第12話 蛇の王
険しい谷間に、夕闇が迫っていた。
道を急ぐ一行の様子は、まるで追い立てられるかのよう。いや、実際にそうなのだ。夜の闇は敵であったから。ましてや危険極まりない断崖に張り出した悪路である。細い道は、上を見ても下を向いても断崖なのだ。
そして、そればかりではない。
「何か出そうだな…」「やめろ、縁起でもない」
同行者たちの囁きの通りだった。谷間を吹き抜ける風は、まるで怪物の悲鳴のよう。
「急ぎましょう。ここを抜ければ少しは楽になります」
指輪の娘の言に、皆が気を取り直す。
そのまま進み続け、太陽がほぼ見えなくなった頃。事件は起こった。
ぱらぱら。となにやら転がってきたのは、小石。視線が上方に集中し、しばしの沈黙が訪れる。
ややあって大事ない、と判断した一同は、進行方向へと視線を戻した。
そこで再度硬直したのは先頭に立っていた
「どうした?」
ぐらり。
ありえないことが起こった。
粉々に砕けていく、
一行が茫然としていたのは一瞬。即座に刃へ手をかけ、身構えた彼らは見た。
進行方向に立ちふさがった、ヒグマほどもある巨体を。
頭部がある。尾がある。されど四肢を持たずぬらりとした鱗に包まれたその体。ふたつに裂けた舌を伸ばしてこちらを威嚇する姿は見た者の恐怖を喚起する。
「
蛇身を持つそいつの名を、妖精騎士は知っていた。石化の邪眼を備える強力な魔獣である。
災難はそれで終わらなかった。
―――WWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!
幾つも聞こえて来たのは雄たけび。崖の上より縄を頼りに懸垂下降してくるのは、手に手に刃や棍棒を構えた
逃げ道は、ない。
壮絶な死闘が始まった。
◇
強烈な一撃が振り下ろされた。
「―――!」
妖精騎士は考える。
足場が悪い。狭すぎる。足を踏み外せば真っ逆さまだ。
対する敵手は真上より、縄にぶら下がりながら攻撃してきている。振り子のように自在な動きはこちらと比べものにもならない。
二度目の衝撃。
こちらが立ち直るより先に道へと降り立つ敵手。
まずい。こちらは右手が断崖。すなわち剣を振るには左手を使わざるを得ない。対する敵手は利き腕であの棍棒を振り回すことができる。
そこで妖精騎士は、より不味い光景を
同行者の一人が、
「やめろ!そいつに近づくんじゃない!!」
妖精騎士は叫んだ。
◇
同行者のひとりは、外套を脱ぎ、更にはそれを前方へと投じた。
雄たけびを上げて突進。得物は魔法の斧。例えどのような怪物であろうと傷つける事ができる。
事実、強烈な斧の一撃は敵に食い込んだ。噴出する返り血。
「ぎゃあああああああああああああああああああああ!?」
怖気の走る断末魔はしかし、怪物のものではない。返り血を浴びた同行者が挙げる末期の叫びであった。この魔獣の血は猛毒であるがゆえに。
斃れる同行者。
◇
「ぁあ……っ!」
指輪の娘は立ちすくんだ。二人が既に斃れ、
だから、娘は震えながらも身構えた。腰より
この刃ならば大丈夫。うまくいくはずだ。だが、彼女の考えを実行するためには十分に敵に接近する必要があった。指輪をはめた手を強く握り込む。今はこの呪物の加護を信じるより他はない。
「駄目だ!お下がりなさい!!」
背後より聞こえる妖精騎士の声。その制止を振り切り、娘は進んだ。指輪をはめた手を前に突き出す。精神を集中。聖域にたどり着くまでは感じることのなかった体内の霊気。されど今ははっきりと認識できる。それを高める。
―――SSSSSSHHHHAAAAAA!!
今度ははっきりと視えた。
だから拒絶する。強烈な否定の意思と共に膨れ上がった霊気は、指輪のそれと絡み合い、増幅し合い、そして敵の魔力と激突。次の瞬間には、魔力と霊力。ふたつの力は消滅していた。
娘は、石化の魔力を拒絶するのに成功したのである。
踏み込む。怪物の眼前に到達。刀身を突きつける。
映し出される、怪物の蛇身。
目が合った。
呪術的経路が構築される。魔力が逆流する。
強力な魔法は、魔獣自身へと襲い掛かった。たちまちのうちに石の彫像と化す
怪物は、滅んだ。
強敵を斃した娘にはしかし、安堵する暇が与えられなかった。
「後ろだ!!」
警告に振り返った娘は、見た。こちらへと刃を振り上げた、
回避しようとして。
「―――あっ」
足を付く場所がないことに気付く。バランスが崩れる。立て直す術はない。
娘は、断崖より落下していった。
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