第7話 三人目の尋問

 鳶色の髪の男、キッドは茶を飲んでいる。


 ティーナは若草色のドレスを着て椅子に座っている。その向かいの椅子に座り、間に小さな丸い机を置いて、キッドは足を組んでカップを傾けていた。もちろん、ティーナの分のお茶も用意されている。


「……貴方は何も聞かないの?」


 ティーナはお茶を一口飲んだ。キッドはカップをくるくる回して水面を見て楽しんでいる。


「若草の君は私からの辛くてきつい尋問がお望みなのかな?」


 悪戯っぽく笑って金色の目をティーナに向ける。ティーナが黙っていると、キッドは「なんて、冗談だよ」とくすくす笑ってお茶を飲んだ。


「然るべきことには然るべき人が対処すべきだ。必要なことはベルやウィンがやるさ。私はただ物語の行く先を見つめるだけ。私の役目はほとんど終わっているも同然なんだよ」


 キッドは空になったカップを掲げてひとしきり底を見つめてから二杯目を注いだ。こぽこぽという音と共に、湯気が香り立つ。


「……貴方たちはわたくしを尋問して、その後はどうするの?」

「裁判官の真似事さ。有罪か無罪か決めるんだ。私たちが集めた情報を元にこの城の王は判決を出すのだけれど、王は私たちにも意見を求めるからね。私たちも判決を出さなくてはならない」

「貴方はさっき自分の役目はほとんど終わっていると言ったわ。その判決ももう決まっているの?」

「無罪だよ」


 さらりと言ってキッドはお茶を飲んだ。あまりにも自然にそう返したものだから、ティーナはすぐに答えられなかった。


 一口お茶を飲んでからゆっくりと口を開く。


「どうしてそう言えるの? 貴方はわたくしのことを何も知らないのに」

「若草の君が犯人ではないということを知っているからだよ。それに、私は貴方のことを知っているんだティーナ・レイラ・メレズディ」

「何を知っているの?」


 ティーナはカップをソーサーに戻した。カップが空になっていることに気づいたキッドが二杯目を注ぎながら答えた。


「ティーナが考え得る全てのことさ。家族構成や交友関係、性格もろもろ何でもだよ。あまりレディのことを犬のように嗅ぎまわるのはよくないと思ったけれど、こんな状況だからね。事前にできることはさせてもらったよ。ティーナは随分ワガママなお姫様なようだ。いいね。欲が深い女性は好きだよ」

「よく言われるわ」


 キッドはくすくす笑いながら足を組み替えて机に頬杖を突いた。


「可愛らしい人だと」

「よく言われるわ」

「お転婆とも」

「よく言われるわ」

「いつも変わらず幸せそうだと」

「よく言われるわ」

「乗馬が苦手で一人で馬に乗れない」

「そうなのよ」

「非力で運動能力もほとんどない」

「なくても大丈夫なの」

「誰からも愛されている」

「当然だわ」

「顔が広い」

「どこまでのことを言っているのかしら」

「思ったより頭が良い」

「誰の意見なの、それ」

「最後は私の印象だよ」


 にっこり、キッドは笑った。ティーナは分かりやすく肩を落としてみせた。


「思ったより、なんて失礼ね」

「そんなつもりではなかったのだけれど、気分を害したのなら謝るよ」

「その必要はないわ。わたくしも言ってみただけだから」


 キッドはにこにこ笑いながらお茶を飲む。ティーナもカップを口につけたが、あまりにもじっとキッドが見てくるものだからお茶が喉を通らなかった。


「なあに?」


 思わず不満そうな声を出す。するとキッドはふふふと笑ってカップを置いた。


「楽しいなと思って。ティーナのような人と話せる機会はそうそうないからね。ベルやウィンも含め、貴族や王族はみんなつまらないことしか言わない。その場限りの社交辞令や、どこの金回りが良いとか悪いとか。そんなことを話して何が面白いのか」


 キッドはわざとらしくため息を吐いて呆れた態度をとった。


「そんなに楽しい会話をしているつもりはないけれど、貴方は楽しいの?」

「楽しい。もっと腹の探り合いになるかなと思って億劫だったのだけれど、そうではなかった。ティーナは思っていたより賢くて、そして直球だ。話しやすいよ」


 ぱっと表情を変えるキッド。今度はティーナがため息交じりの声を出した。


「まどろっこしいのは嫌いなの。必要とあらばそうすることもあるけれど、貴方には必要ないみたいだし。思ったより頭が良い、という意見をそのまま貴方に返すわ」


 こくりとお茶を飲み下す。キッドはにこにこ笑った顔のまま頬杖を突き、身を乗り出してきた。距離が近くなり、ティーナは少しだけ身を引いた。


「そろそろ私の名前を呼んでほしいなティーナ。キッド、なんて呼ばないでくれよ」


 一度開いた口が閉じ、すぐに開いた。


「セロ・バンテス・ロッカード・ジュニア。セロと呼ぶ? それとも卿と呼んだ方が良いかしら?」

「あはは! やっぱりすごいなティーナ!」


 キッド……セロは大きな口を開けて笑った。


「セロ。セロと呼んでほしい。それからどうして分かったのかこの私に教えてほしいな」

「分かるわよ。鳶色の髪に金色の目。二十代前半で女性の扱いにも慣れていて、王都の貴族の社交界に顔を出せる人物なんて限られるわ。仮面を取って顔を晒しているのだからもう確実よ。わたくし、国の要人の似顔絵はしっかりチェックしているのよ」

「勉強熱心だなぁ。いやぁすごいな。ベルやウィン……ひょっとしてルフェールのことも分かる?」

「そういうことになるわね。……ルフェールのことは立場くらいしか分からないけれど」

「あはは! すごい! 私は目立っている自信があるから気づかれているだろうと思っていたが、ベルやウィンのことも分かるなんてね! まぁルフェールは分かりやすいにしても、二人のことが分かるのは相当だと思うよ」


 セロは金色の目を輝かせている。ティーナは随分褒めてくれるじゃないの、と言って机に腕を置いて身を乗り出した。二人の距離が随分近くなった。


「わたくしに言わせれば二人とも分かりやすいわ。ウィンはあの髪色で剣が好きだと言っていたし、騎士団を率いていたもの。ベルは何人か当てはまる人がいたから迷ったけれど、人物像から搾れたしセロたちと一緒に出てきたから確信したわ。国を動かす貴族の一人であるロッカード公爵の御子息様に匹敵する人物でしょう? なんて分かりやすいヒントなのかしら」

「田舎貴族は王都が雲の上にあると思っているからね。私たちのことですら知らないことが多いよ。辺境では情報を集めようと思わなければ集められないから、その土地の周辺だけで完結してしまうんだ。けれどティーナは違う。そんなに私のことが気になっていたのなら、文の一つでもくれれば良かったのに。喜んで会いに行ったよ。バラを持ってね」


 セロがティーナの鼻先で手を回し、桃色のバラを出す。するとティーナは相変わらず素敵ね、とそのバラを受け取った。


「セロだけじゃないわ。ウィンにだってベルにだって、その他の方にも興味はあるわ」

「気の多いひとだ」


 金色の目が細められる。


「そんなことないわ。わたくしにはもう、婚約者がいるの。わたくしはその方一筋よ」

「罪なひとだ」


 セロは微笑み、右手を伸ばしてティーナのこめかみから側頭部を掻き上げた。


 ティーナはゆっくりと瞬きをして露わになった耳に手を伸ばした。すると何かが指先に触れた。しっとりとした感覚。無数のひだ。花であることはすぐに分かった。


「ティーナには花が似合うね」


 栗色の髪に白いバラが咲いている。


 大きな薄い茶色の目に、微笑むセロが映る。


「良ければその人のことを話してほしい。ティーナのことを、もっと知りたいんだ。良いだろうか?」

「良いわ。その代わり、セロのことも同じくらい聞きたいわ」

「なんなりと」


 上体を起こし、セロは胸に手を当てて目を閉じ、軽く礼をしてみせた。その姿勢のまま、片目を開けてティーナの様子を伺う。ティーナはくすくす笑って話し始めた。


「お祖父様が決めたの。来年結婚するのよ。でも不満はないわ。だってとても素敵な人だもの。欲を言えばもう少しわたくしに構ってほしいのだけれど、お役目が忙しくてそうもいかないのよ」

「贅沢な男だなぁ。ティーナのことを独り占めできるのにしないなんて。私ならティーナの傍を離れないだろう。役目があっても連れて行くかもしれない」

「嘘ばっかり」


 大げさに首を振ってみせたセロに、ティーナは呆れた声を出した。


「セロは自由が好きでしょう? たった一人の誰かに縛られるなんて有り得ないわ」

「私のことをよく分かっているね」


 セロは目を細めた。


「そう。ティーナの言う通り、私は自由が好きだ。物語に縛られる登場人物ではなく、私は物語を作る作家でありたい。自由に考え、自由に動き、自由に過ごすのが私の理想だ。けれどその全てをなげうってでも貴方が欲しいと言ったら、ティーナはどうする?」

「どうもしないわ」


 手の中で桃色のバラをくるくると回すティーナ。つい、と動いた瞳にセロが映る。


「さっきも言ったけれど、わたくしには婚約者がいるのよ。その方以外有り得ないわ。わたくしのために誰かが破滅しようとも、わたくしの知るところではないわ」

「残酷なひとだ」


 セロは笑った。残酷だと言っておきながらまるで悲観しておらず、面白いものを見る目をしていた。


「ティーナは頑固だね。こうと決めたらそれを曲げない。ワガママなのもその所為かな。妥協を許さない性格だから、傍から見るとワガママに映るのかもしれない」

「さぁどうかしらね。それはわたくしには一生分からないことだわ。他人から見たわたくしの印象なんて、他人が決めることだもの。セロはどう思うの? わたくしをワガママだと思う?」

「もちろん思うよ。けれどティーナのワガママは可愛いものだ」

「あら、どうして?」

「ティーナは叶えられるワガママしか言わないからさ」


 言ってセロはティーカップを持ち上げ、じっとティーナを見ながらお茶を飲んだ。ティーナはセロがカップを戻すのを待ってから口を開いた。


「……貴方本当にわたくしのことが好きね」

「おや、気づかれてしまったなぁ。そうだよ。私はティーナのことが好きだ」


 セロはにっこりと笑った。セロの笑顔は心の底から人生を楽しんでいる者の見せる、屈託のないものだ。腹の内では何を考えているか分からない彼が見せる、この可愛らしい笑顔は随分と魅力的である。ティーナはため息を吐いた。


「罪なのはどっちよ。貴方はそれで何人の女の子たちを泣かせたの?」

「さぁ。数えたことがないから分からないな」

「酷いひと」


 ティーナもカップを手に取り、お茶を口に含んだ。


「私は悲劇よりも喜劇が好きなんだ。涙の数より、笑顔の数を数えたいのさ」

「笑顔の数も覚えていないくせに」

「ふふふ。私は皆を笑顔にするからね。私と出会った分だけ人は笑う。笑顔はこの世の人の分だけさ」

「強欲なのね」

「人は皆強欲だよ」


 カップ越しにセロを伺う。セロは相変わらず楽しそうに笑っている。


 何もかもが演技のように嘘くさい。それでいて何もかもに人情味が溢れているような気もする不思議な男。嘘偽りで己を覆い隠し、相手を騙そうとしているようには見えないが、本心が透けて見えることもない。この男について考えようとすればするほど、この男の本質から離れていくような気がする。


 ティーナはセロについて考えるのを止め、「そうだわ」と話を変えることにした。


「セロは物語が好きなのよね。良ければおススメの本をいくつか見繕ってくれないかしら。あのお部屋にいる時間は随分退屈なのよ」

「お安い御用だよ。私としても、私の愛するものについてティーナと語れるようになるのは願ってもないことだ。ストラトフォードは?」


 ストラトフォードというのは王都で今最も有名な作家の名である。


「好きよ」

「ペテル」

「嫌いじゃないけれど」

「デヴォン」

「わくわくするわね」

「なるほど、よく分かった。君の知らない物語でティーナの好きそうな、私のおススメのものを持ってくるよ。期待して良い。私の書庫は王都でも随一だからね」

「楽しみだわ」

「私も楽しみだ」


 二人は笑いながら同時にお茶を飲んだ。

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