第44話 諦めません勝つまでは

「シグレさん!」


 ベッド脇。椅子で一人蹲っていたリエルが、俺を見るなり安堵したような表情を浮かべた。泣いていたのか、抱えていた膝は濡れているようだった。


「……取り乱してすまなかった。もう大丈夫だ」


 希望を捨ててはいけない。俺は何か手掛かりは無いか、ルーシアの様子を注視する。

 特に目立った痕跡は無く、戦闘後はこの部屋で普通に過ごし、眠りに就いたのだと思われた。

 手首に触れてみると、薄らと脈はあるようである。

 ……良かった。死んではいない。だが、動けないのであれば、死んでいるのに等しい。


「これは……」


 ふと、彼女の腕に残る傷が目に入った。……何の変哲も無い傷だ。だが、違和感を覚えた。蘇生していないから、傷もそのままなのだろう。

 ……いつ付いた傷だろうか。否、海賊との戦いの最中に違いない。

 気になって、ルーシアのステータス画面を開いてみる。HPはゼロになっている。それと、バグなのか【毒】と表示されたアイコンが明滅を繰り返していた。

 バッドステータス状態?

 状態異常なのか、これは? だとしたら前例が無い。毒や麻痺、そういった物はゲーム時代もあったが……。

 死んでいるのではなく、未知の状態異常って事か?


「毒矢の痕では」


「確かに。終盤で一発喰らっていたのは俺も見た」


 呟いた俺に、リエルが疑問を投げかける。

 海賊船での戦闘を思い起こすと、確かにこの部位に矢が刺さっていたと思われた。


「私は……『アイ』の仕業だ、と睨んでいます」


「……その可能性は高いな」


 目の前で起きている事に対し、瞑想する。解決策は無いだろうか。

 リエルは治癒魔法や解毒魔法を試したが、効果は得られなかったという。だとしたら、他の方法を打診しなければならない。尤も、アイの仕業として、そう簡単に解決させてくれる訳がないし、快復するとも限らないのだが。

 アイは俺の事を恐れているのだ、とリエルは言っていた。察するに、このルーシアを標的にした一件も、俺に対してのデモなのだ。俺を狙わず、俺の心を砕きに来ている。

 ……狡猾な野郎だ。腸が煮えくり返る。

 ただ、暗礁に乗り上げているのだとしても、今はただ希望を捨てたくはなかった。

 治癒魔法やアイテム……恐らくゲームのシステムを利用した正攻法では不可能だ。この未知の状態異常を治せるとしたら、アイが想定していないような方法だろう。それこそ、システムの根幹を、ゲームバランスを揺るがすような、即ち――


「“どんな病気も治癒できる”異能をもつプレイヤーを探すのは、どうだ?」


「……お言葉ですが、見つけられる可能性はとても極小です。現実的ではありません――」


 俺の発案に、リエルは難しい表情で考え込んでいた。

 アヌビスゲートの膨大な異能の中から、その能力をもったプレイヤーを探すという案だった。


「――天文学的に低い確率に頼るよりも……いえ、丁度良いので“三人で”話しましょう。……もしもし、リエルです。…………はい、実は……」


 可能性がゼロではないのだろう。リエルは否定こそしなかったが、難色を示していた。明哲なAIである彼女のその様子は、暗に不可能を表していた。

 蓋然性の乏しい希望に縋ってはいけない。最善の選択をしなくてはならない。大切な人の為、未来の為に呻吟する事を俺は厭わない。

「三人?」と聞き返すと、リエルは誰かと通話を始めていた。


「ニナさんをお呼びしました。じきにここへやって来ます」


「ニナって、記憶を失う前、一緒に旅をしていた<物質崩壊>の少女か?」


「そうです。……実は昨日の夜、ニナさんと先に連絡を取りました。念話、すなわちプログラムによるテレパシーを用いて、事前に現状を全て説明しておいたのですが、疑う事無く信じてもらえました」


 記憶喪失になった経緯や世界の危機、それからリエルの要望、そういった事柄をあらかじめ伝えておいたのだという。

 テレパシーって言うと……もしかして、アレか。時折、俺に向かって誰かが頭の中に直接話しかけているような錯覚を感じた事はある。夢の中で声を掛けられたような事を、朧げだが覚えている。

 誰も居ないのに少女の声が聞こえる、とその日のソロプレイの“サイドディッシュ”にさせて貰った記憶がある。……不謹慎だけど。

 直にやってくるという事は、丁度この近辺に居たのだろうか?

 ともあれ、恐らくニナだけでは無いのだろう。恐らくシンという青年にもコンタクトを取っている筈だ。確かに、その方が話は早い。

 それで、一先ずニナを交え、三人で話し合って打開策を練るといった所か。


 部屋のドアのノックする音が聞こえた。

 入ってください――とリエルが呼び掛けると、扉が開き、音の主が入ってきた。

 姿を見せたのは、長身の女性。長い茶髪を後ろで結っていて、ボディスーツの上から革鎧を着用している、軽装の女性だった。

 切れ長の目、長い脚。美女と呼ぶのが相応しい雰囲気である。


「アンタは、さっきの! 何で……ここに」


「リエルに呼ばれてきたが?」


「リエルに?」


「私が呼んだんです」


「え? じゃあ……」


 この女性がニナだって言うのか?

 どっからどう見ても、さっき俺をビンタして黙らせた女性であり、一昨日の昼にクラーケンを撃破した超人である。付け加えると、俺の股間に火傷を負わせた張本人でもある。

 情報によれば確か少女なんだよな? 成人しているように見えるのだが……。


「ニナだ。よろしく」


「あ、ああ、よろしく。俺はシグレだ。……すまないが、歳を聞いてもいいか?」


「わたしか? 今年で十八になる。現実世界に居た時は高校生だった」


 年下かよ。しかも女子高生? ……まぁアバターと呼ばれる外装に身を包んでいるから、実際の姿がこうとは限らないし、最悪JKの皮を被ったオッサンという可能性もある。あまり触れないでおこう。こんな、武士みたいな喋り方の女子高生が居たら、俺だったらビビる。


「シグレ、おまえとはやはり、以前一緒に戦った事がある気がするな」


「そうか? 言われてみると……記憶にはないが、不思議と俺もそんな感じはする、かもしれない」


 後でリエルから聞いた話なのだが、コンタクトを計った際に、俺に関する情報も教えたらしい。

 俺が宿屋を飛び出して、道のど真ん中で一喝された時、「廃人プレイヤーだろ!」だか「世界ランカーだろ!」、とニナに叫ばれた気がした。何で知っているのか気になっていたが、どうやらそういう事らしい。

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