第24話 転校生の井坂幸は何も知らない(24)

 中学時代のボス猿と、今のボス猿はまるで変ってしまった。弱い人間から強い人間になった。虐げられていた奴から、虐げる奴になっていた。世間的にはそういう奴の方が評価される。他人を傷つけてまで自分の居場所を守る覚悟がない奴より、他人を支配して自分の居場所を作りあげる奴の方が何故かこの世界では評価される。そして、先生ですら止められない化け物になり果ててしまった。

 中学時代にあいつを追いつめた奴らが、今のボス猿を作りあげてしまった。同中の奴らはすっかり大人しくなってしまった。最初にかましたボス猿に従って、立場は逆転になってしまった。

 そうなれたら、きっと過ごしやすい学校生活を送れたのだろう。ボス猿のようになれなくたって、追従していればそれなりの生活は保障されたはずだ。それが嫌で、何をされても無視していたし、無視されていた。それなのに、道に迷っている奴を相手にしてしまった。何も知らない転校生だから、気が緩んでしまったのだ。

 高校デビューしたボス猿のように、俺も見知らぬ相手には普通でいられた。普段は言えないことも偉そうに言ってしまった。迷惑、かけたかな。もう謝ることもできなくなったな。そういう関係ではもうなくなってしまった。俺達、どんな関係だったんだろう。友達でもなかったしな。


「待ってください」


 廊下から漏れる光が逆光になって、一瞬誰だか分らなかった。

 目が慣れるとそこに立っていたのは転校生だった。

「何しに来たんだよ」

 今、ここにこいつがいるっていうだけでも、相当まずい。

 それはこの前も散々説明してやったのにな。

「何しにって……。そんな顔してたら、追いかけるに決まってるじゃないですか」

「か、関係ないだろ、お前には」

 鏡がないから確認しようもない。

 こいつは適当なこと言っているだけだ。

 聴く耳なんて持たない方がいい。


「だって、私達友達じゃないですか」


 耳障りなことを言うくせに、無駄にいい顔していやがる。まるで、自分が当たり前のことを言っているみたいだ。何も考えない馬鹿は、これだから困る。少しは殊勝な気持ちになっていたらしくもない反省が薄らいでいく。

「はあ? 何言ってるんだよ。誰が友達だよ。勝手に決めつけんな!!」

 なるべく傷つけるように大声を出す。

 頭を冷ました方がいいからだ。

「決めつけますよ。だって、友達になりませんか? って言って友達になる人ってやっぱりいないじゃないですか。友達って思い込みでなるものだと思うんです。だから、私は決めつけます。私達、友達だって」

 こいつ……。考える頭もない癖に、少しは口が達者になったみたいだな。もっと大人しくしていろよ。

「もっと! たくさん! 友達は作れるんだよ!! 俺なんかと一緒にいたら、また嫌な想いをすることになるんだよ!」

「でも、私のこと助けてくれたじゃないですか」

 ピシ、と凍り付いていた心が罅割れた音が聴こえた気がした。

 溶けた水が瞳に溜まりそうになるのを、必死に押しとどめる。

「最初に道案内してもらって、それから私が友達になれるように必死で考えてくれたし、ずっと傍にいてくれた。他の人は何もしてくれなかったのに。それが、嫌な想いなんてするわけないですよ」

 誰からも手を伸ばしてもらえない辛さは知っているから。

 自分のようになって欲しくない。

 ただ、それだけだった。

 だから、こいつには一人になって欲しくないんだ。

「……お前、馬鹿だろ。もっと小利口に生きなくちゃいけないんだよ。幸せで平穏な学校生活を送るためには、周りに同調しなくちゃいけないんだよ」

 こいつ、馬鹿過ぎる。

 本当に独りぼっちでいいと思っているのか?

 転校し過ぎて一人でいることに慣れたのか?

 そんな風になれるものなら、俺だってなりたいもんだ。

「そこまで馬鹿のつもりはないですよ。一人だったら耐えられなかったかもしれないです。ひとりぼっちになりたくないからっていう理由で、自分の気持ちを押し殺してみんなと一緒になっていたかもしれないです。だけど、私の他にも馬鹿がいたから」

 転校生は嬉しそうに笑った。

「ひとりぼっちは嫌だけど、ふたりぼっちなら絶対楽しいですよ」

 涙なんか流して、本当に馬鹿だ。

 何がふたりぼっちだ。

 くだらないんだよ。

 何もかも。

「勝手にしろ」

 何を言ってもこいつには通用しないのは、前から分かっていることだからな。好き勝手にやってろ。結局他人の俺が何を言ってもこいつの人生はこいつが決めるんだからな。

 俺は顔を見られたくないから踵を返す。鏡がないけれど、それでも酷い顔を自分がしていることぐらいは分かるからな。ズズッと、鼻を啜る。

「泣いているんですか?」

 こいつ、仮に俺が本当に泣いていたらどうするんだ。

「馬鹿、ただの花粉症だ」

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