貴方に届け、モノガタリ

PeaXe

『貴方に届け、モノガタリ』

 カタリィ・ノヴェル。

 それが、少年に与えられた名前。


 肩から腰に提げた青いショルダーバッグ。ダイア柄のショートパンツに白と青のブーツを履いた、赤茶色の髪の少年だ。

 空のように透き通った瞳をキョロリと動かして、彼は地面を蹴った。


 ある日、突如として目の前に現れた、フクロウのようなトリ。

 彼から突如として言い渡された、人々へと物語を届ける使命。

 カタリィはそれを、楽しんでやっていた。


「さって、今日はどこに届けるのかなー」


 今日も今日とてルンルン気分で走り回る。住所を調べるのは後回しにしているので、いつも行き当たりばったりなのだ。

 バッグには彼のお気に入りの本と、誰かに届けるための本、そしてその住所が書かれている。

 不思議な事に、カタリィが向かう場所から近い住所宛の本がいつも入っているのだ。


 そういうわけで、今日も本を取り出して、宛先を確かめる。

 そして、早々に首を傾げた。



住所: 『鏡の向こう』



「……珍しく謎かけかな?」


 いつもなら正確無比の緻密な住所が書いてあるのに、今回に限ってかなり難解な、というかやけにメルヘンチックな宛先である。

 これには微妙な表情のまま、首を傾げるしかない。


 カタリィはとりあえず、聞き込みをしてみる事にした。


「都市伝説か何かかしら」

「鏡の工場とか? この辺りには無いけど」

「昨日は雨だったし、水溜りならたくさんあるがなぁ」

「知りませんわ」


 一向に情報が得られないまま、数時間経ってしまう。

 これまで無かった事案に、基本ポジティブなはずのカタリィも気分が落ち込んできた、というその時。


「変な鏡を扱うお店なら、すぐそこにある」


 と、近所の子供の助言があった。

 とりあえずそこへ行ってみると、確かに変である。

 歪んだ鏡、小さすぎる鏡、本のように重なった鏡、花瓶型の鏡、重すぎる鏡等々。

 実用的ではないものが、多く売られているお店だった。


「どのような鏡をお探しですか?」


 店主は若く、人当たりがいい。

 カタリィは事の経緯を話した。手がかりが無いか聞くためである。

 すると、店主はにっこり笑って店の奥へと案内してくれた。


 店の奥には、まともそうな大きい鏡が置かれている。


「これは、別の世界を映すという鏡で、手を当てると向こう側へ行けるそうです」


 まぁ、僕は触ってもいけませんでしたが。そう言って、店主はその場から見えないカウンターへと戻ってしまった。

 彼の話を信じる者など極少数だろう。

 しかし、この鏡があったのは、宛先を確認してから程近い場所だ。


 カタリィは、意を決した。


 鏡に触れる。

 だが、いつまで経っても硬く冷たい感触は訪れず、音も無く細腕が鏡に食い込む。

 途端、グイッ! と引っ張られ、カタリィの軽い身体は鏡の中へと吸い込まれた。



 次の瞬間、確かにそこは見た事の無い場所だった。


 本だけで出来た世界、とでも言えば良いのだろうか。

 レンガの代わりに本で出来た塔や、コンクリートの代わりに本棚で出来たビル。木材の代わりに本で出来た学校。

 建物はともかく、道もタイルのように本が敷き詰められ、空には文字が浮かび、トリが飛んでいる。


 ……トリだ。


「え、あのトリ」


 ふと、提げたバッグに目をやる。そこにはあのフクロウに似たトリのストラップがつけられていた。

 それを少し大きくした、いわゆる実寸大のトリが飛んでいた。


「じゃあ、ここって……何だろう?」


 ハッとなって喜ぼうとしたが、カタリィはすぐまた首を傾げた。

 トリがいる。

 それだけで、ここがどこなのかを知る要因にはならない。

 むしろ謎ばかりが増えていくではないか。


「うーん、でも、鏡の向こうっていうのは、ここの事だろうし」


 後ろを振り返れば、鏡はお店の風景を映したまま、ふわふわと宙に浮いている。

 それを見て、自然と帰る事が出来るのだと安堵した。


 とりあえず進んでみよう。

 カタリィは、トリに会って以来の不思議な現象に心を躍らせる。

 同時に、敷き詰められた本を踏んでしまう事に抵抗も覚えたが。







 *◆*







 しばらく歩いていると、本で出来ていないものもある事に気が付いた。

 街灯やベンチ、パラソルや食べ物などは、元の世界と同じで普通のものらしい。


 本を踏む罪悪感から逃げ出したくて、カタリィはベンチに腰掛けた。

 まるで屋内にあるソファのような、柔らかいベンチだ。大して汚れていないので、カタリィは遠慮なく深めに座った。


 そうして、どのくらい経っただろう。

 インクと髪の香りが混じる中、カタリィはついうとうとしてしまった。


 今の所、見かけるのはトリばかりなのだ。パタパタと近くをゆっくり飛んでは、離れていく。

 見分けは付かないが、全て別の個体であるのだろう。

 特に自分に興味を示す事はなかったし、カタリィもかつて自分に使命を与えたトリ以外とは話す気にならない。


 一応、おかしな世界に来てしまった事から来る疲労はあるのだ。


「あのー」


 人間の声はするものの、それは全てトリから発せられている。


「すみませーん」


 早く本を届けなければ。


「ちょっとー?」


 そういえば、誰に届ければ良いのだろうかと、カタリィは気付いて、もそもそとバッグから本を取り出した。


 そして宛名を確認する。


宛名: 『リンドバーグ』


 ラストネームの無い、それだけで完結した名前。

 もしやどこかのトリの名前か?

 カタリィはそれまで話す気の無かったトリへ話しかけようとして――


「もっしもーし」


 ―― ようやく、気付いた。


 ミントグリーンと白のトップス、カラフルなミニスカート、黒タイツにトップスと同じ色合いの靴。

 ベレー帽はミントグリーンで、アシンメトリーな金髪と太陽のようなオレンジ色の瞳がキラキラしている。

 美少女が。

 カタリィの目と鼻の先に。

 いた。


「――……ッ?!」

「あ、やっと気付いてくれました! もうちょっと早く気付いてくれてもよかったのに、何で顔を上げないんですか!」


 もー、と小さく頬を膨らませる少女。

 しかし、言いたい事は言ったとばかりに、今度はニッコリと微笑んだ。


「それよりも、貴方はどうしてここに?」

「……え? あ? あぁ、この本を届けるために」

「そうでしたか! 宛先は?」

「リンドバーグ、さん」

「そうでしたか!」


 突如として、トリ以外の動く物を見たカタリィは、挙動不審になってしまう。

 加えて、美少女だ。

 混乱しても何らおかしくない。

 むしろ、きちんと来た理由を話せたカタリィは素晴らしいといえた。


「では、受け取りますね」

「はい?」


 カタリィの手の中にあった本を、少女はするりと引き抜いた。

 突然の事に頭がついていかず、首を傾げるカタリィに、少女も首を傾げる。

 そして、ハッとなった。


「申し遅れました。私はリンドバーグといいます。所謂、この本の宛先です!」

「……ぇええ?!」


 そう、彼女こそ、カタリィの探し人だったのである!


「ついでに言いますと、差出人も私ですが」

「そ、そうなの?」

「はい。カタリィさんの本は、全部私が選んで、届けていただいているので」

「?!」


 トリじゃなかったのか?!

 カタリィの顔が驚愕に染まる。


「リンドバーグ、もしくはバーグさんと呼んでくださいね」

「バーグさん、ですか」

「はい!」


 ふわりと暖かな笑顔。

 『バーグさん』の方にやや妙な圧力がある気がしないでもないが、カタリィはバーグさんと心の中で何度か呼んでおいた。


「さすがに、一度も会わないのは失礼かなぁと思いまして。やや強引ですが、会いに来ていただいたのですよ」

「そ、そうだったんだ。そっか」

「はい! というわけで、どうぞ!」

「え」


 リンドバーグから差し出されたのは、届けたばかりの本だ。


「カタリィさんは活字がやや苦手らしいですが、これは珍しい事に、漫画と小説が一緒になっている本なのです」

「そうなの?」

「はい。本の形は様々。漫画も本。小説も本なら、私は本を愛する者として、カタリィさんにこれを贈りたいのです」


 にこり、また、微笑む。


「うん。うん! ありがとう、バーグさん。俺、ちゃんと読むよ!」

「はい!」

「そうと決まれば、戻らないと。こういう本を求めている人が、世界のどこかにいるかもしれないから」

「……はい!」


 リンドバーグから受け取った本を大事にしまいこみ、カタリィはソファ、もといベンチから飛び降りる。

 また罪悪感が押し寄せたが、今はあえてスルーしておいた。


「ねぇバーグさん、また会える?」

「それは……本を書く方々次第、でしょうか」

「? そっか。また会えるかもしれないならそれでいいや」

「ふふっ。では、また。カタリィさん」

「うん、またね、バーグさん!」


 カタリィは、手を振るリンドバーグに手を振り返しながら、駆ける。


 そうして見えた鏡に、飛び込んだ。







 *◆*







 次に鏡に触れると、もうあの不思議な世界に行く事は無かった。

 けれど、今日も今日とて彼女の選んだ本を誰かに届ける。

 それが、カタリィ・ノヴェルに与えられた使命だから。


 カタリィのお気に入りの本は、その後何冊か増えていった。

 その差出人は――


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