第十六話 白勢一尉の古巣 後編

 航空祭ではその基地に所属している飛行隊だけではなく、近隣の基地や米軍から、その基地が所有していない機体もやってくるので、その機体もあわせて見学することができる。だけどなんといっても、目玉は実際に飛んでいる姿を見ることだ。


 飛行展示が始まると、見学に来た人達はいっせいにカメラを上に向けて、基地の上空を旋回する機体を追いかけた。


「何度見ても凄いですよね。みんな、大きな望遠レンズばかりで、まるでプロの記者集団みたい」


 そろそろブルーの離陸の時間が迫っているので、私達は機体チェックをするために、機体と電源車が並んだ場所に集合していた。気の早い人達はすでに最前列に陣取り、ウォークダウンの写真や動画を撮ろうと待ちかまえている。


「これをライフワークにしている人もいるって話だからな。あの場にいる人達のカメラ、総額にしたらいくらぐらいなんだろうな」

「少なくとも、私と赤羽あかばね曹長の年収を合わせた金額は、軽く超えてますよねえ……」

「まったく凄いもんだ」


 赤羽曹長は笑いながら、理解できない世界だなと首を振った。


 一通りの飛行展示が終わると、それまであちらこちらに散らばっていた人達が、どんどん並んでいるT-4の前に集まってくる。


 何度も来ている人達が多い航空祭では、自然とその場での暗黙のルールというものができあがっていて、大勢集まってきてもそれほど大騒ぎになることはない。ただ、やっぱりこういう時にもいわゆる一見さんというのも少なからずいて、もめているのを見掛けることがあった。


 今もお子さんに最前列でブルーを見せたい親御さんと、先に来て最前列の真ん中を確保していた人達がもめているようだ。さりげなく見守っていると、お子さんだけなんとか場所を作ってもらえたらしく、親御さんのほうは頭を下げて後ろへと引き返していった。


「たくさんの人に認知されるのは嬉しいことですけど、人が増えると色々な問題が出てきますね……」


 騒ぎがおさまったことに安堵しながら、同じくその様子をサングラス越しに見守っていた曹長に声をかける。


「まあな。だがこのあたりはまだマナーは良いほうだ。小松こまつなんて大変らしいぞ」

「あっちにいる友人に聞いたことがあります。違法駐車やゴミの問題で、御近所から苦情が出ているんでしょ? 悩ましいところですよね」

「まったくな」


 受け入れる側も、可能な限り駐車用の空き地やゴミを捨てる場所の確保に務めるものの、年に一度の航空祭にやってくる人間の数は想像以上に多く、準備は大変らしい。だけど、基地の訓練に理解のある御近所から苦情が出るなんて、よっぽどのことだ。広報活動を優先させるか、いつもお世話になっている周辺住民の生活を優先させるか、航空祭の時期になると、いつも基地では頭を悩ませているんだとか。


 もちろんそれは、小松基地に限ったことはではなく松島まつしま基地でも同様だ。特にゴミ問題は深刻で、基地内に見学者が残していったゴミが滑走路に入り込んだら一大事。離陸する戦闘機やヘリが巻き込みでもしたら、それこそ大変なことになる。だから航空祭後の当日は、閉門してから暗くなるまで、基地の人員総がかりでゴミ探しに走り回っているのだ。


「全機異常なし。三番機も大丈夫だな?」


 ライダー達の点検も終わり、坂東ばんどう三佐がそれぞれの機体を見て回って、三番機の前に戻ってきた。


「はい。三番機も異常ありません」


 それぞれの準備が終わり、私達は三番機の前で並ぶと、後ろで手を組んで待機する。初めてこうやって立った時は、目の前にカメラをかまえた、たくさんのお客さん達がいるのを見て、足が震えたっけ。最近は随分と慣れてきたけど、それでも手に変な汗をかいてしまうので、できるだけ人だかりには目を向けないようにしている。こういう時だけは、整備に邪魔だと感じるサングラスの存在が非常にありがたい。


『御来場の皆さん、大変お待たせいたしました。本航空祭でのブルーインパルスの展示飛行の時間が、いよいよ迫ってまいりました』


 私達がスタンバイすると、さわやかな白勢一尉の声が会場に流れた。さあ、いよいよ今日も、イルカ達のショータイムの始まりだ。


『では初めに、本日の展示飛行に参加する、パイロットの紹介からさせていただきます。一番機、前席はドルフィンライダーを空でたばねる飛行隊長、玉置たまきいさみ二等空佐、石川いしかわ県出身。今日も隊長は絶好調とのことですよ。後席は……』


 ドルフィンライダー達が横一列に並び、一糸乱れぬ歩調で歩いてくる。因幡いなば一尉が三番機の前にやってきて、待機していた私達に向けて敬礼をした。いつもはふざけた調子で飴玉をねだる一尉も、この時だけは、かっこいいドルフィンライダーの一人だ。


 こんな風にショー形式で大仰な感じにはなっているものの、やっていること自体は普、段からしている離陸前の作業となんら変わらない。パイロットが乗り込んだ後のハーネスの確認や、コックピットの計器チェック、そしてパイロットと整備員とのエンジンチェックに機体の動作チェック。すべてが、普段からやっていることだった。


 そしてチェックがすべて終わり、たくさんの人達に見送られて、滑走路へと出ていくドルフィン達。その途中で、パイロットがお客さん達に向けて手を振るのも、お約束の一つ。ここからは彼等が主役だ。


 私達は、滑走路の所定の位置に向かうそれぞれの機体を見送ると、展示飛行を終えて戻ってくる彼等を出迎える準備を始める。降りてくるところもショーの一部とは言え、整備員としては、彼等が戻ってきてエンジンのを落とすまでは本当に気が抜けない。


 一般の人達が立入禁止になっている場所で次の準備をしていると、少し離れた場所に、数人のパイロットが立って、空を見上げているのに気がついた。私達を運んでくれたKC-767のクルー達だ。


「ごめんなさいね。ここしかゆっくり見られる場所がなくて。玉置さんには邪魔にならない程度ならって、許可をもらいはいるんだけれど、大丈夫かしら?」


 私が立ち止まって、自分達のことを見ているのに気がついた榎本えのもと三佐が、申し訳なさそうな顔をして微笑む。


「大丈夫です。飛行展示が終わって着陸するまではなんの問題もありませんので、遠慮なくご覧になっていてください」

「そう? なら良いんだけど。もし邪魔なら場所を移すから、声をかけてね」

「わかりました。あの、ブルーの飛行展示を見るのが初めてということは、ないんですよね?」


 あまりにも他のクルー達が、熱心にカメラ(しかも望遠レンズ付き!)を手に写真を撮っているので、不思議に思って作業の手を止めて質問をしてみた。


「実は、こんな風にゆっくり見るのは初めてなのよ。小牧こまきのオープンベースでは私達も飛行展示があるし、お客さん達の相手に忙しくてね」


 娘にママだけずるいって言われちゃうわと、離陸していくドルフィンを見上げながら三佐が笑った。


 一般の人達からすると、同じ航空自衛官なんだからブルーインパルスなんて飽きるほど見ているでしょ?って思われがちだ。でも実際のところ、ほとんどの隊員が、その目で見たことがないとうか見ている余裕がないというか、そんな感じなのだ。だから見物できる機会があると、皆こうやって、一般の人達と同じように写真を撮ったりしていた。


 かく言う私も、松島基地に来るまでは、飛んでいるところをゆっくり見る機会なんてなかった一人だ。輸送機のパイロットをしていた榎本三佐なら、あちらこちらの基地でブルーを見る機会はたくさんあったのでは?と思っていたから意外だった。


「写真は撮らないんですか?」

「私のカメラの腕はお粗末の一言に尽きるから、副機長の彼にお任せなの。これでも頑張ってはみたのよ? でも全然、上達しなくてね」


 三佐が溜め息まじりに言う。


「天は二物を与えずですよ、機長。お嬢さんへのお土産代わりの写真は、自分に任せておいてください」

「ジッとしていてくれたら、それなりに撮れるんだけど」

「空でジッとしていたら落ちます。カメラにおさめるのはあきらめてください」

「写真のことになると、機長の威厳なんて無いに等しいの。ひどいと思わない?」


 私にそう言って同意を求めた。


「なにを言ってるんですか。パイロットとしての評価だけで十分でしょう。二物目を求めるなんて贅沢ぜいたくですよ」

「って言うか、すでに機長は二物以上持ってるでしょ。これ以上は贅沢ぜいたくすぎです、カメラの撮影技術はあきらめてください」

「でも私だって、行く先々で写真を撮って娘達に見せたいのよ」

「ダメです。そんなことになったら、世の中不公平すぎて自分達がやってられません。いさぎよくあきらめてください」


 横に立っていたクルーの人達が、口々にあきらめろと言ってくる。お互いにこんな軽口を言い合えるってことは、それだけ信頼関係がしっかりと築かれているということだ。


「ところで、あなたはドルフィンキーパーよね?」

「はい。ああ、失礼しました! こちらで三番機の整備員をしている、浜路はまじ三等空曹です!」


 慌てて名乗ってから敬礼をした。


「もし良ければ、横でアクロバット飛行の説明をしてくれる? うちのクルーは写真を撮るのが忙しくて、私のことなんてほったらかしで、誰もちゃんとした説明をしてくれないのよ。坂東さん、ちょっとあなたの部下をお借りしても良いかしら?」


 三佐が後ろを振り返って、作業中の坂東三佐に声をかけた。


「かまいませんよ。浜路、失礼がないようにな」


 それって、失礼があったら、あっちこっちから鉄拳とコブラと小松の鬼が飛んでくるってことだよね。これは責任重大だ。


「お許しが出たみたい。じゃあ、お願いできる?」

「分かりました。では、今日の展示科目のメニューから簡単に説明しますね」


 アクロの説明だけではあったけど、思いがけず憧れの榎本三佐とお話できる機会を得た私は、空を泳ぎ回るイルカ達と同じように天にも昇る気持ちだった。私にとっては、少し早めにやってきたクリスマスプレゼントだったかも!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る