huit
……しょうがない。
私はケータイをバッグに仕舞い、明らかにおかしな緊張感を持って再び店内に入る。入口付近で満田君が待ち構えていたが、正直今は一人にしててほしい。
「あの、僕ご案内しましょうか?」
「いえ、大丈夫。お仕事に集中なさって」
彼の親切をいともあっさりと断って私は二階に上がる。確か文庫本は新旧問わずこの階のはず……うん、変わってない。取り敢えず何だっけ? “アベノセイメイ”がどうとか言う結局何だか良く分からん文庫本を探すとしますか。無きゃ『無かった』で良いんだし、高すぎれば『持ち合わせが無かった』でも別に良いんだから。文庫本、しかも中古に何千円何万円も出したくない。
まずは古本の棚を物色……ん? ものの十秒もしないうちに見付かったよ。こんな簡単に見付かるものなの? プレミアが聞いて呆れるわ、なんて手に取って値段をチェック……嘘っ、三万二千円? こんなのに? ガチ話だった事に若干引く。私はこそっと元の場所に戻し、素知らぬ顔をしていかにも安売りっぽいワゴンの所へを移動した。中にはかつてめちゃくちゃ愛読していた小説や、一度買ったけどブ○○○フに売りに出した懐かしの小説がちらほら見受けられた。
ふふふっ、久しぶりに読んでみようかな? 百円均一にほど近い値段設定みたいだし、車で来てるから二~三冊ほど買おうかな? なんて思いはすぐに打ち砕かれ、再び“アベノセイメイ”がのほほんと姿を見せた(正確には私の視界に入っただけなんだけどね)。
うぐっ、どうしよう、見なかったことにしようか。と思いつつも怖い物見たさにそれを手に取ってしまう。一応透明な袋に入れてあるけどボロっちいなぁ……これはさすがに駄目だよね、なんて思ってたらまたしてもケータイが震え出す。今度はメール、一旦そいつを元に戻してバッグに手を入れてケータイを掴む。やっぱり冬樹だ。
【破れててもページ抜けてても良いからねぇ、それでも三千円くらいはすると思うよ】
良いの? 破れててセロテープベタベタ貼ってるようなのでも良いの?
【あったけど、袋に入ってて中身確認出来ない】
取り敢えずメールを返して再びそいつを手に取り値段チェック……おおっ、千二百円! これって買いじゃない? って普通の文庫本だったら詐欺レベルだ、もう表紙の時点でセロテ貼ってあるし。こんなの古本屋でも捨てるレベルだろ? それを千二百円で売ろうってか? んでもってそれを買おうとしてる(いや、正確には買わされようとしてる)私はかなり頭がおかしいと思う。
【多分相当ボロっちいだろうね、因みにいくら?】
冬樹、こんなボロ本に千二百円だよ……私は正直に値段を教えるとものの一分しないうちに【買う!】と言うレスが。イヤイヤ、買うの私だからね、千二百円徴収するからね。
【分かった、お金は徴収するからね】
【了解、月末ね】
しょうがない、冬樹のおかしな熱意に根負けした私は“歴史旅行家アベノセイメイは見た!偉人の裏側あんな事こんな事日本史編”を手に取って店員さんに声を掛けた。
「すみません、このまま四階に上がってもいいですか?」
「構いませんよ、LPレコードのお会計も一階か二階であればまとめてのお支払いで大丈夫です」
どうも。私は例の物も含めた四冊の文庫本を持って四階に上がる。姉にも土産を買っていこう……私はさも慣れてます的な手つきでLPレコードを物色している。
姉の好みは大体理解しているし、冬樹みたくおかしな趣味してないから寧ろ私の趣味が格好良くすら映る(ような気がするだけ)。彼女は洋邦問わず半世紀ほど昔のミュージシャンがお好みの様だ。あとはクラシック音楽も時々聞いてるみたいで、この前は体育祭で流れてそうな曲を聞いていた。“近代クラシック”ってジャンルがあるらしいんだけど、名前までは忘れちゃった。
あっ、そうだ! 最近超有名ロックバンドのLPレコードの劣化がどうとか言ってたなぁ、えぇっと確かビ○○○ズと同年代に活動してたとか……って事はこの辺かな? 私はそのバンドのLPレコードを物色していると……ありました。今日は捜し物がすぐに見つかる(“アベノセイメイ”は正直どっちでも良かった)、ついでだから秋都にも何か……と思ったけどあいつは本を読まない。ついでに言うと漫画もいわゆる下ネタ系(巨乳爆乳系のお姉ちゃんがニャンニャンしてるやつ)のものしか読まない。せめて少年向けの物でも読んでてくれたら買っていこうと思えるけど……ちょっとフザケてドリルでも買ってやるか、これ以上馬鹿にならないように。確か学習向けの本は三階だったな。
買うものを決めた私は三階に降りて小学生向けの国語ドリルを一冊チョイス、秋都は書く文字も汚ければ読み書きも怪しいから、書き取りの練習もあるこれくらいがちょうど良いかも。
「さて、支払いしてきますか」
誰もいないのを良いことにぼそっと独り言が出てしまったけれど、それくらいに今日は充実したお買い物が出来た様な気がする。“アベノセイメイ”が無ければの話だけど……これレジに持ってくの恥ずかしいなぁ。
私は二階まで降りてレジに並ぶと、さっき声を掛けた男性店員さんがいらっしゃいませ、と言ってきた。多少の抵抗を感じつつも商品を置くと、彼は“アベノセイメイ”を見てちょっとびっくりしたような表情を見せた。そりゃそうよね、三十路手前のOLが買う本じゃないものね。
「お客様、こちらの商品は?」
「そこのワゴンセールで見つけました」
「えぇっ? あっあのっ、中をチェックさせて頂いても宜しいですかっ?」
え? 何? 店員さん随分と慌ててるなぁ。
「構いませんよ」
「でっでは、失礼しますっ」
ん? どうしたの? 店員さんまで霜田口調になってますよなんて思ってたら彼は丁寧に袋を開けてページをペラペラとし始めた。しっかし随分とボロっちい本で、殆どのページにセロテがベタベタ貼ってあって、所々ズレちゃって読むの大変そうだわ……冬樹が。
「こっ、これはマ……失礼致しましたっ。
店員さんは一通り本のチェックを終えると丁寧に袋に戻した。
「おっお待たせ致しました。お会計させて頂きます」
ん? 結果どうだったのかな? 普通ならここまでくたびれてての千二百円はぼり過ぎなんだぞお兄さん、そこんとこ分かってます?
「あの、この本何かありましたか?」
私はそれとなく控え目に訊ねてみる。すると店員さんはえぇまぁ、と私の方を見た。
「いえ、普通ではあり得ない程の状態だとお思いでしょうが……こちらの商品に限って申せることは、乱丁が無いだけでも“奇跡”と言えるんです」
「奇跡、ですか?」
「はい、それどころか“傷モノ”である事が一種のステイタスとなっている変わり種でもあるんです。変な話このような値段を付ける事はまずありません、これはお客様の運が良かったとしか言いようがありません」
そ、そぉなのぉ? 冬樹の奴なんちゅう本買わせてんだまったく。
「運が良かった、ですか」
「はい、この値段設定は完全にこちらのミスによるものです。こんな事お客様には一切関係の無い話なのですが、この事はご内密にして頂けないでしょうか?」
「分かりました、内緒にしておきます」
「あっありがとうございますっ!」
う~ん、何か変な事共有をしてしまった様な気もするけど、明らかにもっと高い値段設定のはず(このボロさでかよ?)の商品が捨て値同然で売られていくのがいたたまれなかった、ってことでいいのよね? これは冬樹にも話しておこう、この本ごときでこの店の存亡(大袈裟)に関わる事態になったらそれも困る。
私たちはこれ以上その事に触れず滞りなく会計を済ませるとまたしてもケータイがバッグの中で震えてる。それにしても今日はケータイが大忙しだな、と思ってチェックするとメールが一件。
【五階のカフェでお待ちしてます】
そっか。今日は
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