第2話 茨の壁

驚くほどに芳醇なる薫りであった。

微かにまぶたを開く。意識が朦朧もうろうとする。体を動かしたくない。心地よい気だるさ。

目を、見開く。

最初に入ってきたのは陽光。強いそれに目を細めながら、娘は身を起こした。

………木?

木の部屋だった。とはいえ職人の仕事ではなかろう。何しろ加工の痕が見当たらぬ。

ありていに言えば、巨大な木のうろ。装飾が施され、調度が整えられた空間に、娘はいたのである。

娘は、寝台より身を起こした。

木の床は娘の予想に反し、柔らかに素足を受け止める。

そのまま、娘は部屋の外。窓より向こう側へと踏み出した。

「わぁ……!」

絶景であった。

眼下に広がるのは、花園。色とりどりの季節の花々が咲き乱れているのである。薫りの元はこれに相違あるまい。ずっと向こう側には森との境界が見て取れた。いや、この場所が森に囲まれているのだろうか?

娘は、自身の居場所へと目を向けた。

そこは、館だった。

巨大な岩山。険しい地形に根付いた木々は、いずれもが巨大で不思議な形にねじくれ、ぽっかりと空いた洞とその周りは、各々が居住空間であるように見えた。今いるところのように。木々は蔦が絡まり合った橋で連なり、自由に行き来ができるようだった。

明らかに人の手によるものではあるまい。これは、魔法の産物。妖精の砦なのだということを、娘は悟った。

「我が館は気に入っていただけましたでしょうか?」

背後からの声に振り返る。

そこに立っていたのは、紅い髪と尖った耳を備えた麗人。

人ならざる騎士は、にこりと微笑んだ。

「目が覚めて何より。ここは安全です。

私は、大いなる大樹の精霊よりこの聖域の守護を任されし、妖精騎士が筆頭。

さあ。何があったのか。貴女が何者なのか。話していただけますでしょうか?」

魅力的な笑顔だった。


  ◇


どこまでも続く城壁だった。

余人には見えまい。いや、その向こうに行くことも、触れる事すらできないだろう。それは、この世のものではなかったから。絡まり合った大小さまざまな茨から成る。太いものでは大木の幹にも匹敵しよう。隙間を細いものが埋め尽くし、アリの這い出る隙間もない。

広大な森林の外縁。"この世"と"幽界あちら"を隔てる城壁は、あらゆる外敵を阻む絶対の防御施設なのだ。

それを見上げながら、ローブの魔法使いは配下の報告を聞いていた。

「もう、戻ってきてもよい頃合いかと」

「やられたか」

「恐らく」

フードで深く顔を隠した魔法使いの顔色は伺い知れぬ。

低頭する配下に目もむけず、魔法使いは考え込んでいた。

"これ"を突破するのは容易ではない。大樹の精霊の霊威の具象化こそが茨の城壁である。原初の時代、始まりの世界樹の若枝より生まれたと伝えられる精霊の霊力は恐るべきものである。神話に語られる神霊とも並ぶ存在なのだ。

例外は城門。鍵を持つ者ならば中に入ることが可能なのだ。先ほど逃げ込んだ人間の娘。それに応えた城門が開いたわずかな隙に兵を送り込もうとしたが、百程度がせいぜいであった。どうやら足りなかったようである。

予想は出来た事だった。これほどの魔法的城塞、抱える兵力は相当なものであろう。今頃は防御を固めているはずだった。手勢で攻め落とすことは不可能であろう。

主に事態を伝えねば。

見切りをつけた魔法使いは、配下に命令を下した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る