第14話 心地の良い贈り物
甘い香りで溢れている。赤、黄、青、白、橙……花瓶に生けられた色とりどりの花が部屋を満たしている。
ティーナはベッドの上で背にクッションを挟んで座っていた。
「顔色は良いようだな」
ベッドの傍らに用意された椅子に座っているのはガーウィンだ。手を膝の上に乗せ、背筋を伸ばしている。
「えぇ。まだ本調子ではないけれど、だいぶ楽になったわ」
ティーナはにっこりと笑って答えた。
ガーウィンはティーナが毒に倒れたことを一日目の夕方に知り、以来毎日様子を見に通っていた。三日目でセロやベルと共に対面を果たし、四日目は顔を見に立ち寄り、五日目の今日は人の少ない時間帯である午前中を狙って来た。ジョックスは扉の外に、ララは反対側のベッド脇に控えているが、セロやベルはいない。
「……大丈夫なのか」
ガーウィンにしては言い淀んだ気がした。表情も心なしか心配そうだ。
「大丈夫よ。わたくし、タフなの」
ティーナは笑う。
何に対して大丈夫なのかガーウィンは言わなかった。ティーナも何が大丈夫なのかは言わなかった。
「そうか」
だが、ガーウィンの立場ではそれ以上のことを言えなかった。せめて一言何か労うようなことを言おうと思うのだが、言葉が喉に詰まって出てこない。
ガーウィンは頭を下げてしまった。
「ねぇ、ガーウィン。そこに置いてある物はなあに?」
細い指が助け船のように何かをさした。ティーナが指をさしたのは、ガーウィンの座っている椅子の傍らに置いてある箱だった。部屋に入ってくる時にガーウィンが手に提げて持ってきた物なので、彼の物であることは確実だった。
「あぁ。これはバイオリンだ」
「バイオリン?」
ガーウィンが箱を足の上に置いた。
「何か貴方に贈ろうと思ったのだが、花は間に合っているようだったのでな」
「あら。お花でも良かったのよ。このお部屋はこの通り、セロが持ってきてくれたお花に埋め尽くされているけれど、ガーウィンからもらえるお花も嬉しいわ」
「では次に来る時に花を持ってくる」
ガーウィンは足の上に置いた箱を床に戻そうとした。
「待って。それで、今日は何を贈ってくださるの?」
寸前でピタリと止まり、数秒固まった。そうしてどこか諦めたような表情で、ガーウィンはもう一度箱を膝の上に乗せて蓋を開けた。
先程ガーウィンが言った通り、綺麗なバイオリンがクッションの間に収まっていた。
「……貴方は以前、音楽が聴きたいと言った。それで、持ってきたのだ」
「覚えていてくれたのね。嬉しいわ。ガーウィンはバイオリンが弾けるの?」
「いや」
ガーウィンは蓋を閉めた。
「俺は剣一筋で、他には何の芸もない。バイオリンは妹が習っていて、これは妹の物を借りてきたのだ」
「どうして借りてきたの?」
「貴方に、音楽を聴かせようと思って持ってきた」
「誰が弾いてくださるの?」
「……俺だ」
ガーウィンは箱に視線を落としたまま口を閉じてしまった。またじっと何かを見つめているようで何も見ていない目で考えている。
「聞かせて」
ティーナはにっこりと笑って期待に満ちた目でガーウィンを見つめた。ガーウィンは灰色の目をティーナに合わせ、眉間に小さなしわを寄せた。
「先ほども言ったように、俺は剣一筋だ。楽器など、触ったこともなかった」
「いつから弾き始めたの?」
間があった。
「貴方が、音楽を聴きたいと言った次の日からだ。ここへは俺やセロやベル以外に誰も入れられない。貴方に音楽を聴かせようと思うと、俺たちの中の誰かが演奏しなければならない。だから俺が出来ればと、妹の稽古に混ざって習い始めた」
「すごいわ。聴かせてちょうだい」
ガーウィンは小さく首を振った。
「貴方の満足いく演奏が出来るか分からない。最善は尽くすつもりだが、聴くに堪えないかもしれない」
「それはわたくしが決めるわ」
ティーナは胸を押さえた。
「だが……」
ガーウィンはなおも言い淀む。するとティーナは身を乗り出し、箱に添えられたガーウィンの手に自分の手を重ねた。
「ガーウィンはすごいわ。人ってなかなか新しいことに挑戦しないものなのよ。それでも、貴方は挑戦した。それがまだ自分の求めるところに達していないのも仕方ないわ。まだまだ時間が必要よね。特に貴方は自分への理想が高いみたいだから、あまりにも不完全な今の状態は許せないのかもしれない。けれどね、ガーウィン。わたくしは貴方の演奏が聴きたいのよ。貴方がわたくしのために努力してくれた、その姿が見たいの。今はそれでいいのよ。ねぇ、聴かせてガーウィン」
可愛らしく小首を傾げるティーナ。キラキラした大きな目に、ガーウィンは負けた。
「分かった。……苦情はいくらでも受け付ける」
言ってガーウィンはバイオリンと弓を取り出し、箱を床に置いた。そうしてバイオリンを首と肩の間に挟み、深呼吸してから構えた。
準備をしている間にララは部屋の外へ滑り出た。ガーウィンは背で扉の閉まる音を聞いてから弓を弦の上に置いた。
弓を滑らせ、左手の指で音を選ぶと音が弾けて飛び出て来た。
あ、とティーナは心の中で呟いた。
堅苦しくてたどたどしい音色だが、ティーナにはなじみの深い曲だった。ティーナの住む村の子守歌である。音楽というよりは譜面をそのままなぞった音の羅列だったが、ティーナには十分だった。
「素晴らしいわ! その曲はどこで?」
演奏が終わるとティーナは手を叩いた。ガーウィンはバイオリンを降ろしながら申し訳なさそうな顔をして答えた。
「貴方がここに来た時に歌っていたのを覚えていた。美しい歌だったので印象に残っていたのだ。それで、音楽家に頼んで教えてもらった。好みが分からなかったがこの歌なら貴方も気に入るかと」
「気に入ったわ。大成功よガーウィン。演奏もとっても素敵だったわ!」
「世辞でも嬉しい」
「お世辞なんかじゃないわ。ガーウィンらしくて素敵よ! もっと聴きたいわ。もっともっと聴かせてちょうだい」
ティーナはにこにこ楽しそうに笑っている。それを見ているとガーウィンもなんだか良い気分になってきた。喜んでもらえるのは嬉しい。こういうところが人を動かすのだろうなと思いながら、ガーウィンはアンコールに応えた。
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