第5話 ベルの尋問

 香り立つ温かいお茶とバターたっぷりのパン。赤ワインで煮た子牛のフィレに、デザートは甘くとろけるチーズケーキ。


「……良いご身分だな」


 鉄格子の中である。


 牢獄にそぐわない白いシーツの大きなベッドに座り、サイドテーブルの上に乗ったそれらを食べる淡い青のドレスの少女に向かって少年……いや、男が嫌みたらしく言った。


「食べたいのなら少しあげても良いわよ」


 ティーナはにっこりと笑った。


「誰が食べたいと言ったんだ。俺は囚人の分際でどうしてこんな厚遇を受けているのかと詰ったんだ」


 金と銀の間の髪色の男、ベルは眉を曲げて不機嫌そうな顔をする。


「てめぇ。姫様を詰るとは良い度胸じゃねぇか」


 ベルの後ろでジョックスが青い目を光らせる。ベルが振り返ると、大きなピアスが音を立てて揺れた。


「従者がこのレベルだ。主の底も知れているな」


「姫様を悪く言うんじゃねぇ!」


「まぁまぁお二人とも。落ち着いてください。お茶でも飲みますか?」


 困ったように笑うレリアンが二人の間に入って仲裁をする。


「もう一杯入れてくれるかしら」


「はい、ただいま~」


 しかしティーナに呼ばれ、お茶を入れに離れてしまった。また喧嘩が勃発するかと思いきや、ベルもジョックスも呆れた顔をしてティーナを見ていた。


「君は俺の話を聞いていないのか」


「姫様ぁ。お茶はまぁ良いとして、そんな不味いもん食わねぇでくださいよ……」


 ティーナはレリアンが入れてくれたお茶を口に運ぶ。テーブルの上の料理は全てなくなっていた。


「聞いているわよ。取るに足らないことだったから流しただけよ。もっと楽しいお話をしましょう。それからジョックス。美味しいわよこのお料理」


「美味しいですか!? 良かった~! 今度は美味しいと言ってもらえるように頑張ったんですよ!」


 何かを言おうと口を開いたベルとジョックスだったが、レリアンが間髪入れずに嬉しそうな声を上げたので言えなかった。


「レリアンが作っているの? すごいわね!」


「ありがとうございます~。褒めてくださったのはティーナ様が初めてです」


 照れたように笑い、レリアンは頬を掻いた。


「何でも作れるの?」


「そうですね。食べたことがあるものなら作れると思いますよ。……たぶん」


「それじゃぁお夕食はお野菜がたっぷり入ったスープを飲みたいわ! バターたっぷりのパンと、それから子牛のフィレ!」


「ティーナ様はお野菜もお好きなんですね。貴族にしては珍しいです」


「あら。お野菜も美味しいわよ。食わず嫌いをして美味しいものを美味しいと言えないなんて、気の毒だわ」


 レリアンはふふ、と笑った。


「そうですね。では、野菜たっぷりのスープとバターたっぷりのパン。それから子牛のフィレステーキをご用意いたしますね。デザートにチェリーパイはいかがですか?」


「食べたいわ! ありがとうレリアン! 嬉しいわ!」


 ティーナは手を叩いて喜んだ。目の前で大げさに喜んでくれるティーナを見て、レリアンはにこにこ嬉しそうに笑っている。


 ため息が聞こえた。ジョックスのものより少し高いので、それがベルのものだというのはすぐに分かった。


「君たちはお気楽だな」


 ベルの言う通りである。牢の中の人物と牢の外の人物が直接する話の内容、雰囲気ではない。


「まぁいい。そうしていられるのも今の内だけだ。君、もう食べ終わったな? だったら行くぞ。君はこれから俺の尋問を受けるんだ」


「尋問?」


 ジョックスが何を言っているんだという声でベルのつむじを睨みつけた。ベルはジョックスの視線に気づいていたが無視し、ジョックスの問いに対する答えをティーナに返した。


「君たちは舞踏会の場で人を殺したかもしれない容疑者だ。この城の主はそれを憂い、俺たちに君を尋問するよう命じた。これから毎日、疑いが晴れるまで俺たちが交代で君を尋問する」


 ティーナはこくりと紅茶を飲み下す。その薄い茶色の瞳がじっとベルを見つめていた。ベルはむ、とした顔をした。


「君は……ぐぇっ」


 言葉が喉に詰まった。後ろから強い力で襟を引っ張られ、首が締まったからだった。


「容疑者だと!? 姫様は無実だ! そんな扱い、俺が許さねぇ!」


 言わずもがな、犯人はジョックスである。ジョックスはベルの襟に指を引っ掛け、引っ張り上げたのである。


「くっお、いっ! 放せっ!」


 ベルが暴れる。しかしまるで意味のない抵抗だった。第一に体格が違い過ぎる。ジョックスとベルとでは身体が二回りも三回りも違う。そして力の差も歴然としていた。ジョックスは片手でベルの踵を浮き上がらせているが、ベルはジョックスの手を外せないでいるのである。


「ジョックス、いいのよ。放してあげなさい」


 カップをソーサーに戻したティーナがたしなめるとジョックスは放り出すようにベルを開放した。ベルはげほげほと咳き込み、ジョックスの胸ぐらを掴んで引っ張った。右手には長剣を持ち、ジョックスの首に突き付けている。


「お前! 使用人の癖に俺にたてつくとは何事だ! 串刺しにしてやろうか!?」


「やってみろよ。てめぇの剣じゃ俺の身体は貫けねぇぞ」


 ジョックスは素手でぐっと長剣を掴み、力を込めた。


「!」


 剣が押し返される。指の腹で掴んで力を込めているだけなのに力負けする。


 どんな馬鹿力だ、とベルは心の中でジョックスを詰った。


「お二人ともやめてくださいよ~。大怪我してもここでは十分な治療ができませんからね。自己責任ですよ!」


「弟分ができて嬉しいのは分かるけれど、やりすぎてはいけないわよジョックス。ほどほどになさい」


「嬉しくないっすよ!」「誰が弟分だ!」


 二人そろってティーナに抗議した。


「あら。綺麗に揃ったわね」


 ティーナがふふ、と笑う。


 ベルが空色の目を動かす。ジョックスが青い目を動かす。それが合うと、二人はそれぞれ舌打ちして顔をそらした。それも揃っていたのでティーナはくすくすと笑った。


 ベルは目を閉じて眉間に指を当て、心を落ち着けようとした。ジョックスは手を組んで手を出さないように自制することにした。


「……君を別の部屋へ連れていき、尋問する。お前はその間レリアンから離れるな」


「てめぇの指図は受けねぇ」


 ベルの眉がピクリと動く。


「レリアンを手伝ってあげてジョックス」


「……姫様がそう言うのなら」


 ジョックスは素直に頷いた。


 ベルはため息を吐き、鍵を使って牢を開けた。ティーナがベッドから降り、開いた扉の前に立つ。しかし、なかなか出てこなかった。


「何をしている?」


 ベルが眉を曲げて問いかけると、ティーナは言った。


「床が汚れているから歩きたくないわ」


「は? 君は何を言っているんだ」


「床が汚れているから歩きたくないと言ったのよ。貴方、わたくしを抱えてくれない?」


 ティーナは両手をベルに伸ばした。


「なっ!? どうして俺が君を抱えなきゃいけないんだっ!」


 ベルはあからさまにうろたえた。頬も赤い。どうやらあまり女性の扱いには慣れていないようだ。


 一方、男女問わずよくしてもらうことに慣れているティーナは頬を膨らませていた。


「こういう時は二つ返事で『はい』なのよ」


「こういう時もどういう時もない!」


「あら。貴方、雨上がりの日に女の子がドレスの裾を汚しそうになったらどうするつもりなの? まさかそのまま歩かせるつもりじゃないでしょうね? 避けて通れないのなら、抱えるくらいしてほしいものだわ」


 う、と言葉に詰まるベル。ベルが言葉に詰まっている隙にジョックスが二人の間に大きな身体を割り込ませた。


「俺が抱えますよ姫様」


「さすがジョックスね」


 ティーナは身を屈めたジョックスの腕の中に収まった。ティーナを抱えたジョックスが上からベルを見下ろし、にやりと笑う。ベルは怒りで顔が熱くなるのを感じた。


「こっちだ! こっちに来い!」


 カッカッと足を鳴らし、ベルは先を歩いていった。ジョックスは目を細めてからその背を追った。


 ベルが案内したのは、牢と円形の広場を仕切る鉄格子の扉の左隣にある部屋だった。木でできた扉を開けると、明るい光が目を焼いた。鉄格子の窓から陽の光が入っていて、部屋を照らしているのである。そして、部屋には二つの椅子が向かい合わせで置かれていた。


「久しぶりに陽の光を見たわ」


 部屋に入ったティーナが嬉しそうに呟いた。ジョックスもそうっすね、などと口の端を上げて返す。


「君はその椅子に座るんだ。そしてお前は出ていけ」


 ベルはティーナに奥の椅子に座るよう指示し、次にジョックスを睨みつけて追い立てた。ジョックスは眉を寄せて嫌そうな顔をしたが、ティーナがにこにこと手を振っていたので仕方なく部屋を出た。


 ふぅ、と息を吐くベル。


「ようやく尋問が始められるな」


 そう言ってティーナに向き直った。


 ティーナは椅子の傍に立っている。


「座れ」


 もう一度指示する。するとティーナはむすっとした顔をした。


「もっと優しく言ってちょうだい。わたくしは容疑者のようだけれど、犯罪者ではないのよ」


 ベルはう、と口をへの字に曲げてからため息交じりに言った。


「座るんだ」


「もっと優しく」


「……座ってほしい」


「いいわ」


 ティーナは椅子にちょこんと座って手と足を揃えた。こういうところはさすが、貴族の生まれである。


「……まず、状況を整理しよう」


 言いながらベルは向かいの椅子に座った。


「舞踏会で男が殺された。その男が死ぬ直前にダンスをしていた相手は君に間違いないな?」


「そうよ」


「それで君は容疑者となり、ここに連れてこられた」


「そうみたいね」


「俺は君を尋問し、情報を集め、君が人を殺したという罪を犯したのかそうでないのか適切な判断を下す役を命じられた」


「それってすごいことよね。貴方、すごい人なのね」


 ティーナは大きな目をキラキラさせた。


「えっ。ま、まぁ……この役は俺を合わせて三人しか命じられていないからな」


 ベルが少し言葉に詰まる。ティーナはふふんと笑い、人差し指を顔の横で立てた。


「当ててあげるわ。あのお茶会にいた方たちでしょう? 鳶色の髪の方と、青鈍色の髪の方よ」


「そうだ。彼らと俺で君を尋問する」


「そうなの。見たことのある方で良かったわ。あの場では自己紹介できなかったから、今しましょう。わたくしはティーナ・レイラ・メレズディ。ティーナと呼んで。貴方は?」


「俺はベルナ……ベルだ。ベルと呼んでくれれば良い」


 ベルは一度言葉を切り、気を取り直して名前を言った。


「そう、ベル。よろしくね」


 ティーナが右手を出す。ベルは差し出された手とにっこり笑うティーナの顔を交互に見て悩んでいる様子を見せたが、結局握手をした。好意的に握手を求める手を無下には出来なかったのである。


「……よろしく」


 ぼそり、とベルは呟いた。


「それで、ベルは何が聞きたいの?」


 ティーナは小首を傾げた。するとベルは少しだけ目を反らした。


「君が」


「ティーナと呼んで」


「……ティーナが、あの男を殺したかどうか。俺はそれが聞きたい」


 視線を戻すとティーナが真剣な顔をしていたので、ベルもじっとティーナを見た。


「わたくしはあの方とダンスをしただけよ。それ以外は何もしていないわ。お話さえも。あの方が亡くなって一番驚いたのは目の前にいたわたくしよ」


 ティーナは大きな胸を右手で押さえた。


「君の……ティーナの話をそのまま鵜呑みにすることはできない。やってないという証拠があれば良いが、ないだろう。ティーナは彼が死ぬ直前に傍にいて、彼の手を握っていたのだから」


「やったという証拠もないでしょう」


「それは、そうだが」


「そもそもわたくしは彼の死因を知らないわ。だって彼は綺麗に亡くなっていたんだもの。大きな傷を負ったようではなかったし、毒を飲んだわけでもなさそうだったわ。踊り終わったら、本当に、突然倒れてきたのよ」


「……毒だ。彼は毒で死んだんだ」


 ベルは床を見つめた状態で呟いた。


「飲まされたの?」


 ティーナが前のめりになる。


「いや、服の上から毒針で刺されたようだ。小さな傷跡と、その周りの皮膚が毒に侵されて変色しているのを見た」


「そう……可哀想に。毒針は見つかったの?」


 ティーナは身体を元に戻し、手を揃えて足の上に置いた。


「見つかっていない。回収されたようだ」


「それならどこかから飛ばしたというのは考えにくいわね……」


「どうだろう。離れたところから飛ばして毒針を刺し、気づかれないように回収することも出来ないわけではないからな」


「そうよね。そうするとあの会場にいた全員が怪しいということになってしまうわ。貴方たちが調べるのでしょう? 大変ね」


 ベルは思わず頷いた。


「そうだな。……君がやったのではないなら、その必要がある」


 空色の目を向けるとティーナは頬を膨らませた。


「さっきから言っているでしょう。わたくしは潔白よ!」


「毒針を刺した人物とそれを回収した人物がいるのならば、君は随分と怪しくなる。君にはあの態度の悪い従者がいるからな。死体に触ったのも、あいつが最初だった」


 ベルの目が鋭くなる。ティーナは肩を落とした。


「それはそうだわ。傍から見れば怪しいのも認めるわ」


 ベルは何度か瞬いた。


「……認めるのか? 意外だな……」


「事実だもの。確かにわたくしたちは怪しいわ。最後にあの方とダンスをしたのはわたくしで、最初に亡くなったあの方に触ったのはわたくしの使用人よ。わたくしが貴方たちの立場なら、真っ先に疑うわ。……状況だけを見ればね」


「状況だけを見れば?」


 ベルの片眉が上がる。ティーナはゆっくりと頷いて前のめりになった。


「あの会場だけのことを整理すれば怪しいのはわたくしたちよ。けれど、きっと、この事件はあの会場だけで完結するものではないはずよ」


「どういうことだ?」


「あの会場で人を殺すのは簡単じゃないわ。あんなにたくさんの人がいたのよ。それもあそこに入れるのは招待状を持っている、貴族や王族だけ。つまりこれは行き当たりばったりの、被害者は誰でも良い殺人計画ではないということよ。念入りにあの方を殺す計画を練ったはずなのよ。それには動機が必要で、殺人計画が実行された後のことも考えたはずだわ。あの日の、あの会場だけで完結していることじゃないわ。その前後から考えなくてはいけないのよ」


 ベルはじっと床を見つめたまま何かを考え始めた。眉間にしわを寄せ、口を結び、組んだ指を小刻みに動かしている。


「わたくしは田舎の貴族。ベルがわたくしのことを知らないように、わたくしも王都のことはおろかその周辺のことでさえ知らないわ。ほとんど誰とも交流のないわたくしが、仮面をつけている人たちの中で目的の人物を特定し、殺すことはほとんど不可能よ。そもそもわたくしにはメリットがないわ。亡くなった方が誰かも知らない。亡くなった方の敵となる人物と面識もないわたくしが、どうして殺人計画なんてするのかしら。それにこうして疑われてすぐに捕まってしまうような計画を立てると思う?」


 ベルは答えなかった。ティーナの薄い茶色の目から視線を反らし、床を見つめたまま、指を組んで合わせた親指をつけたり離したりしていた。


「ねぇ、ベル」


 空色の瞳にティーナの姿が映る。


「教えてくれないかしら。殺された人は誰なの? そして、この城の主……ベルたちにわたくしを調べるよう命じたのは誰なの?」


 沈黙。


 数秒、数十秒、ベルは口を閉ざしたままだった。ティーナはベルが口を開くのを黙って待った。


「……それは言えない。言えば君は……ティーナは、殺されてしまう」


 ややあって答えたベルの声は鉛のように重かった。

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