第七話 イルカ達からのプレゼント

 第11飛行隊の飛行訓練は、基地上空か、基地から離れた場所にある専用の訓練空域でおこなわれる。昼一の飛行訓練は、基地上空で航空祭参加を想定してのアクロ訓練ということだった。実際におこなわれるプログラムの順番通りに飛ぶもので、時間にしてだいたい三十分程度の訓練になる。


 先に離陸した四機がデルタ隊形で旋回する中、五番機と六番機が離陸していくのを見送ると、整備員全員で滑走路脇に立って空を見上げた。それぞれが見守るのは自分達が整備している機体だ。


 私達が見守る中、合流した六機のT-4達がウォーミングアップがわりにとばかり、様々な隊形に変化させつつ上空を通過していく。素早く隊形を変化させていく様子は、何度見ても圧巻だ。


 そして何度かT-4が頭上を通りすぎたところで、いつもと違う様子に気がついた。


赤羽あかばね曹長、スモークの準備も間違いなくしましたよね?」

「ああ」


 いつもなら白いラインを青空に描きながら飛んでいるはずなのに、今日はまったくその気配がない。どういうことだろうと、内心首をかしげながら訓練飛行を見守る。一機だけなら不具合の可能性もあるけれど、通信を聞いている限り、そんな会話もかわされていない。ということは、全機がそろって意図的に出していないということだ。どういうことだろう? 飛行訓練をする時は、スモークも本番と同じように出しているのに。


 不思議に思っている私達をよそに、空のイルカ達は、次々とフォーメーションを変えながら泳ぎ回った。機体の上部は白を基調とした塗装が施されているけれど、お腹の部分は青色が基調とになっている。こうやって下から見上げていると、まるで本物のイルカみたいだ。


「今日から、久し振りにクリスマスツリー・ローパスを訓練に組み込むそうだ」


 隣に立った坂東ばんどう三佐が、空を見上げながらそう教えてくれた。三佐は、隊長の玉置たまき二佐とは高校時代の同級生だ。そのせいもあって、職種と階級を越えて様々な相談や意見交換をしているらしく、今回の訓練のことも個人的になにか聞いているようだった。


「そうなんですか?」

「もうそんな季節ですか。一年が経つのは早いものですね」


 曹長がうなづく。


「まったくだ」


 空を見上げていると、六機がツリー状に編隊を組んだまま上空に侵入してくる。胴体の下のタクシー灯が点灯し、隊長機以外の五機が白いスモークを出した。ここから見ると本当のクリスマスツリーみたいだ……だけど……。


「いつもよりスモークが出すぎな気がしませんか? 故障じゃありませんよね?」


 いつにも増して、機体の後方でモコモコと膨らんでいくスモークを見ながら、心配になって三佐の顔を見上げた。だけど三佐は、心配するどころかニヤニヤと笑いながらそれを見ている。


「今年初のクリスマスツリーだから、御近所さんに向けての大サービスってやつだろ。このために、さっきまでスモークを使わずにいたんだろうからな。玉置あいついきなことしやがる。昔はもっと頭がカチカチのヤツだったんだが」

「サービスですか」

「イーグルほどではないにしろ、毎日のように大きな音をさせながら頭の上を飛んでいるんだ。御近所さんに気を遣うのは当然だろ?」

「なるほど」


 ブルーインパルスは先の震災があった日、遠方の基地での航空祭でここを離れていた。そのお蔭で機体が無事だったけれど、松島基地も被災し、長い間ここに戻ってくることができなかった。滑走路や設備の修繕が終わってブルー達が戻ってきた時、たくさんの地元の人達が帰還を喜んで出迎えてくれたということだ。つまり、それほど地元に愛されているってこと。


 だから今日のクリスマスツリー・ローパスは、そんな人達への、ささやかだけど日本で一番早い、クリスマスプレゼントなのかもしれない。


「たくさんの人が見てくれていると良いですね、今年初のクリスマスツリー」

「そのへんは抜かりはないと思うぞ? マニアや地元住人の間では、今年のクリスマスツリー始めはいつなんだと、噂されていたらしいからな」

「もしかして、私達以上に私達のことを把握しているのかも」

「だな」


 ってことは、今夜あたりSNSでは今年初のクリスマスツリーがきたー!!なんていう、地元の人達が発信した写真がいっぱい流れるかもしれない。


 そしてあっという間の三十分が終わり、六機が次々と降りてきた。


 今日の三番機の訓練はこれで終わり。専用のハンガーに運び込み、今日の飛行訓練で機体に不備が出ていないかの点検をしなくてはならない。それから、交換時期が来ている部品の交換もいくつかあったはず。これは空自独自で定められた規則で、決まった飛行時間をすぎた部品に関しては、異常が見られなくても交換するというものだった。


 三番機をハンガーに収納すると、それぞれのチェックを開始する。チェックリストを確認してみると、三佐のほうで二つ、曹長のほうで三つ、そして私のほうでも一つの部品交換が必要なことが判明した。他の部分は今のところ異常無し……もちろん隠れている虫も今回はなし!


 すべての部品の交換を終えると、それぞれの場所を残りの二人がチェックして問題がないか確認する。本来はここまでする必要はないんだけれど、念には念を入れてが我が班のモットーだった。



+++



 通常は一日に、だいたい四回の訓練飛行がおこなわれる。六機すベてが上がったサードフライトの後の訓練は、一番、五番、六番機が基地から離れた場所にある専用訓練空域に向かう予定だった。だけど、その場所に天候確認のために出た偵察のT-4から、濃霧のため視界不良という報告が入ったため、四回目の飛行訓練は中止となってしまった。


白勢しらせ一尉にとっては幸いだったかもな」

「どういうことですか?」


 一日の汚れを落として明日に備えるためにと、念入りに機体を磨いているところで、赤羽曹長が笑いながらそんなことを言った。


「あれ、聞いてなかったのか? デュアルソロを体験させてやるから一緒に来いって、誘われていたらしいぞ。さすがに一尉も、朝からずっと飛びっぱなしは辛いだろ」

「どうでしょう。さっき見かけた時は元気そうでしたけど?」

「まじか」


 あの人達は、飛ぶために生まれてきたような人達だ。寝る以外の時間すべてを空ですごしていても、イヤな顔一つしないはず。いや、むしろ喜ぶんじゃないだろうかとさえ思う。


 そんなことを考えていると、バックヤードとハンガーをつなぐドア付近が騒がしくなった。振り返ると、白勢一尉が因幡いなば一尉に背中を押されて入ってくるところだった。


「ですから、どうして俺までが」

「俺一人だと、浜路は話を聞いてくれないからな」


 因幡一尉が、白勢一尉を無理やり前に押し出している。


「そんなことないでしょ。それは因幡さんが真面目に話をしないからです」

「そんなことある。俺が真面目に話しても、取りつく島がないんだからな。少しは三番機の先輩のために、骨を折るとかしろよ」

「俺が彼女の使い走りに無理やり任命されただけでも、十分に骨を折っていると思うんですが」

「それだけじゃ十分じゃないってこった。ほら、いたぞ」

「俺は弾よけじゃありませんよ」

「死ぬ気で俺の盾になれ」

「そんなセッショウな」


 脚立の上から私に見られていることに気づいた白勢一尉は、困惑した笑みを浮かべた。


「やあ。遅くまでご苦労様」

「二人して一体なにしにきたんですか?」

「因幡さんから浜路さんに、話があるそうなんだ」

「ありそうには見えませんけど……」


 そう言いながら、白勢一尉の後ろをのぞき込む。


「だよね。はい、因幡さん、どうぞ!」


 白勢一尉は後ろに振り返ると、素早く因幡一尉の肩をつかんで私のほうへと押し出した。


「おい、乱暴だな」

「どうぞ」


 一尉にうながされて渋々といった感じで、私のことを見上げる因幡一尉。


「……わかったよ。なあ、浜路君や」

「なんですか?」

「明日は休みだよな?」

「はい。因幡一尉が休みだから、私も休みです。それがなにか?」

「れいの虫のおわびに昼飯でもおごってやるから、明日は寮から出てこないか?」


 意外な申し出に私も、そして白勢一尉も目を丸くした。


「あの、奥さんにしかられませんか? 私はイヤですよ、奥さんに不倫しているって誤解されて、怒鳴り込んでこられるのは。因幡一尉の奥さん、たしか剣道の有段者さんですよね? 竹刀しないでめった打ちなんて恐ろしすぎます」


 因幡一尉の奥様は元警察官で、剣道の全国大会優勝経験者だ。もちろん有段者で元警察官の奥さんが、私のことをいきなり竹刀しないでめった打ちにすることはないとは思う。だけど、物事にはたいてい例外っていうものが存在するわけで、それが自分の旦那さんの不倫疑惑となればなおさらのこと。恐ろしすぎる。断る以外の選択肢が見つからない。


「じゃあこうしよう。俺は嫁を連れてくる。お前さんはこいつを連れてくる。これで男女二人ずつで問題ない」

「どう問題がないのかさっぱりですよ……」


 いきなり自分まで頭数に加えられてしまった白勢一尉は、目を白黒させている。


「いいじゃないか。とにかくだ。きっちりわびを入れて、それを受け入れてもらわないと、俺としても安心して那覇なはに戻れない。おい、白勢、なんとか言ってやれ」

「言ってやれと言われても。俺の飯代も因幡さん持ちなんでしょうね?」

「ああ。ちゃんと二人ともおごるから」

「ということだよ、浜路さん。どうする? これでも因幡さんなりに、かなり譲歩していると思うんだ。そろそろ機嫌をなおしてあげても良いんじゃないかな?」


 よほどプリンのことがこたえたらしいよと笑う。


「お昼はなににするつもりなんですか?」

「なんでも。浜路の好きなもので」


 どうしようかな、としばらく考えた。


「駅の近くに、美味しい中華のお店がオープンしたんですけど、そこでも良いですか?」

「おうおう、中華でもインドでもフランスでもどんとこい」


 なんとも太っ腹な返事だけれど、冬のボーナスはまだ先だ。本当に大丈夫なんだろうか?

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