第16話 転校生の井坂幸は何も知らない(16)

 小さな銭湯。

 その中の浅くて狭い風呂場に着いた。

 靴と靴下は下駄箱に置いてきたから、二人とも裸足だ。

 というか、ついにここまでついてきてしまったな。

 二人して、ちゃぷ、と音を立てて足首まで風呂に浸からせる。

 本当にここまでついてきやがったな。

 迷惑この上ないんだけど。

 あまりに人気のある風呂ではないから、周りに誰もいないのが幸いといったところか。

 こんなところクラスメイトの誰かに見られたら、またあらぬ噂を拡散されかねない。

「なんだかくすぐったいですね」

「ああ、そうだな」

 クスクス笑っていられる神経が羨ましい。

 確かにここはこそばゆい。

 あまり俺も経験したことがないけど、身体が良くなっているような気がする。

 それに、落ち着くしな。

「風呂は風呂でも、足湯ですか」

「ああ。ドクターフィッシュっていうやつだな」

 お湯の中に数十匹の小さな魚が敷き詰められているかのように、うじゃうじゃ泳いでいる。

 すんごい、気持ちが悪い。

 グロ画像を見ているかのようだ。

 魚がパクパク足に擦り寄って口を開閉している姿は、気分がいいものじゃない。

「可愛いですねえ」

「ええ……」

 どこがあ。

 俺の行きたいところではあったけど、この魚に慣れることはない。

 なんで、むしろ勝手についてきた奴の方が好印象なんだ。

「なんで魚がいるんですか?」

「人間の中の……古い角質だけを食べてくれるんだって。マッサージにもなるし、美容効果もあるらしいけど」

「たまに乙女になりますね」

「なってないから!!」

 魚が人間の角質を食べるって、本当に平気なのか最初は不安になったけど、意外に気持ちいい。

 最初に案内された時に一つだけ注意されたのは、足の怪我がしている時は利用しないってことだったかな。

 まあ、傷口まで触ってきたら、流石に痛いだろうからな。

 転校生もそれを聴かれて、ないですと、元気に答えていた。

 ああ、いっそのことちょっとした擦り傷でもあったら、門前払いされたのに。

 俺なんかどっかの誰かさんがヒップアタックかましてきたから、まだちょっと腰が痛いんだけど。

「レンタルしたり、飼ったりすることもできるらしいけど」

「そうなんですね。飼ってるんですか?」

「か、飼ってはいないけど、ただ思ったよりも安かったから、飼ってもいいかなって思ってる」

「しっかり値段調べているじゃないですか」

 新しく動物を飼うとなると、中々ハードルが高い。

 犬や猫が一般的だろうけど、病院に連れて行って予防注射したり、散髪させたり、身体を洗ったり、餌を買ったり、排泄物の後処理だったり。

 とにかく手間が大きい。

 そうなってくると、魚はまだ手間が少ない方だ。

 餌をあげたり、水の交換をしないといけないだろうけど、犬や猫と比較すればなんてことはないはずだ。

 そうなれば、ちょっと飼ってもいいかな、と値段を調べるのだって普通だ。

 ただまあ、今は色んなところに、ドクターフィッシュが体験できるところが増えていっているから、飼わなくてもいいと思っている。

「水族館とか動物園でもあって、中には無料体験できるところもあるらしいな」

「へー、無料もあるんですね。ここにはよく来るんですか?」

「ここも、あんまり。二回目ぐらいだったかな。以前来た時に意外に良かったから、また来ただけだ」

 邪魔が入らないから、考え事をするのに向いている。

 自分の気持ちを整理するにはピッタリだ。

 美容効果もあり肉体のケアが一般的と言われているが、ちゃんと精神的ケアにもなっているんだからな。

「アニマルセラピーの一種とも言われているから、また来たのかもな」

「アニマルセラピー?」

「動物と接することで精神的な問題が軽減することかな。実際、猫好きな人ネットに多い気がするけど、猫を見て癒される人は多いんじゃないのかな」

 ネットは猫、猫、猫一色。

 俺はそんな好きじゃないから分からないけど、猫の動画を流すだけで月数十万稼いでいる動画配信者がいることで最近話題になったな。

 それに、猫メインじゃなくても、有名動画配信者って絶対猫飼ってない?

 時々動画撮っている時に、猫が割り込んできて、抱っこする場面がある。

 あれ、いる?

 カットして欲しいんだけど。

 ただまあ、コメント欄を読む限り、猫の話題が増えているし、好意的なコメントしか見たことがない。

 猫好きな人間しかこの世に存在しているんじゃないかってぐらい、日本人は猫好きだよな。

 毎回動画で猫が歩いてくるのを見ると、仕込みを疑いたくなる。

 マネージャーとかが、今だ! このタイミングなら自然! 再生数を稼げる! 視聴者ちょろいわー、とか思いながら猫をけしかけていそう。

 まあ、配信者にとって猫は話題になるからいいんだろうな。

 毎日動画投稿していたら、話が続かない。

 だから猫を話題にして、なんとかその場を盛り上げようとしているんだろうなあ。

 同じような内容をひたすら流す人いるしね。

 特に気になるのはドッキリ系の動画配信者かな。

 ドッキリやり過ぎて、もはやリアクションできないと思うんだけど。

 まあ、全部台本通りにリアクションしているんだろうけど、毎日ぐらいドッキリしている人達の動画、視聴者は飽きないんだろうか。

 カップル系動画配信者は別れたら稼げないから大変とかいう噂を聞いたけど、ほんと動画配信者さんってみんな大変だなあ。

 個人的には猫見飽きたから、犬とか見たいんだけどな。

 犬、か。

 そういえば、こんな話を聞いたことあるな。

「アニマルセラピーといえば、犬の話を聞いたことあるな」

「犬、ですか?」

「目に不自由な人が、自分の目の代わりのためだけに盲導犬を飼うんじゃなくて、心の支えになるんだってさ。目に不自由な人って、ずっと光を感じられないから、孤独を感じやすいんだって。信頼できるパートナーが傍にいるだけでも、精神的支柱になるらしいな」

 人と人の間で軋轢が生まれるのは何故か。

 それは、中途半端に意思疎通ができるからだ。

 多少のすれ違いで心を病んでしまうことがある。

 だけど、動物ならどうだ。

 多少すれ違っても動物だから、という理由で終わる。

 ストレスはさほど感じないだろう。

 むしろ、ちょっとでも意思疎通できたら、それだけで舞い上がる人だっているだろう。

 こっちを見てくれただけで、笑顔になるかも知れない。

 人ではなく、動物だからこそ、心を通わせることができるなんて皮肉だな。

 悪いところばかりみるんじゃなくて、良いところをそうやって無理やりにでも探し続けていければ、軋轢は生まれづらいんじゃないだろうか。

 人間同士だって仲良くなれるんじゃないだろうか。

 まっ、俺は動物だろうが、人だろうがちゃんと意思疎通できないんだけどな。

「それって、どこかで聴いたんですか?」

「ボランティアに参加した時に聴いた」

「ボランティア!? ボランティアって学校のやつですか」

「いいや、自主的に」

「自主的に!? どうやって!?」

 なんだ。

 すごい、ぐいぐいくるな。

「どうやって、って。家のポストにボランティア募集のチラシが入っていたから」

「それで、参加したんですか!?」

「まあ、そうだな」

 チラシに電話番号が書いてあったから、そのまま電話したんだよな。

 現地に着いたら、俺ぐらいの年齢の奴一人だけで、みんな大人だったな。

 主催者の人が若い子が来てくれて、嬉しいーって喜んでたなあ。

「どういうボランティアだったんですか?」

「どういう、って。老人ホームに行って、お世話するじゃないけど、身の回りのことをしてあげるボランティアかな。盲導犬が主にってわけじゃなくて、もっと全般的なボランティアをやってたけどな」

 盲導犬よりかは、老人ホームでの食事の配膳や、花の手入れ、館内の掃除、お年寄りの話し相手、遊び相手などなど、色々な体験をした。

 その中には軽度の障害を持つお年寄りもいたけど、全然不快じゃなかったな。

 というか、みんな優しかった。

 思っていたよりもほんわかした空気でボランティアができた。

 俺が子どもだから、きつい仕事は回さなかったかもしれない。

 大人にはもっと力仕事を与えられていたかもしれないけど、そこんところは分からなかったな。

 盲導犬とか興味のあることなら、うざがられない程度に質問はしたけど。

「へー、なんでも積極的に参加するんですね。意外です」

「なんでだよ」

「だって、ボランティアこそ団体行動ですよね。みんなと一緒に何かをやらないといけないって、苦手じゃないんですか?」

「苦手だから、集団行動取ってないけどね」

「え?」

「俺が参加したボランティアは、介護する人一人につくみたいな感じだったから、それだけで良かったかな。簡単な料理を振舞う時もあるにはあったけど」

「料理の時に、みんなとやらないといけなくないですか?」

「なんかやろうと思ったけど、人手足りてたからな。それに参加しようにもあんまり参加させてもらえなかったし」

「あっ、そうなんですね」

 この反応、俺が不愛想だから仕事振ってもらってないと思ってるな。

 本当は、俺が高校生だからってだけなのに。

「それ以外はちゃんとやったからな! 雑用ばっかりだったけど」

 そもそもちゃんとした仕事っていうのは、資格がいるからな。

 ボランティアにそこまでやらせることなんてできないだろ。

 それでも、表面的にでも仕事を教えてもらって良かったけどな。

 普段できないことができるのはいいことだ。

「凄いですね」

「凄くない。ただ自分のやりたいことをやっているだけだから」

「私は、何がやりたいのか分かりません」

「分からないなら、とにかく行動するしかないんじゃないの」

 何がやりたいか分からないっていう奴は、何も知らないからだ。

 色んな事を知らなきゃ、選択肢は生まれない。

 自分が何者かさえも分からない。

 だったら、手当たり次第に挑戦しなきゃいけない。

「色んな人と接していけば、自然と色んな考えが芽生える。そうすれば、自分のやりたいことが見えてくるはずだ。誰かを知るってことは、自分を知るのと同じことだから」

「……その割には、友達は作らないんですね」

「それは、友達だけが人と人との関係だと思っている奴のセリフだな」

 友達がたくさんいる。

 ただそれだけでも、学校では大きなステータスだ。

 だけど。

 学校を一歩でも出ればどうだ?

 ボランティアみたいに学校なんてまるで関係ないところに行ったら、そんなステータスは紙屑同然。

 まるで無意味だ。

「毎日、毎日、同じような人間達と、同じような会話を繰り返す。確かにその環境下なら人間関係を構築するのは簡単だ。だけど、普段全く話したことがない奴と話したり、やったことがないことに挑戦したりしない連中には『自分』というものがない」

 仮に俺に友達がいて、ボランティア行きました。

 そう報告したらどうなるだろう。

 きっと、嘲笑される。

 え? ボランティア? 何言ってんの? 馬鹿なの? 偽善者じゃん。そんなの。と、散々なことを言われるだろう。

 転校生は友達じゃないから薄い反応だけど、友達ならきっと過剰反応する。

 自分とは別の価値観を持つ人間が怖いのだ。

 自分と同じ行動を取る奴じゃないと友達として認められない。

 その理由の一つとして、ボランティアそのものが良くない。

 だって、いいことだから。

 自分の知らないところで誰かが成長したら焦る。

 友達だろうが何だろうが、そういうのを邪魔するのは人間の本能だ。

 少なくとも俺があってきた連中はみんなそうだった。

 自分を高めるための努力は惜しむくせに、他人の足を引っ張る努力だけは超一流だった。

 同調圧力のある高校生にとって、ボランティアは悪なんだ。

 むしろ、学校の規則でバイク禁止なのにバイク乗りました。

 こういう反社会的な行動の方は、むしろ正義だ。

 だって、褒められる。

 ヒーローのように崇められて、クラスの中心になったりする。

 男にはすげーと尊敬されて、女子からは何故かモテる。

 人望を欲しいままにできるのはきっと、精神衛生上悪い要素がないからだ。

 本物の悪党ならば学校には通わずに、塀の中にいるだろう。

 未成年だからこそ、ちょっとした悪事は許される。

 そして小悪党はみんな憧れると同時に、同情できる。

 それが全てだ。

 落伍者を見れば、自分はまともだと思える。

 だから、身内の軽犯罪者はもてはやされる。

 正しいことをする人間よりも、間違ったことをする人間の方が評価される。

 それは、色んな事ににも言える。

 ぼっちになることは世間的には正しくないことでも、ぼっちにならなきゃ、そんな当たり前のことにも気が付いないもんだ。

「一度はぼっちにならなきゃ、本当の自分は見えないもんだ。だから、転校生。お前には必ず自分が見えてくるはずだ」

「うーん、はい。あんまり嬉しくないですけど」

 褒めているんだけどな。

 ぼっちになれるってことは。

 俯瞰できるってことは。

 誇らしいことなんだ。

 誰にだってできることじゃないんだ。

「ほらよ」

 スマホに表示されている時刻をチラリと見たら、そろそろ終了時刻だった。

 一分一秒正確に時間を計って、一秒でも過ぎたら超過料金を払うわけではないが、トラブル回避のためには、時間を守るのに越したことはない。

 だから手を伸ばしてやっているのだが。

「? どうした?」

 何故か、伸ばした手を見つめているだけだ。

 え?

 何?

 手相でも読んでるの?

 たまに、手相占いに詳しい女子とかいるからな。

 あれで、手を触ってこの線は運命戦でぇー、とか言ってなぞってこられると、まあまあの確率で惚れちゃうよね。

 ただ触るよりもエロいわ。

 同世代の手相占いわ。

「いいえ。なんでもない。ただ、恥ずかしいなって」

「? なんで?」

「なんでもないです!!」

 何考えているかよく分からない奴だな。

 だけど。

「手ぐらいいつだって貸してやるよ」

 それで助けられることができる間なら。

 いつだって。

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