それって楽しい?

 大きな液晶TVには古い官能映画のお色気むんむんな曲が流れスタッフロールが映しだされている。HDDレコーダーのランプが点いているので録画しておいたものなのだろう。

 その曲に合わせカティがくねくねと踊りながら楽しそうに勝手な歌詞をつけて歌っている。


「人妻~オゥイェア~♪ フェロモン~♪ はだかで~♪ エプロン~♪」


 間奏部分は更にひどい。


「オゥイエ~ス♪ イエ~ス♪ オォウオゥイエ~ス♪ アイムカミ~ン♪」


 もう聞くに堪えない。しかし体が動かない。


 曲が終わるとカティはリモコンを手にし、スタッフロールの頭に戻って再び歌いだす。

 彼女は歌って踊るためにこの映画を、というよりこのスタッフロールだけを観ているのだということが容易に察することができた。


 歌詞はともかく、歌は無駄にうまい。

 まあ、百歩譲ってこのへんてこりんな踊りもいい。

 だが問題はその恰好だった。


 ハンガリーの伝統的な入浴時のコスチューム。

 かつ一部の成人男性向け雑誌のグラビアを飾るアレ。

 胸当て部分の横から乳房の膨らみが見える。

 背後の、腰に結んだ紐の部分から左右に分かれた布地から、二つの肉の隆起がちらちらする。


 二度目のリモコン操作の静寂に、硬直がやっと解けてきたトレバーが小さく呼んだ。

「カティ……?」

 その途端、盗み食いを見つかった猫のように、カティがびくんと跳び上がった。

 何かの間違いであってくれという願いをもろ出しに、ホラー映画のワンシーンのようにゆっくりと振り返る。

 そうやって、素っ裸の上にぺろんとエプロンを一枚身に纏っているカティはトレバーと、その後ろにいるサイラスとも目が合った。

 一瞬、そばかす塗れの頬がぎくりと強張って青ざめ、次にぱああああっと紅潮した。


「ぎゃああああああああああああああ!!!!!!!!」


 叫び声とともにリモコン、ティッシュの箱、ペン、新聞、雑誌、スマートフォンなどなどそこにあった雑貨が殺意を込めて投げつけられる。

 クッションが顔にヒットしてトレバーの眼鏡がずれ落ち、サイラスの耳のすぐ横を鋏が空を切って飛んでいった。

「トレバー、俺帰るわ」

 サイラスは慌てて友人に背を向けるとすたこらと逃げ出した。

 ドアを閉め、外に出るとほっとする。

 秋の夜空が、都会の灯りで濁って見え、そこに半月が青白く光っていた。

 サイラスは駅へ向かって歩き出した。

――トレバー、墓には花くらい手向けてやるからな。


 TVの画面は一瞬ノイズを映し出した後、暗くなった。

 狂乱の発作が治まり、カティが唇を噛んで俯きぺたんと床に座っている。

 ソファーの上に、直前まで着ていたと思しき寝間着と下着が無造作に置かれていた。

 奇妙な雰囲気のまま、長い長い沈黙が流れていく。

「あの……何してたの」

 とうとう、言葉を選んでトレバーが訊ねた。

「見ての通りだよ」

 投げやりにカティが答える。まだ顔は真っ赤だ。

「…………何あれ」

「…………笑いたきゃ笑えよ」

 傷ついているのをひた隠すような擦れた態度でカティが言った。

「笑っていいの」

「……おぅ」

「ん~……でもあんまりウケるって感じじゃな……」

「何だと?」

 やにわにカティが顔を上げて鋭く睨み、トレバーは慌てて言い直した。

「いや、あのね、ウケるって感じじゃなくて、セクシーなサプライズだったなぁって」

 またカティはうなだれた。

「トレバー、無理すんな」

「……無理じゃないけど」

「私は、こんな女なんだよ。こういうのが大好きな馬鹿女なんだよ」

「…………知らなかった」

「軽蔑してんだろ……してるって言えよ」

「いや別に」

「生きる価値もない腐れアマだと思ったろ?」

「……何もそこまで」

「……いいんだ。誰だってそう思うよな……」


――何だろう。

――僕とカティのこの温度差。

――こういうとき、普通どうするんだろう。

――っていうか、これ普通にどうにかできる状況なの?


「見られたくなかった……誰にも見られたくなかった……親にも見られたことねえのに」

 カティは裸エプロンのまま傍らのソファーに身を投げ出した。すっかり悲劇の様相だ。

「だろうね」

 またちかりと睨まれてトレバーが黙る。

「あああだから鍵なんか渡したくなかったのによぉ……サイラスまで連れてきやがって……」

 肩甲骨の隆起や脊椎の滑らかな窪みに鳶色の髪がかかり、Sクラスブランドの香水の広告によくある裸婦写真のようにスタイリッシュな後ろ姿ではあったが、生活感あふれるエプロンがシュールさを添えている。

「ごめん。でもカティ今日遅くなるって言ってたじゃないか」

「飲み会が流れたんだよ。トレバーも飲んでくるっつったから……あああもう最悪だぜ」

「ごめん」


 仕事ができてクールで高飛車で、人を馬鹿にしきっているカティが、無防備にへんてこな踊りと歌に夢中になっていた。

 そしてそれを目撃されてひどく凹んでいる。

 イイ。

 すごくイイ。

 その凹みを埋めるのは僕の役目だ。


「えっと……カティ、それって楽しいの」

 ギルティな面持ちでカティが小さく答える。

「……楽しい」

「恥ずかしいとか虚しいとか、ないの?」

 そう訊ねられ、カティは悲しい目をした。

「……いいじゃねえか。こんなのを心底楽しいって思える人間もここにいるんだからよ」

「でも見られたら恥ずかしいんだ」

「…………」

「セックスより恥ずかしい?」

 カティは無言で頷いた。トレバーには全く理解できない。

「歌ったりするの、この曲だけ?」

「……いや……他にもいくつか」

「いつも裸エプロンなの?」

「猫耳とか……着ぐるみとか……脱ぎながらとか……」

「面白い趣味だね」

 トレバーはそのままの意味で言ったつもりだったが、カティはその言葉に画鋲を踏んだような顔をした。

「さてと」

 仕事帰りのスーツ姿でトレバーは立ち上がった。

「僕、着替えてくるね」


 のそのそと男が退場すると、カティはラグの上にごろんと寝転がった。

 天井を見上げていると、ちょっと涙が出た。


――ああ……

――見られちまった……

――私のサンクチュアリももうおしまいだ……

――鍵渡した時点で、わかってたのに……

――服、着よ……


「お待たせ!」

 パンツの脚ぐりに片足を突っ込もうとしていたカティは体温を間近に感じて振り向き、唖然とした。


「似合う?」


 そこにはカティと同じく、全裸にエプロンをつけたトレバーがいた。

 カティのエプロンの丈は彼の身体に全然足りずかなりヤバい。

 あれの先っちょが見えそうでヤバい。

 後ろ姿は完全に犯罪レベルだ。


「あの……コットンフィールドさん……それはどういう……」

「どうもこうもないよカティとお揃いだよ」

 意味が全く分からずに、パンツを足首に引っ掛けたまま口を開けて、トレバーを見ているカティを、トレバーはひしっと抱き締めた。

「カティだけに恥ずかしい思いはさせない!」

「はい?」

 浅黒い頬も赤く染まり、肩は笑いに揺れている。

 彼はリモコンで先ほどのスタッフロールの再生ボタンを押した。

「ほら踊るよ!」


 狼狽えて尻込みするカティにうろ覚えながらトレバーが歌ってみせ、とうとう彼女も「そこ違う」と突っ込んで小さく歌いだす。

 二人で恥ずかしがりながらへっぽこなステップを踏む。

 3回踊ると「かなりいい線いってる」とカティに言われ、すっかりトレバーもその気になってきた。


 この精神の解放感、そして局所の開放感。理性の声を無視して全力で馬鹿をやっている爽快感とほんのちょっとの背徳感。

 青臭いプロムなんかよりよほど楽しい。


「カティ、これからは僕も混ぜてよ」

「あ~あ……教えたくなかったぜ」

「君の裸エプロンはなかなかイカしてるけど、僕のは変態丸出しだねぇ」

「ちょろんちょろん見えてるしな」

「え? 見えてた? ぎり大丈夫だと思ったのに」

「トレバー、ちょっと大きくなってねえか」

「あ、ほんとだ」

 半勃ちの自分自身にトレバーが笑い出し、カティもつい笑い出す。

「あはははははははははははは」

「はははははははははははは」

 二人で身をよじり涙が出るほどに笑う。

 裸にエプロン一枚着けただけの姿で。

「ははははははは……はぁ」

「ははは………………は……」

 大笑いの後、再び沈黙が流れたが二人はそこにちょっとこそばゆいような居心地の良さを見出していた。


「ねえカティ」

「何だ」

「僕ね、何で君とならできたのかわかった気がする」

「ほう」

「最初、カティの優しさに縋りたいだけかと思ってた。でも優しい女なら他にもいたから説明がつかなかった」

「そうなのか」

「でも、僕らには共通点があるだろ?」

「…………」

「僕らは不運な出来事を背負って育ってるんだ」


 僕はめそめそ逃げ回り、いつか息苦しさが消え去る日が来ることを願いながら育った。

 そうしてやっと見つけた相手にどこまでなら許してもらえるか泣いて試す日々。


 君は全てを背負おうと小さな肩肘を張り、愛されることを諦めながら今に至る。

 いつも斜に構えて、一人きりでいるときに馬鹿をやるのが無上の喜び。


 甘ったれと意地っ張り、足して二で割ったらきっとちょうどいい。


「たぶんね、僕は一緒に子供時代をやり直せる人を無意識に探してたんじゃないかと思う」

 トレバーはまた笑い、腕を伸ばしてそばかすだらけの頬から顎にかけて大きな手で包んだ。

「こんな僕でよかったら婿にしてくれませんか」


 この男に泣いたり拗ねたりしながら頼まれることはあっても、こんな笑顔でものを頼まれるのは珍しい。

 その笑顔がゆっくりと真摯な表情に変わる。

 カティの鳶色の瞳を熱意を込めて覗き込む眼差し。

 黒い瞳の奥には男の無知と愚直さと微かな恐れ、女の持ち得ないあどけなさがあった。


「可哀そうな子」と言われると余計につっぱった。

 愛されなくても大丈夫な子と思われる方がよかった。

 そんなあの頃を「一緒に」「やり直す」?

 馬鹿馬鹿しい。

 阿呆臭くて涙が出てくるぞクソが。

 見てるこっちが辱められてる気分になるくらい馬鹿で甘ったれで内弁慶のくせに。

 あそこが擦り切れるほど絶倫で、腰が痛くてつき合いきれねえ。


 でも、こいつがもう少し漢気とか男女間の常識とかそういうものを身につけさえすれば。

 まぁ、見た目だけは悪くねえしこき使うにはいいかもしれねえな。


 カティが口を開いた。

「……さっきのこと、誰にも言うなよ?」

「もちろん」

「サイラスに口止めしろよ」

「わかってるよ」

「それから、その……生理中は嫌だ」

「すみませんでした」

「私の気持ちももっと考えろ」

「はい」

「だったら、結婚してやってもいいぞ」

 カティは言った後でちょっとまずい、という顔をした。

 とんでもない痴態を曝してしまった後の安堵という吊り橋効果が、トレバーにとって非常にいい仕事をしている。

「カティ!!」

 彼は喜色満面で、躾の悪い発情期の犬のようにカティのエプロンの裾を捲り上げ乗りかかった。


 2か月の後、カティの姓はカボットからコットンフィールドに変わった。

 ごく内輪のパーティで、サイラスは特に欲しくもなかった青いリボン付きキャットガーターをにやけくさったトレバーに渡された。

「落ち着くところに落ち着いて、よかったんじゃないですか」

 ジョリーはワイルドに骨付きのラム肉を咬み千切りながら、ひどく疲れた様子のカティに言った。

「さすがカティとナントカ主任のパーティですねぇ、ここの料理すっごくおいしいです!」

「あ、ああ……どんどん食ってけ」

「結婚パーティの料理がおいしかったら、そのカップルは別れないっていうじゃないですか~きっとお二人、死ぬまで離婚しませんよ」

 料理の味だけでそこまで断言できるのがすごい。

「…………そりゃおめでてえな」

 白い大きな蘭を髪に留めつけIラインのドレスに身を包んだカティは他人事のように言うと、大口を開けて欠伸し居眠りを始めた。


 新郎に女心というものを理解させるのには、まだまだ前途多難だった。

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