第十八話 今年最後の訓練終了

「今年の最後の飛行訓練が、無事に終了しましたね」

「一番機も、何とか御機嫌なままで終わってくれてやれやれだ」


 六機が今年最後の飛行訓練から戻ってきたのを、坂東ばんどう三佐を先頭に整備員全員で出迎えた。


 全員が無事に戻ってきたところで、それを待っていたかのように、空にドンヨリとした灰色の雲がたれこめてくる。朝の青空を見上げて雪なんて降らないじゃん!天気予報も当てにならないね!なんて思っていたけど、お天気のおねえさんごめんなさい、どうやら今日の雪の予報は当たりそうです。


「これで年明けまでは訓練無しか。絶対に腕がなまるよな」

「どこかでこっそり飛べないものかな。岐阜ぎふはどうだ?」

「シミュレーターは使えないか?」

「いや、あれでブルーの機動は無理だと思うぞ、だいたい六人全員で同時に使えないし飛べないし」

「たとえシミュレーターが六台あっても、実際に飛ばなきゃ意味がないんじゃ?」

「訓練始めはいつだって?」


 ドルフィンライダー達は、コックピットから降りてきたとたん、一年のお疲れ様よりもこの先のことを心配している様子だ。一日飛ばないだけでもアクロバットの精度が落ちる、というのがこの世界の常だから気持ちは分からないでもないけれど、いくらなんでも早すぎない?


「なんだ浜路はまじ、俺達のことを飛行機馬鹿と思ってるだろ」


 私の生温かい表情に気がついたのか、因幡いなば一尉がヘルメットで頭をグリグリしてきた。


「誰もそんなこと言ってないじゃないですか。たまには飛ぶことを忘れて家族サービスしないと、奥さんやお子さん達に嫌われちゃいますよって心配しているだけです。いくら自分のパパがブルーでかっこいいって自慢に思っていても、たまのお休みの日ぐらい、自分とちゃんと遊んでくれないパパなんて私はイヤですからね」


 そう言うと、あちらこちらで唸り声があがった。みんな、分かっているんだよね。飛ぶのを楽しみにしてくれている全国のファンや私達整備員とは別に、自分達を支えてくれている家族がいてこその、ブルーインパルスなんだってことは。


「だからお休みの間ぐらいは、自分がドルフィンライダーだってことを忘れて、家族サービスをしましょう♪」

「俺の言いたいことを先に浜路が言ってしまったな」


 一番機から降りてきた玉置たまき二佐が、笑いながらこっちにやってきた。白勢一尉達パイロットが整列をして、隊長が自分達の前に立つのを待つ。こういうところは、やっぱり自衛官なんだなと思う瞬間だ。


「楽にしてくれ」


 そう言われて全員が足を広げて立ち、少しだけ姿勢を崩した。


「一年間お疲れさんだった。この一年も大したトラブルもなく、展示飛行を終えることができてなによりだ。まあ機体トラブルがいくつかあったが、すべてのスケジュールを中止することなく終えられたことは、喜ぶべきことだな。年明けの訓練始めは八日。それまでは浜路が言ったとおり、しっかり休むと同時に家族サービスをしてくれ。休み明けには、全員が元気にここに集まることを期待している。以上だ、解散」


 全員が一斉に敬礼をする。そして二佐は、私達キーパーのほうに顔を向けた。


「整備班の諸君も、一年間ブルーの展示飛行を支えてくれて心より感謝する。このあと今年最後の点検が残っているがよろしく頼む。それと、一番機はこれよりK重工業での定期検査に入ることになった。六番機の定期検査はその後になる。隊としては岐阜に送る予定でいるが、今のところは予定は未定という状況だ。六番機担当の整備班は先送りになった分、念入りに点検を頼むぞ。おい、青井あおい、そんな憂鬱ゆううつそうな顔をするな」


 一番機の整備班に視線を向けた二佐が、笑いながら言った。


「とにかくお疲れさんだった。冬期休暇に入るのはもう少し先だが、ゆっくりと体を休めてくれ。坂東、あとは任せる」


 そう言うと、玉置二佐は敬礼をしてバックヤードへと歩いていった。


「では整備班、今年最後の点検だ。一年のしめくくりだからしっかりとやってくれ。ああ、それと」


 全員が作業に取り掛かろうとしたところで、三佐が人さし指を立てて注意を引く。


「今のうちに、年末年始にここに出てくる人間に言っておく。クリスマスリースや鏡餅をイルカの鼻先に飾るのはけっこうだが、リボンや裏白などの余計なものが、エンジンの通風孔に入り込まないようにだけ気をつけろよ。年明け早々に、全機でアクシデントなんていうのはごめんだからな」


 三佐の言葉に、あちらこちらで笑い声が上がった。



+++++



「浜路さんはいつから休みに入るんだ?」


 装備をロッカーに置きにいった白勢しらせ一尉がハンガーに戻ってきた。どうやら最後の磨き作業にも参加するつもりらしい。


「私は二十八日から休みで、その日から実家に戻ろうと思ってます。寮のおばちゃん達にも休みは必要ですからね、いつまでも誰か残っていたら、ご飯の用意やらなにやらで落ち着かないでしょ?」

「なるほど。じゃあクリスマスはまだこっちにいるんだな」

「そのつもりですけど……」


 それがなにか?とたずねようとしたところで、バックヤードに続くドアが騒々しくなった。


「あれ? 皆さん、なにしきたんですか?」


 現れたのはドルフィンライダーの皆々様だ。


「今年最後の訓練を終えたからね。全員が、自分の乗っている機体の磨き作業に参加することにしたらしいよ。民間企業でいうところの大掃除みたいなものか」

「あらまあ。なんだか急に騒々しくなっちゃいましたね」


 ただでさえハンガー内は機体が詰め込まれて大変なことになっているのに、そこへ整備小隊だけではなくパイロットまで加わったものだから、交通渋滞があちらこちらで起きる状態になってしまった。


「うちの隊長にも坂東三佐にも許可をもらっている。白勢にできて俺達にできないことはないだろ」


 因幡一尉が人の合間を縫いながら脚立きゃたつを運んでくると、尾翼の横にデンッと立てた。


「まあそうですけど、白勢一尉の磨きキャリアはもう一ヶ月を越えましたからね。ま、ドルフィンライダーさんのお手並み拝見ってとこですね」


 脚立きゃたつにのぼりながら因幡一尉が顔をしかめてこっちを見る。


「まったく相変わらず失礼なことだな、浜路君や」

「私、最初に白勢一尉が磨き作業をすると言った時にも、同じことを言ったんですよ。ねえ?」

「言われましたよ。最初はダメ出しばかりで大変でした。尾翼を因幡一尉がするなら俺はどこから始めたらいい?」

「じゃあ右翼からお願いします。私は風防をやりますから」

「了解した」


 あちらこちらで整備員による容赦ないダメ出しが出されながらも、今年最後の磨き作業が進められていく。まあ年に一度ぐらいは、こんなふうに全員でイルカ磨きをするのも悪くないかな。


「ああ、そうだ、さっきの続きなんだけど」

「えっと、クリスマスはこっちのいるかって話でしたっけ?」

「ああ。休みはそれなりの予定を入れているだろうとは思うけど、クリスマスは外に出てこないか?」

「一尉、それって……」


 因幡一尉のほうをうかがうと、一尉は首を横に振った。


「俺は関係ないからな。クリスマスにそんなことしたら、それこそ嫁に竹刀でめった打ちにされちまう。お前達二人におごるのは年明けになってからだ」

「そうなんですか。なんだかおごってもらう前に、因幡一尉には逃げられちゃうんじゃないかって気がしてきましたよ」

「おい、逃げるってなんだ逃げるって」

「だって」


 本人にはその気があるのかもしれないけど、まったくおごってもらえそうな気配がないのだ。気がついたら因幡一尉はとっくに那覇基地に戻りましたって話になっていても驚かない。


「とにかく俺は無関係。俺は明日から、チビ達を連れて嫁の実家に行く」

「じゃあこれって……?」


 前のことがあるので、念のためにと一尉に確認してみることにした。


「うん、これは間違いなく俺とのデートだね」

「やっぱり!」


 とたんに白勢さんが笑い出した。


「もう!! そこ、笑うところじゃないでしょ?!」

「だって浜路さんの反応ときたら……」

「お前達、仕事中にデートの約束なんてするなよな」


 因幡一尉がぼやき声をあげた。


「まあまあ、良いじゃないですか。駅近くのショッピングモールでクリスマスのイベントがあるんだけどね。それでなんで俺がそのイベントに誘ったかって言うと、今回もイルカを見に行かないかって話なんだよ」

「イルカをですか? でも水族館じゃないんですよね?」


 しかもクリスマスのイベントでイルカ? どういうことだろう?と首をかしげてしまう。


「そうか。寮では新聞のチラシは見ることがないのか。空自うちでいうところの、ブルーインパルスジュニアみたいなのが出るらしいよ」

「そうなんですか? もちろん公式なものではないんですよね?」

「民間の有志で編成したらしい。まだどんな出し物がされるかは謎のままなんだけどね。せっかくだから見に行かないかなって」

「行きます行きます、是非それ見たい!」

「だからお前達、ここでデートの打ち合わせをするなって。磨き作業が先だろ」


 因幡一尉が不機嫌そうな声をあげた。


「なんでそんなにぶーたれちゃってるんですか。あ、因幡一尉もイルカが見たいとか? 行ったら写真を撮りますから、白勢一尉から見せてもらってくださいよ」

「まったくお前達ときたら……」

「浜路さん、もしかして磨き作業の報酬に、飴玉あめだまの前払いがないから不機嫌なのかもしれない」

「ああ、そっか。まだ残ってますよ、一尉のお気に入りのイチゴミルク。はい、どうぞ」


 ポケットの中に仕舞い込んでいた飴玉を因幡一尉に差し出す。


「まったく、俺は子供じゃないっつーの」


 そう言いながらも一尉は飴玉を受け取ると、そのまま封を切って口の中に放り込んだ。

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