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「ここに入ってみませんか? 僕のお気に入りの店なんです」

 霜田さんはとある一軒の古本屋さんで足を止める。このお店は新刊も取り扱っていて、私もかつて利用した事があった。

「このお店は私も知っています、新刊も古本も両方揃っていますからここ一軒で事足りるんです」

「そうなんですよっ! やはりあなたならご理解頂けると思っていたんですっ! 五階がカフェになっていて、購入しなくても試し読みが出来るってご存知でしたか?」

 えぇえぇ、冬樹の出没エリアですから勿論存じておりますよ。ただカフェは一昨年出来たばかりだから利用した事は無いけれど。

 私たちは取り敢えずその古本屋に足を踏み入れる。四階スペースでLPレコードを取り扱っていて、宣伝の為なんだろうけど古いながらもお洒落でセンスの良い曲がBGMで流れて時間を忘れさせてくれる空間だ。そう言えば冬樹の奴ここのランチは案外美味い、とか言ってたな……移動が面倒臭くなった時の候補地にしておこう。

「あれ? 五条先輩?」

 不意に声を掛けられた私は反射的に振り返ると、やたらと背の高いイケメンメガネ君がにこやかな表情で立っていた。この男の子どこかでと思って記憶を辿るもなかなかヒットしてくれない。秋都の同級生? いや違う、アイツの同級生にこんな賢そうな奴居ない。多分大学時代の後輩? だと思うんだけどなぁ……誰だっけ?

「憶えていらっしゃいませんか?」

 えぇっとぉ、見た事と言うか面識はあるのよ、ただどこの誰だか分からない。って事はサークル絡みかなぁ? 違う大学の子だと思う、多分……あっ!

「ひょっとしてA大学の満田まんだ君?」

 えっ? この子こんなに身長高かったっけ? 私は百九十センチに届きそうな男の子を見上げた。

「良かったぁ、憶えてくださってて。僕三年後輩ですし大学も違いますからお忘れになってても仕方ないのかなぁ、なんて思ってお声掛けを躊躇っていたんです」

 うん、可愛い事言ってくれるじゃない。にしたってこの地味地味平凡顔をよく憶えててくださったわね、あなたの記憶力に感心してるわ今。

「何かごめんなさい、思い出すのに時間が掛かってしまって。眼鏡なんてかけてた?」

 私はそれとなく霜田さんの行方をと思ったけど居ないっぽいしいいや、もうすっかり姉にシフトしちゃってるから本気でどうでも良くなってきた。

「いえ、当時は何だか抵抗があって無理して裸眼でいたんです。それでも視力低下には逆らえなくて今はこうなってます」

「へぇ、身長も伸びて見違えちゃってるじゃない。眼鏡もよく似合ってるし、モテるでしょ?」

 私はガラにもなく後輩的な男の子を軽く褒めてみると、何故か彼はそんな事ありません! とワタワタしてる。いやモテるって君……でもこれ以上追撃するのはやめておこう、若い子イジメは可哀相だ。

「でも久し振りだね、大学卒業以来だから六年振り?」

「えぇ、直接こうしてお会いするのは。実は僕あなたを何度もお見掛けしてるんです」

 えっ? それってキモワフラグじゃないよね? うん、自意識過剰と笑ってください。

「実家が海東文具の近所なんです。だから利用する駅が同じで時々ホームとか道とかで……」

 あぁなるほど、勤務先付近って何気に旧名家がずらりと並ぶセレブエリアですもの……ってそんなとこに住んでたの君? 家柄的には優良物件? まぁ私レベルの女なんて箸にも棒にも掛からないでしょうけどねぇ……満田君、私は君の事が急にキラキラして見えてきたよ。

「やっぱり僕たちって運命の糸で結ばれていると思うんですよね」

 うん、そうかもね~。“赤い”を入れてこなかったあたりその言葉に信憑性が増してきたね~なんてイケメンメガネ君に見惚れていたらバッグの中のケータイがブーン、と音を立てている。この震え方は着信だ、チッ、誰だよ?

「ごめんなさい、着信だから一旦外に出るね」

 えぇどうぞ。満田君は親切に入口までエスコートしてくれて、おまけにドアまで開けてくれた。私はありがとうと一礼して店の脇でバッグを漁ってケータイを見る……冬樹だ。

「何? 今電話してくるか?」

『別にいいじゃ〜ん、どうせ今日までの寿命でしょ〜?』

 じゅ、寿命って人が明日死ぬみたいに言わないでよ! ではなくて霜田さんとの事よね?えぇえぇ分かってますよ、またしてもこの展開ですよ。ってか満田君の方に気が行ってて危うく存在を消し去ってしまいそうではあったけれどもね。

「やっぱりそう思う?」

『そりゃまぁね〜。はる姉ちゃんと話してる時あの人の目ギラギラしてたから、見るに耐えないくらいに分かり易くて笑っちゃうよ〜。それよりですよってちゃんと教えてあげた〜?』

「うん、でも右から左だと思う」

『んじゃもう会話の端々でアピールしときなよ〜、後で言った言わないで揉めるかも知れないよ〜』

「うん、そうする。で、用ってそのこと?」

 一応“デート”中の姉に着信を寄越してくる弟に呆れつつ訊ねてみると、違うよ〜とのお返事。何かしら?内容によってはお姉ちゃんぶっ飛ばすわよ。

『あのさ〜、今大学近くの古本屋街に居るんだよね〜?』

「何で知ってんのよそんなこと!」

 私は思わず辺りをきょろきょろしてしまう。いや、あやつの性格考えると授業の無い日に外出してるとは考え難い。

『うん、ケータイのGPS機能で居場所なんてすぐに分かるよ〜』

「何犯罪ちっくなことやってんの! 今すぐやめろ、そして二度とするな!」

『まぁなつ姉ちゃんの場合普段の動きはマジつまんないからね〜。それより今から言う本買ってきてよ〜、僕には高くて手が出せないから〜』

「そんな時だけ集るな、アンタの場合無駄に高いの要求されるから聞くの怖いわ」

『まぁまぁそう言わずにさ〜。じゃ言うよ〜、“歴史旅行家アベノセイメイは見た! 偉人の裏側あんな事こんな事日本史編”ってタイトルの文庫本なんだけど〜、今すんごいプレミア付いてて安くても三万円くらいするんだよね〜』

 はぁっ? 中古の文庫本に三万円とか絶対どうかしてるわ! イヤイヤ、その前に超清廉そうな歴史的人物の名前を借りてなんちゅうゴシップ丸出しなタイトル付けとんのじゃ、この本百パーゲスいわ! そしてそんな本を二十代乙女(?)の私に買わせようとしてる弟の品性を疑うわ。

「嫌よそんなゲスそうな本買うの」

『大丈夫だよ十八禁じゃないからさ〜、ひょっとしてエロ本だとでも思ってたの〜? エロビ見ても勃たない僕がそんなの好んで読む訳無いじゃ〜ん』

「今そんなカミングアウト要らないよ」

 あぁ、冬樹って秋都とは違う種類のバカだったのね……いえね、結構な非常識男だとは分かってましたよ、モテてる割に色恋事に大した興味も示さず彼女いない歴イコール年齢なのも知ってますよ。でももうちょっとだけ恥じらいを持とうか、アンタの場合それをお外でも言ってそうだからお姉ちゃんそれが一番恐ろしい訳。

『んじゃ、頼んだよ~』

 冬樹は言いたいことだけ言って一方的に通話を切りやがった。帰ってから殴っていいよね?

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