて、

「あ、はい。」

と、答えると、怜子さんは、嬉しそうな顔をした。

「よかった。其れなら大丈夫ね。じゃあ、次のときは、兄にお願いして、雑炊、作ってもらうからね。もうちょっと待ってて。」

「わかりました。」

水穂は、食べ終えて、大きなため息をついた。

「じゃあ、後は、お茶でも飲んでおこうか。」

と、渡されたお茶を呑むと眠気が来て、ため息をついたのと一緒に、静かに眠ってしまった。

「よく眠ってね。」

怜子さんは食器をもって部屋を出ていく。


「あ、怜子。どうだった?」

部屋から台所に戻ると、淳がこなを桶に入れて一生懸命捏ねていた。隣で杉三がこうしろ、ああしろと、指示を出している。

「あら、今日は、今日は何を習っているのかしら?」

怜子は、わざと明るい声で、そう聞くと、

「ああ、へそ餅の作り方を習っているんだ。それを味噌汁で煮ると、すいとんという料理が作れるらしい。」

と答えが返ってきた。

「へえ、もち米を用意しなくても、お餅が作れるの?」

「ああ、小麦でできるんだって。なんでも非常食として食べられていたらしいが、味はおいしいよ。」

「おう、今は非常食というよりも、健康食品として食べられているよ。」

杉三が口を挟んだ。

「へえ。そうなんですか。杉ちゃんさんは、何でも知っていますね。僕らは知らなかったよ。こんなものがあるとは。」

というと、彼らは、貧しくはあるけれど、非常食として食べるという概念はあまりないようである。

「そう。じゃあ、今日の晩御飯は、すいとんを作るの?」

「いや、今日は焼きナスだ。まだ、へそ餅を作って誰かに食べさせる自信はないんだ。其れより怜子、水穂さんどうしてる?」

淳は、改めてそれを聞く。ずいぶん慎重なのは、家族への責任感があるのかもしれない。

「ええ、今、おかゆを食べさせたところよ。食べ終わって、静かに眠ってるわ。」

「そうか。最近よく食べるし、よく眠ってるな。」

「まあ、つい先日まで久子と一緒にいたんだし。久子の職場何て、一日中人が出入りして、ワーワーしている歓楽街だったんだから、うるさくてどうしようもないでしょう。それがやっと静かな場所に来て、安心して眠れるんじゃないの?」

怜子も淳もそんなことを言っている。

「そうだなあ。確かに遊郭は女の声でうるさいだろうしなあ。そんなところで寝起きさせられて、ゆっくり眠るというのも、できなかっただろう。もし、このままよく食べてよく眠ってくれたら、もうちょっとで、起きられるんじゃないのかな。」

「そうね、あたしもそれは期待してる。動けるようになってくれれば、一緒にお花見でもできるような気がして。」

と、怜子はにこやかに言った。

「あれ、僕ではいけないのかい?」

と、淳が言うほど、彼女ははしゃいで、にこやかにしていたのだった。

一方、その傍ら、夏は、その場にぼんやりと突っ立っていたのだが、

「あ、なっちゃん。ちょっと手伝ってくれる?」

伯父さんの淳に言われて、夏は嫌な顔をする。

「私は、一寸学校の勉強が、」

といってごまかそうとしたが、

「そんなの後でやればいいじゃないか。ちょっとさ、この天板をもって、かまどに置いてもらいたいんだ。僕は、両手を離して歩くことができないからな。」

淳は痛い足に片手を当てていった。

「ほら、おじさん手伝ってやって。今やってやらないと、ご飯が食べられなくなっちゃうのよ。」

たしかに、そういわれると、夏は何も言えなくなってしまう。それは怜子伯母さんの決め台詞だ。たしかにそうしないと、夏もご飯が食べられなくなる。

「なっちゃん早く。」

と、怜子さんに言われて、夏は、その通りにした。できない淳さんに言われた通り、かまどの上に、天板に乗せたナスを置いた。

「よし、これで40分くらい火を焚いて焼いたら、焼きナスは完成だよ。」

と、杉ちゃんが言った。

「じゃあ、取り出すときに、また呼び出すから、宿題してもいいよ。」

と、淳に言われて、夏は、また戻ってこなければいけないのかと、またがっかりする。焼きナスは、焼くのに時間がかかるので、十分宿題をやってもよい時間なのだが、なぜか、この時、夏は宿題をする気になれなかった。

「どうしたの?宿題して来なさいよ。戻ってきたら、すぐに、ナスを出すのを手伝ってもらいたいから。」

それでは、たったちょっとだけ憐憫を与えてくれて、そのあとすぐにまた戻って来いというのなら、文字通り自由はなく、ただの働き蜂にされてしまったようなものである。

「ほら、なっちゃん。宿題してきなよ。つっ立っていたら時間なくなるよ。また手伝ってもらいたいし、すぐにやってきたらどう?」

「わかりました。」

夏はとぼとぼあるいて、部屋を出て、母と兼用で使っている小部屋に行った。夏は自室を持っていなかった。

母と兼用で使っている机に、教科書と、ノートを広げて宿題に取り掛かったが、ちっとも宿題に集中できなかった。宿題をやって、明日の予習をして、まだしなければならないこともあるのだが、急いで宿題を片付けなければ、と思われても、なぜか宿題ができない。

結局半分も宿題が出来ていないうちに、なっちゃん、ナスを盛り付けるの、手伝って頂戴!と呼び出しがかかる。これに逆らうわけにはいかないので、しかたなく夏は、それを手伝った。そして、また手伝いが終われば宿題の続きた。それを急いでやって、次は、明日の予習。もう、とにかく学校のことに専念したい。其れなのに、うちは、そうさせてくれない、おかしなところだ。

そして、夜になれば、母の久子が入って来る。遊郭をやめた母は、今掃除人として、働いている。遊女をやった後の女性なんて、よほどすごい事でもない限り、日の目を見ることはない。しかも中年女性であれば、一層の事。

母は、とにかく、彼女に頑張ってねという。実はこれが夏には苦痛で仕方ない。頑張って大学いけるようにしたからさ、なんて優しく語り掛けてくれる。でも、それをするために、彼女は、遊郭に身を売って、御職までとったというのを、悪童と言われる同級生が、それを意地悪くはやし立てるのが、辛くてしょうがなかったのだ。

だったら大学に行けないほうが良いのではないかと思われたが、それではあの二人に負けてしまうような気がしてしまった。子どものときから、父が生きていたころからずっとそうだったが、彼女は唯一の、健康なことして、おじさんたちより、良い学校に行けと言われていた記憶はあった。初めのころは、それはあまり気にならなかったが、上級学校にあがっていくたびに、それを目標にするようになってしまった。これは、彼女自身も理由は知らない。

夏は、居場所がなかった。本来、母は水穂さんを使って、家をめちゃくちゃにしようとたくらんでくれたのかと思ったが、それは飛んだ桁外れで、今は、おじとおばのものになってしまっている。食事の事、着替えのことなど、すべて体に事情がある、おじとおばの担当になってしまっていた。

これでは、もしかしたら、二人に出て行ってもらうしか、自分は平穏を得ることはできないのではないか。夏はそう思った。

それではどうやって、実行すればいいだろう。夏は、二人にないものを考えた。答えはすぐに出た。二人は、ないものがある。母は、以前遊郭に身を売ってまで、それを得るために苦労したのだ。そうだ。それがないのなら、ものすごい劣等感を持っているはずだ。大人の人間にとって、生きがいというものは、仕事というものである。何を言われても仕事のほうが、助けてくれるという事もあるくらい、仕事というものは、助けてくれるものである。

其れについて、彼女は、暫くアンテナを高くして、観察してみたが、やっぱりご飯を食べながら、話している内容を聞くと、おじとおばは、働いていないことに劣等感は少しあるらしい。それを解消してくれれば、二人は喜んで出て行ってくれるに違いない。

夏は、作戦を立てて、それを実行させることを思いついた。


「どう、大丈夫?」

深夜になっても、例の二人は、水穂さんのそばにいて、時折交代交代で結果報告をしているようである。

「ええ、かなり熱があるわ。薬を飲めば熱は下がるけど、切れるとすぐに上がってしまって。」

怜子は、水穂さんの額に手をやって、熱があるのを確認する。

「もしかしたらだけど、久子がこっちへ連れて来たときは、重い労咳だって言っていたらしいけどさ、ああいうところの医者ってのは、結構なやぶ医者であることが多いので。」

淳は耳の痛い話を始めた。怜子もそうねえ、と言って腕組をした。

「ほら、いくら薬出しても、何をやってもダメじゃないか。ひょっとしたら、もっと悪いものかもしれないよ。咳き込んで血を出すといっても、労咳だけとは限らないでしょ。」

「たしかに、お兄ちゃんの言う通りかもしれない。元はと言えば、久子のお客さんだったんだし、ああいうところっていうのは、汚いところで有名だし、不衛生で当たり前、みたいなところもあるし。」

「そうだね。久子は一生懸命やってたと思われるけど、それって、一般的に言ったら、ずいぶん不衛生で汚い仕事でもあるからね。とにかくどこから連れてきたのかは知らないが、久子から変なセリフでも言われて、それに騙されてやってきたのではないかな。」

丁度、廊下を歩いていた夏は、おじさんとおばさんがこんなセリフを言っているのを立ち聞きしてしまい、自分のせいで母が汚い仕事に身を落としたと考えると、なんとも言えない、申し訳ないというか、悲しい気持ちになるのだった。

そういう訳だから、はやく家の外へ出て独り立ちしたかった。でも、そのためには、しっかり学校に行くようにと、亡くなった父から言われていた。本当は学校なんて行きたくない、それより家を出て、外に出たいけど、みんな彼女が学校に行くことで合意していた。寄宿制という制度を使うことも選択肢の一つだったが、そうなったら、授業料のほかに寮費も母が稼がなければならなくなるので、余計に負担がましてしまうとして、認められなかった。

家の中でも、学校に通うなら、それに徹底させてもらえればいいのだが、そうできないという矛盾もあった。先ほど述べたように、足の悪いおじさんのせいで、時々家事を手伝わされることもあって、学校の宿題をやり始めるのは、夜遅くなってから、という事も度たびあった。ほかの同級生たちは、友達どうして集まって宿題をすることもあったが、夏はそのような時間はなく、学校が終わったら、家事を手伝うためにすぐに家に帰ることが、別に法律でそう決まっているわけではないけど、義務のようになっていた。

その翌日も、夏は朝早くから学校に行った。学校へ行くと、感じるのは勉強させてもらってうれしい気持ちと、経済的に恵まれていないことへの劣等感との二つの感情が交錯する。いつの間にか、みんなと一緒に大学へ行きたいが、、、それは無理かなあと考えることのほうが多くなった。

体の利かない、一般的な人生を歩いていけない伯父と伯母と、体を売ってまで応援してくれる母とが同居しているこの家庭。そんな中で、果たして生きがいなんて見つかるのだろうか。もしかしたら永久に見つからないのかもしれない。

砂をかむような授業を受けて、夏は、まっすぐ家に帰る。

「よし。うまく行ってるじゃないか、そうしたら、サツマイモと一緒に味噌を入れた出汁で煮込むんだ。煮物だから、火加減が大切だぞ。絶対につよすぎちゃだめだぞ。」

台所から、そんな声がした。何をやっているんだろうと思ったら、ちょうど玄関掃除をしていた怜子が、

「あら、お帰り。お兄ちゃんが、すいとんを作るんだって。作り方教えてもらっているのよ。どんな味なのかあたしも楽しみ。」

と、言った。

「いつまでも、蕎麦と雑炊ばっかじゃつまらない。何かできそうなものないかって言ったら、教えてくれたのよ。」

そうなのか。

「今日は、宿題やっていいわよ。手伝うことは特にないみたいだから。」

と、伯母さんに言われて夏はとりあえず部屋に帰り、急いで机に教科書を広げて、宿題を開始した。なんだか、私がやっと好きなことをしてよいという事になったんだ!と夏はうれしくなってしまう。その日は、晩御飯になる前に、宿題を片付けることができて、陽が沈む前に、受験勉強に取り掛かることができた。

「ご飯だよう!」

そういわれても、今日は気持ちよくご飯を食べに行くことができた。

食卓の上には、すいとんの入ったどんぶりが置かれている。

「えーと、うどんそば以外の、初めての料理かもしれないね。まあ、どんな味なのか知らないが、食べてみてください。」

「いやいや、結構うまくできてると思うよ。初めてにしては上出来。思いっきり食べてくださいませ。」

杉ちゃんに言われて、全員いただきますの挨拶のあと、どんぶりの中身を口にした。

「あら、意外においしいじゃない。へえ、こんなものが作れちゃうのねえ。」

怜子さんがそういうように、確かに味は旨かった。これは、夏も認めた。

「之なら、久子も喜ぶわ。事実、おいしいから。杉ちゃんいいもの教えてくれてありがとうね。」

「おう、ほかにも料理はいろいろあるよ。覚えが速いから、すぐに何でも作れちゃうと思うけどね。」

杉三がそういうと、自信がなかったのか、苦笑いするおじさん。こんな伯父さんを見たのは夏も初めてだ。うまく歩けないせいか、いつも辛そうな顔をしていて、自信がなく、男の人がいつもやっているような顔からは程遠い顔をしているおじさんだったが、今日はそうではない。

「じゃあ、明日は、サツマイモがたくさんあるから、サツマイモを粉にして、六兵衛にしよう。非常食として有名な、サツマイモの麺だ。」

「へえ、なんだか人の名前みたいな料理ですけど、おいしいんですかね。」

「おう。僕らの世界では、六兵衛という人が、発明したからそう呼ばれている料理なんだ。飢饉のときの、非常食として発明されたんだって。」

「そうなのね。杉ちゃん本当に、くわしいのねえ。」

「あったりまえよ。日本の郷土料理くらい知らないと。これからはバカになっちゃうというか、こういう時に、胸を張って紹介できる奴が本当の愛国者だと思うので。」

「へえ、すごい。なっちゃんもやってみない?勉強の合間に息抜きとして。」

伯母さんは、そんなことを言うが、もうこれ以上ご飯の支度に駆り出されることは、まっぴらごめんの夏であった。

「いいえ、あたしはそれより、大学に受かりたい。」

夏は、そうきっぱりと言った。

そして、その翌日。夏が学校から戻ってくると、今日も手伝いを免除された。そこでまた一生懸命勉強をしていると、なんとも言えないサツマイモの匂いがしてきて、夏は余計に食欲がわく。

台所では、淳が、杉三に六兵衛の作り方を教わっていた。ここで取れるサツマイモは、香りの強いものが多く、家の中だけではなくて、家の外にまで匂いが充満してしまった。怜子が、外で洗濯をしていると、

「尾畑さん、なんだかおいしそうな料理を作っているみたいだけど、どうしたの?」

何て近所の人が尋ねてきた。

「ええ、何でも、うちでお客さんとしてきてくれている方がね、サツマイモで、麺を作ってくれたの。」

怜子は素直に答えると、

「へえ、そうなのね。サツマイモで麺を作るなんて、私知らなかった。確かにここでは、お米もなかなか育ちにくいもんね。どうしても、蕎麦とかサツマイモで我慢しちゃうけどさ。サツマイモは、焼くか、蒸すかしか思いつかないから、なかなか食べる気がしなくて。」

たしかに、サツマイモは食べるのが大変だが、救荒食物としては優秀なため、どこのうちでも貯蔵されている食物ではある。

「ちょっとさ、面白そうじゃない。あたしにも教えてよ。」

別の人が、そう言ってきたので、怜子はびっくりする。

「うちでもさ、サツマイモ作ってるんだけど、子どもが食べにくくてやだっていうから困るのよ。それに、おじいちゃんなんかはのどにつまっちゃうこともあるし。」

そうか、そういう事情があったか。それは確かにそうだった。麺にすれば、抵抗感なく食べることもできる。

ほどなくして、サツマイモ麺、つまり六兵衛は完成した。ほんのりして甘く、黒い色の麺が、何とも言えないうまさを持っていた。尾畑家の人間は、大喜びしてサツマイモ麺を食した。ただ、長い麺を作るには技術が要るので、麺は短い麺になってしまうのは、仕方なかった。

完成したのと同時に、近所の人たちがやってきて、作り方を教えてくれと、次々に聞きにやってきた。

文字にかけない杉三は、口頭で教えるしかできなかったが、それでも皆さんすぐに覚えてくれて、サツマイモ麺は、すぐに村中に広まった。そういう訳で、杉三と淳は、外部の人に、サツマイモ麺の作り方を教えることを始めるようになってしまった。

やがて、サツマイモ麺の教室は受講者が増えて尾畑家の敷地内では人が入りきれなくなってしまったので、ほかの場所を借りることになった。村の有力者に頼み、村の中心部にある公会堂が、料理教室として、用いられることになった。杉ちゃんも淳も、朝ご飯を食べたら、真っ先に公会堂へ向かうという生活に変わった。

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