第5話
翌日、目が覚めた。窓の外を眺めると既に夕焼け空が広がっていた。質問が終わったのも大体この時間帯だった。つまり丸1日寝ていたということになる。
特にすることもなかったので窓の外の風景を見渡した。
眼に映る街は都会だった。自分は騒がしいのは嫌いだ。過去の自分がどうだったかはわからないが、この街に来る理由がわからなかった。もしかしたらこの街はただの通過点であり目的地はさらに向こうにあるのかもしれない。
街に出れば何か思い出せるかもしれない。根拠などないがなぜかそう思った。立ち上がった。幸いにも怪我をしているのは上半身と衝突された左足がほとんどだった。右足を軸に歩けば容易に歩けた。
歩くたびに蓄積する痛みを嘲笑するかのように、壁に付けられている手すりを頼りに、自動ドアの前まで来た。
脳は既に危険信号とも言える何かを大量に生産し、警告していた。だが立ち止まらなかった。立ち止まれなかった。脳は危険信号を出してるにもかかわらず、怪我の痛みさえも忘れさせてくれるほど大量のアドレナリンを放出していた。最早脳すらその行動とを矛盾させていた。
そっと手を伸ばす。ドアは当然のように開かれた。たったこれだけの動作なのにここの時間、空間さえも支配している異様な感覚に囚われていた。
既に怪我した左足でも歩けるようになっていた。後ろから何かを叫んでいる声が聞こえる。だが外に向かって歩き出した。無視ではない。ほぼ聞こえていないのに近かった。
ドアの外に出た。外を貪り歩くその姿はまるで現代に蘇った亡者のようだった
初めて見る外の風景は新鮮というよりは懐かしい雰囲気を感じられた。恐らく過去の記憶の断片がそうさせているのだろう。記憶の断片が過去に何度もここに来ていたということを教えてくれる。新たな発見だ。
外を歩く。人々は皆、驚嘆する様子でこちらを伺っている。当然だろう。パジャマ姿の包帯を体の至る所に巻いてる人が街へ出たら、誰だってそんな反応をするだろう。彼らの中には3日前のあの事故に居合わせた人も居るのだろう。こちらを見てコソコソと何かぼやいている人が見える。それと同時に、なにやら焦った様子で携帯を耳に当てている人物も見受けられる。
だが僕は歩を緩めなかった。むしろもっと歩を速めた。人目など気にならなかった。
過去を知りたいというこの気持ちがここまで自分を動かしているのなら、ある意味戦慄してしまう。もしかしたら自分は、過去を知るためなら人を殺すのもも厭わないのかもしれない。そう思えるほどに今の自分はひどく大きく逆らえない何かに突き動かされている。
しばらく歩くと大通りに出た。いつか見た風景に心が躍る。ここなら何か思い出せるのかも。ただの直感だったが確かにそう思った。そう思い足を踏み出し歩き出した矢先、謙二の声が聞こえた。
「おい、こんなところでなにしてるんだ」
明らかに動揺と驚きが混ざった声だった。当然だ。本来病院にいるはずの自分がこんなところを歩いているのだから。動揺するのも無理はない。
遠くから語りかけてくる彼を横目にまた歩き出す。
もう少しで過去がわかるんだ、邪魔しないで欲しい。
自分の今している行動が明らかにエゴイストのするような行動であることなども承知だ。だがここで歩み止めるわけにはいかなかった。過去への正解へのヒントが目の前にあるというのにみすみす見逃すのは、自らの過去への冒涜のように感じる。
僕は事故が起きた場所へ吸い込まれるように歩いていた。駅の場所など知るわけがないのに足が勝手に動いているのは最早自分の意思ではない。本能とでも言うべきか。それとも過去に過去に訪れたことがあるのか。その正体が何であるかさえ分からない。だが根拠はないが現時点でそれは何よりも信頼できるものだった。
後ろから謙二が追いかけてくる。動揺と疑問が混雑した顔で。だが確かに僕を病院に連れ戻す決意をして。これまで生きてきた中であんな表情を顔をしている人を見るのは初めてだと思う。少しの畏怖を覚え、どこか荘厳さえ感じてしまう。それほど彼の表情から美しささえ覚えた。
それまでのエゴイストの様な行動から一転、戦慄し、震え上がった。そして泣きたくなった。決して怖いわけではない。彼に許しを請いたいわけでもない。むしろその逆。敬意を払いたくなった。自分でも生まれてこのかた初めての経験だと思う。
立ち止まり、目の前にある風景から踵を返したようにして、彼の元へと歩み寄る。彼は益々混乱した表情になる。彼の身に何が起こったのだと、そう思っていることだろう。僕ですらよく分からないのだから。ただ、都合よく行動を変える自分自身に対して苛立ちを覚えていることは確かだ。
やがて彼の目の前で立ち止まる。彼の顔は既に怒りに満ちていた。
「病院にいるはずのお前がなぜこんなところにいるんだ。事故をした現場に行こうとしていたのか。場所もわからないのに。私たちはお前のために手を尽くしているのにも関わらず、お前はそれを無下にするのか。もしそうなら俺はお前を軽蔑する。どうなんだ」
彼は人目も憚らず大声で怒鳴った。地の底から這い出てきた様な声に、道行く人がこちらに視線を送る。自分がした事が謙二にとって、医師にとってどれだけショックであったか、この時初めて感じた。
「ごめんなさい、ただ自分の過去を知りたかっただけなんです」
本心で、心の底から詫びた。謙二は怒りを通り越して呆れていた。目を閉じ一息漏らした。そして静かにこちらを見据えた。いつもの穏やかな目へと戻っている。
「わかった、まあ言い分はまた帰ってから聞かせてもらうからな。取り敢えず車持ってきてやるから病院に戻るぞ」
謙二は車を持ってきて僕を乗せて病院へ向かった。
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