釈放から新居(仮住まい)へ
四方を冷たいコンクリートに覆われ、暗く狭い牢獄の中に今日も一人の男──ジオ・シュバンは居た。
いつもと変わらず、首には鉄の輪から伸びる鎖。
手足も同様に鎖に繋がれ、自由の無い身。
アディル・ハンズとの面会を終えてから、1週間と2日が過ぎ。
この日もジオは暇潰も兼ねて、秒での時間数えを楽しんでいた。
相変わらず狂いの無い計算。
現在の時刻は午前9時30分。
あと1800秒もすれば、見回りの看守がやって来る時刻。
午前10時には必ず看守が見回りをすると決まっているのだが、この日はいつもと違いジオの計算の中では残り1000秒を残して看守がやって来た。
カツ、カツ、カツ──
靴音はジオの牢獄部屋の扉前で止まり、重くギギィと音を立てて鉄の扉が開かれる。
現れたのは、鼻にガーゼを貼り付けた男。
面会時にジオが膝蹴りを食らわせ、鼻の骨を折ってしまった看守だ。
肩にはこの日も機関銃をぶら下げ、殺気を無理矢理押し込みつつ憎々しげにジオを睨み低い声で一言。
「釈放だ」
ガラガラ、ガシャン。と背後で音を立て、高さ数メートルはある柵が閉じられる。
「急だな」
ジオの現在地は牢獄──収容施設からの完全なる外。
看守に連行されるまま何重にもあるセキュリティを潜り抜け、あっさりと外に放り投げ出されてしまったのだ。
今のジオは身ひとつの状態。
何かあるとすれば、現在着用している黒い囚人服のみ。
これは作業着にも見えなくもないため、外を
脱獄の時には気にもしなかったが、出所となれば靴くらいは用意してもらいたいとジオが思っていると、ホワイトリムジンが収容施設を囲うように出来た壁の横に駐車。
リムジンの中から出てきたのは、長い銀髪を揺らす女──アディル・ハンズ。
アディルは妖艶な笑みを浮かべ、今し方出て来たばかりの車内に親指を向け。
「出所おめでとう、ジオ・シュバン。そなたを迎えに来た。早速だが乗ってくれ、話がある」
「それに乗るのか」
「なんじゃ、護送車の方が良かったかの?」
「いや、別に」
ジオの内心は僅かに戸惑う。
公安暗殺の仕事を受ける話に対しては、正直言って半信半疑であった。
本当に、自分のような殺人鬼を採用する気なのかと。
しかし現実では、鎖無しの手足自由の状態でいきなり外に放り出され──この時、看守から今後の行き先などの説明も一切無かったが──タイミングを狙ったかのように現れるアディル。
アディルが迎えに来たのなら、公安暗殺への勧誘は確実だったのかと軽く受け止め、ジオは車内へ乗り込む。
広々とした車内をざっと見回し、直ぐに違和感を覚える。
ジオは適当に座席へ腰を下ろすと、後から車内に入るアディルに感じた違和感を投げ掛ける。
「護衛が居ないが、良いのか?」
「護衛? 何の為にじゃ?」
質問を質問で返され、ジオは一瞬言葉に詰まる。
アディルの表情から察するに、護衛の必要性を本当にわかっていないようだ。
一方ジオは、長い前髪から覗く目を丸くキョトンとさせた後に、苦笑し両手をぶらぶらとアディルの前でちらつかせる。
「この通り、今の俺は自由だ。所長さんを殺すかもしれない」
「アディルでよい。……殺されるのなら、この前鎖を引き千切った時に我を殺してたであろう」
「……まぁ、な。だが俺は気分屋なんでね、殺害衝動は急に出る」
「それは困ったの。精神科に行くのをおすすめする」
「今更だろう」
ジオとアディル、自然と二人の視線が絡まった時、どちらともなく口元がニヤリと歪む。
どう見ても楽し気とは言えない雰囲気の笑みを浮かべ、この二人を包む空気だけが異常な程の冷たさを放つ。
それを唯一、間近で見ていた者が居た。
それはホワイトリムジンの運転手。
見た目は初老であるも、服の上から押し上げる筋肉がやたらと目立つ。
相当鍛えているのは明らかだ。
運転手はミラー越しに二人を見つつ、ゴホンっと咳払いしアディルに声を掛ける。
「ハンズ様、行き先はどのように致しましょうか」
「ああ、すまん。行き先だが……」
運転手に声を掛けられると、忘れていたのかアディルは謝りを入れて運転席の方へ身体を向けた。
アディルが僅かに身を乗り出し行き先を告げている間、ジオはその背中から観察する。
面会の時も多少感じはしたが、アディルは己と同じ臭い──性質だとジオは考える。
人数の差はあれど、この女も人を殺した経験があると、ジオの中ではそう結論付けた。
それでいて、アディルはジオと殺り合っても直ぐに決着は付きそうにないくらには、楽しめそうだとも。
──まぁ殺しのひとつも出来なきゃ、公安暗殺…………なんちゃらの責任者にはなれないか。殺しが仕事な訳だしな。
そんな事を心の中で考えていると、車体がゆっくりと発進し始める。
ジオは腕を組み、高級な革素材のソファに背を凭れ掛からせていたところ──運転手に行き先を告げていたアディルが近付き、ジオの隣に腰かける。
横目でアディルを見据えたジオは、訝しげな表情を浮かべ疑問をぶつける。
「この広い車中で、何故俺にくっ付いて座る?」
「良いだろう。男が細かい所まで気にするでない」
「隙を探して俺を殺すか? そうでれば残念だが、俺はその攻撃を交わしてみせよう」
「そなたの頭には〝殺〟以外の言葉はないのか……」
「俺は頭が悪いんでね、多分だが……無い!」
「誇らしげに言われてもの……自慢にはならぬぞ……」
全くもって誇れる話ではないも、ジオは心をイキイキとさせていた。
殺める事こそがジオにとっての人生であり、生き甲斐であり、快感であり、快楽である。
そんなジオに呆れるアディルだったが、狂った殺人鬼に何を言っても無駄な事はよく知っている。
それは何故か。ジオの思考と似た連中が、アディルは仕事上の関係で馴染みがあるかるだ。
発車してから20分程した頃、西洋な街並み風景が現れる。
両端には古くとも綺麗で立派な建物が連なり、その真ん中に造られた大幅な道路をホワイトリムジンがひた走る。
窓から見える景色をぼんやり眺めていたジオだが──暫く牢獄暮らしをしていたと言うのに、自由のある外の世界には早々に飽きてしまう。
そもそも、景色を見て楽しむような男ではないのだが。
「そう言えば、これは何処に向かうんだ?」
今更感満載のジオの問いに、アディルが答える。
「とりあえず先に、服屋へ行く。あと靴もな。囚人服しか無いのも困るであろう?」
「これはこれで、結構動きやすくて気に入ってるが……確かに靴は欲しい所だ。仕事に制服とかないのか?」
ジオにとって、服など着れればそれだけで良いとするだけの存在。
返り血を浴びる事が多かった為に、あまり拘って仕方なく──汚れたら直ぐに捨てるのだから、生活に必要と言うよりも仕事に必要なら、制服があればそれで十分と考えた。
しかしジオの問いにはアディルは暫しの沈黙を返し、ついでに顔も逸らされてしまう。
車内に数秒の沈黙後、アディルは口を開く。
「経済的な都合ゆえ、そんなもんは作れん。仕事場は金に煩い」
「……? こんな高級車を用意出来るのにか?」
「これは我の私物だ」
再び車内に沈黙が流れる。
時間にして10秒程であったが、アディルはゆっくりと振り返りジオに視線を戻す。
するとアディルの視界に見えたのは、前髪がずれてその下に隠れていた端正な顔が晒されている男。
口元をニィと緩めたジオは、楽し気に告げる。
「なるほど。お近づきになれて光栄だ! だが忘れていた……俺は、金持ちが大っ嫌いだったって事を!」
言葉とは裏腹に笑っているジオを余所に気が付けば、リムジンは一件のメンズ専門アパレル店の前に到着。
アディルは溜め息混じりに、独り言を呟くのだった。
「顔は良いのに、心と言葉が残念な生き物じゃな」
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