第15話 転校生の井坂幸は何も知らない(15)
気まずい思いをして、終了時間より早めに受付まできた。
いつもなら、一時間千円コースを丸々楽しんでやるつもりだったのに、どこかの誰かさんのせいで大損だ。
カラオケとかボウリングと違って値段お高めだから、頻繁には来られない。
だから目一杯遊ぶつもりだったのに。
「お客様方、失礼ですが、カップルでしょうか?」
「は?」
「え?」
失礼にも程があるけど。
どんな斬新な接客の切り口?
「申し訳ありません。只今、当店では割引キャンペーンを行っておりまして、カップル割引というものをさせてもらっています。どうでしょうか?」
映画館か何かかな?
そんな割引、今まで見たことなかったけど、最近始めたんだろうな。
「あれか……。今、リーマンショック以来の大不況とやららしいから、どの業種も生き残るのに必死なのか……」
近くのネットカフェも新しい料金プラン始めたとか、カラオケの料金価格下げました、とかのぼり旗が立ててあった気がする。
やっぱり、新しいサービスでお客さんを呼びこんでいるんだろうな。
ボルダリングもまだまだマイナーだから、訳の分からないサービスの一つや二つやらないとやってられないんだろうな。
「今ですとカップルで来られたお客様には料金を20%割引させて――」
「カップルです」
店員さんに食い気味に答える。
「え? あの?」
「本当ですか? そちらのお連れ様が困惑しているようですが」
「いいえ、照れているだけです。紛うことなきカップルです」
「よく真顔でそんなこと言えますね!?」
金のためなら仕方がない。
こうなったら、損した分転校生を最大限に利用してやる。
「あの」
「カップルです。全然カップルです」
「わ、分かりました。料金をカップル割させてもらいますね」
「よし!!」
勝った。
どう考えても信じてない感じだったけど、店員さんが折れてくれた。
これで割引される。
「会計の方は?」
「あっ、割り勘で」
「そ、そうですか」
店員がたじろいでいる。
カップル割っていうから、きっと男が全額出してあげるのが普通なんだろうな。
生憎、学生の身ってこともあって、そんな金はない。
というか、金があっても全額奢ることはしない。
「奢ってはくれないんですね?」
「勝手についてきて奢ってもらえるとか、どこの貴族の発想だよ」
某有名ボードゲームの貧乏神を思い出す理不尽さだろ。
そもそも女性の社会進出が昔よりかは多少進んでいると思うんだよな。
女性がお金を奢るのもスタンダードになってくれませんかね。
こういうところは男女平等じゃないんだよな。
都合のいいところだけつまみ食いしている感じで、げんなりする。
それから。
お金を折半して歩いていると、転校生が不満を口にする。
「すごく恥ずかしかったんですけど」
「自業自得だ。勝手についてきて、勝手にやり始めたんだからな。このぐらいの恥かいてもらわないと」
「そういうことじゃないんですけどね……」
うーん、と転校生が肩を回す。
運動したから疲れたのかな。
運動が大好きっていうタイプじゃなさそうだしな。
本当に運動好きなら、転校した初日ぐらいに運動部の部活動見学ぐらいはしそうだし。
例え運動をやっていても、ボルダリングっていうのは普段使わない筋肉を使う。
疲れてもおかしくはない。
「でも、楽しかったですね。ボルダリング。始めてやりましたけど」
「そうか……。マイナースポーツだからどうかと思ったけど、良かった」
自分一人だけで打ち込める幸せっていうのもあるけど、こうして話せるのは楽しいな。
家族に話しても変人扱いされるのが関の山だし。
転校生は没個性だ。
こいつに友達作りをさせるのは困難。
だけど、こいつのいいところは、即座に否定せずに、他人の話をしっかり聞くことができるってところかもな。
それは、高校生どころか、大人でもできる奴が少ない長所だ。
「昔からやられているんですか?」
「いいや、始めたのは数ヵ月ってところかな。でも、色々と考えながら登るのが楽しいから続けてるな」
初めは興味本位だった。
だけど。
やればやるほどはまっていった。
一人でできるスポーツだし、俺には合っている。
「自分が行き詰った時に、違うルートを進むのか。それともそのまま突き進むのか。ずっと止まり続けていたら握力がなくなって落ちてしまう。その咄嗟の判断力が必要になる。となると、集中力がどんどん高まる。腕と足に感覚を集中していくと、周りの雑音が消えていく。その無の境地みたいなものにたどり着くのが楽しいんだよな」
手足が滑る緊張感が適度にあるから、集中しやすい。
登り切ったという達成感も得られるし、ただただボルダリングに集中できる。
ボルダリングをやっている時は、葛藤が消える。
複雑な動きが不要なので、いくらでも没頭できる。
それがいいんだよな。
ストレス解消にはピッタリだ。
「へー」
「反応薄いな。もっと共感してもいいんだけど」
「そ、それをいいますか? でもまだそこまで知らないから共感できないかもしれないですね。もっと通えば、分かるかもしれませんね」
「そうか。一人で行けよ。今度は」
「酷い!!」
絶対勝手についてきた奴の方が酷いけどな。
そしてこいつはまだ隣にいるし。
いつまでついてくるつもりだ?
「あのー。迷うことなく歩いていますけど、今度はどこ行くんですか?」
「運動の後は汗を流すのが一番だろ」
次の目的地を、俺は当たり前のように告げる。
「風呂だよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます