第16話 竜の魔術師

轟音が響いた。

石垣が崩れる中、娘は走る。追うのは竜の巨体。左右の建物を破壊しながらでなければ、疲弊した娘はたちまちのうちに追いつかれていたであろう。15メートルの体躯が幸いしていた。

脇道へと曲がる。竜が勢いを殺すわずかな間に距離を稼ぐ。生命そのものともいえる一歩。溝に目を留める。敷地の構造を思い出す。背後で大きな呼吸音。まずい。

娘が側溝へと身を投げるのと、竜が炎を吐き出したのは同時。

強烈な炎の吐息ドラゴンブレスが脇道を溶融させていくのを間一髪回避した娘。彼女は、地下の貯水槽まで転げ落ちた。

水音。

呼吸器に水が入ってくる。手がかりがない。暴れる。水面から顔を出す。むせる。

そこで、目に入ったのは鉤爪。

竜が取水口から腕を伸ばしたのだ、と理解するより早く、娘は水に潜っていた。かすめていく攻撃。

幾度も巨腕は娘の上を左右していくが、幸い届く様子はない。取水口に竜の体が引っかかっているのだ。とは言えそれは安全を意味しなかった。何故ならば、娘の息が続かなかったからである。

周囲を手探りする。闇の中で逃げ道を探す。限界が近い中、娘の手は目的のものを探り当てた。別の出口を。

這い出す。濡れた衣が重い。息を吸い込み、顔を上げたところで。

待ち構えていたのは、フードにローブの魔法使い。恐るべき竜の乗り手ドラゴンライダーであった。

剣の切っ先が突きつけられる。

もはやこれまでか。娘は、死を覚悟した。

刃が娘を貫く。まさしくそう見えた瞬間、魔法使いの動作は破綻した。真横から襲い掛かった花吹雪が、その身を切り裂いていったから。

「―――うおおおおおおおおおおおおおお!?」

戦いは、まだ終わっていない。


  ◇


—――間に合った!

妖精騎士は突進する。破壊された神殿の跡地を、敵手目掛けて。

強烈な花弁の一撃を受けたにも拘わらず、ローブの魔法使いはまだ立っていた。咄嗟に飛び下がり、致命傷だけは回避したからである。手練れなのは明らかだった。

だから容赦せぬ。奇襲の効果を最大限に発揮すべく、剣の姿に戻した刀身を振りかぶる。

体重を乗せた一撃を、魔法使いは見事受け止めて見せた。鍔迫り合い。剣を。つんのめる敵手に、今度こそ致命的命中クリティカルヒット

—――やったか!

確かな手応え。

にもかかわらず妖精騎士が飛び下がったのは、不死の敵相手に生き延びた経験の賜物であったろう。妖魔の長と戦った際と同様の悪寒に襲われた彼女は、自分の勘が正しかったことを知った。

敵手の反撃は大振りだった。だが、鋭く重い。そこには負傷の影響など微塵も見られぬ。切り裂かれ、もはや襤褸ぼろと化したローブを魔法使いは脱ぎ捨てる。

露わとなった敵手の姿に、妖精騎士は目を細めた。それほどまでに醜悪で、異様な姿を晒していたから。

半ば剥き出しになった筋線維。肥大化した手。ギョロリとした眼球は血走り、全身の骨格は奇怪に歪んでいる。そして最も異様なのが、所々を覆う鱗と四肢の先端に備わった爪、そして頭部のねじくれた角である。

それは、竜と人とを混ぜ合わせて醜悪にした、おぞましき戯画とでもいうべき姿。

竜の力と生命を取り込もうとして失敗した、闇の魔術師の成れの果てであった。

全身の負傷が凄まじい勢いで癒えていくそいつは、無言のまま剣を構え直す。

相対する妖精騎士は大上段の構え。生半可な攻撃では効かぬと悟ったが故だった。時間はかけられぬ。急がねば竜もやってくるはず。

月光の下。両者は動いた。

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