vingt-neuf

「会社というのはそういうものだと思います」

 で、私は今霜田さんと居酒屋で二人飯。なぜそうなったかと言うと帰宅途中の電車内で声を掛けられ、話が進むにつれてついつい仕事の愚痴をこぼしてしまった。

『そのままご帰宅されるのは精神衛生上あまり良くなさそうですね』

 と言われて途中下車し、彼の行きつけであるという居酒屋で今ある不満を聞いてもらっている状態だ。

「そうかも知れません、仲良しごっこでないことくらいは重々承知のつもりだったんですが」

「殺伐とした不仲の現場よりは良いと思います。ただ時々空気の入れ換えをしないとそのうち全てが滞ってしまうんです」

 霜田さんはあの時の気まずさなど全く気にすることなく私の話を真剣に聞いてくださった。彼は本当に良い方だ、たったの二度しか会っていない元見合い相手にもこんなに親切にしてくださるんだから。

「これだけやりにくい状況が続いているというのはあまり頂けませんが、事を荒立てても結果は同じ、どころか悪化させてしまうと思います。あなたは動かない方がよろしいでしょう」

 そこは役職ある者の仕事です。霜田さんはそう言って笑いかけてくれた。ささくれ立っていた私の心は少しずつ落ち着きを取り戻していき、気付けば彼との食事を楽しむ余裕も持ち始めていた。


 そんなこんなで食事を終え、会計を終えて店を出た私を霜田さんが親切に駅まで送ってくれたのだが、沿線上で事故があったようで全線運行がストップしているとアナウンスがあった。

「夏絵さん、このまま少し待っていてください」

「えっ?」

「車を取ってきます、ワタクシ幸いお酒を飲んでいませんので」

「いえ、家族に連絡しますので大丈夫ですよ」

 と言ってるのに最後まで話を聞かずに霜田さんは駅を出て足早に姿を消してしまった。ってことはこのまま待たなきゃダメ?だってお見合い失敗したと分かった時点で連絡先は消してしまっているもの。

「しょうがないかぁ」

 私は家族にメールして霜田さんを待つ。その間に冬樹から返信があり、姉は仕事、秋都は飲酒してしまっていて、冬樹自身も昨日ドジを踏んで右足首を捻挫していて運転はまだ無理とのこと。どうやら霜田さんが動いてくれたのは逆にラッキーだったみたい。にしても電車の事故の影響なのかいつものことなのか、お迎えらしき車がひっきりなしに出入りしている。

 もうちょい何とかならんもんかとその光景をぼんやり眺めていると、それから二十分ほどしてケータイが震え、画面をチェックすると登録していないメアドから【霜田です】というタイトルのメールを受信した。

【駅南口の駐車場に停車させています】

 霜田さん私の連絡先残しててくださってたんだ……のは嬉しかったが、この駅ほとんど利用したことが無くて南口へどう行くのかが分からない。私は足を失った乗客への対応に追われている駅員さんを捕まえて南口へはどう行くかを訊ねると、少し驚かれた表情を見せてから二階の歩道を利用してくださいと教えてくれた。


「今日はありがとうございました」

「いえ、こんなことで宜しければいつでも」

 と言ってからあっ! と思ったらしく、苦笑いして頭を掻いていた。お気持ちだけありがたく受け取っておこう。私は車から降りて車を見送っていると、玄関のドアが開いて冬樹が顔を覗かせていた。

「あれ~、この前のオジサンだよね~」

 あぁ……傍から見れば元お見合い相手に車で送ってもらうって変な光景なんだろうか? 分からないけど。にしてもよく車種なんか憶えてたな、いつの間にチェックしてた?

「うん、メールしたよね?」

「でもあのオジサンと一緒とは聞いてないよ~」

 まぁそこまでは言ってないからね。私は家の中に入ると冬樹はムスッとした表情で私を視線で追いかけてくる。

「最近なつ姉ちゃん男に浮かれ過ぎ~」

「別に良くない? これまでが無さ過ぎたんだから」

 私は冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注ぐ。

「まぁそうだけどさ~、ここで勢い任せにしたら変なの捕まえちゃうよ~」

 冬樹はダイニングに入っていつもの椅子に座っている。

「霜田さんとはそうならないから大丈夫よ、あんたも飲むの?」

「うん、飲む~」

 とニッコリ笑ってくる。ホント顔だけ・・は可愛い、お腹の中は真っ黒だけど。

「おぅ、お帰りなつ姉。俺も麦茶ほしい」

 秋都は風呂上がりなのか髪の毛がまだ濡れている。ちゃんと乾かさないから寝ぐせ直しに時間がかかるんでしょうが、姉に何度注意されても物臭はそうそう治るものではない。結局三人分の麦茶を用意して三人で一緒に麦茶を飲む。

「誰に送ってもらったんだ? 運転再開まだのはずだぞ」

「この前のお見合いのオジサ~ン、なつ姉ちゃんの拙僧無し~」

 と冬樹お得意の告げ口、誰が節操無しだ?

「はぁっ? ちょい前のサクと一緒にしないでよ」

「何だ、満田より良いじゃねぇか」

「そぉなの~?」

「おぅそうだぞ、はる姉に目移りした以外は至ってマトモそうだしな。変な手出しはしてこねぇだろ」

「ふぅ~ん、男はみんなスケベだよ~」

 冬樹は麦茶をこくんと飲む。猫背で両肘付いてグラスも両手持ち、動作はほぼ乳幼児じゃないか。お前お外でもそうしてるのか? いや、腹黒だからむしろ良いとこの坊ちゃんレベルの振る舞いしてそうだわ、おお怖。

「まぁそうだが、お前スケベ心丸出しで街を闊歩するか?」

「ううん、しな~い。だってお○○ぽ勃たないも~ん」

「だろ? それに誰彼構わずスケベ心発動させたら獣と一緒じゃねぇか」

 だったら秋都は獣だな、有砂レベルのヤリチン男が! って言ってて悲しくなる、私の周りにはヤリマンとヤリチンしかいないのか?

「うん、そうだね~。あき兄ちゃんたまには・・・・頭良い~」

「おぅそうだろ? なつ姉の国語ドリルのお陰だな」

 そこ喜んでる場合か、それは全く関係無いからな。それより小学一年の国語ドリル……この前フザケて買ってやったのを真面目にやってることに驚きだわ。

 いや、秋都は基本的に真面目な男だ。勉強は小学校二年生で習う九九で挫折しているが、それでもほとんど皆勤で学校へ行き、授業も真面目に受けてきた。その上誰とでも仲良くなれる質で、不良と呼ばれる連中も先生も両方味方に付けていた。

「なつ姉、一個お願いしていいか?」

「ん? 何?」

「ドリルの添削、してくんね?」

「自分でやんなよそれくらい」

 休日ならしてもいいけど今日はもう寝たい。

「だったら休みの日でもいいからさ、人様の添削があった方がモチベーション上がるだろ?」

 うん、まぁ言い分は分かるよ。

「これまではる姉ちゃんと僕が添削してたんだよ~。一ページだけでも見てあげなって~」

 うん、まぁそれくらいなら……どうせすぐ寝る訳でもないし。

「分かった。んじゃここに持ってきて」

 うっしゃ! 秋都は嬉しそうにガッツポーズしてから、部屋に戻ってドリルを持ってきた。何か先生になった気分だわと思いながら普段から持ち歩いている赤ボールペンをバッグから取り出した。

 私はそれを見て驚愕した。相変わらず子供みたいな字を書くが、それでも練習の成果が出ていて格段に上達している。これなら十分読める、少なくとも草書気取りのミミズ文字ではない。

「……」

「ん? どしたなつ姉?」

 秋都と冬樹はドリルを凝視してしまっていた私の顔を覗き込んでくる。うん、お姉ちゃん感動したわ。

「うん。あき字がきれいになってるなぁ、と思って」

「マジ? どこ? どの辺が?」

 秋都の奴嬉しそうだただ具体的に“ここ”って言うよりは……。

「字体そのもののバランスかな? 例えば……」

 私は秋都の書いた平仮名できれいに書けている文字をピックアップして赤丸を付ける。

「この文字だと横線が二本あって、上の線が長い方がきれいに見えるでしょ? それと間隔が均等に取れてたり、縦線がちょうど横線の真ん中を通るように書けば安定するじゃない。秋都の字は元々しっかりしてるから、こういったバランスを意識してゆっくり丁寧に書けば今より上達するよ」

「そうか。うん、はる姉も丁寧を意識しろ、って言ってた。だから二人とも字がきれいなんだな」

「あ~っ! 僕も~!」

 冬樹よ、お前どんだけ欲しがってんだ。ここ以外でも反吐が出るほど褒められまくってんだろうが。勝手ついたら『デコーダーみたいな褒め言葉なんか要らないよ~』なんて言ってるくせに。

「分ぁったよ、三人ともな」

「うわぁ~いやったぁ~」

 再度確認するが、お前一流国立大学をトップの成績で入学したんだったよな?

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