第6話 ウィンの尋問

「俺はベルのように甘くない」


 青鈍色の髪の男は開口一番にそう言った。


 ティーナはウィンという男を見上げた。ウィンは足を揃えて立ち、右手を必ず剣の柄に添え、三白眼の灰色の瞳で鋭くティーナを見下ろしていた。ジョックスほどではないが背が高く体つきもよく、背筋も綺麗に伸びている。


 隙の無い男だとティーナは思った。


「……ベルはとても優しいわね。世間知らず……というよりは世の奥深さをまだ知らずにいるみたいだわ」


 ゆっくりと答える。


「これから貴様の尋問を開始する。聞かれたことだけ答えるように」


 しかしウィンはティーナの言葉に対する返しをせず、一方的にそう告げた。表情はまるで無く作り物のようで、声もまた、何の感情も含んでいないように思えた。


「分かったわ」


 ティーナは背筋を伸ばした。


「貴様は三日前の夜、仮面舞踏会に参加していたな」

「えぇ」

「貴様はその会場で白髪の男と踊ったな」

「そうよ」

「貴様と踊り終わった後、白髪の男は死んだな」

「そのようね」

「貴様が白髪の男を殺したのだろう」

「違うわ」

「違うと言うのなら身の潔白を示せ!」


 ウィンの怒号が響き渡った。突然の大声にティーナの身体はビクリと跳ねた。


「……わたくしには彼を殺せないわ。人の殺し方なんて知らないもの」

「人は簡単に死ぬ! 刺せば死ぬ! 殴れば死ぬ! 毒を盛れば死ぬ! 口と鼻を塞げば死ぬ! 貴様にも分かるはずだ!」

「刺してないわ。殴ってないわ。毒なんて盛ってないわ。口と鼻を塞いでなんてないわ。わたくしはただ、あの方と踊っただけよ」


 ティーナは薄い茶色の目を潤ませながら必死に平静を装って訴えた。しかし、ウィンの表情は、態度は、何も変わらない。


「機会はあった。貴様にしか機会はなかった。貴様は最後にあの男と踊った人物だ」

 冷たい瞳が見下ろしている。

「っ、けれどっ」


 喉が情けなく震えた。一度言葉を切り、軽く息を吐いて整える。


「……殺していないわ。機会はわたくし以外にも、あの場にいた全員にあったはずよ」

「最も怪しいのは貴様だ! 貴様と踊り終わった途端にあの男は死んだのだ。それまでは生きていた。貴様と踊りさえしなければ、あの男は生きていた!」

「それは違うわ! 最後に踊ったのがわたくしでなくてもあの方は死んでしまったでしょう!」

「何故分かる! 貴様が首謀したからか!」

「違うわ! 誰かがわたくしをはめようとしたからよ!」

「それは誰だ!」

「知らないわ! わたくしに分かるわけがないじゃない!」


 ティーナは淡い黄色のドレスをぎゅっと握り、下からウィンを睨んだ。ウィンは無表情にティーナを見下ろしている。


「わたくしはついこの間王都にやって来たばかりなのよ!? 王都には田舎にはない素敵なものがたくさんあって、とても楽しくて……。あの舞踏会も楽しいものだとばかり思って参加したのよ。それなのに、目の前で人が死ぬなんて……」


 う、とティーナの喉が鳴った。それと同時にじわ、と涙が湧いたが、ティーナはなんとか涙をこらえた。


「突然、倒れたのよ。わたくしの目の前で、突然、動かなくなったの。さっきまで一緒に楽しく踊っていた方が……冷たくなってしまったの。訳が、分からなかったわ。突然のことに頭が真っ白になって……。人が……。人が、死んだのを見るのは……お父様とお母様以来よ……」


 瞬くと涙が一筋流れた。


「お父様とお母様も突然だったわ……。突然わたくしの前からいなくなってしまったの。出かけて来ると言って、戻らなかった。……馬車が山から落ちたの。前日は嵐の日で、地盤が緩くなっていて……。お父様とお母様は、冷たくなって帰って来たわ。綺麗な死体だった。お祖父様が綺麗にしてくださったのね……。あの夜の死体に似ていたわ……」


 瞼が動く度に涙がほろほろと零れる。ティーナは鼻をすすり、指で頬に伝った涙を拭きとった。


「……どうして、わたくしばっかり。貴方、お父様とお母様は御健在?」


 ティーナは涙で濡れた瞳を向け、穏やかな表情でウィンを見上げたが、ウィンは何も答えなかった。


「……兄弟はいるのかしら?」


 灰色の目は何も語らない。


「……わたくしにはお兄様がいるわ。とても正義感の強い、優しいお兄様よ。お父様とお母様が亡くなって、お兄様はわたくしに誓ったわ。何が何でもわたくしを守るって。ワガママだって何だって聞いてあげるって。めいっぱい甘やかして、大切にしてくださるって。……だから、絶対に、自分よりも先に死ぬなって……お兄様はわたくしに約束させたわ」


 ティーナは視線を足の上に乗せた自身の手に落とした。


「わ、わたくしがここで死んだら……お兄様は、すごく……すごく悲しむでしょうね……。もしかしたら今、お兄様はわたくしのことが心配で、夜も、眠れないかも、しれないわ……」


 声が震えて言葉が詰まる。


「早くお兄様を安心させてあげたいわ。わたくし、潔白よ。早くここから出してちょうだい。お願いよ」


 すんすんと鼻をすすりながら手で目の下辺りを押さえるティーナ。


「それは出来ない。貴様の容疑は晴れていない」


 しかしウィンは淡々とした口調で言った。無表情で、何の感情も籠っていない冷たい声で、ウィンはそれだけ言った。


 ティーナの目に再び涙が湧いた。


「どうして!? わたくしは何もしていないわ! それなのにどうしてこんなところに入れられて、こんな生活をしなくてはならないの!? もう嫌よ! うんざりよ!」


 ティーナは突然立ち上がり、扉に向かって駆け出した。しかしすぐウィンに後ろから両腕を掴まれてしまった。


「放して! もうこんなところにいたくないの! わたくしを自由にさせて!!」


 暴れたが非力なティーナではまるで意味がない。腕をばたつかせ、足を踏ん張り、身体を前に倒して進もうとするが、ウィンの身体は微動だにしない。ティーナの目から涙が溢れて流れ出した。


「ねぇどうして!? どうしてわたくしなの!? どうしてわたくしがこんな目に合わなくてはならなかったの!?」


 右腕が自由になった。ティーナはすかさず手を伸ばし、扉の取っ手を掴もうとした。


「!」


 しかし、寸でのところで身体が浮き上がり、取っ手を掴むことは出来なかった。ウィンが右腕をティーナの腹に回し、抱き上げたのである。


「嫌! 離して!」


 ティーナは自身に巻き付くウィンの腕を拳で叩いた。ティーナが渾身の力で叩いても、ウィンには痛くも痒くもない。ウィンは無言でそのまま椅子の前まで戻り、丁寧な動作で椅子にティーナを座らせた。


「嫌! ここから出して!」


 すぐさま立ち上がり、逃げようとするティーナ。しかしウィンがその向かいでティーナの両手を握ったのでティーナは思わず立ち止まった。ウィンの温かく大きな手がティーナの手を包み込んでいる。


「落ち着くのだ、レディ」


 優しい低音だった。


 ティーナはすん、と鼻をすすり、椅子に腰かけた。


「良い子だ」

「……子どもじゃないわ」


 ウィンも向かいに用意されていた椅子に座り、上体を少し下げてティーナと視線を合わせた。


「この状況は貴方にとってとても不本意だろう。しかし、俺たちにも事情がある。貴方には語れない事情があるのだ。俺たちのことを分かってくれとは言わない。今すぐ貴方をどうにかしてやれるものでもない。貴方はまだ容疑者だ。それは変わらない。今はただ、俺たちに従ってほしい。悪いようにはしない。貴方を一人のレディとして扱おう。最低限、それだけは守る」


 穏やかな表情で、一つ一つ言い聞かせるように、ウィンは真摯な態度で語った。それが嘘や出まかせでないことはティーナにも分かった。この男は、間違っても己の言葉を曲げるような人物ではない。あの夜の彼は誠実だった。


「……いいわ。従ってあげる。貴方たちの尋問も、日の当たらない暗いお部屋での一人寂しい食事や、たいくつな毎日にも我慢するわ。……音楽くらいあっても良いとは思うのだけれど」

「音楽……」


 ティーナは頷いた。


「そうよ。好きなの。それくらいあっても良いと思わない?」


 小首を傾げるティーナ。まつ毛の上に涙の粒が乗っている。ウィンは右手の人差し指で優しく涙を拭いてやった。するとティーナはぼそりと呟いた。


「貴方、妹がいるのね」


 ウィンは表情を変えなかったが、驚いたのだろうと感じさせる間が空いた。


「……そうだ。貴方に似てすぐに泣く妹だ」

「何歳なの?」

「今年三つになった」

「あら、小さいのね。……わたくしとその子が同じなの?」


 ティーナは不満気に口を尖らせた。するとウィンは軽く目を閉じて答えた。


「……似ている。気に入らないことがあると彼女もよく、そういう顔をする」


 ティーナは唇を引っ込めて真面目な顔をした。それがおかしかったのか何なのか、ウィンは彼にしては微笑んだ顔でティーナの頭を撫でたのであった。

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