第十二話 見せる任務も楽じゃない
T-4のエンジンに
両方のエンジンの出力が安定したところで外部電源のケーブルが抜かれ、私は事前に決められている機体の動作チェックをするように指示を出した。一尉がそれに従って機体のそれぞれの部分を動かし、私達キーパー三人が目で見て確認をする。
当然のことながら、今日も三番機には異常なし、離陸OKだ。
異常なしの合図を一尉に送り、機体の前から脇に移動して三番機の誘導をしていると、こっちを見ているコックピットの二人の目元がニヤニヤしているのが見えた。きっと、私が
『タイヘンヨクデキマシタ』
当然だ。問題なのは大勢の人の前で
そして三番機を見送った私の前を、一番機が通りすぎていく。一番機に乗っていた隊長がこっちを見て、二人とまったく同じサインを送ってきたので、思わず「はっ?!」と声をあげてしまった。隊長が、離陸準備をするすべての機体の進行状況に、きちんと目を配っているのは知っていたけど、まさかキーパーの私のことまで見ていたとは……まったくもって油断した。
そして六機が滑走路に出ていくのを見届けると、ホッと息をはいて肩の力を抜く。やり慣れないことをしたせいか、体がガチガチだ。
そもそも整備員が、点検の実技以外でなにか訓練をするということは、メッタにないことだ。それが、人に見せるためのものとなれば尚のこと。だいたい整備員はあくまでも裏方であって、表に出てくることなんて、ほとんどないのだから。
「隊長にまで見られていたなんて、変な汗が出ちゃいましたよ」
そうぼやくと、
「
「見ているお客さんの絶対数が違いすぎますって」
護衛艦のことは聞いたことがある。たいてい上官命令で若い隊員がその場に立つことになるらしいんだけど、ニコニコと笑顔を浮かべながらも、目がうつろになっているんだとか。いくら広報活動とは言え、普段は人前に出ることなく任務についている人間が大変なことだと、心の底から同情する。
……そう考えると、この第11飛行隊に転属になったからには、それも任務として受け入れろってことなんだろう。でも緊張するし人前になんて立ちたくない ―― 実際、お客さんには背中を向けているんだけど ―― というのが正直な気持ちだった。
「とにかくだ、普段やっている手順と、やることはまったく変わらない。あとはいかにかっこよく見せるかってことだな。立つ時もいつもより五割増しで背筋をのばす。一つ一つの動きにメリハリをつける。これを心がければ問題ない」
「いつもの五割増しで背筋をのばしたら、ふんぞり返った偉そうなオッサンみたいになちゃいますよ」
言うのは簡単だけど、やってみるとこれがなかなか難しい。
「気持ちの問題だ気持ちの。別に実際にふんぞり返れと言ってるわけじゃないだろ。昨日の夕方に撮った映像は確認してみたか?」
「はい、見ました。ネットで公開されているのとは全然違いました」
自分で自分の動きはチェックできないから、口で言ってもなかなか理解できないだろうと、昨日の夕方に、カメラの前で背中を向けたまま、本番と同じ一連の動きを通しでやらされたのだ。自分ではきちんと背筋をのばして立ち、メリハリをつけて動いているつもりだったけど、後で録画した映像を見返してみたら、曹長の動きとは明らかに違っていた。
「だろ? だから五割増しの気分が必要だってことだ。ああいうのは、馬鹿馬鹿しいぐらい
「やっぱり私には無理な気がしてきましたよ。赤羽曹長のほうが、絶対に見栄えもするし向いてますって」
「
「これは上官命令だぞ浜路。赤羽、浜路のケツを蹴り飛ばしてでもやらせろ。それをセクハラだとは言わせないからな」
「だそうだ。上官命令は絶対だぞ? それにあまり情けないことばかり言っていると、俺じゃなくて三佐が直々にケツを蹴り上げにくるからな?」
「ずるいですよ。皆は芸をしたら
頭上を、イルカ達が白いスモークの尾を引きながら横切っていくのを見上げる。
+++++
その日の夕方。
赤羽曹長が腕を水平に上げろと言われ、どうやっても下がり気味なる私の腕を上げさせたところで、白勢一尉がハンガーにやってきた。一尉は腕を組むと、ドアの横で壁にもたれかかってこっちを見物し始めた。
気が散るので、視界に入れないようにと
頑張って見ないふりをしていたけど、十分もしないうちに限界になった。練習を中断すると、その場で
「あーもう! 白勢一尉、なんでそこにいるんですか!! なにか御用ですか? もしかしてまた三番機を磨きたいとか?!」
「用がなければいちゃいけないのか?」
「いけなくはないですけど、どうして用事も無いのに、そこにいるのかってことです!」
一尉は体を起こすと、ノンビリした足取りでこっちにやってきた。そして、私の前に立つと、首をかしげながらこっちを見下ろす。
「浜路三曹が、展示デビューに向けて頑張っていると聞いたからさ。どんなことをしているんだろうって、気になって来てみたんだ。いけなかったかな?」
「いけないとは言いませんけど、見られてたら緊張します。邪魔です」
「三曹はこう言っていますが、いけませんでしたか、赤羽曹長?」
「自分はかまいませんが」
「私がかまいます!」
どうしてそこで、私を飛び越えて赤羽曹長に確認したりするのかな?!
「俺一人ぐらいいても問題ないだろ? 実際に航空祭でウォークダウンを見せる時には、百人以上の人間が集まるんだから」
「それでも緊張するんです。あっち行っててください!」
「見物されているのがイヤなら、その練習に俺もつき合おうか? そうすれば見物している人間はいなくなる」
人の話を聞いていない……っていうか、聞いているのに
「それはいい考えだ。お互いの息が合えば、それだけかっこよく見えるしな」
「曹長、そこで受け入れないでください……」
「だが、整備員の俺がパイロット役をするより、パイロットの白勢一尉が相手のほうが、よりリアルだろうが」
「今でも十分にリアルですって……」
かくして、私と一尉は向かい合って立つことになった。
「近すぎです、一尉」
「文句を言わない。じゃあ右エンジン、スタートから」
昼間のエンジンチェックの時と同様に、一尉が指を立てた。なんとかそれに合わせて私も指を立ててエンジン始動を確認する。
「スタートを確認。エンジンの出力上昇……10%」
「……あのー、一尉、距離が近くて非常にやりにくいんですが」
「無駄口はたたかない、ほら、右エンジンの回転数は10。チェックは?」
一尉が人差し指を立てる。同じようにそれを返さなきゃいけないのは分かっているのに、なぜか手が動かない。
「……」
「浜路三曹?」
どう考えても無理だよ、無理!! こんなふうに向かい合って、立ったままであれこれするなんて絶対に無理!! はずかしすぎる!!
「あああああああっ、もう、はずかしすぎます、白勢さん!! 近すぎるし、そんな風にしゃべるのはいつもはしないことじゃないですか!!」
「だけど言わないとタイミングがつかめないだろ? まさかここで、三番機のエンジンを動かすわけにはいかないんだから、実際にコンソールを見ている俺が言わないと、先に進まないじゃないか」
「しゃべるの無しです無し!! っていうか私の練習なんだから、白勢さんは関係ないじゃないですか、これは見世物じゃないんです、あっち行ってくださいってば! 関係者以外は退場です、退場ーー!!」
そう叫ぶと、一尉を無理やり方向転換させて、そのままバックヤードへと続くドアへと押していく。
「おいおい、のど飴のお礼も兼ねて練習を手伝おうと思っていたのに、ひどいな」
「のど飴のお礼なんてどうでもいいです、退場しなさい!!」
ドアを開けて無理やり押し出すと、バタンと乱暴にドアを閉めた。
「ハナヂさん、あんまりじゃないかー? 俺だってじゅうぶんに関係者だろ?」
ドアの向こうから一尉の声がする。その口調は明らかに面白がっている!
「あっちに行ってなさい!! それと私はハナヂじゃないです!!」
そう怒鳴るとドアを両手でバンッとたたいた。今からこんな調子で本番は大丈夫なんだろうか?と、本気で心配になってきた。
「……赤羽曹長、なにやってるんですか?」
振り返ると、なぜか曹長がその場でしゃがみ込んで、ヒーヒーいいながら体を震わせている。もしかしてあれは笑っているってやつだろうか?
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