第13話 夢歩き

穏やかな夜だった。

どこまでも伸びる枝葉が空を覆い尽くしながらも、ささやかな月光を届けている。

薄らまなこでそこまでを確認した娘は、目を見開いた。

最初に目に入ったのはよく知った顔。うっすらと透けた姿。尖った耳に花冠を身に着けた、人にも似た者。されど彼女が人間とはかけ離れた存在であることを娘は知っていた。

大樹の精霊。

「やあ。そなたか」

「やあ。そなたか。ではないわ阿呆。人の膝の上で、すやすやと寝入りおってからに」

「よかったじゃあないか。わたしの寝顔をずっと眺めていられたのだから、さ」

娘は、身を起こした。

澄んだ大気は心地よい。自然霊たちが常に場を清めている証だった。彼らは、大樹の精霊に仕えているのだ。うらやましい。自分にも彼らのような家来がいればいいのだが。もちろん、我が仔ら。自分に付き従う眷属たちが愛しくないというわけではないが、彼ら彼女らはこういう方面で融通が利かぬ。

などと考えながら、娘は精霊の頬へと手を伸ばした。さらには引き寄せ、唇を重ね合う。

「~~!?」

奇襲に目を白黒させる精霊。面白い。

「何をするか!?」

「いや、なんとなく」

しばらく肩を震わせていた精霊であったが。

やがてため息をつくと、諦めきった表情で呟いた。

「そうだな。そなたはそういうやつだ」

分かって貰えて何よりだ。

よっこらしょ、と立ち上がる娘。

「行くか」

「ああ。うちの者達を待たせているからね」

「次はいつ来る?」

「気が向いたときに」

言葉に頷くと精霊は、別れの言葉を口にした。

「さらばだ、妖魔の女王。我が古き友よ」

「さようなら、大樹の精霊。わたしの愛しいひと」

娘は―――ねじまがった角と異貌を備えし妖魔の女王は、微笑んだ。



  ◇


そこで、目が醒めた。

ぐっしょりと汗で濡れた体。全身を苛む痛み。虚脱感。それらに逆らい、代わらず嵌めたままの指輪を確認。

指輪の娘は、そこまでやってようやく己が生きていることを自覚した。

死んだと思った。崖から自分は、墜ちたはずなのに。

見れば、自分が身を横たえているのが河岸に堆積した白砂の上。どうやら崖の下の川に落ちたらしい。意識を失った自分はここまで流されてきたのだろう。怪我らしい怪我を負うこともなく。

まさしく奇跡だった。いや、ひょっとすればこの、指に嵌めた呪物の加護やも知れぬが。

身を起こす。

周囲に人の気配はない。敵の気配も。

装備を確認する。

多くのものは失われていたが、懐刀が無事なのだけはありがたい。生存術サバイバルの実践は、これがなければ始まらないと言っていい。火打ち石すいせきと打ち金も。火縄は乾かせば使えるだろうか。

そして、腰に紐でくくりつけていた木椀ククサ。湯を沸かすには器は必須である。されていない生水を飲むなど危険きわまりないから、これも必須だった。

確認し終えると、娘は立ち上がった。仲間とははぐれたようだ。彼らは自分のことを死んだと思っているかもしれない。いや、最悪全滅した可能性すらある。合流は期待できなかった。

覚悟を決めた指輪の娘は歩き出した。かくなる上は、自分一人でも使命を遂行せねばならぬ。

それにしても。

先程の奇妙な夢。大樹の精霊との睦事むつごとの記憶は、一体なんだったのだろう。己が妖魔の女王と呼ばれたことも。

女王の魂によるものなのか、それとも、指輪が見せた過去なのか。

分からぬ。分からぬまま、娘は旅を再開した。

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