そのに

そのに

「あーあ、結局、あたしたちは一体どうなるんだろうな。」

支度部屋にて、ゆきちゃんがそんなことを言った。

「まあどうせ、ほかのお店に住み替えになって、また一からやり直しという事になるんだろうけど。」

はなちゃんが、感慨深く言った。

「そうかあ。あたしたちは結局、そうなるしか能がないのね。女であることを唯一の取り柄として、男を喜ばせるのが仕事かあ。まあでも、顔が派手ってのが、ほかの女の子にはないことかもしれないわねえ。いつか御職になって、道中、やってみようかな。なんてね。」

ゆきちゃんは、遊女の一般的な目標として、そんなことを言ったが、

「うーん、其れもなんだか寂しいわねえ。なんか、意地を張りすぎているというか、やる気がしないな。そもそもあたしは、ゆきちゃんほど綺麗じゃないし、自慢できることは何もない。」

はなちゃんが、がっかりとした顔で言う。

「でもさあ、はなちゃんは、お箏の腕前は抜群でしょう。それを極めていけばよい方へ行けるんじゃないの?あたしなんてさ、単に顔が派手ということ以外、何も取り柄がないのよ。」

ゆきちゃんは、ちょっと愚痴っぽくそういうが、

「まあ、二人とも比べっこしても仕方ないわ。親友なんだし、お互いの悪いところの言い合いは、やめにしよう。」

と、はなちゃんに言われて、それ以上言わないことにした。

「でもさ、この悲しさは何なんでしょうね。いくら子供のころにこうなりたいって思っても、結局みんなすたれていって、女であることだけが唯一の取り柄になっちゃうじゃない。」

はなちゃんは、哲学的な話を始めた。

「あたしも思う。あたしはさ、自立していきたいと思って、ここに来たんだけどねえ。結局、できることと言えば、女を売るというだけの事よね。小さい頃は、本当にお箏が大好きで、一人前のお箏弾きになりたいなんて言って、一生懸命練習してたんだ。でも、肝心の学問することを忘れちゃって、たいした仕事もつけなくて、こういう風に、体を売ることになっちゃった。なんだかねエ、お箏にはまればはまるほど、周りの仕事がいやになって、ずっとやっていきたくなって、結局精神おかしくなるのよ。それでさ、もう、金を稼ぐのは、こうするしかないって言われちゃったのよ。」

「あたしだって似たようなもんよ。なんかねエ、どうも家の中になじめなくてねえ。田舎娘でいるのは、息が詰まりそうですごくつらかったの。でも、お金がないから、外へ出れるきっかけもないでしょ。そんなときにさ、女衒さんに都会へ出られるよと言われてさ。交通費も払ってもらって、言われるがままにこっちに来ちゃったわ。」

つまり二人とも、何らかの理由で故郷の慣習などにはまりきれず、この遊郭に来てしまったのは間違いなかった。おそらく、女衒の甘い言葉に騙されたりして、こちらに売られてきたのだろう。

「まあ仕方ない。どっちにしろあたしたちは大して経済力もあるわけじゃないんだし、芸事とかではやっていけないってはっきりわかったんだから、あとはなるべく平凡にというか、健康的でいられるように過ごそう。」

ゆきちゃんは、自分に言い聞かせるように言った。きっと彼女だって、外の世界でいろいろやりたいこともあるはずだ。でも、何らかの原因でうまくいかなくて、結局女郎屋に買い取ってもらうしかなかったのだろう。

「そうそう。別の店に売られたとしても、あたしたちは頑張ってやっていかなきゃね。でも、あたしたちはずっと仲よくしよう!」

「ほんとね。こんな親友ができたのは生まれて初めてだわ。それは、ここに来れなければ得られなかったから、はなちゃんとは大事にしたい。」

本当は、外の世界でそういう言葉が交わせたらいいのにと思った。

「でも、この店では、あの杉ちゃんと、水穂さんという人が、最後のお客さんになっちゃうの?」

不意にゆきちゃんが聞いた。

「そういう事じゃないの。ゆきちゃん。もうこの店はつぶれちゃうのが、確実と言われてるじゃないの。」

はなちゃんは大きくため息をつく。

「そうかあ、新しい店で、誰かにいじめられたりしないかな。」

「もうねえ、こういうときは時の流れに身を任せ、位に考えたほうがいいかもよ。あたしたちが何を言ったって通ることはほとんどないんだから。」

「はなちゃんすごくいいこと言う。でもさあ、あたしは、できることなら一度でいいから、あの水穂さんと一緒に過ごしてみたい!」

ゆきちゃんはいきなり女郎らしい話を始めた。

「やだあ、そんなことを言うなんて。ちょっと気持ち悪いわよ。」

「でもさあ、あんなきれいな男の人は、生まれて初めて見たわ。ほんと、あこがれちゃう。いつも一緒に居られる小花さんがうらやましい!」

やっぱりさすが若い女の子だけあって、ゆきちゃんは、そのような話を始めると、止まらなくなってしまう癖があった。

「ちょっとゆきちゃんよしてよ。あたしたちは、男の人たちの相手はするけど、あくまでも相手で、すきになってはいけないんだから。そこはちゃんとしなきゃ。」

「いいえ、あんなきれいな人がうちの店に来てくれたんだから、あたしはもううれしくて仕方ない。もう素晴らしくて素敵!」

もしかして、ゆきちゃんのように、美しい男に夢中になるほうが、女の人として、正常なのかもしれなかった。はなちゃんのように仕事として割り切れるのは異常かも。

「でもさあ、たぶん無理なものは無理じゃないの。やり手のおばさんに聞いたけど、体が本当に大変らしいわよ。こないだも又倒れちゃったみたい。今は、小花さんがそばについてあげているけどさ。」

はなちゃんはとても現実的な話を始めた。

「ええー、そうなの?本当にあの人は良く倒れるわね。もしかしたら、あんなに色っぽい顔しておきながら、こういうところは適応できないというか、苦手なのかなあ。ほら、あんまりね、きれいすぎると、ここでは、一寸苦しいかもしれないわね。もうちょっと、ちゃらいというか、明るい人でないとさ。」

「そうそう。そして、あたしたちが相手をするのは、そこにいるちゃらんぽらんな人ばかりという。」

「うん、確かに。」

二人は、顔を見合わせて、ため息をついた。


そのころ、二階では。

「ほら、頑張って、あと一口は食べてみて。」

と、小花さんが、水穂にご飯を食べさせようとするが、どうしてもできないで吐き出してしまう水穂である。

「しっかりして、目を閉じないで。」

小花さんは親切だった。一生懸命食べさせようとしてくれるのだが、水穂はこれに応えられなくて、咳き込んで吐いてしまう。これでは、小花さんもどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

小花さんが水穂に付きっ切りで看病しなければならないので、この店は御職なしの、新造二人で営業を続けるというおかしな事態に陥ってしまった。すると、それじゃあだめだ、と杉三までもが、歩けないながらに雑用をこなすようになった。本来男衆が店の手伝いをするのはあり得ない話だが、自分の世界では、ソープで雑用をしている男もいるから、と杉三はそういっていた。

しかし、客の人数は不思議なことに増加した。といっても、可愛い女の子と遊ぶためにやってくるのではない。お目当ては杉三が作る蕎麦であった。

おかげで店は杉ちゃんがそばを打ち、二人の女郎がお給仕をして、という形態に変わっていった。女郎屋というより、今の言葉で言ったら、そばを中心として、客がおしゃべりをしたりするカフェと言った感じである。

「杉ちゃんってすごいわねえ。なんでも作っちゃって、あたしたちより、すごいたくさん人を集めるわ。」

はなちゃんは、自身が客引きをしていた時よりも、もっとたくさんの客がやってくるのをみて言った。

「だから、あたしたちは、やっぱりだたの女であることにしか、魅力がないのかなあ。杉ちゃんは男だから、あたしたちができない事もああしてできちゃうのかしら。」

ゆきちゃんはそういってため息をついた。

その間にも、そばを求めてやってくる客は、うなぎのぼりに増えていくのだった。

だけど、水穂さんのほうは、一進一退を繰り返してばかりで、一向に良くなる気配はなかった。そういう訳で、御職なしの状態は続き、ほかの店に競合するほどの利益は得られなかった。


そしてその数日後。

小花さんを除いて、店の女性たちは、おかみさんに呼び出された。

「みんな今までよく働いてくれていたんだけどね。」

おかみさんは悲しそうに語りだす。

「ついに、この三浦屋も取りやめにすることになった。あの、杉ちゃんって人が頑張ってくれて、そばのおかげでちょっとだけ儲けることはできたかもしれないけど、区画整理の方針にはどうしても逆らえないの。どうか許しておくれ。本当にごめんね。」

そういっておかみさんは、三人に頭を下げた。

「いいえ、おかみさん。気にしないでください。あたしたちは、能がないあたしたちを、ここで買ってくれて、よかったと思っているのですから。」

みんなを代表して、最年長のやり手のおばさんが言った。それはそうですと、ゆきちゃん、はなちゃんも頷く。

「あたしたちは、おかみさんに買ってもらわなければ、仕事なんて与えてもらえなかったし、ただ借金取りから逃げるしかなかったんですから。いくら汚い仕事と言われたって、ちゃんと女であることを自覚して仕事を続けることができたんだから、それで十分です。きっと今は来れないけど、小花ちゃんだってそう思っていると思います。」

「そうだねエ。彼女も、本当によく働いてくれて、、、。」

おかみさんは、涙を流した。

「ですけど、後の二人はどうしたらいいのでしょう。それは、一番初めに考えておかなきゃならないのではありませんか?」

「そうなのよね。」

と、やり手のおばさんの問いかけに、おかみさんは言った。

「あたしたちは、自分で何とかしますから。どこかの女衒さんにでもお願いをして、別の店へ。」

ゆきちゃんがあてずっぽうに言うが、

「いやいや、それはだめよ。あんたたちは、一人前じゃないし、まだ独立できる立場じゃないんだから。それはやっぱり店の経営者である、あたしが責任をもって引き渡しをしなくちゃ。それはちゃんとやるようにするから。」

と、おかみさんは彼女を戒めた。

「それに、やり手のかよちゃんも。」

「いいえ、あたしはもう一般的に言えばおばあちゃんと呼ばれる年齢ですし、店をでたら実家へ帰ります。幸い、実家の娘が、一緒に住もうと言ってくれているものですからね。」

やり手のおばさんは、そんなことを言った。確かに、恒例のおばさんなので、そうなってもよい年だ。

「もう、あたしは、立場的に言えば、ご隠居と呼ばれてよい年ですから、それでよいと思います。でもねえ、おかみさん。一番かわいそうなのは、なんといってもこの二人なんですから、それはしっかりしてやってください。」

やりてのおばさんは悲しそうな顔をして、ゆきちゃんとはなちゃんを見た。

「あの二人にはまだまだ時間があるんですから。」

「時間があるってのは、かえって困ったことになっちゃうんですね。申し訳ないです。」

はなちゃんはそういったが、おかみさんは、そんなことを言ってはいけないという顔で彼女に目くばせをした。


「へえ、本当につぶれちゃうのかい!」

夕食を食べながら、杉三は驚いてそういった。

「そうなのよ。売り上げもぜんぜんほかの店に追いつかないし、区画整理にどうしても引っかかっちちゃうらしくて。」

ゆきちゃんがそういうと、杉三はなるほどねえとため息をついた。

「で、お前さんたちはどうするんだ?」

「そうねえ、おかみさんが、なるべくなら悪質でない、女衒さんを探してあげるって言ってたけど、女衒さんって大体人が悪そうな人ばかりだし、それじゃあ今よりもっと悪いところへ売られるのかなって、不安で仕方ないわ。」

はなちゃんは思わず本音を漏らした。

「そうねえ。たしかにそういうやつらは悪い奴らが多いよな。だったらよ。ピンチはチャンスと考えて、ここから外の世界へ出るようにしたらどうだ?」

杉ちゃんが、顔にご飯粒を付けたまま、そんな発言をするので、二人とも驚いて顔を見合わせた。

「でもあたしたちは、まだ、身分的に言ったら新造で、独立できる身分ではないし。」

「それに、無断で外へ出たら、足抜けということになっちゃうし。」

「そりゃそうだけど、もっと手っ取り早い方法があるぞ。お前さんたちは、少なくとも、廻し部屋で客は取れるだろ。」

二人がそういうと、杉ちゃんは、変なことを言い始めた。

「だったらよ。お客さんに身請けしてもらって、外へ出してもらえ。顔も可愛いんだし、すぐに誰かが出てきてくれるんじゃないか?」

「それが、一番理想的なのかもしれないけどね、あたしたちは自信がないわよ。だって、顔以外、売りにするものなんて何もないんだもん。どうやって自分を表現したらよいか何て、さっぱりわからないわ。」

はなちゃんがそういうと、

「いや、お前さんたちならできる。」

と、杉ちゃんははっきりと言った。

「まず、はなちゃんだっけな、お前さんは、お箏の腕前はぴか一だ。それは、こないだの炭坑節ではっきりしている。それを大勢さんの前で弾いてみろ。そうすれば必ずお前さんを欲しいというやつが、出るだろう。」

「ええーっ、ま、待ってよ。あたしはそんなに上手くないわよ。」

はなちゃんはそういうが、

「いや、できるんだ。ちょっと箏、持ってきてみな。」

杉三がそういったため、しぶしぶその通りにした。

「ちょっと貸してくれる?」

はなちゃんは、杉三に箏を貸す。

「いいか、今から弾く曲を聴きとって、これを弾いて十八番にしろ。これを弾けば大うけだ。」

杉三はそういって、「手事」を弾いて聞かせた。

「こ、こんなむずかしい曲、弾けるかしら。」

と、言われるほどに難しい曲である。

「いや、僕らの世界では結構弾かれている曲だ。もっとすごい曲は色いろあるが、とりあえずこれをやってみろ。これで金儲けができるぞ。」

たしかに、弾けるようになれば、すごいと言われることは間違いないほどの大曲である。

「たぶんきっと客の中には音楽関係者もいると思うんだ。だから、尺八吹きにでも身請けしてもらって、箏でも教えて生計を立てることだってできるさ。芸は身を助けるよ。」

はなちゃんは、一生懸命考えた。でも、この世界より、外のほうが、きっと過ごしやすいことは、まだ知っていたから、

「あたし、やってみる。」

と、決断した。

「杉ちゃん、あたしはどうしたらいい?はなちゃんみたいにすごいお箏の腕前を持っているわけではないし、有るとしたら顔の良さだけだわ。」

ゆきちゃんはちょっと悲しそうに言うと、

「じゃあ、一緒に考えような。お前さんだって、ここで生活したという、経験っていうもんは持っているだろうからよ。経験っていうもんは何でも役に立つからな。」

と、杉三は相談員のような口ぶりで言った。

「お前さんは、若いころやってみたいというか、あこがれの仕事はなかったか?」

「そうねえ。あたしは、子どものころは毎日日記をつけていたわ。学校の先生に、文章が上手ねって言われたことがあったの。でもそれでいじめにあったから、やめたけど。」

ゆきちゃんが答えると、

「そうか、じゃあ今ここで何か起きていることを書いてみろ。飾る言葉は何もいらない。ありのままを書くんだ。其れを瓦版でも書いている客を探して見せてみろ。そうすれば金儲けができるぞ。」

と、笑って言ってくれる杉ちゃんであった。

「そんな、文書でお金を儲けるなんてできるかしら。」

「ばか、できるようにするんだよ。そのためにはありのままを書くのが一番大切だからな。」

「そうか、そういう事か。其れだったら、あたしにもできるかもしれない。杉ちゃん、本当に教えてくれてありがとう。」

その日から、はなちゃんは、例の「手事」を弾く練習を開始して、ゆきちゃんは、女郎屋暮らしについて、見たり聞いたりしたことを、文書に描き始めた。

若いとはよく言ったもので、二人とも、物覚えが早く、はなちゃんはすぐに難曲を弾きこなせるようになり、ゆきちゃんは印象的な文書が書けるようになった。もし、ここに教育評論家のような人がいたら、こういう風に、自身を鍛えていくことこそ、本当に大切だと感涙するかもしれないくらい上達した。

本当は誰でもそうでなければいけない。誰でも好きなこと、特技は持っている。それを否定をしないで、肯定してやれること、それに思いっきり自身の感情を投資できる環境に子供を置かせてやること。そういう時間を作らせてやることさえできれば、世の中をうまく渡り合えるようになるのは、言うまでもないことなのである。


「はいどうぞ。縫えましたよ。まだまだ外は寒いから、これで凌いで頂戴。」

小花さんは、横になって寝ている水穂に、新しく縫えた布団をかけてやった。着物というものは、解体して布団にしてしまうこともできるのだ。でも、それは女性柄で、なんだか水穂には似合わなかった。

「どうもすみません。なんだか世話ばっかり受けてしまって。」

水穂が、申し訳なさそうに言うと、

「すみません何て言わなくていいから。言わなきゃいけないのは私の方よ。これ、私が着古した着物を改造して作ったんだから、合わない柄でごめんなさい。」

小花さんのほうが頭を下げるのである。

「いえ、それはかまわないのですが、大事なものを僕みたいな者がもらってしまって、よろしいので、、、。」

言いきらないうちにまた咳き込んでしまうのである。

「いいのよ。あげたい人はいるけれど、はっきり断られてしまったの。娘に、少しでも引け目を取らせたくなくて、派手なものを送っていたんだけどね。ある時から急に断るようになって。理由を聞いたら、もう必要ないんですって。だからせめて、やくに立たせてあげたかったのよ。」

と、小花さんは言った。

「たぶんきっと、思春期特有の、親嫌いが出たのか、そういう年ごろなのよ。多分きっと。」

その多分きっとを二度も繰り返して言うところなどから、確証ではなく、何か別の意味があると思われた。

其れについて聞いてみたかったが、咳き込んで、発言することができなかった。

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