第15話 穏やかな贈り物

「弱った女性というものはどうしてこう、くすぐられるのだろうね」


 扉が開けっ放しになっているところにセロが腕を組んで肩を預け、ティーナを覗いていた。ちょうど食事を終えたところだったティーナは後のことをララに任せ、ふふふと笑った。


「あら。弱弱しい姿がお好き? 元気なわたくしはどうかしら?」

「もちろん、好きだよ」


 ふふ、と笑いながらセロは部屋に入って来た。入れ違いでララが出ていき、扉が閉まる。


「調子はどうだい?」


 椅子に座って足を組む。


「良いわ。だいぶ体力も戻って来て、この部屋を一周歩くくらいは出来るようになったわ」

「それは良かった。もう二度と、生気のない顔でベッドに横たわるティーナの姿は見たくないよ」


 口元に笑みを浮かべて言う。


「そうね。わたくしももう嫌よ。こんなことが二度とないようにしてほしいものだわ」

「確かにこれはティーナだけの問題ではないからね。けれどティーナ。君ならこうなることを避けられたんじゃないかい?」


 口元は笑っているが、金色の目は全く笑っていない。ティーナはゆっくりと大きく息を吸い、ため息のように吐き出しながら言葉を付けた。


「……避けようと思えば出来たでしょうね。けれど、それでは意味がないのよ。このくらいの荒療治じゃないと、変わらなさそうだったもの」


 観念して話す。セロは足を組み替えた。


「君の判断は正しいよティーナ。確かにティーナの言う通り、一筋縄ではいかない相手だからこのくらいのことをしてやっとというところだろう。けれどねティーナ。無茶はよくないよ。命を犠牲にするなんていう悲劇が現実にあってはならない。それは物語の中だから美しいのであって、現実では悲惨なことだ。君ならもっと良い案が浮かんだんじゃないか?」


 口元の笑みさえも消えた。真剣な表情でセロはティーナを見ていた。


「どうかしら。わたくしはいつも、最善の道を選んでいるつもりなのだけれど。結局こうしてわたくしは生きているのだし、良いのではなくて?」


 上目遣いで小首を傾げてみせるティーナ。終わり良ければ総て良し、ということである。けれどもセロは表情を変えなかった。


「……私は、怒っているんだよティーナ。ティーナがしようとしたことには賛同する。けれどそのために自分の命を危険に晒すのはいけないことだ。自分で自分を傷つけてはいけない。君は自分の身を最大限守りつつ、最善の策をとらなければいけなかった。目的のために身を粗末にするのは愚策だよ」


 ティーナは黙った。その間もセロはティーナから目を離さず、ティーナもまたセロから目を離さなかった。


 食事に毒が入っていることは初日に分かった。それでもティーナはそれを食べ続けた。だんだん身体が重くなり、頭に靄がかかっていく感覚は良いものではなかった。しかし、そうする他なかったとティーナは思っている。そうしなければ目的を遂行できないと。セロはティーナの考えのどこまでを分かって言っているのか。彼の瞳を見つめてみても、腹の底は読めない。


 数秒後、ティーナが自分の手に視線を落とした。


「そうかもしれないわね。でも、わたくしだって死にたくはないわよ。痛いのも辛いのも苦しいのも嫌よ。でも、しょうがないじゃない。時にはこの身を犠牲にしないと得られないものだってあるわ。それがこれだったというだけの話よ」

「はぁ。分からないのかい、ティーナ」


 ため息を吐き、セロはベッドに腰かけて左手でティーナの手を握った。


「君は君のものだけれど、君の存在は皆のものなんだ。君がいなくなったら君の従者たちはどうすればいい? あの二人は後を追いかねないよ。それに、私だって心配なんだよ。ベルやガーウィン……あのルフェールだって、君のことを気にしている。君本人ではない私たちが君に元気でいてほしいと望むのはワガママかもしれないけれど、そう願ってしまうんだ。分かるだろう、ティーナ」


 セロは右手をティーナのこめかみに差し込み、髪を掻き上げた。それから親指で優しくティーナの頬を撫でた。下がっていたティーナの視線が上がる。


「悲劇にしないでほしい」


 セロが笑ったのでティーナもにこりと笑って見せた。そうしてすっとセロが座っていた椅子に視線をずらした。


「……あれはわたくしへの贈り物?」


 椅子の上に厚さ一センチほどの紙の束が乗っている。


 セロは少しだけ肩を落として息を吐いてからその紙の束を取った。


「私が書いた物語だ。まだ途中だからどうしようかと思ったのだけれど、そうこうしているうちに機会を逃してしまうのも勿体ないと思って持ってきたのさ」


 紙をめくり、ちらとティーナに目を向ける。


「読みたいかい?」

「読みたいわ!」


 ティーナは大きな目を輝かせていた。セロはふふ、と笑い、紙の束をティーナに渡した。


「ティーナが初めての読者だ。正真正銘の処女作だから、優しく頼むよ」

「安心して。わたくし、気に入ったところしか話さないから。知っているでしょう?」


 紙の束から目だけを出すティーナ。セロはデヴォンの意見交換会でティーナが自分の気に入ったところしか話さないのを知っている。それ以外のところについてどうかと聞かれれば正直なことを答えてくれるが、こちらが聞かなければ話すことはない。


「そうだったね。ティーナからたくさんの話が聞けるのを期待するよ」

「そうしてちょうだい。今から読むから、少し待っていてくれる? すぐに感想を言いたいのよ!」

「本当にティーナは素敵なひとだね。君のためならいくらでも待つよ」


 ティーナはすぐ物語に没頭した。


 セロは花の香と紙が擦れる音の中で動かずにいた。


 部屋はとても静かだった。けれども少しも苦ではなかった。読み終わるのが待ち遠しいとも思わなかった。むしろこのままずっと続いてほしいとさえ思うような穏やかな時間だった。


 贅沢な時間が過ぎていく。


 こんなにも甘やかな時間を一時でも過ごせたことを覚えておこう、とセロは思った。

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