第18話 最後の下ごしらえ

「ルフェールが夜這いに?」


「そうなのよ。いつの間にかわたくしのベッドの中にいるのよ彼。ジョックスやララを見張りにつけても、何故か巧みにかわされるのよ」


 若草色のドレスを着たティーナは白いベッドの上でうつ伏せになり、頬杖を突いている。話し相手のセロはソファに足を組んで座っていて、二人は壁越しに会話をしていた。


 牢の中である。体調の良くなったティーナの要望で昨日牢の中に戻ったのだった。そして今日はすでにセロの短い尋問を終えて世間話をしているところである。


「女性の意思に反してベッドに潜り込むのは紳士としてあるまじき行為だね。ガーウィンに話したらまた何時間か説教されることになるだろうな」


 セロは可笑しそうにふふふと笑いながら本のページをめくった。


「それにしても、大木くんやレディの目を掻い潜るなんてルフェールもやるなぁ。この二人はどちらかが必ずティーナの傍にいるだろう? 一体全体どういう手を使っているんだろうね」


 本から目を上げて牢の外にいるジョックスとララを見るセロ。ララは視線さえも向けずすました顔をしていたが、ジョックスは腕を組んだままため息を吐いた。


「こいつが協力してんすよ」


 バシッと背中を叩かれたのはレリアンである。レリアンは困ったように笑っていた。


「あはは……ルフェール様に頼まれてしまっては断れませんから……」


 ティーカップにポットを傾ける。ちょうど最後のお茶を淹れ終わり、「片付けてきます~」とレリアンは逃げるように牢から出ていった。


「さすがに手の内も分かって来たんで最後の方は防げましたし、ここに移ってからは来ないですけど」


 ティーナが牢に移りたいと言ったのはそれが主な原因である。とにかくルフェールはしつこく、隙を見て部屋にやってくるので、鍵がかかっていて見通しの良い牢に避難したというわけだ。


「そしたら今度は部屋に来て欲しいなんて言うのよ。今日の深夜はダリアの部屋にいるから~ですって。牢に入れられているから行けないわよって言っても、レリアンに開けさせるから必ず来てって。あの人、わたくしのことを何だと思っているのかしら」


 頬を膨らませ、ティーナは足を折ったり曲げたりしている。セロはまたふふふと笑い、読んでいた本を閉じた。


「ルフェールはずっとここに閉じこもっていたから女性の扱いに慣れていないんだよ。悪気はないんだろう。ただ純粋にティーナと一緒にいたいだけかもしれないよ」


 ギィ、と扉を押して牢を出て来たセロ。ティーナは鉄格子越しに見つめてくるセロに視線を合わせ、口を尖らせてみせた。


「一緒にいたいだけなら許すわよ。でもあの人スキンシップが激しいの。甘えん坊なのよ。わたくしを母か何かだと思っているみたいだわ」


「どうだろうね。彼は……それはそれは可愛そうな子だから、確かに母の愛に飢えているのかもしれない。けれど、ティーナに母の姿を見ているというのは些か無理があると私は思う。君は良い意味で彼の母親とはまるで別人だ。ティーナは間違っても彼を殺そうとはしないだろうしね」


 ティーナの目が細くなる。セロは「おっと失言だったかな」と口を塞いでおどけてみせた。


「何にせよ、まるで他人に興味を示さなかったルフェールが君に熱を上げていることは良いことだ。長らく変わらなかったものが今、変化している。この変化に乗り遅れてしまわないようにしないとね。お互いに。それじゃ、また会えることを楽しみにしているよ、ティーナ」


 セロは手を振りながら牢を出ていった。靴の音が遠くなっていく。


「腹の底の見えない方ですね」


 靴の音が聞こえなくなってからララがぼそりと呟いた。


「このまま分からなければ随分と楽でしょうけれど。嫌だわ。極力面倒なことには関わりたくないのだけれど、巻き込まれそう。まぁ、セロが今何を企んでいるにせよ、取り急ぎわたくしたちがしなくてはいけないことは変わらないからとりあえず放っておきましょう」


 ララははいと言って頷いた。二人の話がどういうことか理解できないジョックスは聞いているふりをしているだけである。とりあえず二人が分からないことはジョックスにも分からないので、こういう時の彼は二人の会話が盗み聞きされないように気を張る見張り役であった。


「けだもの男の作戦ですが、上手くいくのでしょうか」


「させるのよ。あの方たちはお互いに信頼していないから情報が共有されることはほぼないでしょうし、作戦としては悪くないと思うわ。けれど人手が足りないのよね」


 ここでジョックスがララの肩を人差し指で叩いた。振り向いたララと、それを見ていたティーナに目で知らせる。近くに人がいると。


 しかしティーナはベッドに座り直し、お構いなしに話を続けた。


「時間があればもっとルフェールとお話をしたいのだけれど、そうもいかないでしょうね。最近は尋問らしい尋問もしていないから、わたくしの処遇も決まる頃だと思うの。もし、何かしらが決まってここを出て行くことになったら……。ルフェールが今日寝床にするらしい青の部屋を訪ねることになるかもしれないわね」


 にっこり笑ったティーナの目線とベルの空色の目線が合った。ジョックスとララもベルを見ている。


「……何だ君たち。俺に何か用でもあるのか」


 ベルは不満そうに片眉を上げた。ジョックスは「別に」と鼻を鳴らし、ララは無言で背中を向けた。ベルは相変わらず態度の悪い奴らだと思いながらティーナの前まで歩いてきた。


「気分はどうだ? 悪くないか?」


 ベルはあの日以来、開口一番にそれを聞く。


「絶好調よ」


「そうか」


 ティーナが笑顔で答えると顔を緩ませて柔らかい表情をする。随分な変わりようだな、と思いながらジョックスは二人を観察した。初めは言動一つ一つに突っかかっていたジョックスも、ベルが献身的な姿を見せたので少々認めている。


「今日は何か用があるの? それともいつもみたいに何もないの?」


「ルフェール様に呼ばれたんだ。たぶん、ティーナのことについて答えを出す時が来たんだろう」


「あらそうなの。ここともお別れということね。わたくし、どうなるのかしら」


「……俺の一存では決められないことだが、これ以上悪いことにならないよう進言するつもりだ」


「まぁ、ありがとうベル。嬉しいわ」


 ティーナがにっこり笑うとベルは満足そうにうむ、と頷いて踵を返し、牢を出て行った。これからルフェールのところへ行くのだろう。


「分かりやすい方ですね」


 ベルの足音が完全にしなくなってからララが言うと、ティーナは「あれくらい分かりやすい方が可愛くて良いわね」と答えた。


「あんなんで伝わりましたかね?」


 ジョックスは眉を寄せる。ティーナは偶然を装ってルフェールの居場所を言ったが、ベルに伝わっているかどうか怪しいと思っているのだ。ジョックスからみた彼は鈍感で、身も心もまだまだ未熟な存在だった。


「大丈夫だと思うわ。彼結構聞き耳を立てているのよ。自分からどうこうすることは少ないし、思慮が浅いところはあるけれど、人のことをよく見ているわ。遠慮していると言った方が良いみたいだけれど」


「そんならいいですけど」


 いまいち納得できなかったが、ティーナがそういうのならそういうことにしようとジョックスは口を閉じた。


「残るはガーウィン様ですね」


「必ず一度はわたくしを訪ねて来るはずよ。気長に待ちましょう」


「大した自信ですね姫様。来ねぇってことはないんですか?」


「来るわよ。彼は絶対わたくしに会いに来るわ。理由はどうあれ、ね」


 含みを持たせて返し、ティーナは脇に置いてあった本の表紙をめくって読み始めた。ジョックスは肩を落とし、ララと目配せしてガーウィンが訪れるのを待つことにした。


 このとき、ガーウィンはすでに建物内にいた。ティーナのところへ行って戻ってきたベルが階段を登っていると、セロと立ち話をしているガーウィンに出会った。


「ベル、お前も来ていたか。今ララという従者の情報を共有していたところだ。あれから何か分かったか?」


 ベルは軽く首を振った。


「いえ。この間申し上げた、彼女らの使っていたと思われる馬車を発見したことしか」


 ララの話をするのは二度目である。いずれも外で話すことが出来ないのでこの建物内で話している。ベルは一度目にティーナ達が使っていたらしい馬車を発見したことを報告していた。


 森の中に隠すように置いてあった誰にも使われていない馬車を発見したのはベル自身であった。王国騎士団員として見回りをしている時に発見したのである。それがティーナたちのものであるらしいことは匂いで分かった。ティーナがしていた、他ではあまり嗅いだことのない香水の匂いがしたからだ。


「私もそれほど。あのレディがメレズディ男爵に手紙を出していたことくらいだろうか。二、三通のやり取りがあったみたいだけれど内容まではさすがにね。ただ、町の中にそれらしい援助者が入って来ていないことを考えると、少なくともメレズディ男爵は手を出す気はないようだ」


 ガーウィンは小さく何度も頷いた。


「そうだな。俺も屋敷の元使用人に銀貨を渡して優遇してもらっていたことしか分からなかった。目立つ容姿でもない。目立たないよう行動されればほとんどの人間の印象に残らないのだろう」


 この国ではララのような赤毛や黒髪、金髪、ティーナのような栗色の髪の人間は珍しくない。緑色の目もよくある目の色なので、人々の印象には残りにくかった。


「ティーナ自身や大木くんなら目立つんだけどね。適材適所ってやつかな。よくバランスがとれているよね。見習わないと」


 セロはくすくすと笑っている。ガーウィンは呆れて息を吐いた。


「楽しそうに笑うな。こちらを脅かすようなことがなさそうだから良いものを」


「彼女がその気になっていれば何らかの打撃を受けていてもおかしくないからね。分かっているとも。まぁその時は一番君が危ないからねガーウィン。身元が知られ、屋敷にまで潜入されているのだから、そりゃ真剣にもなるよ」


 にっと笑ったセロをガーウィンは睨んだ。ピリ、とした空気が流れ、ベルは身体を強張らせた。


 この二人は仲が良い悪いというもので表せるものではない。腐れ縁、とでも言うべきだろうか。とにかく幼少の頃からの知り合いらしいが、知り合い止まりであることが全てを表しているようにも思える。


「いらん詮索はするな。……行くか。ルフェール様がお呼びだ」


 ガーウィンは踵を返して階段を登っていった。セロは「分かっているとも」と答えて後ろにつき、ベルもその後ろについて歩いた。


「そこに入って右に一つ目だよ。確か、藍の部屋だったかな」


 だいぶ階段を上がったところで、セロが指示した。尋問のために先に来ていたセロは事前にレリアンからルフェールの居場所を聞いていたのである。


 ガーウィンはセロに言われた通りの扉の前に立ち、ノックして名乗った。すると中から鍵の開く音がした。外に鍵穴はない。鍵は中からしかいじれないようになっている。


「失礼します」


 めいめいに声をかけ、三人は部屋に入った。


 ルフェールがソファに座っており、その向かいにレリアンが立っていた。


 部屋は廊下と同じで相変わらず薄暗く、二人を照らすランプ以外に火は入っていない。こんな生活を続けていると気が滅入りそうだが、彼はこの生活しか知らないのである。


「三人を呼んだ理由は分かっているかな?」


 ほとんど暗闇の中からルフェールが問いかける。


「はい。ティーナの処遇をお決めになるのですね?」


「そう。ティーナから話は聞けただろう? 三人が見聞きした姿が彼女の全てだ。理由も含めて、貴方たちが下した彼女への判決を聞こう」


 赤い瞳が三人を見る。いつもより意思のこもった瞳だった。


 重い空気が流れ、沈黙する。


「私は、ティーナは無罪だと思います。彼女のような人に人を殺すようなことは出来ないと思います。巻き込まれてしまっただけでしょう。すぐに解放してやるべきです」


 最初に口を開いたのはベルだった。ベルは背筋を伸ばし、ルフェールを真っ直ぐに見据えている。セロはちらとベルを見て口の端を上げた。


「私も無罪を主張します。状況からみると確かに彼女は怪しいですが、貴方様の殺人計画にしてはお粗末すぎます。彼女なら自分に疑いがかからないようもっと巧くやるでしょう」


「私も無罪だと思うよ。ルフェールのことを知らないティーナには動機がない。私たちの誰かが彼女と共謀して彼女に殺人を依頼することも出来るけれど、わざわざ田舎貴族の娘を呼び寄せようとは誰も思わないだろうしね」


 にこりと笑ったセロを両側からガーウィンとベルが見た。ガーウィンは眉間にしわを寄せ、ベルは少々驚いた顔をしている。セロは「可能性の話だよ」と両手を広げてみせた。


「貴方たちの意見は分かった」


 三人はルフェールに注目した。


「ティーナを無罪とし、解放しよう。レリアン、このことをティーナに告げて手配をティーナの従者にさせるんだ。こちらでするよりその方がティーナも安心だろう」


「かしこまりました」


 レリアンは頭を下げてから三人の後ろを通り過ぎていった。


「待てレリアン」


 ガーウィンに止められ、レリアンは扉を開けようとした姿勢で止まった。


「お言葉ですがルフェール様。彼女の従者に手配をさせるということは、この場所が分かってしまうということになりますがよろしいのですか?」


 セロもベルも黙ってルフェールの答えを待った。ガーウィンの言う通りである。


 出入りする人を限り、情報が少しでも洩れれば全員が死刑となる取り決めまでして、もう十年以上ルフェールの存在を隠してきた。ここにティーナたちを連れて来るのにも、途中まで眠らせて目隠しをして連れてきている。当初の予定ではルフェールの姿を見せるつもりもなかった。尋問などせず、問答無用で殺してしまうという選択肢だって出ていた。ティーナの従者をここから出してしまったら、そこまでしてルフェールを外界から隔離し、守っていたこの城が崩されることになる。ルフェールはそれを良しとするのか。


 全員が注目する中、ルフェールはゆっくりと口を開き、淡々と答えた。


「構わない。ティーナがここを離れた後に私もここを出るつもりだから」


 四人は驚いた。


「今、何と?」


 レリアンが目を大きくして振り返る。


「ティーナが生きているということは、私の存在が貴方たち以外に知られてしまうということだ。約束さえすればティーナは私のことを誰にも言わないだろう。彼女はそういう人だ。それでいいはずだけれど、私はこの生活に飽いてしまったんだ。そろそろ私も太陽の下へ出ても良いと思わないかい?」


 赤い瞳が這うように四人を見る。


 外に情報が漏れないようにするにはティーナを殺してしまえば事足りる。この城の中でそれが出来なくても、城の外でそれが出来る。しかしルフェールの決断は彼女の口を封じることではなく、自分がこの城を出るということだった。


 ベルは緊張で乾いた喉を鳴らした。


 ルフェールが、ここを出る。その重大さにめまいがしそうになった。ついにこの無気力で無関心で引きこもりの岩の城の王が動くのだ。


「……もう決めたのか?」


 いつもより声のトーンを落としてセロが言った。


「決めた。私は明日の早朝にここを出る」


 声色は意志を持っている。


「そうか。ようやく、動き出すというわけか。……私たちは何をすればいいんだい?」


 セロは口の端に笑みを灯している。


「手配はレリアンに任せる。三人には護衛を手伝ってもらいたい。明朝、この場所へ来てくれるだろうか」


「分かった。それじゃ、今すぐ帰って用意をすることにしよう。面白くなってきた!」


 言ってセロはレリアンと扉の間に滑り込み、扉を開けて出て行ってしまった。こういうとき、セロは誰よりも素早い。


 ベルはあっけにとられた顔でセロを見送り、続いて「ルフェール様の仰せのままに」と頭を下げて出て行ったレリアンも見送った。


 部屋にはベルとガーウィン、それからルフェールが残った。


「本当に……よろしいのですか?」


 念を押すように問うガーウィン。深いしわが眉間に寄っている以外、いつもと何ら変わりない表情だ。しかし、ベルには彼の横顔がどこか、苦いものを噛んでいるように見えて仕方がなかった。


「もう、つまらない人生はやめにする。ここを出たところがどんなところであれ、私はそこで生きていくと決めた」


「そう、ですか。かしこまりました。では、私も下がります」


 ガーウィンは扉まで歩き、振り返って深く頭を下げて出て行った。


 取り残されたベルも少し慌てて頭を下げた。


「私は、貴方の決定に従います。失礼しました」


 扉を閉める。ルフェールはベルが扉を完全に閉めるまで、じっと赤い瞳を向けていた。


 ベルはガーウィンを追いかけるように小走りで廊下を歩いたが、彼を見つけることは出来なかった。とうとう階段を登りきっても見つけることが出来なかったのだが、ガーウィンは階段を降り、ティーナの牢の前に立っていたのだからそれもそのはずである。


「レリアンから聞いたか」


「えぇ。ララとレリアンは一緒に外へ出て行ったわ。……ルフェールもここを離れるのだそうね」


 ガーウィンは少しだけ息を吐いた。


「彼はそれも話したか……。そうだ。ルフェール様もここを離れる。ここにはもう、誰もいなくなる」


「そう。少し勿体ない気もするけれど、ルフェールが光の下に出られるのは良いことだと思うわ。貴方もそう思うでしょう?」


 ガーウィンは答えなかった。ティーナは目を細めて笑った。


「誰にでも困難はつきものだわ。それを支えてあげられる人がいれば良いのだけれど、ルフェールは問題なさそうね。ガーウィンやセロやベル、それからレリアンがいてくれるんだもの。あの人を助けてあげてね。一人じゃ何も出来ない甘えん坊だから。あの人には頭にくることばかりされたけれど、嫌いじゃないのよ。これからの幸運を祈るくらいはしてあげる」


 胸の前で手を組み、ティーナは祈りを捧げるポーズを取った。仏頂面だったガーウィンがほんの少しだけ表情を緩める。


「……ティーナは心優しい人だ。こんなことに巻き込んでしまい、申し訳なく思う。数々の非礼を詫びよう、レディ」


 ガーウィンは胸右手を当て、頭を下げた。


「いいのよ。ガーウィンはガーウィンのお仕事を全うしただけだわ。ちょっと、怖かったけれど。今度会うときはうんと優しくしてね?」


 小首を傾げるティーナに、ガーウィンは小さく頷いた。


「そうしましょう。……このお返しはまたいつか」


「あら。いつかなんて言わないで、一つ頼まれてはくれないかしら」


「俺に出来ることならしよう」


「ルフェールにお別れの伝言を頼みたいの」


 ガーウィンは口を開けて一秒にも満たない間沈黙してから言った。


「それは、自分で言った方が良いのではないか」


「わたくしはもう彼に会うつもりはないわ。彼のことは嫌いじゃないけれど、会ったらまたしつこく言い寄られそうだし、離してくれなくなったら困るもの。だから代わりにガーウィンにお願いするわ。今日は銀の部屋で休むと言っていたから、最後に彼に伝えて。『砂糖菓子の入っていた銀の箱は持っていくわよ』って」


 今度は数秒固まった。聞いていたジョックスも眉を寄せてなんだそれは、という顔をする。


「……それでいいのか? ……最後の言葉になるかもしれないぞ」


「あら。だって当然でしょう? これはお詫びの品としてわたくしがもらったものなんだもの。もらっていったっていいじゃないの」


 ティーナは銀の小箱を軽く叩いて主張する。そういうことではないのだが、と思えども口には出さず、ガーウィンはふっと笑った。


「分かった。そのように伝えておく。それでは、さようならレディ。再びお会いできることを天に祈りましょう」


 頭を下げ、ガーウィンは踵を返して牢を出て行った。


「任務完了っすね」


 ぼそっとジョックスが零し、ティーナは伸びをした。


「ようやくお家に帰れそうだわ。さ、準備をしてジョックス。家に帰るまで気は抜けないわよ」


 パンパン、と手を叩くティーナ。ジョックスは腰に手を当てた。


「へーい。で、俺は何すりゃいいんすか?」


「そうね。まずは着替えよ! 同じドレスを着回すのはうんざり。ララに新しい物を頼んであるけれど、作り直してもらうことになるかもしれないから、ここにあるドレスを集めてきてくれないかしら。材料にしましょう。それから貴方もそんなみすぼらしい格好はやめて、身支度を整えましょうね」


 にっこり笑うティーナに、ジョックスははぁ、とため息交じりの返事をしたのだった。

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