第19話 転校生の井坂幸は何も知らない(19)

 教室から抜け出して廊下を歩く。

 あまりにも静まり返っていた教室から出た時は、気まずさもあった。だけど、こうして授業中の教室を歩いていると、いつもと違う空気がずっと漂っているから慣れた。静かだ。確かに教室から授業の音が聴こえてきはするが、くぐもっている。

 みんなが授業中に廊下を抜け出すなんて、経験しないまま一生を終える人間の方が多いかも知れない。貴重な体験だ、と思っていたら、目の前から年上らしき生徒が不審そうな眼で見てきた。と、すぐに視線を逸らしてすれ違った。どこかあちらも会いたくなかったように思える。

 ああ、そうか。

 浪人生か。

 どこかで見たことがあると思ったら、元三年生。浪人生が保健室近くの教室に集まって勉強していると耳にしたことがあるが、今まで会ったことがなかった。それは、自習時間だったり、休み時間だったりがズレているためか。あっちも在校生と会ったら気まずいだろうな。別に悪いことをしているわけではないけど、罪悪感がある。

 顔合わせなんてしたくないだろうな。

 浪人生やるぐらいだから、逆に頭がいいかもしれない。もっと上の大学を目指すぐらいだからな。金がなけれな予備校にも行けないし、学校で勉学に一年励むなんて俺には考えられないが、それだけ将来のことを見据えているんだろう。学力がからっきしならば、すぐさま就職するだろうしな。

 とはいっても、それなりに学力の高いこの高校ならば就職先もあんまりないだろうな。みんな進学を選ぶから。調べた結果、一番の進路先は自衛隊らしい。実際に自衛隊に行った人間が一週間ももたずに辞めた人間がいると風の噂で聴いたことがある。それだけしんどいんだろうな。毎日筋トレとかマラソンとか訓練をやっている印象だし。


「待ってください!」


 息を切らしているのは転校生。

 どうやら俺のことをここまで追いかけてきたらしい。クラスの棟とは違うのに、よくここが分かったな。いや、そもそもここまでどうして追いかけてきたんだ。こいつ、馬鹿か。まだ休み時間には程遠いのを理解しているのか?

「……何やってんだ?」

「トイレ行くって言って、抜け出してきたんです」

「アホか。すぐバレるような嘘つきやがって」

 火に油を注ぐことばっかしやがって。

 今頃クラスはお祭り状態だぞ。

 俺みたいなボッチ野郎には先生は強く出られるが、それ以外の連中に口出しできるほど度胸があるわけではない。普通の授業ならばまだ抑えが効くだろうが、今は宿泊学習の話し合いの最中。必然的に浮足立って、口が軽くなるだろう。俺らの関係性について花を咲かせているところだろうよ。今自分が抜け出したらもっとひどいことになることぐらい、転校生の頭じゃ思いつかないのかねえ。

 チッ、と強めに舌打ちすると、

「じゃあな。俺は保健室のベッドで寝とくから」

 保健室の先生は優しいから、仮病だと分かっていてもベッドで寝かせてくれるだろう。保健室にベッドは二つあるが、そもそも俺が行った時にベッドが一個でも使われているところなんて見たことがない。俺が行っても眠らせてくれるだろう。

 本当に身体が悪い奴なら、保健室に行くよりもまず、家に帰るか、それか病院に直行した方がいいだろうからなあ。保健室のベッドは、俺はさぼる奴専用だと思っている。

「あの、どうしてあんなことしたんですか? もしかして、私のためですか?」

「はあ? ……何でそうなるんだよ」

 はあ? の声がデカ過ぎて廊下に響いてしまい、思わず辺りを見渡してしまった。とりあえずは、先生が注意しに来ないからセーフだろう。しっかし、何を言い出すんだ、この自意識過剰転校生は。

「だ、だって私のために怒ってくれたんじゃないんですか?」

「違うね。ただ、あいつらの思い通りになるのが嫌だっただけだ。それに、お前のためだったとしたら、転校生に友達が出来て、俺が自由になれるからってだけのこと。俺はぼっちになりたいんだよ」

 自分のいいように解釈する所が腹立つんだよな、一々。どんなこともポジティブに捉えすぎているせいで、自分がピンチに陥っているってことに気が付かないのか。

「俺のことなんかより、まずは自分の心配をしたらどうだ?」

「どういうことですか?」

「クラスの連中は俺達の関係を勘ぐっている。彼氏彼女の関係なんじゃないかとな。それなのに、お前が俺の後に飛び出したら認めたようなもんだ」

「やっちゃいましたね」

「やらかしてんだよ!! なんで他人事なんだ、お前は!!」

 しかも、何ニヤニヤしてんだ、この野郎。当事者というか、自分が加害者側ってことを全然自覚してねーわ! これ! クソがッ!! こいつと関わっていると頭が痛くなってくる。仮病じゃなくて本当に痛くなってきたせいで、保健室のベッドで熟睡したくなってきただろうが。

「火のないところに無理やり火をつけてキャンプファイヤー始めるような連中だ。自分達が面白ければそれでいいんだ。だから同じようなことがあっても、二度と俺のことを追いかけてくるんじゃないぞ」

「で、でも」

「おい! 言っただろうが!!」

 追いかけてきそうだった転校生を一喝すると踵を返す。

「早くお前は戻ってろよ。俺は保健室行くから」

 強めの口調で言うと、もう転校生は追いかけては来なかった。

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