第六話 六機のイルカ達が飛び立ちます

 午後の訓練飛行の時間がせまり、六機のT-4が滑走路脇に横一列に並んだ。後ろに立って両側を眺めてみると、青い尾翼がまるではかったかのように等間隔でならんでいる。


「なにをしてる? 気になることでもあるのか?」


 私が左右をキョロキョロと見ていると、坂東ばんどう三佐がやって来た。


「尾翼がきれいに並んでいるなと思って。自分が関係者ではなく単なるカメラ小僧なら、間違いなく、このアングルで写真を撮るだろうなって思いながら、見てました」


 そう言いながら指でフレームの囲いを作って、そこから尾翼が並んでいる風景をのぞく。坂東三佐が体をかがめてその指の中をのぞくと、なるほどとうなづいた。


「パイロットが飛行訓練をするのと同じで、ここでの離陸準備も訓練のうちだからな。どうすれば見ている相手にスマートに見せられるかというのは、やろうとしてすぐにできるものじゃない。誰もが思い浮かべるブルーインパルスの展示すべてが、日々の訓練の賜物たまものだ」


 最初にここに着任した時に、機体整備ならともかく、訓練飛行前の駐機でもセンチ単位で停止させる場所をこだわるのかと、驚いたことを思い出した。


 航空祭ではアクロだけではなく、駐機してある機体にパイロットが乗り込むところから、離陸までの一連の作業もショーの一環としてお客さんに見せている。だから整備員である私達も、お客さん達がいる前での最終チェックでは、パイロットと同じように普段とは違ったキビキビとした動きを求められた。


「どうだ。そろそろ、離陸前のエンジンチェックを、人前でやってみる気になってきたんじゃないのか?」

「いいえ。私は横で、ラダーやフラップのチェックをするほうが性に合っています。人前であれをするなんて、とてもとても」


 大きな声では言えないけれど、私はブルーインパルスの機体整備ができることに喜びを感じているだけで、人前に立つことに喜びを感じているわけじゃない。ホームページに載せる写真を撮るのも憂鬱ゆううつだというのに、人前でパイロットと向き合って離陸前チェックをするなんてとんでもない。


「そんなことでは、ドルフィンキーパーの名が泣くぞ」

「だから、ちゃんと心をこめて整備をしているじゃないですか」


 そう言って反論したけれど、坂東三佐はこっちの声を聴いていないみたいだ。あごに手をやりつつ、なにか良からぬことを考えてる様子だ。


「どうせなら、因幡いなば白勢しらせが入れ替わるタイミングで、浜路はまじ赤羽あかばねと交代させてみるか。よし、それに決めた。お前のデビューは、白勢の展示デビューと同日。それまでに、きちんと赤羽に指導してもらっておけよ?」

「え? 決定事項なんですか?」

「そうだ。どこの航空祭がデビューになるかは、わからんがな」

「ずっとリモート展示が続けばよいのに」


 リモート展示とは、松島まつしま基地や中継地となっている基地から会場に向けて飛び、会場上空で展示飛行をしてから、その場に着陸することなくとんぼ返りをする展示方法だ。この場合、整備をする私達は飛び立った基地で待機なので、会場には出向かない。つまり、お客さん達の前でウォークダウンを見せることはないのだ。


「なにか言ったか?」

「私じゃなくても問題ないじゃないですかってことです。赤羽曹長は背も高いし、ハンサムだから人気もあるって聞いてますけど?」

「ドルフィンキーパー紅一点こういってんが、機体の前に立つのも悪くないって話だぞ?」

「誰がそんなこと話しているんですか」

「総括班長様である俺が」


 「総括班長」を出されてしまうとぐうの音も出ない。


「これも上官命令ってやつだな。いきなり言われないだけでも感謝しろよ? とにかく心づもりだけはしておけ。これもドルフィンキーパーとしての任務だ」


 坂東三佐はそう言うと「さてと」とつぶやいた。のんびりした顔つきが真面目なものになる。どうやら仕事スイッチが入ったらしい。


「ではお前達、飛行前の点検を始めるぞ! 気合をいれてかかれ!」


 坂東三佐が号令をかけると、あちらこちらから「うぇーい」という妙におっさんじみた返事が返ってきた。見物している人達がいる時とは全然違う。これが普段の私達の姿だ。もちろん私は女だから「うぇーい」なんておっさんみたいな返事はしない。「了解でーす」と小さな声でつぶやきながら、三番機のほうへと向かった。


 ちなみに、一機に専属でつく整備員は三人。三番機の場合は機付長である坂東三佐と赤羽曹長、そして私。もちろん厳密にいえば、たずさわっている人間はそれだけではないけれど、主だった整備は大抵この三人でおこなっている。


「……」


 そして坂東三佐がコックピットの計器類、赤羽曹長がエンジン部分の点検にかかったところで、私は両翼の確認を始めた。そう、午前中に珍客が飛び出してきた右翼のフラップ部分も含めて。


「おい、浜路。腰が引けてるぞ」

「言われなくてもわかってますよ」


 フラップの可動範囲が正常か、上下に動かしていた私の様子を見ていた曹長が、笑いながら声をかけてきた。言われるまでもなく、また虫が飛び出してきたらどうしようと、内心ビクビクものなのだ。飛び出してきたら今度は素手で触ってしまわないようにと、チェックリストを手に恐る恐る翼とフラップの隙間をのぞきこむ。……よし、今のところ虫もなし。


「もし飛び出してきても、軽く手で払うだけにしておいてやれよ? 虫だって生き物なんだからな」


 三佐が笑いながら言った。


「わかってますよ。こっちに飛んでこない限りは、知らんふりをしてあげます」

「その手に持っているバインダーで、叩く気満々なくせに」


 曹長が、お前のやることなんてお見通しだぞ、と言わんばかりに口をはさんでくる。


「だから、私にめがけて飛んできたら容赦はしないってことです」


 右翼には異常は見られなかったので、左翼の点検に入ろうと機体の下をくぐる。そこでブーンとイヤな羽音がした。


「……?!」

「大丈夫だ、いま通りすぎていった」


 機体の下で固まった私に、曹長が教えてくれる。


「ご報告ありがとうございます」

「どういたしまして」


 チェックリストすべての確認が終わりつつあるところで、玉置たまき隊長を先頭に、ヘルメットと耐Gスーツを手にしたドルフィンライダー達が出てきた。訓練の時に着るのは、いつもの青い専用のものではなく通、常のモスグリーンのフライトスーツだ。個人的には私はこっちのほうが気に入っている、とは口が裂けても言えない。


 白勢一尉は隊長となにか言葉をかわしながら一番機のほうへと向かい、こっちには因幡一尉が一人でやって来た。


「なんだよ、白勢がこっちに来ないのがさびしいのか?」


 私が一番機のほうを見ているのに気がついた一尉が、すねたような口ぶりでそう言った。


「そうじゃないですよ。玉置隊長と白勢一尉がどんなことを話すのかなって、少し興味があるだけです」

「ふーん。そう言うことにしておいてやる」

「しておくじゃなくて、そうなんです」


 ぴしゃりと言い放つと、一尉が溜め息をついた。


「まったく取りつく島もないよな。どう思う、赤羽?」

「そりゃあ、一尉の自業自得ってやつでしょ。あんなふうに顔に虫をつきつけられたら、根に持たれて当然です」

「俺の味方をしてくれる人は誰もいないのか、やれやれ……」


 コックピットにヘルメットと耐Gスーツを置くと、機体の点検を始める。飛行前にパイロットも必ず機体チェックをするのが、飛行機乗りの決まりごとだ。


「まさか、仕返しと称して、コックピットにカナブンを仕込んでるなんてことは、ないよな?」

「コックピット周りは坂東三佐が見てるんですよ? うちの機付長の目を盗んでカナブンを仕込むなんて、器用なまねはできませんよ」


 訓練飛行の時も、基本的にはお客さん達の前でおこなわれるウォークダウンと同じ手順で行う。六人のドルフィンライダー達がいつもの場所に横一列にならび、私達整備員もそれぞれの機体の前で並んで待機する。


 もちろん本番ではないから、それなりにゆるい空気だ。だけど、この毎日の積み重ねがあの「ブルーインパルスのウォークダウン」を作り上げているのだから、実際よりゆるいと言え、私達も気が抜けない。


 因幡一尉が私達の前にやって来て敬礼をした。敬礼を返すと私と坂東三佐は機体の横へと下がり、赤羽曹長がエンジンチェックのために機体の前に出る。耐Gスーツを身につけた一尉が機体の前に立った。


 隊長の合図で因幡一尉がT-4に乗り込むと、三佐が続いてタラップで上がり、最終確認を始める。


 無駄のない動きで一連の作業が進み、全員が離陸前チェック完了ということろで、それまで五機を見守っていた隊長がコックピットに落ち着いた。いよいよ空に上がっての訓練開始だ。


 キャノピーをおろして滑走路に出ていく全機を見送る。玉置隊長の後ろに座っていた白勢一尉が、こっちを見て小さく敬礼をしてきたので、答礼代わりに、敬礼していた指だけをヒラヒラと動かして答えた。愉快そうに目を細めたところをみると、私が指を動かしたのに気づいた様子だ。


「浜路」

「なんでしょうか」


 余計な動きをするなと言われるのかなと身がまえていると、坂東三佐の手が頭の上に乗った。


「白勢のデビューがお前のデビューだからな。忘れるなよ?」

「まだ言いますか、それ」


 六機は滑走路に出ると、最初は四機が編隊を組んだまま、そしてその後に続いて二機が並んで離陸していった。

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