第十四話 白勢一尉の古巣 前編
「ここに、
翌日の展示飛行を前に、ブルー用にあてがわれたハンガー内で、それぞれの機体のチェックと磨き作業をしていたところで、声をかけられた。入ってきたのは、モスグリーンのパイロットスーツを着た集団。この基地所属の、飛行隊のパイロット達だ。
「はい、おられます。白勢一尉、お客様ですよ」
そう言いながら、後ろに立てた
「ん?」
「一尉にお客様です」
「お前、なにしてるんだ。それは整備員の仕事だろ?」
まさか白勢一尉がそんな場所、しかも私達と一緒に作業をしているとは思っていなかったようで、目の前にいたというのに、まったく視界に入っていなかったようだ。そこにいるのが一尉だと気がついて、全員が驚いた顔をしている。
「やあ、
一尉は相変わらずの笑顔で、その人達を脚立のてっぺんから見下ろした。
そう言えば、ブルーインパルスにやってくると、パイロットは皆いつの間にか
「久し振りじゃなくて、なにやってんだよ」
新田原基地は、一尉が
「ご覧の通り、ドルフィンの磨き作業だ。考えていた以上に重労働で驚きだよ」
「いや、だからなんで、パイロットのお前がそれをやっているかって話なんだが……もしかして
そう言って、先頭に立っていた人が私の顔を見た。
「もしかして邪魔をしたか、俺達」
一尉は、その人が言いたいことを察したみたいで、愉快そうに笑いだした。
「そんなことないさ。ただし、作業の邪魔をしたら、間違いなくそのへんに置いてあるモンキーレンチでぶちのめされるから、お前達も気をつけろよ。そこの三曹殿は、俺のことも、しょっちゅうぶちのめしたいと思っているらしいから」
「おー……」
パイロット達の視線が私に集中する。
「やめてくださいよ、私を暴力整備員みたいに言うのは」
「だけど思ってるだろ?」
「……まあたまに」
男四人で、
「ほら、やっぱりね」
笑いながら、一尉が
「こいつらが、
「305といえば、以前は
「半分ぐらいはね。残りは俺みたいに、もともと新田原にいたパイロットだよ。そして、一番前でふんぞり返っているのが、藤島一尉。俺の僚機として、一緒に飛んでいた男だ」
「俺は口やかましいから、早く相棒のお前に戻ってきてほしいというのが、こいつらの総意らしい」
後ろの人達が、そろってウンウンとうなづいた。
「戻れと言われてもブルーに来たばかりで、まだ展示飛行に参加したこともないんだけどな、俺」
「こいつを磨いていたってことは、これで飛ぶことが決まったんじゃないのか?」
「さて、どうかな。これに乗っての飛行訓練は始まったばかりで、そのへんは俺の訓練次第だと思うが」
一尉は首をかしげながら、言葉をにごす。一尉が三番機を飛ばすことは、ほぼ決定事項ではあったけれど、まだ正式に発表になったわけではないから、勝手に話すわけにはいかないのだ。
「俺達が、盛大な飲み会を開いて送り出してやったんだ。飛ばずに戻ってきたら、許さないからな」
「一尉、久し振りに同僚さん達と顔を合わせたんだったら、色々と積もる話もあるでしょ? こちらのお手伝いはいいですから、もうあがってください」
話が盛り上がってきそうな気配に、口をはさむ。
「これ幸いにと、さっそく俺のことを追い出しにかかったな、浜路さん」
「なに人聞きの悪いこと言ってるんですか。そんなんじゃなくて、久し振りに古巣に戻ってきた一尉に対しての、思いやりってやつです。白勢一尉のことをここから追い出すのは、とっくにあきらめました」
ここ最近の一尉は手があいていると、
ウォークダウンの練習をしている時なら、問答無用で追い出すこともできたんだけど、そうじゃない時はそうもいかず、どうしたものかと困っていたら、いつのまにか勝手に磨き作業に参加するようになっていたのだ。一尉いわく、この作業をするようになって、今まで以上に三番機に愛着がわくようになったとか。
一尉の三番機への愛着は良しとして、規則的にどうなの?と心配ではあったけど、隊長がその様子を見てもなにも言わないから、訓練飛行に支障が出ない限りは黙認ってことなんだろうと、勝手に判断している。そのお蔭か、最近じゃすっかり整備班に馴染んでしまって、整備班の面々は、ハンガーで一緒に磨き作業をしている一尉の姿を見てもまったく驚かなくなっていた。
「どう思う?」
一尉の問い掛けに、藤島一尉がふむと思案顔になった。
「えてして技術屋っていうのは、自分のテリトリーによそ者が入り込むことをイヤがるものだ。お前が尾翼を呑気に磨いていられることすら驚きなんだ、追い出しにかかったとしても驚かないし、おとなしくそれに従えとしか言いようがないな。俺だって、モンキーレンチでぶちのめされたくはないし」
「じゃあ、お言葉に甘えて、久し振りに旧交をあたためてくるかな」
そう言いながら、作業用のグローブをはずす。
「はい、いってらっしゃい。ただし、しゃべりすぎはよろしくないので要注意ですよ。それと、仕事が終わってから飲みに行く約束をするのはけっこうですが、飲みすぎにも要注意ですからね。イケボがイケボじゃなくなったら困るので、そこだけは注意してください。ああ。あとできるだけ、タバコを吸う人からは距離をとること。
私がそう申し渡すと、一尉はわかったよといつも通りにうなづいた。だけど、ここのパイロットさん達は、妙な顔をして私達の顔を交互に見詰めている。
「もしかして、こちらの三曹殿はお前のママか?」
藤島一尉の言葉に、一尉がプッと吹き出した。
「ママどころか、俺の飼育員殿だよ。展示飛行に参加するまでは、俺の担当はアナウンスだから、喉を大事にしろってことらしい。なんでも俺は、ブルーのイケボ枠なんだそうだ」
「イケボ枠……まあたしかにお前の声は昔から、耳元でささやかれると、腰が砕けるぐらい良い声だって言われてたもんな。こいつの美声をお試しになったことは? 三曹殿?」
なんでそこで私に話を振ってくるのか、よく分からない。だけど、耳元でささやかれたことはあるので、どんな感じになるかは分かっている。
「一尉の声は毎日のように聞いていますが、腰砕けになんてなったことなんて、一度もありませんよ」
髪の毛が逆立ちそうになることは二度ほどあったけど。
そんな私の言葉に、藤島一尉が目を見開いてなぜか一尉に目を向けた。
「おい、腕が落ちたか?」
「いやいやいや……そんな昔の話はいいじゃないか」
一尉はイヤそうな顔をして手を振る。
「昔ってそれほど昔じゃないだろ、まだほんの」
「じゃあ浜路三曹、尾翼の残りの部分をよろしく頼む。なにかあったら、最終のブリーフィングで知らせてくれ」
一尉は、まだなにかしゃべりたそうな藤島一尉の肩をつかむと、回れ右をさせた。
「了解しました。きっちりチェックしておくので、心配しないでください」
「ありがとう」
「こちらこそ、お手伝いありがとうございます」
一尉を含むイーグルドライバーの皆さんは、こっちのことを気にしながらも、ワイワイとなにやら話をしながらハンガーから出ていった。
「ふう、やっと静かになった」
まずは一尉が途中までやっていた磨き作業のチェックをしなきゃと、
「もしかして、ドルフィンキーパーとしてもやっていけたりして」
「浜路も一緒に行けばよかったのに。残っているのはそこだけだろ? 俺と三佐の手だけで十分だったぞ」
「三佐と曹長がまだ作業しているのに、私が抜けてどうするんですか。それに、白勢一尉のお友達ばかりのところに、私が混ぜてもらえるとは思えませんけど?」
「そうか? 一緒に行きたいと言えば、つれて行ってくれそうな雰囲気だったけどな。そうしたら、ドルフィンライダーになる前の白勢一尉の話が、色々と聞けたんじゃないか?」
「イーグルドライバーの時のってことですよね?」
「ああ」
それは少し興味があるかな。ブルーに来る前の一尉は、どんなパイロットだったんだろう。
「……」
そう言えば、さっき藤島一尉が言っていた、一尉の声に腰が砕けた人って誰なんだろう? その人にも私にやったみたいに、耳元でささやいたのかな? あの言い方からして、複数人いたような感じだったけれど……。
「……」
「どうした、難しい顔して」
「なんでもないですよ。綺麗に磨けているかどうか、チェックしていただけです」
なんとなく面白くない気分になったのは、きっと気のせいだと思う。
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