第十五話 白勢一尉の古巣 中編
前日の点検作業がすべて完了し、明日の打ち合わせをして本日の業務は終了。現時点では全機異常なし。天気予報によると、明日は風も穏やかな飛行
それとは別に、
「
私が部屋を出ようとしたところで、隊長が一尉にそう声をかけたのが聞こえてきた。
「お言葉はありがたいのですが……」
隊長の言葉に、一尉はなぜかこっちに笑いをふくんだ視線を向けてくる。
「飛びたいのはやまやまですが、普段以上に自分の
「そうか。わかった。だったらせいぜい、評判の声で観客を喜ばせてやれ」
「はい」
部屋を出る直前、パイロット全員の視線がこっちに向いたように見えたのは、気のせいだと思いたい。
「
明日の朝に行うチェックリストをもう一度、確認しながら廊下を歩いていると、後ろから白勢一尉が声をかけてきた。立ち止まって待っていると、一尉が追いついて一緒に廊下を歩き始める。
「もうブリーフィングは終わったんですか?」
「ああ、終わった。ところでそっちのこの後の予定は? 三番機のご機嫌うかがいに、ハンガーへ行く以外での予定はってことだけど」
「今日のご機嫌うかがいは終了ですよ。明日も早いですし、晩御飯を食べたらさっさと寝ます」
そう答えたものの、持ってきたマニュアルを読みふけってしまって、結局はいつもと同じ時間に寝そうな気はする。
「もし良ければ、外に出ないか?」
「外?」
「そう。夕飯は基地の外で食べないかってこと。もちろん俺のおごりで」
「
ハンガーから出ていった時の雰囲気からして、当然そんな話の流れになったんだとばかり思っていたのに。
「明日の飛行展示で飛ぶヤツがいるから、飲み会は次の機会までおあずけなんだ」
「なるほど。あ、いいこと思いつきました。一尉のおすすめのお店で、因幡一尉におごってもらうってのはどうでしょう?」
まだあの時のおごり発言は有効ですよね?と言うと、一尉は困ったように笑った。
「さっき因幡一尉に声をかけてみたんだが、残念ながら一尉は外に出る気分じゃないと言っていたな」
「え? まさか体調を崩しているとか?」
さっきまで元気にしていたと思ったのに、もしかして風邪気味だったんだろうか。だけど、そんな様子はここしばらく見られなかったばすだ。ってことは……。
「まさかとは思いますけど、仮病?」
「そうじゃなくて、俺と浜路さんにはさまれると肩身がせまいから、一緒に行くのはイヤだって、はっきり断られたんだよ」
なんとなく断られるとは思っていたけどねと、一尉が笑う。
「それって、自業自得だと思うんですけどね……」
「そのあたりのことは、
一尉が
「また大騒ぎする前に言っておくけど、これはデートじゃない。夕飯をおごるだけだ」
「別に大騒ぎなんてしたことないですよ。あ、そこで笑わない!」
またあの時のことを思い出したのか、一尉が笑いそうになっているのを小突く。
「まだ笑ってないだろ? それで? 行くの? 行かないの?」
「えっと……こんなかっこうですけど、良いんでしょうか」
しばらく考えて、自分の着ている服を見下ろしながらたずねた。今の私は普段から着ている作業着だ。外に出るなんて考えていなかったから、航空祭で着る青い作業着以外は、最低限しか持ってきていない。汚れてはいないけど、外に出るのに作業服のままでは、やっぱりまずいのではないかためらってしまう。
「基地の近所はどこも同じさ。基地周辺の店では制服の人間は珍しくない。俺がここにいたころに何度も通っていた店だから、その点は間違いないので安心してくれて良い」
「だったら……せっかくおごってくれるんだもの、行きます。ところで、このへんの御当地料理のおすすめって、やっぱり明太子?」
行くと決まったからには、気になるのはやっぱり御当地料理。
「それは九州名物とは言っても
「そっか。あ、そうだ、テレビで肉巻きおにぎりってのを見たことあります。あれは美味しそうだったな、肉!米!って感じで」
「浜路さん、言ってることが体育会系男子のそれと同じだぞ?」
一尉があきれたように笑った。
「この職場は体育会系ですよ」
「せっかく外に出るんだ、そんな晩飯はイヤだろ?」
「一尉が、美味しいお肉と美味しい白ご飯を御馳走してくれるなら、文句言いませんけど」
「浜路さんが良くても俺が納得いかないよ、それがたとえ最高級の宮崎牛でも。なにが出るかはお楽しみってやつで」
そして一尉がつれて行ってくれたのは、基地の近くにあるこじんまりとした小料理屋さんだった。
「昔は、今よりもっと大きな居酒屋さんだったらしいんだけどね。数年前に御主人が亡くなってから、今みたいな小料理屋さんになったらしい」
「へえ~。白勢さんは、前のお店の時を知ってるんですか?」
「当時の店はアグレッサーのたまり場でね。恐ろしくて近寄ることもできなかった」
一尉はそう言って笑った。
カウンターには、大皿に盛られたお惣菜が何品か並んでいる。そういえば実家の近くにも、こんなふうに
「いらっしゃい。おや、久し振りだねえ。ああ、そうか、明日は航空祭だったね。ブルーインパルス、今日からこっちに来ているんだっけ」
私が大皿に盛られたお惣菜を見ながら、なにを頼もうか
「ええ。久し振りに帰ってきたら、ここの味が恋しくなって、出てきました」
「嬉しいことをいってくれるじゃないの。いつもの席が空いてるからどうぞ。適当に見つくろって持っていくよ」
「お願いします。それと水炊き二人前でお願いします」
「あいよ」
お店の奥にある小さなお座敷席に落ち着くと、メニューをパラパラとめくった。どうやらこのお店の一押しは、地鶏を使った水炊きのようだ。
「この店の水炊きはコラーゲンがたっぷりで、女性隊員にも人気があるんだ」
「へえ……ところで白勢一尉ってこっちが地元でしたっけ?」
「どうして?」
「さっきお店の人に〝帰ってきた〟って言ったから」
奥さんに「久し振りに帰ってきた」と言っていたことを指摘する。
「残念ながらも、俺の実家は
「そうだったんですか。地元からかなり離れちゃってますけど、寂しくないんですか?」
今いる松島もだけど、埼玉と
「もう寂しがるような年でもないよ。まあ実家の両親からは、たまには顔を出せとは言われているけど、任務上なかなか休みをとって帰省できないのは、理解してくれている」
そこで一尉は首をかしげて私を見た。
「そういう浜路さんはどうなんだ? 実家は京都なんだろ? あのあたりには
「小さいころから父が転勤族でしたからね。あっちこっちに行くのは慣れちゃってます」
「じゃあ、いきなり三沢とは違う基地に行けと言われても、平気なんだ?」
「そうですねえ……F-2じゃなくてC-1の整備をしろと言われない限りは」
「なるほどね」
いくつかの小鉢がテーブルに置かれ、土鍋がテーブルの真ん中に置かれた。鶏肉に火が通るまで、雑談しながら小鉢に盛られたお料理をつつく。
「あ、そうだ」
ふと思いついたので、たずねてみることにした。
「ん?」
「気になったことがあるんですけど、質問しても良いですか?」
「どんなこと?」
「一尉の声で腰が砕けたって人にも、私の時と同じようにささやいたんですか?」
とたんに一尉が目の前で飲みかけのお茶を噴き出しかけて、慌てておしぼりを口元に当てる。
「浜路さん、なんてこと聞くんだい」
「だって気になったから」
「まったく藤島が余計なことを言うから……」
一尉は口に当てたおしぼりをたたむと、ブツブツともんくを言った。
「藤島一尉のことはどうでもいいんですよ。私が聞きたいのは、どんなふうに言ったのかってことなんだから」
「そんなことどうだって良いじゃないか」
「良くないですよ。だって私がなんでもなかったって言ったら、藤島一尉は信じられないって顔をしたんだもの。なにがどう違ったのか、気になります」
もしかしたら、私の耳が正常じゃない可能性だってあるわけですし?とつけ加える。
「浜路さんがなんともなかったのは当然さ。正式に三番機のパイロットになるまで、るいって呼んだら駄目なんだろ? だから俺は言われた通り、お行儀良くしているわけなんだから」
「言ってる意味が分かりませんよ」
「まだ分からなくても良いんだよ」
苦笑いしながら首を横に振る一尉。
「納得できません」
「とにかく、今はそれでかまわないんだよ。俺が正式な三番機パイロットに決まるまでは、通常のイケボで我慢してください」
「通常のイケボじゃないイケボって、一体なんなんですか」
「だからそれは、俺が正式に三番機のパイロットになってからのお楽しみ」
「えー……それとこれとがどう関連しているのか、さっぱり分かりませんよ」
「ほら、鶏肉に火が通ったみたいだ。固くなる前に鍋からあげて」
ご飯を食べている間に何とか聞き出そうと頑張ってみたけど、一尉はニコニコしながらはぐらかすばかりで、けっきょく基地に戻るまでなにも聞き出せなかった。
気になる……気になるじゃない!!
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