第9話 銀の宝石箱

「わたくしは怒っているわ!!」

「本当にすみません……」


 ぷんぷん音が聞こえる。


 淡黄色のドレスを着たティーナは食事をしている。今日のメニューは焼き野菜と白身魚のポワレ、ジャガイモのスープ、バターたっぷりのパンである。


「反省してんですかあの男は? まるで悪いと思ってねぇみたいでしたけど」


 ジョックスは腕を組んで眉を寄せ、鋭い目つきでレリアンを睨んでいる。レリアンは首を下げて身体を丸め、申し訳なさそうな様子だ。


「反省していると思いますけど……たぶん。いや本当に……こればかりは弁明のしようもありません……」

「反省とは?」


 低い声がして、レリアンとジョックスは振り返った。


 ウィンが鉄格子の扉の前に立っていた。どうやら尋問の時間になったらしい。初日はベルがゆっくり食事をするティーナを待つ時間があったため、それを考慮したレリアンが以降は尋問の時間を遅らせて調節してくれたのだが、今日は間に合わなかったようだった。ティーナの皿にはまだパンと魚が半分くらい残っている。


「すみませんウィン様。ティーナ様はお食事中ですので少し待っていただけますか?」


 レリアンが断りを入れる。ジョックスは何も言わずウィンを睨むだけだ。


 今にも殴りかかりそうな殺意のこもった目で。


 ウィンの尋問の時にティーナが泣かされたことが大きな原因だった。あの舞踏会の夜、二人を捕らえたのが彼ということにジョックスが気づいたということもある。ジョックスが彼に飛びかからないのは、彼には隙が無いと分かっているからだった。


 それはウィンも分かっている。だからウィンは剣に手を添えたまま気を抜かないし、ジョックスに話しかけもしない。ウィンはジョックスを一瞥しただけですぐに視線を外した。目が合えば殺し合いになることが分かっているからである。


「それは、待つ。しかし反省とは何だ。何かあったのか?」

「えっと……」


 レリアンは言い淀んだ。言うべきか言わざるべきか迷っているレリアンに、ウィンは珍しいなと思った。他に情報がないか探して動かした目に不機嫌そうな顔でもぐもぐ口を動かしているティーナが映ったので、ウィンは彼女が関係しているのだろうなと予想を立てた。


「言う必要がないのなら言わずとも良い。それより、これを。あの方からの依頼で買ってきた物だ」


 ウィンが左手に持っていた箱を差し出した。


 掌に収まる大きさの、凝った装飾の施された銀の箱だった。ところどころに赤色の石がついていて、蓋には一際大きなものがついている。


「あら、綺麗ね」


 ティーナが思わず嬉々とした声を出す。


「貴方に買ってくるよう言われたのだ」


 灰色の目をティーナに向け、銀の箱をレリアンに手渡した。レリアンはウィンから箱を受け取り、鉄格子の隙間からティーナの手に箱を置いた。ティーナの小さな手には少し余るくらいの大きさだ。


「何かしら」


 蓋を開けるティーナ。


「……可愛いわ。宝石箱ね」


 中には砂糖菓子が詰まっていた。白、桜色、淡藤、鳥の子、白緑。花の形をした色とりどりの砂糖菓子。


 ティーナは目をキラキラさせてその一つをつまんで口に運んだ。


 舌の上に乗せ、ゆっくりと溶かす。


「上品な甘さね……。とっても美味しいわ」


 ほろ、と笑顔が零れた。


 今まで申し訳なさそうな顔をして恐縮していたレリアンはやっと安堵した。


「やっと笑顔が見られましたぁ」

「誰の所為でこうなったと思ってんだ」


 ジョックスはじと、とレリアンを睨む。レリアンはあははと力なく笑った。


「やぁ紳士淑女の皆さん。ご機嫌麗しゅう。それはルフェールからの詫びの品かな?」


 抑揚のある声に似合う大げさな登場文句。


 セロがいつの間にかウィンの隣に立っていた。気配に気づかなかった男たちはそれぞれに驚いてセロを見た。


「セロ様!? 今日は貴方が来る予定では無いですよね?」

「気配を消して隣に立つな」


 大きな声を出したレリアンの裏で、ウィンが眉を少しだけ寄せて抗議する。セロはウィンの肩を叩いてからレリアンとジョックスの間に立った。


「いやぁ、面白いものが見られるのではないかと思ってね。うん、さすがルフェールだ。彼にはやはり審美眼があるね。素晴らしく素敵なお詫びの品だ」


 見事の装飾のされた銀の箱に入った可愛らしい砂糖菓子を観察して感想を述べるセロ。ジョックスは「こんなもんもらっても昨日のことは帳消しにならねぇからな」と不機嫌そうな声を出した。


「お前たち、先ほどから何だ。反省や詫びなどと口にして。昨日、何かあったのか?」


 ついにウィンは分かりやすく眉間にしわを寄せた。この場で昨日のことを知らないのはウィンだけだ。一人だけ蚊帳の外にされて気分がよくないのだろう。


 しかしレリアンとジョックスは顔を見合わせて沈黙し、ティーナは口をきゅっと結んで開こうとしなかった。


 恥ずかしさと情けなさで口にできないティーナ。さんざんティーナに教え込まれた乙女の気持ちを察して口を閉ざすジョックス。レリアンがルフェールの失態を話せるわけもない。不自然な沈黙が降りた。


「……気になるならルフェールに聞いてみると良い。彼が昨日の物語のメインキャストだからね」


 黙っていても埒が明かないと思ったのか、セロが笑顔でウィンを振り返った。ウィンは訝しげな顔をして「分かった」と踵を返した。どうやら本当にルフェールのところへ事情を聞きに行くことにしたらしい。気配が遠のいていく。


「ウィンって真面目よね」


 彼が完全に去ったタイミングでティーナは魚をほぐしながら呟いた。


「そうだね。真面目すぎる、融通の利かない男だよ彼は。けれどそこが良い。楽しい会話は出来なくても、彼の行動は時々面白いよ」


 それだけ言ってセロは何かを思い出したような顔をして「これを」とティーナに分厚い本を差し出した。赤褐色の革の表紙には白い文字が彫られている。


「まぁ! ありがとう!」


 魚を飲み込んでから本を手に取った。


「デヴォンの短編集だ。今の君にはピッタリかと思ってね」

「嬉しいわ! デヴォンに短編集があったなんて知らなかったわ」

「あまり出回っていないからね。この世に十冊とない貴重な本だよ。読んで気に入ったらあげるよ。私はもう一冊持っているからね」

「えっそんな貴重な本を姫様にあげちまっていいんですか?」


 ジョックスがセロの頭の上からティーナを覗き込む。セロは平均的な身長だが、ジョックスと並ぶと小さく見えた。


「構わないとも。本は読まれるためにあるのさ。私の書庫に置いてあるだけでは勿体ない。良ければ君も読むと良い」

「遠慮します。俺には本は難しすぎる」


 ジョックスは苦い顔をして首を振った。


「ありがとうセロ。ジョックスも読んでみなさい。短編集なら読みやすいわよ」

「文字は一行読むのがやっとです。それ以上は無理っす。頭に入らねぇし理解できねぇ。話を聞くと面白いとは思うんすけどね。俺は姫様に読み聞かせてもらうので十分だ」

「それは贅沢だなぁ。ティーナの小鳥のような声で極上の物語を読み聞かせてもらえるなんて、君はなんて運がいいんだ」

「そうですかね? まぁ運はいいと思うが。……レリアン。てめぇはどうなんだ? 本は読むのか?」


 レリアンは頷いた。


「読みますよ。教育の一環で一通り読みましたし、今もその習慣は残っているので時々手にします」

「それは初耳だ。レリアン、水臭いじゃないか。言ってくれれば良かったのに。私が無類の物語好きだと君は知っているだろう? 何故隠していたんだ?」


 分かりやすく驚いた顔をするセロ。レリアンは困ったように笑って頬を掻いた。


「セロ様ほど熱を上げているわけでもないですし、好きだと思うこともあるんですがほとんど頭の体操のような感覚で読んでいるので……。何だか申し訳なくて」

「はぁ。頭の体操ねぇ」

「好きの度合いは人それぞれよ。少しでも好きなら堂々と好きだと言って良いのよ」


 ティーナはパンを頬張った。すでに魚は食べ終わっており、今持っているパンを食べてしまえば食事が終わる。


「ティーナの言う通りだ。物語はマニアのためにあるんじゃない。不特定多数のこの世の皆を喜ばすためにあるんだ。少しでも好きだと、面白いと、興味を持つのなら手を伸ばすべきだよ」

「そういうもんなんすかねぇ」

「そういうものさ」


 それからも四人は他愛のない話を続けた。冗談めかしく語るセロに笑ったり、ティーナが尤もなことを言ったり、レリアンが時々辛辣なことを言ったり。ジョックスは会話に参加しながら、意識の半分は別のところに向けていた。ウィンが帰ってくる気配を探っていたのである。


 いくらか時間が経ったころ、ジョックスは気配を感じ取って開けっ放しの鉄格子の扉の方に視線を向けた。足音はほとんど聞こえないが、どうやら二人分の気配が近づいてきているようだった。


 ジョックスの変化に気づいたレリアン、そして、セロもティーナとの会話を続けながらそちらに視線を動かした。


「え!?」

「なっ!?」

「おっと」


 突然男三人が驚きの声を上げた。ティーナも「どうしたの?」と不思議そうな顔をして男たちの視線の先を追い、目を大きくしてから細めた。


「あら……ルフェール」


 白い男、ルフェールがそこにいた。白い長髪、白い肌、白い衣装に真っ赤な目。どこからどう見てもルフェールである。


 ルフェールの隣にはウィンが立っている。ウィンは彼にしては怒った顔をしているようだった。


「どうしたんですかルフェール様!? お部屋から出て来るなんて……」


 レリアンは信じられない、という様子で何度も瞬いてルフェールに近寄った。


 ルフェールは基本的に部屋に閉じこもっていて会いに行かなければ姿を見ることが出来ない。昨日のあの時でさえ珍しいことだったのに、ウィンと共に部屋を出てくるなど今までの彼にはなかったことだった。ウィンだって閉じこもっているルフェールを外に出すような人物ではなかった。


「ウィンが謝れと言うから来た」


 赤い目をウィンに向けるルフェール。ウィンは灰色の目で睨み返した。


「当然です。たとえ貴方であっても許されない行為です。レディに非礼を詫びなさい」


 ルフェールとウィンの背は同じだが、鍛えられている分ついた筋肉のおかげでウィンの方が大きく見えた。


「……私は謝るべきなんだろうか」

「レディが怒っているのですよ。怒っていなくとも、女性の入浴中に断りもなく侵入するのは紳士としてあるまじき行為です。反省なさい」


 ウィンがルフェールを窘める。これではどちらが主か分からない。ウィンの方が大きく見えるのは体躯の所為だけではないかもしれなかった。


「謝るの?」

「謝ってください」


 威圧するウィン。


「ティーナ……。なんだか分からないけれど私は貴方に謝らなくてはならないようだ。……ごめんなさい」


 余計な言葉はあったが、ルフェールは素直に謝った。


 レリアンは驚いて目をぱちくりさせ、ジョックスはそれでも許せないという顔をして睨んだ。当のティーナはというと、両手に銀の箱を乗せて小首を傾げていた。


「これは貴方がくれたの? ルフェール」

「うん」


 ルフェールはこくりと頷いた。


「昨日の貴方はすごく怒っていた……。貴方はいつも私に怒るから、また私が貴方を怒らせたんだろうと思って用意したんだ。……甘いものを食べたときのティーナはとても可愛らしく笑うから……笑ってもらいたくて……」


 ぽつりぽつりとルフェールは語った。


 ルフェールは悪いことをしたとは全く思っていない。言動一つをとっても反省しているようには見えない。謝ったのもウィンに言われたからだ。けれど彼は、心の底からティーナに笑ってもらいたいと思っているようだった。


 美しい、銀の箱。銀細工は値が張る。小さな箱一つで家が建つ。おまけに中に入っていたのは砂糖菓子だ。砂糖のカタマリはまだまだ貴重な代物で、物によっては銀にも引けをとらない。そんな高価なものを、ティーナのためだけにルフェールは用意したのである。


「そう」


 ティーナは銀の箱を開け、砂糖菓子を一つつまんで口に入れた。砂糖菓子は口の中でほろほろと崩れ、溶けていく。口の中いっぱいに広がる優しい甘さにティーナは思わず笑顔になった。


「ありがとうルフェール。昨日のことはなかったことには出来ないけれど、許してあげるわ」


 優しい笑顔だった。ルフェールも安堵した様子で微笑んだ。


「貴方こそ、砂糖のようだ。笑顔は柔らかいし、何より身体が柔らかい」

「……」


 ティーナが真顔になった。


「色も白くて、良い香もした。今までに感じたことのない気持ちになったよ。もう一度その気持ちを味わってみたいから、また一緒にお風呂に入って貴方の身体を触ってみたい」


 ティーナは銀の箱を閉めてサイドテーブルに乗せ、そっとベッドに寝転がって頭から布を被ってしまった。


「どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないわ! けだもの! 貴方は天使の皮を被ったけだものよ!」


 布の中から怒号が響く。ルフェールは小首を傾げた。


「どうして怒るんだろう……」


 はぁ。ジョックスは大きなため息を吐いて腕を組んだ。ここまでくると怒りを通り越して呆れる。どうやらレリアンも同じことを思ったようで、困ったような顔で曖昧に笑っていた。


「……私が教育しておきます、レディ」


 ウィンでさえもため息交じりだった。ただ一人、


「ふふっあっはっはっは!!」


 セロだけが大きな声を上げて笑った。


「いやぁこんなに面白いものが見られるとは! 失礼ティーナ。君には申し訳ないけれど、可笑しくってね!」


 大きな口を開けて腹を抱え、楽しそうに笑うセロ。


「ふん! 好きなだけ笑えばいいわ!」


 ティーナは鼻を鳴らし、


「そんなに大きな声で笑うセロを初めて見た」


 セロの笑い声が響く中でルフェールはぽつりと呟いたのだった。

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