第14話 転校生の井坂幸は何も知らない(14)

 ボルダリング。

 壁についている凹凸を、手足を使って登っていく単純明快なスポーツ。

 世界大会もあり、今、かなり注目を浴びている。

 スポーツには技術が必要だったり、道具を買わなければならなかったりで、中々手が出しづらい部分があるかもしれない。

 だが、ボルダリングは誰でも始めやすいスポーツだと思う。

 施設にはタイムアタックや、険しい壁を設置しているわけではないのだ。

 実際、訪れたボルダリング施設には子どもがいたし、中高年の人もいた。

 インストラクターにひとしきり説明を受けた後、俺は壁を登り始めた。

 カラフルな勾玉みたいな取っ手に手をかけながら、登り始める。

 シューズは、ボウリングみたいにレンタルだ。

 滑りにくくなっているので、安心して登ることができる。

 元々、この辺は田舎なので、幼い頃は木登りが好きだった。

 どこぞの悪役令嬢並みに。

 独りで遊べるし、上からの景色は最高だった。

 今はそこまで意識したことないが、やはり小さい頃というのは見える景色が少ない。

 自転車の座高を少し高くしただけでも視認できる世界が、ぐんと広がったのだ。

 木登りしてからの景色は格別だった。

 その影響もあってボルダリングを始めたのだが、これが面白い。

 木に比べたら手足を引っかけるところたくさんあるし、落ちても痛くないようにクッションが敷いているから恐怖心もない。

 家からちょっと歩かないとスポーツ施設にたどり着けないのが難点ではあるが、それでもいいものだ。

 そう。

 それが一人ならば猶更なのだが。

「うわー!」

 横にいた奴が、尻から落ちる。

「難しいですね、これ!」

 鈍くさいにも程がある。

 せめて足から落ちればいいものの。

「高くないんだから、怖がらずに足から落ちろよ」

「は、はい」

 尻から落ちるって、怖がって足から着地できなかっただけだろ。

 逆に危険なんだが。

 しかも、俺と違って運動するつもりなんてなかったから、スカートめくれていますけど。

 色気のない白だな。

 水玉じゃないだけましか。

「……というかさ、なんでお前ここにいるの?」

「暇だからです!」

「帰れ!」

 なんで堂々と宣っているんだ。

 本気で帰って欲しいんだけど。

 一人で趣味に没頭したかったんだけど。

 ボルダリングは主に一人でするスポーツだから好きなんだけど。

「少しぐらいいいじゃないですか。家に誰もいないから暇なんですよ」

「え? 親は?」

「仕事忙しくて家にほとんどいないんですよ。どっちも。平日も土日も関係なしに」

 こいつ、家でもぼっちなのか。

 道理でベラベラよく喋ると思った。

 話し相手がいないんだな、どこにも。

「あっ、でも、お小遣いはきっと他の人よりもらってます。料理作る暇もそんなにないみたいですから」

「ああ、そう……」

 そんなに忙しいのに弁当を作ってもらうんだから、偉いよな。

 この前は寝坊したみたいだけど。

 親子関係はそこまで悪くないとみた。

 羨ましいね。

 普通の人間なら同情するかもしれないけど、家でもぼっちでいたい俺は変わって欲しいぐらい。

 うちの家庭は色々と特殊過ぎる。

「そういえばご家族は? 私は一人っ子ですけど」

「俺は両親と、それに妹と、一応姉がいるかな」

「? 一応?」

「いいから! ほら、さっさと立て」

「す、すいません」

 突き出して手を握ってくる。

 握り返して、そのまま引き起こしてやる。

 だけど、勢い余って引っ張り過ぎた。

「とっ!」

「す、すいません!」

 身体が密着するみたいになった。

 寄りかかられて、吐息さえも大きく聞こえるぐらいに距離が近い。

 脚は絡み合って、倒れるのが怖かったのか腕を背中に回されていた。

 当然、胸も当たる。

 傍から見ればボルダリングにかこつけて、イチャイチャしに来たカップルにしか見えないのかもしれない。

 うわっ。

 何、こんなところで盛ってんだよ。

 とか、謂れなき怨嗟の声が、男子グループから遠巻きに聞こえてくる。

 なんでだよ。

 しかし。

 ああ、これは――

「重い」

「酷い!!」

 さっきまで足踏まれいたから仕方ないじゃん。

 重いよ、そりゃあ。

「人間の頭は、ボウリングの玉と同じぐらい重いらしいから気にするな」

「それは、慰めに入りますか?」

 うーん。

 体重が重いって言ったわけじゃないけど、否定するのも面倒だから誤解されたままでいいか。

「というかさ、手で登ることだけを意識しすぎなんだよ。男だったら腕の力だけで登れるかもしれないけど、ボルダリングは足も使うんだ。とにかく足を引っかける場所をゆっくり丁寧に探すんだ」

「足を引っかける場所、ですか?」

「壁についているホールド――石みたいなやつにも色々と形があるだろ? 大きさだって違う。自分がどのホールドに一番足を置きやすいかとにかく考えたら? 登り始める前に、シミュレーションするのも大事だと思うけど」

 運動神経いい奴なら、咄嗟にどのホールドが登るのに適しているか。

 インストラクターに教わるまでもなく、自然と判断できるだろう。

 咄嗟の判断力がずば抜けている奴が、運動神経いいんだから。

 それができないなら、足踏みするしかない。

 一度自分の進むべきルートを確認しなきゃならないんだ。

 それでも難しいなら、登るべき壁を変えればいい。

 それが器用というか、普通のやり方だ。

「あっちの超初心者コース行けば? 子どもがワイワイ騒いでいてうるさいけど、番号振ってるぞ」

 超初心者コースっていうのは、勝手に俺が付けた名称だが。

 しかし、正しいはずだ。

 超初心者コースには、ホールドに番号が振ってある。

 その番号は、次に手足をどうかければいいのかの順番だ。

 それを眼にしながら登れば、かなり楽に進めるはず。

 今日は子どもがほぼ独占しているからうるさいだろうが、俺も一応最初はあそこから始めた。

 今では反り立っている壁に挑戦できるぐらいにはなったけど、初心者なら当然あそこから始めたほうがいい。

「いいえ。私、ここがいいんです」

「ふーん」

 まあ、いいか。

 強制されるのも、強制させるのも好きじゃない。

 お互いに意見が違うのなら、どうでもいい。

 他人のことに一々干渉していたら、疲れるだけだ。

 何のメリットもない。

「んっ」

 転校生が再び登り始めた。

 早すぎる。

 ちゃんとルート考えているのか。

 あと、そのスカートで先に登り始めたら、真下にいる俺からは中が見えるんだが。

 そこもちゃんと考えているのか。

「あっ」

 つま先がホールドからズレてしまう。

 言わんこっちゃない。

 手の指の力で何とか立て直すが、このままじゃまたさっきの二の舞だ。

 こいつのことだ。

 どうせ上まで行かなきゃ終われないとか、駄々をこねるに決まっている。

 時間にも制限があって、一時間コース。

 さっさと上まで行かせて、こいつを満足させないと延長料金を支払わなきゃならなくなる。

「ちょ、ちょっと何するんですか!?」

 素早く転校生が登っている辺りまで登ると、腰を手で押し上げてやる。

 自転車の補助輪みたいな役割を買って出てやっているんだ。

 ありがたく思って欲しい。

「尻から落ちないように支えてやってるんだよ」

 何か固い感触がする。

 ああ、ブラか。

 男はブラ付けないから、そういう発想に至らなかったな。

 男物のブラもあるみたいだけど、まあ、付けないよな。

 マラソンを何時間も走っていると乳首が擦れて痛くなるから、そういうの欲しくなったりするけど、まあ、今はいらないな。

「あの、大丈夫ですから!」

 ちょっと危険かもしれないけど、このままサポートしてやりたい。

 遠くで観ていたインストラクターもちょっと動いたが、そのまま見守っている。

 よし。

 このまま頂上に行かせてやる。

「大丈夫ですって!」

「いいから、登ってみろ。何があっても、どれだけ重くても、俺が受け止めてやるから」

「は、はい……」

 赤くなってやがる。

 ブラを触るのはよそう。

 下着を避けながら手で押し上げる、支えてやるのだが、なんだろう。

 なんだか変態チックなんだけど。

 服の上からとはいえ、何度も擦るように柔肌を触っているからな。

 ボルダリングしながら、女の身体を擦るってどんな特殊なプレイだ。

 恥ずかしくなってきた。

 さっさと登りきれ!

「うっ」

 また足がホールドから外れる。

 足をブラブラさせながら、引っかけられるところを探す。

 やっぱり本人はどこにあるのか分かりづらいんだよな。

 だけど、俺は俯瞰してみることができる。

「足はもうちょっと左だな。落ち着いて、とにかく乗せられるかどうかゆっくり確認して」

「は、はい」

 今度はしっかりと足を乗せて進むことができたみたいだ。

 これ、いいな。

 俺は一人がいいからとインストラクターの過度なレッスンを初めの頃拒否したけど、このぐらいしっかり教えてくれる人がいたらもっと早めに上達したかもな。

「余計な雑念は考えるな。意識を両手両足に集中して」

「む、難しいんですけど……」

「え? なんだって?」

「分かりました! やります! やりますって!!」

 声が小さくて聞き取れなかったんだけど、皮肉と受け取ったようで頑張りだした。

 何、言ったんだ?

 と、考えていると、俺よりも遥かに遅い速度だったが登り切った。

「やった! 頂上行けましたよ!!」

 嬉しさのあまり両手に拳を作って喜んだ。

 しかも、こちらを振り返りながら。

「あっ、馬鹿!! 手を離すな!!」

 自分の失敗に気が付いた転校生がホールドに指をかけるが、それは落ちる速度を緩めただけだった。

 下にいた俺は、転校生のヒップアタックをかまされる。

「がっ!!」

 二人とも落ちたが、俺の身体がクッションになったおかげで転校生は無事だったみたいだ。

 まあ、大した高さじゃないから俺もそんなには痛くなかった。

「す、すいません!! すいません!!」

 とか言いながら俺のことを気遣ってくれるのはいいんだけど、どいてくれない。

 顔に手を当てながら、身体は丸ごと俺の身体にのせたままだ。

 膝は流石に全体重かかるところだからズラしてくれてはいるけど、そんな気遣いいらない。

 自責の念に駆られているか知らないけど、落ちた衝撃よりも馬乗りされている方が痛いんだけど。

 周りの視線も痛いし。

 正面からブラチラしているし。

 もっと自分の下着管理しっかりしてくれないかな。

「はいはい。ケツ重いから早くどいてね」

「酷い!!」

 その後。

 インストラクターさんに、事故の原因になるからイチャイチャするなと怒られた。

 どう考えても俺は悪くない。

 ただの被害者だ。

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