douze

「そう言えば覚えてます? ○○山に行った時のこと」

「○○山……ひょっとして“鈴事件”のこと?」

 私たちは大学時代ハイキングサークルなるものに所属していた。近隣の自然豊かな所に行って帰るだけのサークルだったのだが、当時は“山ガール”なるものが流行っていて割と大所帯のサークルだった。

 さて本題に戻って“鈴事件”について説明すると、当時○○山で熊が出たという情報を入手していた幹部クラスの連中から参加者全員に最低二個は鈴を付けよとお達しが出た。今思えば何故二個以上だったのかは不明だが、それで当日張り切って山登りをしたら鈴の音があまりにも煩くて他の登山客からクレームを頂いてしまったのだ。

「考えてみれば当たり前なんですよね、五十人ほどの大所帯で一人二個以上の鈴付きで移動したらそれなりの騒音というか……」

「喧騒から逃れたくて自然豊かで静かな場所に来てるはずなのに、って話よね? 当時は熊が怖くて予測出来なかったけど」

 クレームと言っても『ちょっと過敏すぎですよ』と言われた程度だったので大したトラブルも無く、『二人一個くらいで良かったね』と反省して途中で外した憶えがある。その後小学生の遠足グループと鉢合わせ、鈴を無くしたと泣いてた子がいたので一個あげたら喜ばれた、という微笑ましいエピソードも付いてきて今となっては良い思い出だ。

 私たちは昔話に花を咲かせて周りが見えていなかった。勿論はしゃぎ過ぎて近隣の常連客さんにご迷惑をお掛けした訳ではない。その間に有砂と立浪さんが居なくなっており、ゴローちゃんの不機嫌がマックスに達してしまっていたのだった。

「あれ? 有砂は?」

 私はようやく店内の変化に気付く。ゴローちゃんの眉がピクリと動き、常連客さんであるタイチさんが立浪さんと店を出て行ったと教えてくれた。

「いつの間に……メール来てました。『先に帰るけどゆっくりしてけ』って」

「そう、有砂を親切に送ってくれたのね。立浪さん既婚っぽいし」

 私の何気ない一言でその場の空気が固まった……何で?

「既婚だぁ? お前それもっと早く言いやがれっ!!!」

 ゴローちゃんは有砂に振り向いてもらえないフラストレーションを私にぶつけてくる。

「そんなの私に言わないでよ、結婚指輪してたでしょ?」

「あ"ぁ? んなもんいちいち見てる訳ねぇだろっ!」

 あーもうこうなったゴローちゃんははっきり言って面倒臭い!

「していなかったわ。でもなつがそんな嘘吐かないわよね?」

 と楓さんの助け舟、さすが彼女も抜け目が無い。それにしてもさっきから満田君の表情が冴えない。どうした?

「普段はちゃんと付けてます。今日は間違いなく付けてたんですが」

「オイオイ何か歯切れ悪ぃなぁ兄ちゃん、どうしたんだ?」

 タイチさんもここぞとばかり話に入り込んでくる。こういうのを鬱陶しがる風潮の方が今や主流だけど、ここ下町ではこれが思わぬ助けとなることがままあるので私はむしろ人情という温かみを感じる。

「先輩を売るようでアレなんですが……」

 満田君は本当に言いにくそうに立浪さんの浮気癖を話してくれた。彼は独身時代から二股三股は当たり前だったようで、女性も彼の朴訥とした優しい見た目にほろっと騙されてしまうらしい。うん、確かに女のお股を華麗に渡り歩いてるイメージは無かったわ。

 三年前にご結婚してしばらくは落ち着いてたらしいんだけど、奥様の妊娠でセックスを自重しなくちゃならない時期に発情して浮気をしてしまうそうだ。

「今二人目のお子さんが奥さんのお腹の中に、まだ安定期に入っていないのでもしかしたら……」

「セックス自重でフラストレーション? 有砂を性欲処理に利用すんじゃねぇぞコラぁ!」

 ご、ゴローちゃん声デカイって……しかも満田君に当たるの止めなさいよ。

「怒る相手が違うでしょ、ごめんなさいねお客様」

 楓さんがさっと二人の仲裁に入る。さっきは姉に対して『家族のことになると見境無くなる』って言ってた口が、有砂のことになると見境無くなるアンタも人のこと言えないと思う。でも有砂がそんな男に本気になってしまったら痛い目見るのは間違いない、深入りする前に何とかしないとなぁ……あっ、良い事思いついた!

「あの二人ちゃんとお金払った?」

「えぇ、自分たちが食べた分は男性の方が」

「ってことは私と食べた分はまだ未払いですよね?」

「そうなるわね、それがどうかした?」

 フッフッフ、食い逃げなんてさせないわよ有砂、覚悟なさい。私は早速ケータイを取り出して有砂に通話してやる。ところがこんな時に限ってなかなか通話に出やがらず、そのまま放置して出るまで粘ってやる。

 それでも機能上自動的に切断されてしまうので懲りずに同じ事を繰り返すこと数回、ようやっと通話に出た有砂の声は明らかに不機嫌だった。

『ちょっとぉ~、これからイイトコなのに邪魔しないでよぉ~』

「金も払わないで何言ってんのよ、持ち合わせが足りないからすぐ戻ってきて」

『そんなの今度でいいじゃなぁい、馬に蹴られて死んじまえ』

「へぇ~、そういうこと言っていいんだぁ。こっちには立浪さんの後輩君がいるのよ、彼にアンタのあんな事やこんな事吹聴しちゃって良いのかなぁ?」

『うわあぁっ! ちょい待ちっ! って今それ言うか!』

 私は有砂の弱みなど腐るほど握ってる。立浪さん程じゃないにしろこの子の恋愛遍歴もかなりゲスい、何せ尻が軽すぎる。そう思えば私よくこの子と友達やってるわ、そしてある程度は知ってるのに懲りずに一筋でいられるゴローちゃんもかなりの強者だ。

「だったら大人しく戻ってきなさい」

『ぐすん……分かったよぉ』

 多分これで大丈夫だと思う。『今から』って言ってたからせいぜいホテルでシャワーを浴び終わった程度だろう。とにかくヤッてないことを祈るわ。

「有砂ちゃん戻ってくるかい?」

 とタイチさん、もうすっかりこの会話に馴染んじゃってる。この方商店街の自治会長さんだからそれなりの情報網をお持ちだし、味方に取り込んでおいたら何かと便利な……もとい、重宝する方だ。

「戻ってきますよ、どうせ裏通りのラブホでしょうから」

「あの子も懲りねぇなぁ、あのラブホで何度も目撃されちゃあ修羅場迎えてんのにさ」

「まぁ盛りが止められなかったんでしょ、気の合う二人の男と女、ヤることなんで限られてますから」

「結構な会話ですよそれ」

 満田君はタイチさんと楓さんの会話に若干引いてる。まぁ『恋愛はマナーはあれどルールは無し!』と豪語してる女のお股事情は知らぬが華ですものね。ただ同類だとは思われたくないのが本音だ、いくら処女でないとは言え元カレしか知らない私はそう易々とお股を開きませんことよ、おほほ。

 それから十分ほど待つと有砂が泣きそうな顔で店に戻ってきた。そんな顔されても不倫に足を突っ込ませる訳にはいかない、いくらこの女がゲスい恋愛を繰り返そうとも、『不倫』はマナー違反に入れているのを分かってて立浪さんと関係を持つのは友として見過ごせない(お節介なのは勿論承知の上だ)。

「なつ~、何で今日に限ってケチ臭い訳ぇ?」

「断りもなくぬるっと居なくなるからでしょ、あんたまさか立浪さんとヤッてないわよね?」

「ヤッてないよぉ、キスもしてないのにぃ」

 有砂はアホ丸出しで悔しがってる。でもそう言ってられるのも今のうちだけよ。

「良かったわね未遂に終わって」

「ちょっと楓さんまでぇ~、人の恋路を邪魔する奴はぁ」

「はいはい、立浪さん既婚ですってよ」

 『既婚』の言葉に有砂が固まる。

「へっ? 一応確認したけど『独り身だ』って」

「結婚指輪の跡があったでしょ? 普段のあんたなら見過ごさないよね?」

「うん、それも含めて聞いてみたら『虫除けと仕事上の便宜の為』って言ってた。『既婚の振りしてた方が信頼を勝ち取り易い』んだって」

 うわぁ、尤もらしいんだか苦し紛れなんだかよく分かんない言い訳だなぁそれと思ってたら満田君があのぅ、と言いにくそうに有砂に声を掛けた。

「立浪さんは間違いなく既婚です。お子様も一人いらして、奥様は現在二人目を身籠ってらっしゃいます」

「何ですと? ひょっとしてこのまま行ってたら『不倫』するとこだったの? うわぁ~」

 有砂は魂が抜けたような表情でカウンター席に座り、いきなり泡盛を注文した。

「なつぅ、今めちゃくちゃ酔いたい気分」

「はいはい、明日は休みだからとことん付き合いますよ」

「って事は持ち合わせが無いなんて嘘でしょお?」

 勿論持ち合わせは十分にある、二人とも一応酒好きの部類に入るので多めに準備はしておいた。

「当たり前でしょ、そもそも『朝まで飲むぞ~!』って言ってたのあんたじゃない。満田君、こんなのに付き合わずキリの良いところで帰っていいからね」

「いえ、僕も明日は休みなので。一度夏絵さんと一緒に飲みたかったんでお嫌でなければとことんお付き合いさせて頂きます」

「オイ、私は無視かよ後輩君」

 ってな訳で私たちはここに入り浸り、小笹姉弟の計らいで朝まで飲んで食って管巻いていた。タイチさんも何故か朝までいて、朝方に迎えに来た奥様にどやされてようやく帰宅の途に着いていた。

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