第十三話 憧れの存在

『貴方は翼を失くさない』のヒロイン、ちはるがゲスト出演です。

すっかりベテランパイロットに成長しております。



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 その後、馬鹿みたいな羞恥心にかられて飛行訓練の時もそれどころじゃなくなったのかと言えば、そうでもなかった。


 どうやらこれには、お互いの距離が関係しているらしい。飛行訓練の時は、少なくともコックピット内と外とでへだたりがある。それと、白勢しらせ一尉はヘルメットをかぶっていてバイザーをおろしていることが多いから、風防越しに面と向かっても、練習の時と違って直接目が合うこともない。つまり大事なのは、適度な距離感ってことなんだと思う。まあ実際、どこまでが適度な距離なのかは、試していないのでなんとも言えないんだけれど。


 それと、いつもの挨拶や普段の会話では爆発的な羞恥心に襲われることはないので、おそらく「離陸前チェックの練習」「近すぎる距離」が重なった状況がよろしくないようだった。


 ということで、一尉と私が練習をしなければ問題はない結論づけられた。そういうわけで、その後も一尉からの練習相手の申し出は断固としてお断りを継続中だ。


「なあ、浜路はまじさん」

「お、こ、と、わ、り、です!! かわりにのど飴あげますから、おとなしくあっちに行っててください!」

「……」


 とにかく一尉があの時のことをどう思っているかは別として、私てきには普段は正常にすごせていると思う……多分。



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 そして一週間後。


 新田原にゅうたばる基地に向けて私達を乗せて飛ぶ支援機が、午前の早い時間に松島まつしま基地に到着した。今回はC-130ではなくKC-767。普段は輸送機としてだけではなく、空中給油機としても活躍している機体だ。


「今回はC-130とは段違いの乗り心地ですね。おトイレもちゃんとした設備だし、これで道中は安心できます」

「そんなことをキャメルの機長に言ってみろ。機体の後ろから、なにもつけずに放り出されるぞ?」

「でも、トイレのことは本当じゃないですか曹長。イヤですよ、あんなカーテンに毛がはえたようなかこいしかないトイレで、するのもされるのも」


 C-130のトイレ事情がお粗末なのは、自衛隊の人間では知らない人間はいない。男性陣はそれほど気にしていないようだけど、女性からすると、かなり切実な状態だった。だから今回の移動で、まともなトイレが設置されているKCが来てくれたことは、冗談抜きで、本当に、マジで嬉しい。


「まあ、たしかに落ち着かないのはわかるが」

「だからそれだけじゃないんですよ。とにかく、あの機体は嫌いじゃないですけど、トイレ部分は除くってやつです」


 私の言い分に赤羽あかばね曹長が笑った。だから、笑いごとじゃないんですってば。


 KCがこちらのハンガー前に向かってくるのを眺めていると、テレビ局の取材クルーと思しき人達がカメラを抱えてやってきた。ブルーインパルスの取材にも何度か来ている、ローカル局の人達だ。


「今日はなにか取材の予定が入っていましたっけ? こっちには取材の話はありませんでしたよね? もしかして同行取材でしょうか?」

「いや。コビーの機長に取材を申し込んだらしい。空自でも珍しい女性機長だからな」

「え?! ってことは、あれを飛ばしてきたのは榎本えのもと三佐なんですか?!」

「なんだ、急に」


 曹長が怪訝けげんな顔をする。


「だって、あの榎本機長ですよ!! たしか、旦那さんは元教導群のパイロットでしたよね?」


 榎本ちはる三等空佐。小牧基地所属の第404飛行隊でKC-767の機長をつとめる、空自の女性隊員の間では知らない者はいないと言われるほど、有名な女性パイロット。私達、女性自衛官にとっては大先輩だ。


 なぜか「困った時の榎本三佐」と呼ばれ、海外訓練や国内訓練に引っ張りだこらしく、ブルーの支援隊に三佐が参加するなんてことは今まで一度もなかった。……ん? ってことは、もしかして松島でなにか困ったことでもあったんだろうか?


「お前のその喜びようは、どこに向けられているんだ? 榎本三佐にか? それとも、三佐の旦那が元アグレッサーだってことか?」

「もちろん、三佐自身のことに決まってるじゃないですか。私の同期が小牧こまき基地にいるんですが、榎本三佐が飛ばしているKCの整備班に配属されたって、飛び上がって喜んでましたよ」


 最近は女性パイロットも増えてきたし、数年後には女性の戦闘機パイロットも誕生することだろう。だけど、それに先駆けて第一線で活躍してきた榎本機長は、たとえ職種が違っても、空自で働く私達女性隊員にとっては憧れであり目標なのだ。


「いいなあ。私もあの取材クルーにまぎれこんじゃダメでしょうか。ぜひとも、三佐のお話が聞きたいです」

「俺達には、しなきゃならない出発の準備があるだろうが。いつ放映するか聞いてきたらどうだ? それに合わせて録画予約をしておけば問題ないだろ。直接聞くのはあきらめろ」

「分かりました。じゃあ急いで聞いてきます!」


 「本当に聞きに行くのか」とあきれた声をあげた曹長を残して、機材の準備を始めているテレビクルーのほうへと走った。


「おはようございます、世耕せこうさん!」


 顔見知りのカメラマンがいたので、さっそく声をかける。


「ああ、浜路さん。おはようございます。ブルーは新田原基地の航空祭に行くんでしたね。浜路さんは支援機で行かれるんですか?」

「はい、もちろん! ところで今日はなんの取材なんですか?」

「あのKC-767の機長、榎本三佐の取材なんですよ。あの機長さん、なかなかつかまえるのが難しくて。知り合いの伝手つてでこっちに来ると聞きましてね。なんとか取材の時間を取ってくれるそうなので、慌てて車をとばしてきたんです」


 もともとKC-767は保有数が四機と少ないうえに、給油機という性格上、頻繁ひんぱんに海外訓練や国内の訓練に参加していた。そのせいもあって、なかなか所属基地である小牧にじっとしていない機体なのだ。しかも、どのクルーがいつどこへ飛ぶかなんて話は、民間には知らされていないから尚のこと。


「世耕さんが来たってことは、いつもの特集コーナーですよね。放映はいつごろの予定なんですか?」

「三週間後をめどにしてます」

「へええ。同行取材はしないんですか?」

「さすがにそれは、許可が出ませんでしたよ。今回の取材も、KCが小牧を離陸した直後に、榎本三佐が飛ばしていると知って慌てて取りつけたぐらいですから」


 世耕さんは残念そうに笑った。


「三週間後ですね。楽しみにしてます」

「やはり気になりますか?」

「もちろんですよ。幹部に女性自衛官は少なからずいますけど、現役パイロットで機長を務めておられるのは、榎本三佐ぐらいしかいませんからね。私達、整備員にとっても憧れの存在です」


 ハンガー前のエプロンに誘導されたKCが、所定の位置で停止する。前に立って誘導していた隊員がオッケーの合図を送ると、コックピットの窓越しに手を挙げる三佐の姿が見えた。せっかくこんな近くにいるのに、取材をこの目で見られないのは本当に残念。


「じゃあ、僕達は準備があるのでこれで失礼しますね。限られた時間内で、素早くするようにと言われているので」


 ただでさえ、ブリーフィングや離陸前点検など、やることはてんこ盛りなのだ。昼前には離陸することになっているから、取材のせいで休む時間もほとんどなくなるんじゃないかと考えると、少しだけ三佐が気の毒に思えてきた。


「……一目だけでも見られないかな」


 曹長に呼ばれるまでは良いかなとその場でぐずぐずしていると、クルーが外に出てきた。最後に出てきた小柄な人物が榎本三佐だ。先に出てきたクルーになにか指示を出して、ニッコリと微笑むとクルー達から離れて取材班の方へと歩いてくる、と思ったらいきなり立ち止まってこっちに顔を向けた。そしてさらにニコニコ顔で手を振る。


「え、誰に……?」


 どう考えても、見ているのは私じゃなくて、さらにその後ろだ。振り返ってみると、なぜか顔をしかめた玉置たまき隊長と、ニタニタした顔をしている坂東ばんどう三佐が立っていた。


「……もしかして、三佐に手を振られているのは隊長ですか?」

「ああ、そうみたいだな。挨拶してくる」

「え?」


 なんでまた?


「三佐は俺の元上官の同期だ。失礼なことをしたら、鉄拳てっけんがあちらこちらから飛んでくる」

「うっわー……」


 しかもあちらこちらからとか。


「それだけじゃない。榎本三佐を困らせてみろ、真っ先に小松から鬼とコブラの群れが出てくるんだぞ。とにかく、全員を無事に新田原に運んでもらうためにも、きちんと挨拶をしてくる。坂東、お前も一緒に来い」

「どうして俺まで」

「乗せてもらうのは、お前がたばねる整備班だ。当然だろ」


 そう言うと、隊長は嫌がる三佐の腕をつかんで引きずるように歩いていく。そんな二人の様子を見た榎本三佐は、嬉しそうな笑みを浮かべると、世耕さんに一言二言ことわりをいれて隊長と三佐を迎えた。


「まさか隊長に、頭が上がらない人がいるなんて」


 楽しそうに話をしている榎本三佐と、珍しく緊張しているらしい玉置隊長。


 全体の人数からすると少ないとは言え、今では女性隊員の数もかなり増えており、珍しがられることも少なくなっていた。だけど、榎本三佐がパイロットになった時代は、そうではなかったはずだ。男社会の中で、後に続くであろう女性パイロットのために努力されてきた結果が、今の機長という地位なんだろう。


 あんな風に隊長が緊張しているのは、三佐の旦那さんがとか元上官の同期がとかいうだけでなく、純粋に隊長の三佐への敬意のあらわれなんだと思う。


「にしたって隊長、緊張しすぎ……」

「浜路、そこにいたい気持ちはわからんでもないが、そろそろ行くぞ」

「あ、はい、すみません!」


 呼ばれたので慌てて曹長のもとへと走った。最後にチラリと振り返ると、カメラの前で、三佐達が世耕さんのインタビューを受けていた。隊長が挨拶に行ったのは、世耕さん的にはまさに棚からぼた餅だったに違いない。これは絶対に録画して見なければ。そう思いながらもう一度振り返った。


「……」


 現在の第11飛行隊の整備小隊では私も紅一点状態だけど、榎本三佐もきっとそれ以上のプレッシャーと戦ってこられたんだろうなと思うと、その功績にあやかりたくてつい拝みたくなってしまう。だけどここでうっかり拝みでもしたら、隊長と坂東三佐に叱られるかもしれないので、心の中で手を合わせるだけにしておくことにした。


―― 私も榎本三佐のように、第一線で活躍する機付長になれますように! ――

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