そんなこと知るか!

 その三日後、カティが部屋の鍵をちゃらちゃらと鳴らし鼻歌交じりに帰宅すると、部屋の前に巨大な赤い薔薇の花束を抱えてトレバーが縮こまって座っていた。

「うわっ」

 思わず驚愕の叫びをあげたカティに、先日見せた悲しげな表情を再び浮かべて彼は言った。

「おかえり」

「何であんたここにいんだよ」

「カティ待ってた」

 トレバーは抱きかかえた花束に頬を寄せながら言った。

「中に入れてもらってもいい?」

「嫌だ」

 今にも犬のようにクンクンと情けない鼻声を出しそうな彼を無視して、カティはさっさと鍵を開け、するっと部屋に入ると素早くドアを閉めて錠をおろした。

 トレバーは覇気なく、再びそこへしゃがみこんだ。このデュプレックスの別室の住人が幾度か通りかかり、胡乱な目つきで彼を見る。

 時折、ドアスコープの向こうにカティの気配がしていたが、とうとう一時間ほど経ってから扉は開いた。

 諦めたような、それでいて苛々した声が彼を招き入れる。

「……ほれ、入れ」

 トレバーはカティの顔をじっと見つめ、再びカティの部屋へ足を踏み入れた。

「おい、さっきから後生大事に抱えてるそいつは何だよ」

 廊下を塞ぐほどの大きな花束を顎で指し示す。

「何って……バラの花束」

「それは見りゃわかる」

「……君にプレゼント」

 陳腐にもほどがある、とカティは思った。

「そうか。豪勢なこった」

 礼も言わず恬淡と受け取ると、あっさりした様子でセロファンやリボンを外す。

 ストレージからバケツを出し、水を汲むとずぼっと活けた。

「花瓶とか無いんで」

「あの、それ花屋で花言葉とか聞いて選んできたんだけど」

「花にも花言葉にも興味ねえから」

 すぐさま切り捨てられて、トレバーは黙り込んだ。

 少し非難がましい目つきで見つめるトレバーに、カティが言う。

「で、これ渡しに来ただけならもういいだろ? 帰れ」

「……」

「まだ何か用か」

 トレバーがぎゅっと拳を握りしめた。

「話を聞いてもらおうと思って」

「他のやつに話せよ。私はあんたの友達でも何でもねえぞ」

「……」

 沈黙が続く。

 トレバーは大きな図体でうなだれ、すん、と鼻をすすった。

 黒い瞳が眼鏡の奥で涙ぐんでいる。

 何かひどく面倒なことに片足突っ込んでいるのを感じ、カティはさっさと話を終わらせようと思った。

「ああ、ああ、わかったわかった! さっさと話せ! で、話し終わったらとっとと帰れ」

 ソファにトレバーを座らせてカティはラグに座り、クッションを抱えた。

 うるうるとした目で彼はカティのきつい三白眼を見つめると、すぐにまた自分の手元に視線を落とす。

「だめだったんだ」

「は?」

「あれから二回、キャットハウス(売春店)に行ってみた。でもやっぱりだめで……何にもできなかった」

「うっわきっしょ」

 つい口から出てしまった言葉に、ちょっと気の毒だったかな、とカティは思い返す。

 風俗に行けと怒鳴ったのは自分だったのだから。

「いや、あの、ほら……そういう時ってのもあるんじゃね? 少なくともこの間はできたじゃねえか」

「……」

「何事もいきなり連チャンってのはよくねえのかもしれねえぞ? まあ、ゆっくりまったりと慣れていってだな……」

 言いながらカティは実にあほらしい気分になる。


――何言ってんだ私は……


馬鹿馬鹿しい気分ではありつつもカティのそれなりに真摯な慰めの言葉を、トレバーは遮った。

「ねえ、もう一回させて」

「は?」

「今、『慣れていって』って言ったよね。慣れさせて」

「それは言葉のアヤってもんだ」

「どうでもいいよそんなの」

 彼がポケットから避妊具の小さな箱をいくつも取りだすのを見てカティは絶句した。

「ねえ、責任とってよ」

「何の責任だよ!」

「僕の下半身の」

 トレバーのズボンの前部分を見て、カティは目を逸らした。

「できなかったっての、嘘だろ」

「嘘じゃないよ、ここに電話して訊いてみてもいいよ」

 風俗店のカードを取り出して見せるトレバーにカティはげんなりする。


 で。

 こうなる。


「ああああああもうなんでなんだよおおおおおお!!!」

 枕に顔を埋め、カティが喚く。

「できるじゃねえか普通によおおおお!この嘘つきサオ師が!」

「嘘じゃないってば」

 さっきまで涙目だった男は、水を得た魚のように活き活きとし話し方もべちゃべちゃと甘えた調子になっている。

「もう一回していい?」

「嫌だ!」

 拒否してもあまり意味はなかった。

「嫌だっつってるじゃねえかよ!」

 この歳で「僕、性に目覚めちゃった」と全身で訴えてくるこの気色悪さは如何ともしがたい。

 抗っても大きな手足でひょいと押さえ込まれいなされてしまう。

 そして非常に悪い意味で全力投球だ。力加減だとか余裕と言うものが全くない。

 体中いろんなところが弄られすぎてひりひりする。

「なあ、もう自信はついたろ? こういうのはよそでカワイコちゃんとやれよ」

「やだ」

 カティはまるで幼稚園児のお守りをしている老婆のような気分だった。

 相手は聞きわけがなく、自分は体力がもたない。


 それから数回、何とも愉しそうに体を結び付けてきた後、トレバーはぼろ人形のようにぐったりとしているカティの身体を引き寄せ、抱き枕よろしく全身で抱えた。

「カティ」

「何だ……もうしねえぞ……したらほんとにぶっとばすぞ」

「ふふっ……君って最高だよ」

 ぱくんと耳たぶを口に入れて甘噛みされながらカティは悪態じみた正論を吐く。

「他の女がどんな具合か知らねえくせに最高もくそもあるかってんだ」

 自分は男に好かれるような要素もなく床上手と言うわけでもない、とカティはわかっている。

 もごもごと噛んでいた耳から口を離すとトレバーが囁いた。

「どうせ他の女とはできないんだから、やっぱり君がぶっちぎりで最高だよ」

「慣れりゃ他の女ともできるって! そしたら私は大した女じゃねえってすぐわかる」

「……君って優しいし謙虚だよねぇ」

 まったく、何でこの男は私とならできるんだろう?

 乳房をやわやわと揉む男の手を払いのけながらカティは溜め息をついた。

 この性的モラトリアムを一気に埋めようとじたばたしている大男はそれを「充足」の表現と理解したらしく自分も溜め息をついた。

 実に馬鹿っぽい。

「ねえ、赤い薔薇の花言葉って知ってる?」

 それくらい常識だったが、カティは面倒くさくてたまらないので知らぬふりを決め込んだ。

「知らねえよ」

「後で調べてみてよ」

「ふ~ん……」

 心底興味なさそうに答えるカティの顎をしっかりと捉えるとトレバーはその狼狽えている唇に唇を押し当て、舌でカティの歯列を抉じ開けて上顎をねっとりと舐めだした。

 まさか口の中に、身がくねるほどにくすぐったい場所があるとは……

「んんっ」

軽く鼻から高い声を出してしまい、カティは自分の口内を舐めまわしているものを慌てて舌で押し出そうとする。

 その薄く柔らかな舌をトレバーは抜けるほどに強く吸った。

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