大樹の騎士と指輪の姫君
クファンジャル_CF
第1話 大樹の精霊
見上げるような大樹だった。
幹はちょっとした砦ほどもあるだろうか。天を覆い尽くすがごとし枝葉は、夜だというのに柔らかな光を放っている。
神秘的な光景であった。
静謐にして神聖なる空間。不可侵であるべきその世界はしかし、穢されようとしていた。一人の闖入者によって。
大樹の根。そこに倒れ、すがるように力尽きているのは、少女。
十代半ばに届くかどうかといった彼女は、今にもその生命を終えようとしていた。彼女の背に突き立っていたのは、何本もの矢玉であったから。
「……ぁ」
救いを求めて伸ばされた手。血にまみれ、そして指輪がはめられたそれは優しく包み込まれた。今までそこにいなかったものの繊手によって。
根が、起き上がる。
盛り上がり、樹皮が変じて生まれたそれは、人間の女に似ていた。されど人であろうはずがない。影を持たず、透き通り、光り輝く人間などこの世にはおらぬのだから。
大樹に住まう精霊が降臨した姿であった。
精霊は、少女の手をしげしげと観察した。そこにはめられた、木で出来た指輪を。
瑞々しい霊力を宿したこの品物に精霊は覚えがあった。遠い遠い昔盟友に与えた、真に力ある魔法の器のひとつ。
となれば、この少女は友の縁者なのであろう。丁重に扱わねばならぬ。
だが、その前に。
精霊は、鋭い視線を向けた。少女がやってきた方角。森の外へと続く道へと。
聖域へと土足で踏み込んできたのは、軍勢だった。武装した、百にも届こうかという者どもが押し入ってきたのである。
とはいえ、精霊が眉をひそめたのはそんな理由ではなかった。
軍勢が漂わせているのは死臭。どうやら一戦交えてきた後らしい。だがそれだけではあるまい。何しろそいつらは、腐りかけていたから。
死んでいた。兵士たちはいずれもぎこちない動きで、死相を浮かべ、明らかな致命傷を幾つも負い、焦点の合わぬうつろな瞳をこちらに向けていたのだから。
邪悪なる魔術によって偽りの生命を吹き込まれた、
何という惨い仕打ちであろうか。彼らは死してなお、安らかな眠りに就くことも許されぬのだ。少女がこ奴らに追われて来たのであろうことは明白である。
だから精霊は、口を開いた。
「者ども。出合え」
雷鳴が鳴り響いた。突風が渦巻き、大地が盛り上がり、木々が歩き出した。
この場に魔法使いが居合わせれば震えあがっていただろう。霊的な視覚を持つ者には、何が起きているかが明白であったから。
雷を帯びた巨獣が。大気に溶け込んだ乙女が。土くれで出来た巨人が。木々に宿る霊たちが。精霊に従う軍勢が、この場に顕現したのである。
そして、彼らを束ねる将が来た。
花吹雪の中から現れたのは、騎士。輝く鎧兜に身を固め、手にしているのは透き通るような刃。人には織れぬであろう精緻にして美麗なマントで身を飾った武人は、剣を振り上げた。
一閃。
剣がほどけた。無数の花弁と化した刀身は、死せる敵勢へと襲い掛かったのである。
たちまちのうちに十数体がズタズタとなった。花びらの一枚一枚が鋭利な刃なのだ。
それが合図となった。
両陣営が、激突した。
◇
静寂が戻っていた。聖域に押し入った死者どもが退けられた結果である。無数の屍が転がり、強烈な臭気が漂うことまでは阻止できなかったが。
それもすぐに収まるだろう。死体には早くも草花が生い茂り、あるいは茸が生えてその栄養分を急速に吸い取り始めたからである。早晩、朽ち果てるに違いない。痕跡は彼らの鎧兜だけとなるだろう。
敵を退けたことを確認した騎士は、刃を納め兜を脱いだ。
美麗であった。
流れる髪は鮮やかな赤。尖った耳と蠱惑的な唇を持った彼女は、花々を統べる精霊の騎士なのだ。
彼女は、主たる大樹の精霊へと振り返る。
投げかけられたのは、ねぎらいの言葉。
「よくやった。
「はっ。お褒めに預かり恐悦でございまする」
続いて与えられたのは、主命。
「この娘を手当てせよ。丁重に扱うのだ。我が友に縁ある者やもしれぬ」
「はっ!」
騎士は、少女を抱き上げた。
驚くほどに軽い。衣はささくれ立ち、所々が裂けてはいたが上質なもの。整った顔立ちからは気品と教養が伺える。貴人なのだろう。
花吹雪が、騎士の足元から吹き上がる。
それが止んだ時。騎士たちの姿もまた、消え失せていた。
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