海へ〈鱈岬〉

「僕はこのギターを殺すために此処に来たのです」

 僕がそう言うと、目の前の女は丸い瞳を僅かに細めた。

「ギターを、殺す?」

 言葉を反復して、女は自分の立つ岬を眺め渡す。静かだった。潮風が轟き、海嘯かいしょうは哀しく吼えているのに、それでも岬は静かだった。沈黙で全てが埋め尽くされていた。それはまるで黒板のように、みっちりと。

「そのために、わざわざこんな遠くまで?」

「ええ。此処でなくてはならないのです」

「燃やせばいいのに」

「駄目なのです。燃やせば灰は宙に還る。そうしたら誰かに吸い込まれて、いつまでも生き続ける。だから海に、暗く冷たい海の底に葬るのです」

 女が僕の言葉を理解したかは怪しかった、彼女は、そう、と一言呟いて口を閉じた。

 僕は背負っていたギターを地面に置いた。ネックを掴み、岬の先端へと歩を進める。一足毎に、錆び付いた弦が命乞いのように軋んだ。もしくは、暢気のんきな曳かれ者の小唄か。岬の突端で立ち止まる。何と大きな海だ。ぞっとするほど美しい。大地に生まれし者の還る先として、これほど相応しくない場所があろうか。いや、だからこそお前の墓に相応しいのだ。木として生まれながら木の歌を歌わない、お前のような裏切り者には。

 黒い髪が、さらりと視線を横切った。女はいつの間にか、僕の隣に立っていた。

「一緒に見届けてもいいかしら?」

 僕は頷いた。そしてギターを高く掲げると、眼下へと放った。ひゅうと一声いて、小さな歌い手は海の中へと消えた。


「ふふ」

 女は笑った。


 僕は女を岬から突き落とすと、足早にその場を去った。

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武満徹の音楽による心象 ざき @zaki_yama_sun

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