山の彼方の青空遠く、白鳥は悲しげに

兵藤晴佳

第1話

 栗色の癖っ毛に乗っけた水兵帽を目深にかぶった少年は、肩から掛けた鞄を抱えてうずくまった。

 チェックのハーフパンツから伸びたしなやかな脚は、白い手袋が膝を覆うに任せている。

 世界中の物語を救うべく、謎の「トリ」によって選ばれた「詠み人」カタリィ・ノベルは今、本来の任務など忘れたかのように意気消沈していた。

「元気出してください、カタリさん」

 傍らに立つ青いベレー帽の少女は、励まそうとする割には隣に腰を下ろしもしない。グレーのストッキングに包まれた脚を隠すには、縦縞トリコロールのスカートは短すぎた。

 だから、カタリは見下ろす少女の笑顔から目をそらすしかない。

「ありがとう、バーグさん」

 本当はリンドバーグというこの少女、見かけは可憐だが、実は人間並みの自律機能どころか喜怒哀楽まで持っているAIである。

 少年がふてくされてみせるのは、そのせいだろう。

「これで凹まずにいられる訳がないだろ」

 本当は、活発な少年である。毎日のように様々な人のもとを訪れては、喜ぶ相手に1冊ずつ本を手渡すのが楽しくて仕方がないという顔をしている。

 ところがこの日ばかりは事情が違った。

 本の受け取りが拒否されてしまったのだ。


「いいじゃないですか、自分で書いた本じゃないんだから」

 アメとムチの使い分けの下手な美少女AIは、これでも励ましたつもりらしい。

「確かに、『詠目ヨメ』に書いてもらってるんだけどさ」

 それは、トリから「詠目」という能力が授けられている左目のことだ。

 これを使って人々の心の中に封印されている物語を見通し、一篇の小説にして届けるのが、カタリの仕事である。

「ヨメって……カタリさん、そっちの人でしたっけ」

「は……はは……まさかそんな」

 だが、乾いた笑い程度でごまかせる美少女AIリンドバーグではない。

「ちょっと調べれば分かります、本当はマンガとかアニメのほうが好きだって」

 図星を突かれたような裏返った声で、カタリは世相を嘆いてみせた。

「活字離れもここまで来たか」

「そこで確認したいんですけど」

 急に真顔になったバーグは、手にしたタブレットを華奢な指で撫でた。

「渡す相手を間違えたってことはありませんね」

 カタリは方向オンチで、よく行き先を間違える。鞄の中には世界中の地図が入っているが、活字が苦手で、漢字で書かれた地名が読めないことがある。

「……ない!」

 カタリは毅然として立ち上がる。

 手渡す本が常に相手を感動させてきたのは、その人に必要とされているからだった。

 その自信に満ちた目の輝きに、バーグは再び微笑んだ。

「ついてきてください、探しものが見つかるかもしれません」

 目の前に突きつけられたタブレットの画面には、分刻みのタイムテーブルが並んでいた。


 鞄の中の地図をふんだくって先を行くバーグに、カタリは早足で追いついた。

「至高の一篇だって?」

 それは、「詠目」で書いた本を届けて歩くうちに聞きつけた究極の物語だ。どこかで誰かが持っていて、読めば世界中の人々の心が救われるという。

 今まで探し回っても手掛かりすら掴めなかったものが、バーグと共に向かう先にあるという。

 追いすがるカタリに、バーグは再び真顔で言った。 

「虚無が迫っているんです。追い払えるのは、その本しかありません」

 カタリは、端正な眉をひそめた。

「……どっかで聞いたような話なんだけど」

 ご心配なく、とでもいうように、まばゆい笑顔が答えた。

「許認可申請してみたら、著作権は気にしなくていいってことでした」

 仕事の早い娘に半ば感嘆し、半ば呆れたように言葉を失ったカタリは、気を取り直したように本題へと踏み込んだ。 

「で、その虚無って何?」

「世間に物語があふれすぎて、読者も作家もヤル気をなくしているんです」

「いわゆるマンネリか」

「で、これを」

 脱力感たっぷりの相棒など気にもかけず、美少女AIはタブレットの画面を切り替えた。

 表題は、「至高の一篇を書いたり持ってたりしそうな作家リスト一覧」とあった。

「何でこんなの……」

 カタリのツッコミに、バーグは事もなげに答えた。

「私なりにやる気出しまして、トリさんに資料閲覧の認可申請したらこれを」

「何サマだあのトリ」

 それが飛んでいるはずもない天を仰ぐカタリの視線を、バーグも追った。

「そうですよね……で、私も不思議なんですけど、なんでカタリさんが『詠み人」なんですか?」

「聞いても全然答えてくれないし」

 ガックリと頭を垂れる「詠み人」に、アメとムチの使い分けが下手な美少女AIは追い討ちをかけた。

「実は適当に選んだだけなんじゃないですか?」


 原稿を催促に来た販促コンビの前で、確かに「虚無」は現実を侵食していた。

 恋愛小説作家「露美音ろみおと樹理恵人じゅりえと」が手を止めて、ため息を吐く先にあるのは……作家のヤル気向上を狙って作られた美少女AIリンドバーグの、短いスカートである。

 カタリは、呻き声と共につぶやいた。

「欲求不満が溜まってるのかな」

「……どうしましょう」

 高性能のAIにできるのは自律であって、作家のヤル気の肩代わりではない。

「解消してやるのがいちばんなんだけど」

 バーグはAIとしては信じられないほど反射的に、胸の辺りを腕で覆った。

「……カタリさんがそんな人だったなんて」

「そういうんじゃなくて……褒めてみよう。自信を取り戻させるんだ」

 瞬間的に、バーグは満面の営業スマイルを浮かべる。

「作者様! 良く書けてますね! 下手なりに!」

 妄想に捕らわれた恋愛小説作家はスカートの裾から目を離すことなく、「そりゃどうも」とだけ答えた。

「カタリさん……」

 自分の仕事を振ろうと目で哀願するバーグに、「詠み人」がしてやれることは何もなかった。

「本当にアメとムチの使い分け下手だね」


 

 少女小説作家、「新出シンデレラ」も、スランプに陥っていた。

 淡いピンクの壁紙が張られた仕事部屋では、そろそろ30代アラサーを迎えた女がルネサンス期のヴィーナス像の如くカウチに横たわり、75型テレビで微笑む韓流スターの笑顔に見とれていた。

 先ほどの反省から、カタリもバーグもムダな努力はやめていた。

 だが、カクヨムの編集画面が浮かんだままのパソコン画面を眺めていたバーグは、ついに口をひらいた。

「作者様凄い! 今日は5000字も書いたのですね!」

「だからもういいじゃん」

 カウチの向こうで、ポテチがしゃりっと音を立てる。

 貼りつけられた笑顔で、カタリがバーグをたしなめた。

「だから本当にアメとムチの使い分け下手だね」

 だが、一度始めたヨイショは、なかなか止められないものである。

「いつもそのペースで書いてくれると嬉しいのに!」

 その痛々しい姿は見るに堪えないのか、カタリは目を閉じてかぶりを振った。

「そういう皮肉は……」

 言葉の裏を読むなどという高度な情報処理はAIには期待できない。 

 だが、奇跡は起こった

「嬉しい? じゃあ、頑張っちゃおうかな」

 本来なら喜ぶべき怪我の功名に、選ばれし「詠み人」はげんなりとした。

「けなしてるのに何で?」


 とりあえず役目を果たしたバーグが疲れた顔のカタリを導いた先には、消し炭となって燃え尽きたドテラ姿の中年男が横たわっていた。

 不条理ちょいエロ作家、山野やまの彼方あなたである。

 どう見ても、「至高の一篇」を書けそうには見えない。

 だが、さっきの成功に気をよくしたのか、バーグは作家が頬杖ついて眺めるパソコン画面を見下ろした。

「え? 今日は更新しないのですか?」

「やる気無くした」

 愚図るそばで、肩を寄せて囁く。

「毎日更新するって言ったのに?」

「昔の話さ……」

 バーグは再び身体を起こして、無数の本が並ぶ巨大な書斎を見渡した。

「いや、まぁ... ...。別に私はいいと思いますよ。はい」

 作風の割には整理整頓された部屋の隅では、カタリが本棚を眺めて回っている。

 それを笑顔で見つめるバーグに、ちょいエロ作家は口を尖らせた。

「は? 俺様ナメてんの、ねえ?」

 探し物を邪魔されたカタリが、声を潜めて知恵をつける。

「謝れ! まず謝れ!」

 それが聞こえたのか聞こえなかったのか、作家は凄まじい勢いでキーボードを叩きはじめた。

「やってやろうじゃん!」

 その豹変ぶりに、カタリは呆然と美少女AIリンドバーグの笑顔を見つめた。

「……アメとムチ間違えてるのに、何で?」


 数時間後。

 結局、本棚に「至高の一篇」は見つからなかった。

 だが、ちょいエロ山野に寄り添うミニスカートの美少女AIを見ているうちに、カタリは何か気付いたようだった。

「どこかにある。それだけでいいんだ」

 そうつぶやいたとき、バーグの笑顔が急に真顔になった。

「どうして……」

 だってさ、と答えたのは、カタリも山野も同時だった。

 だが、バーグの相手はトリに選ばれた「詠み人」ではなく、スランプを脱出したちょいエロ作家の方だった。

「どうしてここで女の子が全裸になるんですか?」

「書き直すよ」

 不満げな作家の捨て台詞を、バーグはオウム返しにたしなめた。

「え? 書き直す? 別に書き直せなんて言ってません」

「そういう展開が必要な人もいるの!」

 だが、子どものようにゴネるちょいエロ作家ごときに屈しては美少女AIリンドバーグの名折れというものだ。

「どうしてなのか教えてください」

 なおも食い下がる相棒の姿を、カタリは本棚にもたれて見つめている。

 バーグにとっては、世界中の人の心を救う「至高の一篇」よりも、目の前の一冊が問題なのだ。

 それは、カタリも理解していることだろう。

 最初に詠目で作った本を読んだときは感動して、泣いてしまったくらいだから。

 本棚に並ぶ、実は縁遠かったはずの本をカタリは横目で見つめる。

 カール・ブッセ、上田敏『海潮音』、若山牧水、魯迅『故郷』……。

 それらの背表紙を眺めながら、「詠み人」はつぶやいた。

「活字も悪くないな……」

 たぶん、カタリはもう気付いている。

「読めば、わかるさ……みんな」

 おそらく、地上に「至高の一篇」などはない。

 読む人が多くなれば、いや、誰かが本を手に取るだけで、それが「至高の一篇」にもなるということに。

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山の彼方の青空遠く、白鳥は悲しげに 兵藤晴佳 @hyoudo

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