12月

 手や足に違和感を感じ目を覚ます。病によるものなのか、それとも寝起きで痺れているのか、朝は自分でも何を考えているのかわからない。特に今日みたいな仕事がない日は思考が散漫なことが多い。いつもだったらそれでもいいのだが今日はそうもいかない。少し前に付き合い始めた子と出かける予定が入っているのだ。あえて彼女とは言えない。世間的にもそう表現している人が一般的だろう。しかし付き合ってはいるものの片思いなのだと私は思っている。その子がドライだからか、病気である自分と釣り合わないからかいくつか考えられるがこれといって明確な理由はわからない。だが片思いなのだ。自分が病気であることはやんわりとしか伝えていない。今後寝たきりになるとか呼吸困難で死ぬかもなんていったときには捨てられる。捨てるという表現は間違っているかもしれない。しかしこの関係は続けられないだろう。

 シャワーを浴び髪を整えシックな恰好に身を包み、予定の時間よりだいぶ早く準備を終えてしまった。何かしていないとそわそわしてしまうのは病だとわかる前から。持ち前の性格でもなかなか慣れることはできない。最近はまってしまった煙草に火をつけ大きく吸い込む。とりあえず落ち着くとき、何かを始める前にはうってつけなのだ。身体に悪いなんて世間はいう。しかし私の体はすでに悪いこれから寿命まで吸っても大したことはないだろうなどと考えていると、指先に熱を感じこの短いゆったりと流れている時間が終わる。

 相手は職場の事務をしている後輩で、以前から職場での会話、飲み会など接触する機会は少なくなかった。家の方向が同じなのか一緒に帰ることもしばしばあり徐々に好きになってしまったわけである。思い切って仕事終わりご飯に誘ったところ、無事成功。そのまま話はコロコロ転がり思いを伝えることになってしまった。あろうことか告白が受け入れられてしまった。病など関係なくもう死んでもいいとも思った。

 今日もその日のことを思い出し恥ずかしさと寒さで顔が赤くなる。何事も行うまでが一番緊張するもので、会うまでの時間がなかなか苦しい。あってからはまるでピエロにでもなったかのように自分に仮面を被せ笑っていられる。このピエロの時は意外と便利で自分のネガティブな性格も、病だと気づかれることもない。そして何より準備が要らない。いつからかピエロに慣れていったのである。本来なら素でいることが何よりだとは思うものの、短いかもしれない人生でよりかっこよく見られたいと考えることもありやめることはもう無理だろう。

 いつもの家の並ぶ道路、ガソリンスタンド、職場、数字が目印のコンビニ。それらを順にたどり大きな商業施設に着く。その中は季節なのかほかに行くところがないのかたくさん人間がいた。そしてもう少ししたら現れる赤い格好のひげもじゃのおやじの音楽が流れ、お菓子の入った赤い靴、キラキラした装飾の木が売られていた。私もその日のことを考えていないわけではなかったが、改めてそれを思い出させてくれる。

 相手より早く着いたが、ほどなくして「どこにいる?」とメッセージが来る。「ツリーの前だよ~」と送る。そろそろピエロの時間がやってくる。

 遠くからすらっとした長い髪の女性がツリーに向かって歩いてくる。グレーのコート。遠くからでも綺麗でかわいい。危うくにやけてしまうところだったが、何とか持ち直した。

 待ち合わせていたカフェの前に来ると「これ飲んでみたかったんです」と新作のポスターを見ていった。会ってすぐに相手は並び始めた。最近この町の商業施設の中にできた全国チェーンのカフェ。店内は落ち着いた雰囲気でここだけ違う空間のようだった。リードされ注文をして席に座る。

 会話は仕事の話、趣味の話と付き合ってすぐのような緊張感はあまりなく、それが少し寂しくもあった。いい大人がもっとドキドキした恋がしたいなんて言葉にはできないが、このまま何もしないこともない。「これも飲んでみる?」と仕掛けると「いいの?」と聞き返してくる。こんなあたりまえのことだって私には駆け引きに思えて、生きていると実感できた。生きているなんて大げさかもしれないが趣味の減った病人には大きなことだった。

 それぞれ注文したものを飲み終わり他愛もない会話をした後店を出る。さっき見たお菓子の入った赤い靴の売り場の前につく。もの欲しそうな目でずっと靴を相手は見ていた。「クリスマスはこれにしてあげるか?」なんて冗談じみたことを言うと、「全然これでうれしい」とにこやかに言った。「私の家って昔から子供のおもちゃとかってあんまり触れてこない家庭だったの、だからこんな靴でもすごく憧れる」と続けた。表情は変わらなかったがどこか悲しげだった。

 「そっか、じゃあ靴は候補に入れておかなきゃな~」となんとかフォローを入れてその場からまた歩き始めた。そろそろ真剣に考えなければいけないが、もう五年もプレゼントなんて渡したことのない男にとっては難しい課題である。

 そんなことを考えつつ、しかし片思い感の強いこの関係、ドライな性格を知っているため相手からは期待しないことにしていた。誰かに考えが察されたのか商業施設を出ると雪が降り始めていて。「お前は哀れだな」と言われているようで、その雪は寒さと一緒に身体にしみ込んだ。


商業施設から歩いて20分位のところに今日行きたい店があるらしい。2人して寒い寒いと言いながら道路を真っ直ぐ歩く。時刻は18時を回っている。今日胃に入れたものと言えばカフェで注文した甘い飲み物くらいだったためさすがにお腹が減っていた。しかし食事よりも知らない店に興味があったのか「そんなに楽しみ?」と子供を見るような目で見られ少し笑われる。大人と言われる年齢だが自分ではいつまで経っても子供だと思っている私にとっては、馬鹿にされてるとは思いつつも悪い気はしなかった。子供らしさを出せる場面など地元の友達と飲んでいる時くらいで、素を出せる時は歳を重ねる事に減っていった。知らずに素を出せていたことに嬉しさを少し感じつつ、ピエロでいることを忘れそうで冷静さをすぐに取り戻さなければとも思った。

店の方向は何度か来たことがあった。しかしこんなにゆっくり歩くことは恐らくなかっただろう。何故か美容室が沢山並ぶエリアがあったり、家みたいな外装のパフェ専門店があったりゆっくり見るとこんな田舎でも意外と面白く映って見えた。

そんなことを感じていると「もうここ曲がったら着くよ」と言うので見てみると、そこにあったのはまた家のような外装のお店だった。いわゆる映えると言うやつなんだろう。そして店内に入ると内装も独特な雰囲気でやや高級そうな感じがした。今日は自分に似合わない店ばかりだ。嫌いという訳では無いしむしろ入ってみたかった願望が割とあったのは事実だが、勝手がわからない分不安や緊張があった。しかしこれが美味しいと勧められた物を選びそれぞれ飲みたいお酒を頼むとあとは案外普通に運ばれてきた。私はハンバーグと久々にシャンパンを頼み、そして相手はシャンディガフを頼んで食事を始めた。なんともミスマッチな組み合わせだが、美味しいもの+美味しいも=美味しいという方程式を私は知っている。そしてたまには自分に似合わないことも悪くないと思えた。自分が終わる前にしておかなければならないと思ったのか、アルコール回るのが早かったのか、どんなことにしろ楽しんでくれているそれだけで理由なんていらない。楽しんでくれている、そしてこれからも、と思うと改めてやはり自分の病の内容を伝えるのはやめておこうと思った。


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