第3話 ベースと真相と、仲間と。

歌が、聞こえる。歌手だと言われても驚かないような、どこまでも透明な歌声。ただし伴奏がおかしい。……まさかとは思うが、妹のペースで弾き語りをしているのではないだろうか。泥棒か?新手の侵入犯なのか?私に見つかった後、泣きながらベースくださいってねだるやつなのか?

恐る恐るドアを開けると、気持ちよさそうに遥がオリジナルの歌を歌っていた。いや、違う。どこかで……。しかしそれ以上に、

「なに妹の部屋に勝手に入ってベース弾いてるのよ!」

私がベースを取り上げるとむっとした顔で

「気持ちよく弾いているのだから、少しくらい許す心を持ったらどうだい?それに入ってほしくないのなら、立ち入り禁止の札くらいかけておくべきだと思うね。」

「女子の部屋に無断で入る男がいるか!それに、弾き語りにベースは似合わないと思うけど。」

弾き語り、といえばギターやピアノを使ってやるのが一般的だ。ベースは聞いた事がない。あれほどまでに世間を知っているように話す彼にとっては常識なのだと思っていたが、彼の反応は180度異なるものであった。

「そうなのかい?ベースでも弾き語りは出来ると思ったのだけど、違うのか。それは残念だ。じゃあ歌いたいからギターかピアノを練習すべきってことだね、僕は。」

「お姉ちゃん、何でベースで弾き語りは出来ないの?」同じような事を聞いてきた人がいた、と思えば妹であった。彼女もまた、今遥が手にしているベースで弾き語りを試みていた。答えは、出なかった。「お姉ちゃんにとってはそれが当たり前だから」、そんな答えでは納得してくれなかったからだ。

「……む、君は僕の顔を見ていつも嘆息するね。ひどく悲しそうな顔をする。僕の顔が、性格が、はたまた全てが気に入らないというのかい?それならどうして家に連れ込んできたんだという疑問が生まれるのだがね。」

「なんでその理由をあんたに話さなきゃいけないのよ。話す必要なんてないでしょ。」

口が裂けても言えない、妹と似ているから見ていると悲しくなってくるなんて。きっと可哀想な人間だと揶揄されるだけだ。

「君が話したくないというのなら、僕はこれ以上深入りしない。それがこの世でいう大人、というやつなのだろう?」

たまらなく深入りしてやりたい、という本心が丸見えであったがそう突っ込むのは彼の優しさに免じてぐっと堪えた。

しばしの沈黙の後、彼はそういえば、と切り出した。

「君の名前は?君がいちいち僕の言葉に噛み付くせいで名前を聞くタイミングを逃していたよ。僕は記憶喪失だから名前がないと言ったが、君にはきちんとあるのだろう?僕と同じで記憶がないというのなら、名前を探す旅とやらに出掛けるのも良い選択なのかもしれないね。」

「名前?それは……それは……。」

「それは?」

「ゆ、柚歌よ。柚子の柚って字に歌うって書いて柚歌。久美柚歌。」

ずっと誤魔化し続けてきたが、私自身も記憶が抜け落ちているのである。全く笑えない事実。記憶喪失を笑ったのは、誤魔化すため。しかし全てを見透かされている気持ちが芽生え、記憶喪失ではないフリをし彼の事を笑っている事自体危険行為であるという自覚があった。良かった、自称幼馴染のあの人に聞いておいて。

全てばれていたが、こいつの為に黙っておいてやろう、という目を向けながら、遥は口角だけをきゅっとあげた。察しがいいから嘘がつきにくい。

「綺麗な名前だね。」

「はるね、大きくなってこどもをうんだら、おねーちゃんと同じゆかって名前つけるんだー!」

「男の子だったらどうするの?」

「え、絶対女の子がいいっていったら女の子が生まれるんじゃないの?」

「そんな奇跡、あり得ないわよ。」

ずっと不思議だった。全てを忘れているはずなのに妹の記憶だけは強烈に残っている事。妹の名前、妹が通った小学校、なぜ今彼女がいないのか。彼女にまつわる全ての記憶だけが強烈に残っているだけの私。理由は不明だが、一生後悔し続けろという神のお告げというやつなのだろうか。そうだとしたら、神様なんていなくなればいい。

ふと、髪の毛が無造作になっていることに気がついた。いや、無造作にされているのである。顔を上げた先で、遥が私の頭をずっと撫でていた。

「大人と子供は紙一重だ。だから、子供がされて嬉しい頭を撫でられるという行為によって、君も少しは心に潜む悪魔から目を背ける事に成功するのではないかと思ってね。」

柚歌、と優しく私の名前を呼び、また彼にとっては撫でるという行為なのだろうが、私にとっては髪の毛をぐちゃぐちゃにされているだけの迷惑な行為を続けた。しかし、その優しさが今は身にしみる。

「泣くほど喜ぶ事なのか、この行為は。ではもっと続けてやろう。」

「あんた、撫でるって意味分かってないでしょ。」

ふっ、と笑った彼の表情と同じような表情をしていた。

そうだ、と何か思いついたように立ち上がり、遥はこう言った。

「記憶の旅、に出てみないかい?お互いの記憶と再会する為の旅というものに。勿論拒否権はある。君が記憶を思い出さず、心に潜む悪魔と共に一生を終えたいのなら無理強いはしないつもりだ。ただし、僕は自分の記憶と再会したいからその旅に出るつもりでいる。もしも君が行かないというのならば、ここでお別れという形になるだろう。付き添いというものは、ただ疲れるだけだろうしな。」

「本当に記憶が戻るっていうの?」

「ああ、そうでなければこの世界において記憶の旅、とは名付けられていないはずだろう。君は可哀想を超えてただの馬鹿というわけかい?それとも、アホと言われた方が嫌悪感が増すかい?」

「おいちょっと待て、この世界ってどういう事。」

「この世界といえばこの世界だろう。他に何があると言うんだい、君は?」

「いやここって日本じゃないの?地球の中にいるんじゃないの?いやだとしたらこの世界なんて呼ばないか……でも、私がいるのは日本でしょ?他にどこがあるっていうの?」

束の間の嘆息。長めの嘆息。まるで全てを理解していない私を嘲笑い辟易しているかのような、嘆息。

「ここは、記憶のない死者達が集まる世界。まあ君が先生としてここに存在していると知った時は一目散に殺してやろうと思ったが、君は面白いから踏み止まったというわけだ。僕に感謝するといいよ、殺さなかった僕に。」

「し、死者?わ、私がいつ死んだっていうのよ。私は家族みんなに先立たれた天涯孤独の身ってやつよ、それなのに死者ってどういう事?あと先生として存在しているって……もう訳わからないんだけど!」

「まぁ、ここに来て間もない人物達は皆口を揃えてそう言う。自分が死んだという自覚すら消え去るのだ。だからここは記憶のない死者達が集まる世界、と呼ばれている。まあ普通の死者達から揶揄された上でこう名付けられた世界だ、自分が歓迎されると信じていた天国とは程遠い。だから、ここでは闘いが頻発している。先生として存在している人物達と、生徒として存在している人物達。両者は敵同士であり、殺さなければ生き残れないと信じている生徒や先生が殆どだと考えてくれたらそれで良い。」

最初に出会ったのが僕で良かったね、とにやりと遥が笑った。なぜ、と聞くと「僕が先生を殺さなければと願う生徒グループの指揮官だから、かな。」そんな大層な人物に出会っていたものの殺されていないというのはある意味奇跡なのではないか?

「奇跡、だとね。やはり君は面白いから僕が守ってあげるよ。先生である事を隠す事くらい、今の君なら楽にやってのける事が出来るだろう?この世界の仕組みをまだ理解できていないというのならば。ほら、制服は貸してあげる。僕の仲間の所へ行こう。」

「待って、1つだけ約束して。あんたの仲間の所へ行ったら、この状況を馬鹿でもアホでも分かるように説明して。」

「馬鹿もアホも同じ意味だが、それを重ねるんだね君は。やっぱり可哀想というにはまだ早い人物だったようだね、先生として召喚されたのはあまりに惜しい人物だよ。神様は人間の深くまでは見ようとしないのだろうね。」

そのような事をぶつぶつ呟いていた、と記憶している。ここから先は私に聞こえないようなボリュームで言っていた為、全く聞き取れなかった。

「ここだよ。」と案内されたのは、旧職員室と書いてある誰も近寄らなさそうなボロボロの部屋であった。

「リーダー!!!」と叫び遥に抱きつく少女が私を見つめる。「新入りの人?」「あぁ、紹介するからみんなを呼んでくれないかい?」そう会話をした後、遥は私に好きな席に座るよう促した。

「さて。居心地はどうだい?家具だけは新しいものを片っ端からかっさらったつもりだから、座り心地はかなりいいだろう?」

「いや今の問題そこじゃないから!とっとと紹介しなさいよこの状況を!」

「リーダーに向かってそんな口の利き方をするなど、この俺が許さねぇ!」

「落ち着きなって、夏樹。柚歌は悪い人じゃない、ただの面白い馬鹿な人だよ。みんな、仲良くしてやってほしい。」

「その紹介の仕方は聞き捨てならないんだけど。」

「まぁ、柚歌も落ち着きなよ。僕には全く悪気はない、つまりこれは世でいうところのいじめとやらには当たらないというわけだ。その代わり、いじり、というものには当てはまるのかもしれないがね。まぁそれはいいとして、僕の仲間を紹介しよう。」

そう言われて、彼が仲間、と呼んだ人物達(総勢6人)を紹介してもらった。

千聖、と呼ばれた先程遥に抱きついていたツインテールの女の子。

彩音、と呼ばれた短髪のボーイッシュな女の子。

夏樹、と呼ばれた先程怒っていた常に日本刀を携帯している男の子。

潤一郎、と呼ばれたメガネを掛けいかにもパソコンが得意そうな背の高い男の子。

日向(ひゅうが)、と呼ばれたトランスジェンダーで女の子の格好をしている心は男の子。

夏樹、と呼ばれた男の子以外は皆いい人のように見えた。なんて考えていたら、彼に睨まれた。

「まぁ、記憶がないからみんな名前は仮名で、僕がつけたものだ。口ごたえをしない所を見ると、きっと本名よりもかっこよかったり可愛かったりしているのだろうね。あ、僕の名前は柚歌が付けてくれたよ。昨日帰ってこなかったのは柚歌が勝手に僕を匿っていたからだ。ちなみに僕の名前は遥。改めて、よろしく。」

握手を求めた後、「先生として召喚されたなんてこの場で言ったら即座に殺すと心に決めているから、覚悟しておくといいよ」と小声で、しかし怒りを交えながら耳打ちをしてきた。これほどまでに恐ろしい怒られ方をした事はない。

「その面白い馬鹿はこの世界に降り立って間もない。というわけで、僕がここで説明をする。他のみんなも揃いも揃って馬鹿だという事もあり、忘れかけている部分があるだろうから耳と心できちんと聞くように。」

どうやらここに馬鹿、と呼ばれて怒る人は私以外いないようだ。皆さらっと受け流している。

「ここは記憶のない死者達が集う世界だ。生前の行動や思考等により総合的に神が判断した上で先生と生徒、のどちらかとしてこの世界に召喚されるとされている。この世界において先生と生徒というものは敵同士と考えている、いわゆる過激派がここに集っているというわけだ。この世界から消える理由は主に2つ、記憶が戻った時とこの世界で死んだ時だ。」

「いや、死んでるんならもう何度刺されても死なないんじゃないの?」

「これだから馬鹿には話が通じないと言われ、先生達に馬鹿にされ殺すよりも前に殺されるのだよ。ここはいわゆる天国とは異なる世界だ。分かりやすく言えば、本当の生と本当の死の間に存在する世界というわけだ。主に過激派だけではあるが、体は死んでいるものの、命たるものは存在していると考えられている。つまり過激派に所属している限り、もう一度死ぬ運命からは逃れられない。」

………はい?

「おいリーダー、想像以上にこいつは馬鹿みたいだぞ。分かりやす〜い説明聞いたくせにぽかーんとしていやがる。」

「君だって来た当初はそうだっただろう、夏樹。柚歌を馬鹿にする資格は君にはないと思うけど、違うかい?」

「わぁ、ナツキが馬鹿にされて顔真っ赤にしてる〜!」

「うるせぇ黙ってろ千聖!」

「まあまあ2人とも、喧嘩はやめなさい。こんな堅苦しい説明されてすぐにはい分かりました!って返事が出来る人なんていないわよ。……端的に言えば、先生と生徒は敵同士。先生に殺されれば私達は痛みを感じるし、死ぬ。そして記憶が戻ればこの世界から消える。それだけ覚えておけば、ここでの生活に何の疑問も抱かずに済むと思うわ。」

「そ、そうですか……。」

「な〜に緊張しちゃってるの〜!私達、仲間じゃん?だからリーダーと喋るみたいにタメ口でいいんだよ。むしろその方が気楽だしさっ。」

「……仲間と思いたくないのなら、無理にタメ口で話す必要はないがな。」

「もぉ、潤はすぐそうやって言う!あいつらに殺されかけたってもう助けてやらないからね!」

彩音(さん)はどすどすと足音を立てながら席に戻る(さん付けしないで、と言われたのだがなかなか慣れない)。と、

「ここにいるみんないい人だから、安心してねっ。」

天使が近づいてそう言った。千聖、と書いてどうやら天使と読むようだ。

「またちーちゃんを天使って呼ぶ人が増えましたねぇ、ふふっ。」

無意識に口に出していたのか、日向さんにそうからかわれた。ん?天使ってみんな呼んでいるの?

「千聖が天使である事は事実だから、名前で呼びながらも心の中では天使ってみんな呼んでいるんだよ。まあそれを始めたのは夏樹だけどね。よく考えてくれたよ、僕達が求めていたワードを。」

「いや、それは別に深い意味はないから!」

全員が記憶をなくしている、つまり死んだ理由を知らないがこんなにもはしゃぎ回っている。気にしようとしないのか、それとも死と向き合う事を恐れているのか。真相は未だ闇の中だが、このテンションに私はついていけるのか?

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