第23話 転校生の井坂幸は何も知らない(23)

 俺達は教室では喋らなかった。人目を憚ってコソコソと話していた。放課後とか、移動教室のちょっとした時間に、一言二言話すだけでも心は浮足立った。誰にも邪魔されたくなかったのだ。なんだかお互いが特別な関係になれたみたいでワクワクした。

 でも、そんな甘い日々は長くは続かなかった。

「え? 何お前ら仲良かったの?」

 クラスの中の陽キャに見つかってしまったのだ。普段は無表情だった俺と村上は、声を上げて笑っていた。そんな俺達の姿を目撃されてしまった。気を付けていたとはいっても、ここは教室。だって、俺達は餓鬼だった。大人だったら違ったのかもしれない。一人暮らしとかだったら家に呼べたかもしれない。それか、電話で長電話とか、隣町で会うとか。

 でも、どうしたって俺達は餓鬼で。

 外で外食したり、長時間毎日電話できるほど自由に使えるお金がなかった。だから見つかってしまったのだ。

「別に」

「うん」

 できる限り素っ気なく返すのを試みた。手の先が急速に冷たくなっていくのを感じた。なんて迂闊だったんだろう。話すにしても、他のクラスメイトと話すように、どうでもいい感じで話すべきだった。お前らなんかに興味ありません。俺は俺です。俺の人生を邪魔しないでください、といつもの俺であるべきだった。

「へー、そうなんだ。じゃ、俺部活だから」

 そう言ってそいつは出て行った。

 村上と視線が合う。

 不安そうな顔をしていた。そりゃそうだろうな。これからどんな地獄が待っているか分かっていたのだ、二人とも。陽キャっていうのは、他人の幸せをぶち壊すことに命を懸けているといってもいい。考える頭というものを持っておらず、空虚な人生を送っているため、自分の人生を豊かにすることができない。ひたすら他人の足を引っ張ることで、自分の価値を引きあげることに尽力する生き物だ。どうしようもなく惨めな精神性を持ち、幼児的ではあるが、悪いと思いながらも誰も手出しできない。

 自分がいじめられる標的になるのを誰もが恐れている。他人を傷つけるのは才能だ。普通の人間は良心が勝って、他人を傷つけることができない。それができる人間はトップに立てることができる。会社の社長なんてその最たるものだ。会社のために社員を傷つける。解雇するなんてことができるのは、きっと才能だ。

「じゃあ、帰るか」

「そうだね……」

 押し黙ったまま俺達は別れる。

 気まずいままに、陽キャに一言邪魔されただけでこんなにも意気消沈してしまう。なんて弱い生き物なんだろう、俺達は。

 そして、翌日。

 俺達が考えている以上に、事は大きくなっていた。

「おっ、きたきたあ!!」

 昨日の陽キャが馴れ馴れしく肩を組んできた。しかも強めに。俺が反撃しないと分かっていて暴力を振るってきたのだ。そう、暴力だ。もはやこの強さは。だが、それに反応してしまうと、え? なに? 暴力じゃないんですけど。この程度で暴力とか言っちゃうの? 自意識過剰だねとばかりに、責め立てる。だから俺は我慢するしかない。どれだけ不愉快だろうと。実際、密着しているから筋肉がどれだけついているのかも分かる。その筋力量だけで、俺の心は折れかかっていた。

「ほら、こいつと、村上さんってデキてるんだってぇ」

「ええ、ほんと、マジマジィ?」

 男子の一言で、男子集団もだが、女子達も群がってきた。村上さんの周りが亡者のように女子達が囲ってくる。逃げられないようにしっかりと。

「そうなのー? 村上さーん。有川くんなんかと付き合ってるのお?」

「馬鹿っ。なんかって言ったら失礼だよー」

「ああ、ごめんねぇ、有川くぅん」

 しなだれるように顔が工事中みたいに崩れている女子がそう言って哂う。なんでこうやって積極的に他人の恋愛に足を突っ込む奴は総じてブスなんだろうか。そういう決まりでもあるんだろうか。全くごめんと思っていなさそうだし、俺ごときが恋愛をしてはいけないとでも考えていそうだ。置いて行かれていかれるような気分なのかな。

「えっ、と、その……」

 村上の声は震えていた。周りをキョロキョロと見渡して、唇に手を触れていた。泣きそうでもあった。不安でいっぱいで誰かに助けを求めているようにも見えた。だが、そんな村上を急かすように、周りは、どうなの? どうなの? とそれぞれの言葉で責め立てていた。

 本人達は利己的な探求心か何かで聴いているのだろうけど、集団で囲って聞かれたくもないプライベートなことを聴いているだけで苦痛なのだ。そして誰もが、そんなわけないだろ、こいつらが幸せなはずがない。俺達よりカースト下位の奴らは幸せであってはいけないという、謎の縛りを設けている。だから、こうして公開処刑にすることで安堵感を得たいのだ。

 本当に屑だな、こいつら。

 ここからじゃ声が届きづらい。助けを求める村上と目が合ったので助けてやろうとすると、

「おいおい」

 名前も思い出せないモブに肩をつかまれる。ニヤニヤしている。自分の人生に価値が見いだせずに、自己研鑽しない。夢や目標もないから生活に張りがない。だから、自分よりも弱気な奴を見つけ出して潰すこの一大イベントを台無しにされて欲しくないとでも思っていそうな、屑みたいな男だった。

「……付き合ってないです」

 ようやく絞り出した村上の言葉にクラスが沸く。

「やっぱりなー」

「振られたなー、有川ぁ。かわいそーに」

「だっさ。つまんねー。お前らが付き合っているのにワンチャン、昼飯かけたのにさー。お前が昼飯代払えよお」

 口々に勝手な言い分を喚き散らすが、そのどれもがノイズが入る。俺達は付き合ってはいないし、話し出したのも最近だ。絆と呼べるものは育まれていないのかも知れない。でも、それでも、ショックだった。

「それじゃあさ、あれじゃない? 彼氏彼女ではないけど、お友達から始めましょうとかはないのかな?」

「そうだ。ねえ? 友達なの? あいつと」

「村上さん可愛いのに勿体なーい。ねえ、どうなの?」

 友達っていうのは、仲間かどうかを聴いている。もしも俺と仲間と言ったのなら、より一層疎外されるだろう。今までは空気扱いで済んでいたものが、しっかりと認識されてしまうだろう。

 だから、


「いいえ、友達じゃ、ありません……」


 ここでトカゲの尻尾切りをされても、何のショックも受けないはずなんだ。喜ばなくちゃいけない。俺を犠牲にすれば、嫌な思いをせずに済むんだから。だから、間違っているのは俺だ。だって、そうだろう? 村上が救われたのだから喜ばなくちゃいけないのに、それでも裏切られてしまったって思う自分がどれだけ薄情なんだって話だ。

「うわー、だよなー。あんな奴友達なんかじゃないよなー」

「ほんと、ほんと。ね? 私達と友達になろう? そしたらこんなこともう起きないから! ね?」

「う、うん……」

 躊躇いがちでも友達と思った奴に拒絶されて、どういう表情をすればいいんだろうな。これからもっと仲良くなっていくことを夢見ていたのに。ずっとずっと独りぼっちだった俺に救いの手を伸ばしてくれた奴だったのに。ただそれだけのことで正直、恋に落ちそうなぐらい嬉しかった。

 なのに、何もかも失ってしまった。

 だけど、村上には感謝しなきゃいけない。

 誰かと一緒にいても何もいいことなんてない。

 それを教えてくれて本当にありがとう。

 俺という尻尾を切ることで、村上は友達を作ることができた。実際、それから村上はどんどんクラスに馴染んだ。化粧を憶えたし、髪型やアクセだって派手になっていった。周りと同じような格好になって、個性は完全に死んでいった。幸せそうに笑うようになって、それから人を傷つけてもなんとも思わなくなった。

 俺達はそれから話すことはなくなった。

 目線すら合わせないように必死になった。

 もう二度と誰かと友達になりたいなんて思いたくない。

 いや、思っちゃいけないんだ。

 人を平気で傷つける人間じゃなきゃ、友達を作れないのなら、俺は一生友達なんていなくていいんだから。

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