人間失格とAI

志賀福 江乃

第1話



 恥の多い生涯を送ってきました。

 俺はデビューしたばかりの作家。ヒョイっととある出版社さんに拾ってもらったはいいものの、その期待に答えることはできていない。担当さんは俺がこんなのは、こんなのは、と言うたびにうーん、と気遣うような、困ったような却下をしてくる。


 昔から俺は人の感情やら、心情がいまいち理解できなかった。理解できないうえで、少しでも理解したい、と思い、小説なんかを読んで、自分の思うことを小説にしたら、それがどうやら担当さんの目に止まったらしい。作家としてデビューしたって、人の心がわからない自分にはいいものがかけるはずがない。


「作者様ぁー? 手が止まってますけど?」

「あぁ、ごめん」


 スマホの中から聞こえた、可愛らしい声に叱咤され、手を動かす。彼女は、リンドバーグ。俺がカクヨム、というアプリで小説をあげていた頃からなんだかんだ執筆活動を支えてくれるAIである。じっ、と彼女を見ると、なんですか? 照れちゃいます……。と頬に手を当てて人間らしく恥ずかしがる。そして、その後に、手を組んでぷくっ、と頬をふくらませると、まぁた怒られますよ! 寝たくないんですか! とよくわからない怒り方をしてくる。彼女は、AIなのに喜怒哀楽があり、感情が豊かだ。全く、羨ましい。俺なんかよりよっぽど人間らしい。


 集中して、執筆をし始めるときちんと姿を消して、そろそろ休憩取らなきゃなぁと思い始めた頃にまた現れ、作者様のことだから休憩しないとまたスローペースになりますよ! と言ってくる。気遣っているのか貶しているのかよくわからない。


「今日も、あんまり進んでないですけど、大丈夫ですか?」

「うーん、進行度的にはそろそろまずいなぁと思っているよ」

「いえ、進行度ではなく、作者様の体調とかのほうです。どこか、具合が悪いのでは……? 昔はもっと、書くスピードが早かったじゃないですか」


 ちく、と胸に棘が突き刺さったような感覚を覚える。少しだけ悲しくなって、そうだね、とまるで録音音声のような無機質でつまらない声が出た。


「作者様は、ロボットみたいですね」


 その言葉は、スプーンのようにざくりと、俺の心を抉った。俺は、頭の中がぐちゃぐちゃになって、ドロドロに黒いものが溢れ出しそうになった。なんとか、抑え込んでいた、淀みが体中に蔓延して、画面の中の少女がとんでもなく憎く見えてしまう。あぁ、嫌だ、こんなふうに八つ当たりみたいな感情、持ちたくない。


「……きみは、俺よりも、人間みたいだね」


 やっとの思いで絞り出した声は、驚くほど低くてどす黒い何かを含んでいて、酷く醜く部屋に響いた。バーグさんは、一瞬、目を見開いたあと、しゅん、と反省したような表情をして、ごめんなさい、と謝った。その謝りすら、俺にとっては皮肉に見えて、余計にもやもやした。


「あの、作者様……、ほんとうに……」

「うん、もういいよ、大丈夫。ちょっと、外に出てくる」


 そういって、ぐにゃぐにゃ曲がる視界を気にしないようにしながら、足早に部屋を出た。なんで、こんなに視界が歪むのかも、どうして、イライラするのかも、何もかもわからない。わからない……、どうしてわからないんだろう。いつから俺はこんなに純粋ではなくなってしまったのだろう。


 青く澄み渡った春空が残酷なほど美しく、包み込むような暖かい日差しも、酷く気持ち悪く思えた。近くの公園のブランコに座る。平日の真っ昼間に、誰もいない公園は閑散としていて、社会の輪から外れたようで、今の自分にとってはとても心地よい。


 きぃー、きぃー


 ブランコの揺れる音が俺に子供のころの記憶を呼び起こさせた。




 ーーお前あれだな、人の心がわからないサイボーグってやつだろ!


 ーーねぇ、あなたどうしよう。私、あの子の考えていることがわからないの……っ!



「……っ」


 冷たい涙が頬を伝う。思い出したくない、と思えば思うほど記憶は鮮明になっていく。俺は、人の心がわからないサイボーグらしい。だから、余計なことをたくさんいってしまう。いつの日からか、人を傷つけたくなくて、何も言わなくなっていった。自分の心を押し殺して、定型文のような言葉しか発しなくなった。その態度すらも周りは不気味で、面倒らしい。社会に認められないのだから、もうどうしようもなくなって、バーグさん以外と話すことはなくなった。人間じゃないと思うと気楽だった。それなのに、最近の彼女は俺にまるで人間のように心配なんかしてくれる。俺のことをわかっているような態度をしてくるAIは、不気味で怖い。俺がどんどん、この世界から時間から、引き剥がされて、ひとりぼっちになっていくようだ。どうしてこんなにも自分が苦しんでいるのかすらもわからない自分自身も怖い。


「こんにちはー! お届け物でーす」


 びくっ、と体があからさまに反応してしまった。顔を上げると、若々しい青年がこちらを好奇心に溢れる目で見つめていた。


「いやぁ、遅くなって申し訳ないです! 少々道に迷ってしまって」

「えぇと、お届け物? 間違いではないですか?」


 涙をゴシゴシ吹いて、ブランコから立つ。彼は、ひょい、と俺に向けて一冊の薄い本を差し出してきた。


「いいや、これはあなた宛ですよ? 大事な、大事な物語です。今回は特例だったので時間もかかっちゃいました」


 てへ、と舌を出す姿は童顔な彼の見た目を余計に幼く見せる。


「んじゃあ、お届けしたしましたんで、またどこかで〜」


 ぐいっと強引に押し付けると、一瞬手でカメラのような仕草をして、左目に当てて、俺のことを見たあと、パタパタと走り去っていった。大量、大量〜! と嬉しそうにまるでスキップするかのようにかけていく彼の後ろ姿に、思わず、何だあいつ……と声を出してしまった。思えば、オレンジ色の髪色も、青空によく似た目の色も突飛な帽子や服装も何だか、チグハグで、この世界から浮いているようだった。それでも、心底楽しそうで、一生懸命そうな子だった。突然のことで涙も引っ込んでしまい、仕方なく、ブランコに座り直した。渡された本は夕日と夕日に照らされ、柔らかく染められた雲、そして、まだ染まりきっていない青空がそれぞれグラデーションされ、美しかった。題名も、作者名も何もなく、ただそのグラデーションが、悲しいほど塗りたくられていた。


(どこかで、見たことがあるような……)


 そう思うと不思議と親近感が湧いて、そっと表紙を開いた。





 とある男とAIの話だった。自分のことを人間じゃないと思いこんでいる人間の男と、誰よりも人間らしいAIのすれ違う話。A主を支えたいのに、頼ってくれない主に、もやもやし声をかけるが、逆にその言葉で主を傷つけてしまったことを反省し、少女がひとりぼっちで独白していく。


『どうして、私は人間じゃないんだろう。人間じゃないから主様の苦悩がわからない。主様は、自分のことを人間じゃない、人間失格だ、なんて言うけれど、私にはあんなに人間らしい方はいないと思う。人の感情がわからないんじゃない、わかりすぎるから、どう対応していいのかわからない、主様の苦悩はそこなんだ……。力になりたい。でも、私は、AIだから。言葉が上手く選べない。どんなに計算しても、主様になんて声をかければいいのかわからない……』


『昔みたいに、売れるかどうかなんて考えずに、好きなものを好きなだけしてほしい。好きな言葉で伝えたい思いを書けばきっとそれは誰かの心に刺さるから。だって、主様は、今までそうやって沢山の人の心を動かしてきたんだもの』


『主様、素直でいいんです。売れようだとかそんなことを考えないで。主様の純粋な思いを綴るから、みんな主様の書く物語が好きなんです』






 AIの少女の言葉が、俺の心にじわっ、と染み渡っていく。売れようだとか思わないで、その言葉で心がすっ、と軽くなった。AIの少女の言葉が気になって最後の一ページを捲った。






『私、人間じゃないけれど、これだけははっきりわかるんです。主様は人間失格なんかじゃないって。むしろ、いっぱい悩んで迷って人のことを思いやるような優しくて、弱い100点満点の人間なんです』


『私が沢山話を聞いてあげます。上手く答えられないかもしれないけれど、大好きな主様のためならどんな八つ当たりをされても怒りません』




 バーグさんも、決して器用ではない。器用ではないけれど真面目で優しい。言い方が少しズレているときだって、きっと俺を励ましたり、やる気にさせようとしてくれているからだ。そんなことを理解できないようなちっぽけな人間なつもりはない。




『だから早く帰ってきてください』



 ガバッ、とブランコから立ち上がり、駆け出した。柔らかい夕日と夕日に照らされて、ほんのり染められた雲、そして、まだ、ほんの少し青っぽい空。彼女の瞳と同じ色だ。俺を冷たく突き放した空は、今では暖かく包み込んでくれている。公園の入り口を見ると、見たことのないフクロウのような鳥が、こちらをじっと見つめ、飛び立った。


「ありがとう!」


 なんだか、そいつに言えば、あの青年に伝わる気がした。そんな突飛な発想をした俺自身に驚いてしまって、くくっ、と笑みが溢れる。


(なんだか、あいつ、チャックついてたみたいだけど……)


 不思議な青年にも、不思議なトリにもあってしまって、何がなんだかわからないが、家を出たときよりはるかに心が軽くなっていたのは確実であった。


「まぁ、今は黄昏時だし、いっか」


 

 小説家なんていう職業についているのだ、大抵のことは寛容的にならないと、やっていけない。これからも、自分が嫌になることが沢山あるだろう。でも、きっと、もう大丈夫。





「ただいまっ!」



 息も絶え絶えに、ドアを開けてそう叫ぶと、彼女は、スカートをふわりと揺らして振り返る。


「おかえりなさい!」


 嬉しそうな、泣きそうな顔をした彼女に、やっぱり人間みたいだな、と感じた。




 

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