第22話 夢の終わり
—――おお……っ!!
妖魔の長は気圧された。眼前の敵が放つ圧倒的な聖威。闇に類する力に我知らず後ずさっていたのである。あれに匹敵するものと言えば、夜闇の深淵や太陽といった大いなる神々の御業のほかにはあるまい。いや。まさしくそれは神の力の顕現なのだ。妖魔の女王とは偉大なる女神の胎より生まれ出た、神に最も近き者の一柱なのだから。
娘は———人間から逸脱しつつあるそいつは、冷酷極まりない瞳でこちらを見た。
『―――かかれ!』
長の命に従い、戦士像どもが一斉に襲い掛かった。二十メートルの巨体が殺到したのである。その質量に抗える者などあろうはずもない。
そのはずだった。
娘の邪視を受けた戦士像は崩れ去り、
ひとの身でそれほどの力を行使した娘も、無事では済まなかった。
側頭部の皮膚を突き破って伸びていたのはねじくれた角だったし、全身が碧く変色している。額が縦に裂けて第三の眼が開こうとしていたし、腕は二対に増えつつあった。もはや彼女は人のままでおられなかったのである。
力の差はもはや歴然としていた。このままでは勝てぬと悟った長はだから、己に種々の魔力を付与していく。闇の精霊に命じて幻惑の衣を作り出し、万物に宿る諸霊の力を引き出して己の身体能力を極限まで増幅する。女神に祈願して防護の力を付与し、場に宿る闇の聖霊たちの力を借り受ける。残り少ない戦士像どもが稼いだ時間で準備を終えた彼。
長は、踏み込んだ。
◇
—――ああ。夢が終わってしまう。
指輪の娘は———指輪の娘でもある者は、敵を見上げながら考える。
結局のところ、指輪の娘とは己自身、女王自身の一側面に過ぎない。いや、妖魔の女王こそが、指輪の娘の一側面という見方も出来よう。もはやどちらが主でどちらが従かという問いかけに意味はない。そのふたりを隔てていたのは単に記憶の有無、自覚の有無に過ぎないのだから。
それにしても長い、そして幸せな夢だった。友は約束を忠実に守ろうとしてくれたのだろう。幾人もの人間として生まれ変わりながら生きた千年の歳月。はじまりの大戦以前の平和な時代に勝るとも劣らない安らかな時間。
しかし、醒めない夢は存在しない。
だからせめて。最後くらいは自分の手で締めくくろうではないか。
虚空より、斧を掴みだす。
突っ込んでくる敵手にしっかりと狙いを付ける。その向こうにある心臓を砕く軌道。攻撃が命中する運命を視る。予知は現実となる。
娘が———女王が投じた斧は、妖魔の長の胸郭を貫いてさらに飛翔し、そしてその向こう。空間の中心に安置されていた心臓へと直撃。完全に破壊した。
『おお———なんという———』
心臓を失った敵手は、大穴の空いたおのれの胸部をまじまじと見やった。その巨体が横倒しに倒れるまで随分と間が空いたのである。その顔が女王の間近にきたのは、偶然だったのだろうか。
もはや虫の息となった妖魔の長は、
『無念……だが………私一人では死なぬ……貴様も道連れだ……』
強烈な呪詛は、妖魔の女王の全身を絡めとった。上古の時代より生きる妖魔の長の呪いは、自らの死を敵にも分け与えたのである。
それは、女王の心臓の鼓動。その停止という結果をもたらした。
妖魔の女王は、跪いた。
◇
妖精騎士が駆け寄った時、娘は既に手遅れだった。妖魔そのものの姿となった娘は、ささやくような声で、末期の言葉を口にした。
「……ありがとう。貴女と、そして大樹の精霊に、感謝を」
それが遺言だった。娘は、妖精騎士の腕の中で最期を迎えたのである。
妖精騎士は、しばし歯を食いしばり、震え、掌を強く握りしめていた。強くしすぎたせいで血が滴るほどに。彼女が動き出したのは、ずいぶん経ってからのことだった。
遺体に指輪を握らせ、冥福を祈った妖精騎士。次の瞬間、彼女は見た。指輪を握らせた手の内側から光が漏れ出るのを。
それは徐々に強まり、娘の全身を覆い尽くし、やがて直視できないほどになったではないか。
やがて光が唐突に消え去った後。娘の遺体は、跡形もなく消え去っていた。
「……!」
来世へと旅立ったのだ、と、妖精騎士は本能的に悟った。
伝承を思い出す。妖魔の女王は不死の存在であると。死しても新たな肉体を得て生まれ変わるのだと。
彼女は立ち上がると、帰路についた。帰還も困難な旅路となるだろう。だが成し遂げねばならない。主人に。大樹の精霊に、ことの顛末を伝えねばならぬ。
彼女は、騎士だったから。
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