第13話 私の欲しいもの
「……貴方は何をしているのよ」
ティーナにしては低い声だった。
「心臓の音を聞いているんだよ」
ルフェールは呟くように言った。
「そんなことしなくても生きているわ。退いて! 重たいのよ!」
ティーナはルフェールの肩をバシバシ叩き、足で腰を蹴ってやった。
五日目の朝だった。
ティーナが毒に倒れてから五日経っていた。二日間昏睡状態で、三日目に目を覚まし、四日目に食えるようになり、今日が五日目だった。
小窓から早朝の淡い光が漏れ、ルフェールの白髪が朝露を含んでいるかのようにキラキラと輝いている。それだけ見ると幻想的なのだが、あろうことかルフェールの白髪はティーナのふくよかな胸の上に乗っていた。つまりはルフェールの頭が胸の上に乗っており、身体もティーナに覆い被さっているということである。
「どうして怒るの?」
ルフェールは顔を上げ、肘をついて少しだけ身体を浮かせた。ティーナは身体を滑らせてルフェールの下から脱出しようと試みたが、さりげなくルフェールが腕を背中に回してきたので出来なかった。諦めてため息を吐く。
「重たいと言ったでしょう? 貴方みたいな大きな人に乗っかられたら息が出来なくなってしまうわ。わたくしはか弱いのよ。それに回復したばかりなのよ。もっと丁重に扱いなさい」
「そうだね。ティーナは繊細だから、気をつけるよ」
とは言ったがルフェールは顔をティーナの胸の谷間に埋めて彼女を軽く抱きしめた。離れる気はないようである。
「……もしかして貴方、わたくしがここで寝るようになってからいつもそうしていたの?」
呆れた声を出すとルフェールはこれが初めてだと答えた。
「ティーナが寝ている間はあの大きな男が部屋の中で見張っているから近づけない。彼、私を見ると襲い掛かってくるんだよ……。今はレリアンを使って彼を離させているから、近づける」
「近づきすぎよ」
ティーナはルフェールを離そうと肩を押してみたり頭を押してみたりしたがビクともせず、再び抵抗を諦めた。
静かで、穏やかな時間だった。
しばらく二人は一言も話さなかった。ルフェールはティーナの心臓の音を聞いているのか何なのか頭を乗せたままで、再び眠ることもできない手持無沙汰なティーナはそんなルフェールの髪を梳いてやっていた。長い髪に手を入れ、ゆっくり動かす。ルフェールの髪はティーナの手の中をするすると滑った。
「何故、毒入りの料理を食べ続けたんだい? ティーナはあれが毒入りだということを知っていただろう。彼がまずいという物には、毒が入っている。そういうことなんだろう?」
おもむろに口を開いたルフェールに、ティーナは一拍おいてから答えた。
「そうね。ジョックスにはいつも身体を張ってもらってばかりよ。感謝してもしきれないわ」
髪を梳く手を止めずに言うと、ルフェールは「呼んでも来ないよ」と呟いた。ティーナはため息交じりに「本当ね」と答えた。
「わたくしが料理を食べ続けたのは、貴方に信じてもらうためよ。健気に食べ続けて毒が混ざらなくなったら信じてもらえた証拠になると思って。分かりやすいでしょう?」
「そう。でも、その前にティーナは倒れてしまった」
「えぇ。こんなにも信じてもらえないのかと思って辛かったわ。……お菓子とお茶には毒が混ざっていなかったから、少しはわたくしを信じてくれているのかと思っていたのだけれど」
ちらとルフェールを見たが、ティーナからは白い頭しか見えなかった。
「どうするだろうと思ったんだ。毒入りの物を食べなくても生きられるのなら、ティーナはどうするのか気になった。けれどティーナは料理もお菓子もお茶も全部身体の中に入れた。……そんなにも、私に信じてもらいたかったのかい?」
ルフェールは赤い目を覗かせた。ティーナは薄く唇を開け、数秒してから声を出した。
「……貴方に信じる相手を作ってあげたかったと言ったら、貴方はどうする?」
赤い目が瞬く。それからゆっくりとルフェールは身体を起こしてベッドの上に座った。ティーナも足を揃えて座り、向かい合った。
「ルフェールは誰も信じていないでしょう? セロやガーウィンやベル、レリアン……それから貴方に全てを与えてくれる人のことだって信じていないでしょう?」
「どうしてそう思うの?」
「貴方の言動を見ていれば分かるわよ。日替わりで部屋を変え、鍵をかけて部屋の中に閉じこもって、移動は秘密の通路でしょう? 食器は銀の食器で、人がいる前では飲んだり食べたりしない。何でもかんでも受け入れているように見えて、全てを拒絶している。わたくしに毒を盛ったのも単純に信じられなかったからでしょう?」
ルフェールはしばらく時間を空けてから答えた。
「皆が私を信じていないから私も返しようがないだけだよ」
純粋な瞳だった。自分はまるで悪くない、当然のことをしたまでだという顔だ。
「分かっていないわね。だからルフェールにはお友だちがいないのよ」
ティーナは呆れたように言ってから「いい?」と人差し指を顔の横に出した。
「自分が何かしてほしいなら、自分がその相手に何かするべきなのよ。これはお友だちになるのにも必要なことよ。お友だちというのはね、簡単じゃないの。何の価値もない人間にはなれないものなのよ。お友だちになるには、その人にとって価値のある人間にならなくちゃいけないの。つまり、その人にとって価値のあることが出来る人間になってあげられれば、お友だちになれるということよ」
「価値のあることが出来る人間……」
「そうよ。でも、難しく考えることはないわ。その人にとって嬉しいことが出来ればいいの。プレゼントをあげたりお出かけしたりするのは効果的ね。それから、お喋りなんかも良いわ。趣味のことを話せたり、相談に乗ってくれたり、ただ一緒にいるだけで楽しいとか。この人のために何かをしてあげたいって相手に思わせることもその人なりの価値になるわ。ちょっと勇気を出してその人のためになることをするだけで距離はぐっと縮まるの。そういうことが出来た人がお友だちになるのよ。いつまでも殻に閉じこもって、他人のために何もしてあげられない人にお友だちなんて出来ないわ」
「ティーナが私の目の前で瀕死になってみせたのもそれかい?」
「そうよ。わたくしは命をなげうつ覚悟を貴方に見せて、それだけのことが出来る人間であることを示したの。どう? 効果はあったかしら」
にっこりと笑ってみせるティーナ。
「ティーナ」
「きゃっ!」
ゴンッ
突然ルフェールがティーナに飛びついたのでティーナはヘッドボードに頭をぶつけた。
「痛いじゃないのっ! 貴方本当に配慮が足りないわねっ」
「ねぇティーナ」
「何よっ」
頭をさすりながら怒った声を出す。むっとした顔で睨んでいるようだが、可愛らしい顔なので威力は弱い。
「私はティーナを信じるよ。だからティーナ。私のことも信じて」
「それなりに信じているわ。貴方、約束はちゃんと守ってくれるし……。こうしてわたくしも生きているのだから」
ルフェールは回りくどいが嘘偽りを語ったり、約束を破ったりするようなことはしていない。その点についてはティーナも認めており、信頼していると言っても良かった。しかし、ルフェールは「いいや」とティーナを否定した。
「もっと。もっと私のことを信じて欲しいんだ。もっともっと、私しか見えないくらいに」
それは信じるということとはまた別なのではないかとティーナは思った。
もっと信じて欲しい。自分しか見えないくらいに。
盲信して欲しいと言っているように聞こえるが、そうではないようにティーナには思えた。真っ直ぐな赤い瞳が、とろけるような瞳が教えてくれている。ルフェールが言っていることは、たぶんきっと愛して欲しいということだ。それに彼は気づいていない。
「……ルフェールがわたくしの信頼を得られるだけの人になれば良いのよ」
思えども言わず、ティーナは彼に話を合わせることにした。
ルフェールは顔を上げた。
「どうすればティーナは私を信じてくれるのかな?」
「人が人を信じるためにはまず仲よくなることね。貴方お友だちがいないでしょう? まずはわたくしとお友だちになりましょう」
「友だち……それは、嫌だ」
「どうして?」
ティーナは小首を傾げた。
ルフェールはベッドに両膝を突いて上体を起こし、左手でティーナの太ももを掴んだ。びくりと震えた足を引っ張り、ベッドの上を滑らせて視線を合わせる。左手はそのまま太ももに添え、右腕は顔の横に突いた。さらりと髪が白いカーテンを作る。
「友だちではない関係になりたい。より親密な関係に」
左手が太ももを撫で、やけに整った顔が近づいてきた。ティーナは思わずルフェールの口を左手で塞いだ。
「……親友ってことかしら?」
「どうだろう。私はティーナが欲しいんだ。初めて欲しいと思ったものだ」
ルフェールはぎゅっとティーナを抱きしめた。少しだけ苦しい。
「わたくしは物じゃないわ。そういうところが嫌いよ」
「嫌だ。嫌いになってほしくない。私はどうすればいい? 私がティーナに何かをしてあげられれば、ティーナは私のものになるのかい?」
ティーナはため息を吐いた。
「何かをしてもらっても貴方のものにはなれないわ。わたくしには帰る場所があるの。そもそも、貴方から欲しいものなんて何もないわ。ただ少しお話し相手になってくれればそれでいいわ」
「私はティーナに何でもあげられるよ? それなのにティーナが私に望むのは、話をすることだけなのかい?」
ルフェールの身体が離れた。不思議そうな顔がティーナを見下ろしている。
「……わたくしは欲しいものを全て手に入れられるの。貴方に頼らなくてもわたくしが望めば何だって手に入るわ。美味しいお食事も、楽しいバカンスも、素敵なドレスや可愛いぬいぐるみや綺麗な宝石だって。わたくしはメレズディ家の女なのよ。地位も名誉も、何もかもを、わたくしは持っているの。今更貴方に望むものなんてないわ」
「メレズディ家は男爵家だろう? ティーナが望むのなら、私がメレズディ家を公爵にだってしてあげる。田舎町ではなく、王都に住むことだって出来るよ」
「分かっていないわねルフェール」
ティーナはルフェールの肩を押した。今度はこてんとベッドに横になったルフェールの上にティーナが馬乗りになった。ティーナはルフェールの心臓に右手を当て、顎を上げて見下ろした。
「言ったでしょう? わたくしは欲しいものを全て手に入れられるの。いいえ、手に入れてみせるのよ。わざわざ貴方に借りを作らなくても、わたくしは何でも手に入れるわ。わたくしをただの男爵家の女だと侮らないことね」
ルフェールは数回瞬いてから自身の胸に置かれていたティーナの手を取り、上体を起こした。ちょうど赤い瞳と薄い茶色の瞳の視線が横一直線に並んだ。
「ティーナは繊細なのに、とても強い心を持っている。それでいて賢いね。貴方のようなひとに出会ったのは初めてだ。やっぱり嫌だな。欲しい。ティーナを私のものにしたい」
「素直なのは貴方の唯一良いところと言っても良いかもしれないわ。でも、残念ね。何度も言うけれどわたくしには帰る場所があって……婚約者もいるの。貴方のものになんてならないわ」
ルフェールは優しくティーナを抱きしめた。
「……ティーナのようなひとのことをずるいと言うんだろうね。ずるいひとだよ、ティーナは」
ティーナはルフェールを横目で見ただけで何も答えず、また抱きしめ返すこともなかった。ルフェールは閉じていた赤い目を開け、ティーナの温かさを感じながらじっと何かを見つめていた。
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